ピエールの罠
「クソ……ヘイタめ、本当に揉んでくるとは思わなかったぞ」
「条件を呑んだのは自分ではないですか。それに、嫌でしたら断わればよかったですのに」
「いや、あの時のあいつの顔は鬼気迫るものがあった。恐怖で身を竦ませたのは久しぶりであったわ。まぁ、何故か分からんが体の疲れが取れているし、話しを聞いてくれたから許してやったが」
大切な妹の命を救ってくれた少年。
その少年に、己の乳を蹂躙された事を思い出した寝巻き姿の女帝エリザは、体をブルブルと震わせながらも、その顔色は若干朱色に染まっている。
特級冒険者であり、エリザのメイドであるアルメリアは、主の乙女のような表情を見ながら柔和に微笑んでいた。
エリザがこんな顔を見せる事は滅多にない。それも今日会ったばかりの男性になど、今まで一度たりとも無かった筈だ。
どれだけ高位な貴族にも、美麗な男性に歯が浮くような賛辞を贈られても、高級な贈り物を貰っても顔色一つ変えない彼女が、ここまで感情を表に出す事は大変珍しいことだった。
(それだけ、ヘイタ様が特別だったのか)
エリザと平太の勝負を目にしていたアルメリアは思考に耽る。
エリザが誰かに負ける姿を見たのは、アルメリアにとって初めての事だった。それだけエリザは群を抜く程強く、他者を寄せ付けなかったのだ。そんなエリザが、まるで赤子の手を捻るかの如くあしらわれ、平太に敗北してしまった。
もしかしたらエリザは、己を打ち倒した平太の強さに惹かれてしまったのかもしれない。
(まあ、殿方に胸を揉まれたというのも理由の一つかもしれませんね)
勝利条件は胸を揉むことだと宣言した平太。ふざけた内容のため流石に冗談だと高を括っていたが、まさか本当に揉むとは。その事を後でエリザから聞いた時は、ちょっとだけブチ切れて、ヘイタをぶち殺しに行こうと思ったぐらいだ。エリザに羽交い締めで止められなかったら、得意の暗殺術で本当に寝首を掻いていたかもしれない。
「初めてだ、負けたのは」
ポツリと、エリザが神妙に呟く。
「はい、私も驚きました」
「恐らく、あの勝負でヘイタは全く本気を出しておらん。……ふっ、世界は広いというが、全くもってその通りだな」
「はい」
頷くアルメリアを横目に、エリザは続けて、
「その上彼奴、あの歳で私よりも相当重い物を背負っておるぞ。ヘイタと話していると、自分がどれだけちっぽけな存在であるか思い知らされる」
「…………」
エリザの言葉に、アルメリアは口を開くことは出来なかった。
大好きだった母を父に殺され、母を殺した父を、子供である自分の手で殺して。幾多の業を一身に背負ってきたエリザは、まだ二十歳にもなっていない少年の方が壮絶な人生を歩んでいると断言している。
あの、ちょっと冴えない顔の少年が、そこまでの闇を抱えているとは、アルメリアは思いもしなかった。
「ヘイタ様は、何故あれほどまでにお強いのでしょうか」
漸く出てきた言葉は、純粋な疑問だった。
その問いにエリザは一拍置くと、
「分からん。……だが、ヘイタはミリィを救ってくれた。彼奴が何者であっても、私の恩人である事なのは変わらない」
「……そうでございますね」
溺愛している妹のミリィが突然いなくなった時は本当に焦った。
アルメリアが魔眼の力で帝国中を捜したが、一向に見つからない。もう駄目かもしれないと諦めかけたその時、平太とセレナがミリィを救い連れてきてくれた。
ミリィが見つかったと知った時のエリザの目には、薄っすらと涙が浮かんでいたほどだ。本当に、平太とセレナには感謝してもしきれない。
そんな風にエリザとアルメリアの二人が、平太達の話しで花を咲かせていると――、
――ッダァアアアアアアアアアアン!!!
けたたましく扉が開かれ、地鳴りのような音を響かせながら、甲冑を纏った兵士がぞろぞろと入ってくる。
「何ですかこれはッ!?」
こんな夜中に、女帝の私室に兵士が押し入ってくるという無礼な事態にアルメリアが怒鳴り声を散らすと、整列する兵士の中から一人の男が現れた。
「こんばんわ、エリザ様。今宵は良き満月ですな」
「……ピエール」
現れた者の名を呟くと、エリザは鋭い眼光でピエールを睨めつける。
「貴様、一体何のつもりですが!?」
アルメリアが怒号を放つが、ピエールは一切怯む事なく、脂肪に包まれた頬を弛ませると、
「何のつもり……ですか、この状況を見てまだお分かりになりませんかね?」
「……裏切りか」
確信を持ったエリザの言葉に、ピエールは下卑た笑みを浮かべ、
「流石女帝、理解が早くて助かりますな」
「お前がいつかはこんな事を起こす事は分かっていた。ミリィの件も、お前の仕業だろう」
「そうですとも。ミリィ様を連れ去り、エリザ様が懇意にしているベルン王国内で殺し、噂を広める。さすれば、充分な大義名分で戦争を起こせますからな。まあ、この件は邪魔が入ったことで失敗に終わりましたが」
「……き、貴様ッ!!」
堂々とミリィの件は自分がやったと暴露したピエールに、ついにアルメリアの堪忍袋が切れる。彼女が懐に手を伸ばした所で、エリザが止めに入った。
「待てアルメリア」
「ですがッ!」
「少し、ピエールに聴きたい事がある」
「……分かりました」
怒るアルメリアを鎮めたエリザは、ピエールに疑問を投げかける。
「ピエール、お前に二つ聴きたい事がある。お前は何故、それ程までに戦争をしたがるんだ」
エリザの一つ目の質問に、ピエールはくつくつと嗤うと、
「何故戦争をしたいかですって? そんなの一つに決まっているではないですか。金ですよ、金は幾らあっても足りることはありません。そして金は、戦争に勝てば幾らでも奪い取れる。貴女の父上は素晴らしかった。次々と他国と戦争を行い、勝利し、女、金、宝、全てを奪っていった。素晴らしき覇王ですよ。それに比べ貴女はどうだ? 父を殺し戦争を止め、兵の数を減らし安定を求めた。堕落、全く持って堕落。戦争無き帝国など真の帝国ではありません。だから私は、どうにかして貴女を玉座から引き摺り下ろそうと考えていたのです」
「……もう一つ。お前が私を排除する為、裏でコソコソ企んでいたのは知っている。中々尻尾を掴ませてくれなくて歯がゆかったよ。だが解せないのは、そんな周到でズル賢いお前が、何故今になって自ら出てきたんだ」
二つ目のエリザの疑問に、ピエールは自信満々な表情で答えた。
「それはエリザ様、貴女に勝てる手段が整ったからですよ」
「……何?」
「貴女はお強い、他者に追随させない程の圧倒的な強さをお持ちだ。帝国自慢の四騎士が束になっても勝つ事は不可能でしょう。ですがそれは、"魔力を使えばの話しですがね"」
「「――ッ!?」」
ピエールの意味深な台詞に、エリザとアルメリアが自身の体に起こっている異常に漸く気付く。
(魔力が……)
(使えないッ!?)
二人が感じ取ったのは、内包する魔力の違和感。
魔力自体は存在している。失った訳でもなければ、吸い取られた訳でもない。
だが、魔力を行使する事が出来なかった。魔法を発動しようとしても何の反応も起きず、ただの身体強化すら付与する事が出来ない。
「……これは」
エリザとアルメリアが困惑する中、ピエールは目尻を下げると勝ち誇った顔で口を開く。
「『絶対魔力封印結界』」
「……何だと」
「闘技場の魔力結界を基に、私が作り出した切り札です。この城全域に、魔力の使用が出来ない結界を張りました。これで貴女は、魔法が使えないただの女です」
『絶対魔力封印結界』。
それはピエールが、エリザに見つからないよう細心の注意を払い作り出した結界。この結界内にいる者は魔力を一切扱えず、魔法は勿論なこと身体強化すら出来ない結界だった。
ピエールは、最近作り出したこの結界を使う機会を窺っていた。準備を整え、万全な体制を完成させ、機が熟すのを待った。
そして、遂に今日この日、決行したのだった。
「幾ら『暴姫』と恐れられた貴女でも、魔法無き王はただの小娘に過ぎません。諦めて素直に投降すれば、奴隷として生かしてあげますよ。見た目だけは一級品ですから、買い手に困る事はないでしょうし。あぁ言っておきますけど、私の奴隷ではないですよ。貴女を近くに置いておくと厄介ですし、私の好みじゃありませんからね、遥か遠くの国に高級奴隷として売り飛ばします」
優しの欠片もない宣告を告げられたエリザは、「……ふっ」と、可笑しそうに笑い声を洩らすと、
「もう既に勝った気でいるようだが、可笑しなものだ。魔力を使えないのは貴様等も同じだぞピエール。この私が、魔力が使えないからといってそこにいる兵共に負けると思っているのか? 随分舐められたものじゃないか」
徐々に眼力が増していくエリザにピエールは憎々し気に睥睨すると、
「丸腰の癖に吠えおって……もういい、殺れ」
と言って、命令を下した。その刹那、彼の周りにいた兵士達が一斉に動き出す。
今日はもう一度更新予定です




