第9章 ログの裏側
[アークシステムズ・仮設ミーティングルーム/夕方]
「じゃあ、“裏側”を見に行きましょうか」
凪陽翔は、そう言って椅子に深く腰を沈めた。
さっきまでの、やわらかい笑顔はない。
メガネの奥の目が、静かに細くなる。
――凪のスイッチが入った合図だった。
「凪、無理はするなよ」
柊が声をかける。
「大丈夫です」
凪は即答した。
「これは“壊す作業”じゃない。“覗く作業”ですから」
環は、少し背筋を伸ばして画面を見る。
(……凪くんの領域)
灯は、その様子を黙って見ていた。
「まずは、“誰が触ったか”じゃなくて」
凪の指が、キーボードの上を滑る。
「“触ったはずがない時間”を見ます」
画面に、ログ一覧が表示された。
日時。処理内容。ユーザーID。
一見すると、整然としている。
「経理の入力、修正、確定。全部、正規の流れです」
凪は淡々と言う。
「でも――」
一つの行を、ハイライトする。
「ここ」
柊が身を乗り出す。
「……何もおかしくないように見えるな」
「そう見えるように、作ってあるからです」
凪は、少しだけ口角を上げた。
「この“修正ログ”。経理担当者が触ったことになってる」
「なっている、ということは」
環が、そっと言葉を挟む。
「……実際には、触っていない?」
「はい」
凪は頷いた。
「この時間帯、経理課は全員、会議中です」
灯が、ゆっくりと息を吐いた。
「アリバイは、成立している。
なのに、ログは“修正済み”」
凪は続ける。
「つまり」
柊が低く言う。
「“誰かが、経理担当者になりすましている”」
「正確には」
凪は、画面を切り替えた。
「“なりすましているように見せている”」
環の胸が、きゅっとする。
(……偽装)
凪はさらに操作を進める。
「このシステム、権限管理はちゃんとしてます。
でも、“権限を通さずに触れる入口”があった」
「……バックドアね」
灯が、静かに言った。
「はい」
凪は頷く。
「しかも、かなり丁寧に作られてる。
一気に数字を書き換えない。
少しずつ、“自然に見える幅”でずらす」
柊が、眉をひそめる。
「……経理が気づきにくい」
「ええ」
凪は言う。
「“昨日と今日で、少し違う気がする”程度。
でも、それが積み重なると――」
「帳尻が合わなくなる」
環が、ぽつりと言った。
「そうです、環さん」
凪は微笑んだ。
「だから、経理課からの相談が来た」
灯は、資料を指で軽く叩いた。
「このやり方……“お金を盗む”というより」
少し間を置いて、言葉を選ぶ。
「“誤解を育てる”やり方ね」
凪が、深く頷く。
「そうなんです」
「誰かが多くもらっているように見せる。
でも、本人には、“少ない数字”だけを見せる」
柊の声が、低く落ちる。
「……悪質だな」
「しかも」
凪は続けた。
「このバックドア、“管理進行”の権限に近い位置にある」
環の目が、わずかに見開かれる。
(……管理……)
灯は、すぐに表情を変えなかった。
「進行管理は、数字とデータの“通り道”」
「ええ」
凪は答える。
「触れれば、“誰の案件が、いくら動いたか”が全部見える」
柊は、腕を組み直した。
「……まだ、名前は出すな」
「もちろんです」
凪は即答した。
「今はまだ、“仕組み”を確認している段階」
環は、静かに息を吸う。
(……坂辻さん)
彼は、この裏側を、何一つ知らない。
それでも、噂だけが先に走っている。
灯が、ゆっくりと立ち上がった。
「凪くん」
「はい」
「このバックドア、“いつから”ある?」
凪は、キーボードを叩き、少しだけ黙った。
「……システム稼働直後です」
柊の目が、鋭くなる。
「最初から、仕込まれていた可能性が高いな」
「はい」
凪は、静かに言った。
「これは、“偶然の不具合”じゃありません」
ミーティングルームに、短い沈黙が落ちる。
環の胸の奥で、ぽかぽかと、でも少し怖い感覚が混じる。
(……パズルが、形になってきた)
凪は、最後にこう言った。
「でも、まだ“最後のピース”が足りない」
柊が頷く。
「金の行き先だな」
凪は、静かに笑った。
「ええ。そこがわかれば――」
画面に映るログの列が、静かに光る。
「全部、ピタッとハマります」




