第8章 数字は、嘘をつかない
[アークシステムズ・仮設ミーティングルーム/午後]
「……で、今わかっているのはここまで」
凪が、画面を操作しながら説明を終える。
「『坂辻さんの報酬額は会社規定より低い』
『それなのに“多くもらっている”という噂が立っている』
『数字が合わない』という経理からの連絡も同時期」
柊は、腕を組んだまま黙って聞いていた。
「つまり」
柊が、ゆっくりと言葉を落とす。
「“少ない数字”と、“多いという噂”が、同じ人物に重なっている」
「うん」
凪が頷く。
「誰かが、数字を“ずらしてる”可能性が高い」
環は、胸の前で手を組み、小さく息を吸った。
(……数字が、ずれる)
それは、どこかで、“誰かの手”が入っているということ。
そのとき。
「――それなら、話は早いわね」
柔らかく、しかし芯のある声がした。
3人が同時に振り向く。
ドアの向こうに立っていたのは、樫乃灯だった。
「灯さん」
環の声が、少しだけ明るくなる。
灯は、ゆっくりと歩き、椅子に腰を下ろした。
「呼んでくれてありがとう」
「こちらこそ」
柊が頭を下げる。
「……正直、“人の問題”と“数字の問題”が絡んでいて」
「ええ」
灯は、静かに微笑んだ。
「一番、ややこしいやつね」
凪が、少しだけ笑う。
「でも、灯さんが来てくれた」
灯は、ふっと肩をすくめた。
「安心するのは、まだ早いわよ」
そして、静かに言った。
「でも――ひとつだけ、はっきり言えることがある」
灯は、テーブルに置かれた資料に視線を落とす。
「数字は、嘘をつかない」
環の胸が、ぽかりとあたたかくなる。
(……ははの声)
灯は続けた。
「嘘をつくのは、いつでも人間」
凪が、画面を切り替えた。
「じゃあ、“数字の動き”を一緒に見てもらえますか」
「もちろん」
灯は、杖を机に立てかけ、資料を引き寄せた。
「……まず、ここ」
指先が、帳簿データの一部をなぞる。
「報酬の支払い処理。この流れ……一見、問題ないわ」
柊が頷く。
「はい。表面上は、きれいです」
「でもね」
灯は、ほんの少しだけ目を細めた。
「“誰が触ったか”のログは?」
凪が、すぐに答える。
「……経理担当者のみ、のはずです」
「“はず”ね」
灯は、やさしく、しかし鋭く言った。
「“触れないはずの場所が、触られている”という相談だったでしょう?」
環が、小さく頷く。
「……はい。経理課の方が、不審に思われていました」
灯は、ふっと息を吐いた。
「じゃあ、“触れた痕跡が残らない触り方”がある、ということ」
凪の目が、きらりと光る。
「……バックドア、ですね」
「可能性は高いわ」
灯は、即答した。
「しかも、“金額を増やす”んじゃなくて、“減らしたうえで、別の数字を見せる”やり方」
柊が、低く言う。
「……意図的に、誤解を生むための操作」
「そう」
灯は、静かに頷いた。
「坂辻さんは、“少ない数字”しか見ていない」
「でも、周囲が見ている数字は、別の顔をしている」
環の胸が、きゅっと締まる。
(……同じ人なのに、見ている現実が違う)
「……それって」
環が、恐る恐る言う。
「誰かが、坂辻さんを“悪者”に仕立てている、ということですか」
灯は、すぐには答えなかった。
一度、資料から目を離し、環を見る。
「……まだ、断定はしない」
やさしい声だった。
「でも」
灯は、はっきりと言った。
「数字は、“そう読める形”をしている」
凪が、静かに笑う。
「……ワクワクしてきました」
「凪くん」
環が思わず声を出す。
凪は照れたように頭をかいた。
「いや、だって。これはもう、“パズル”ですよ」
柊も、口元をわずかに緩めた。
「……そうだな」
灯は、その様子を見て、少しだけ微笑んだ。
「アークシステムズの本領、ここからね」
環の胸の奥で、ぽかり、と何かが灯る。
(……はじまる)
数字と、人の心と、システムの奥。
それぞれが、少しずつ繋がり始めていた。




