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EVOLVE〜エヴォルヴ〜 Season15 数字は嘘をつかない、嘘つきは数字を使う  作者: 柊梟環
EVOLVE〜エヴォルヴ〜 Season15 数字は嘘をつかない、嘘つきは数字を使う
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第6章 寝耳に水

[アスペクト・デザイン部/朝]



坂辻(さかつじ)陸斗(りくと)がフロアに入った瞬間、空気がわずかに変わった。


――いや。


変わった、というより。


(……薄い?)


いつもなら、誰かしらが声をかけてくる。


「坂辻(さかつじ)さん、おはようございます」


「昨日の案、さすがでした」


そういう、軽いノリの賛辞が、当たり前のように飛んでくる。


だが今朝は違った。


誰もが、忙しそうにしている。


目が合っても、すぐ逸らされる。


坂辻(さかつじ)は何でもないふりをして席に着き、PCを立ち上げた。


(気のせいだ)


そう思おうとした。


けれど――


背後で小さな声がした。


「……ねぇ、聞いた?」


「……うん。……あれ、ほんとかな」


「でもさ、数字が……」


数字?


坂辻(さかつじ)は一瞬、キーボードを打つ手を止めた。


(数字って、何の話だ?)


耳を澄ませても、言葉は途切れ途切れで、はっきりとは聞こえない。


誰かが近づく気配がすると、会話はすぐに消えた。


坂辻(さかつじ)は舌打ちしそうになるのを、飲み込んだ。


(……何なんだよ)


自分の中にある“エースとしてのプライド”が、ざらりと嫌な音を立てる。


――俺が、何かしたっていうのか。


いや、した。


(……デザインは、借りた)


八木尾(やぎお)のデザインを“少し直して”提出した。


それが一度きりじゃないことも、自分が一番わかっている。


だが――それは、あくまで“デザイン”の話だ。


(叩くなら、そこだろ)


坂辻(さかつじ)は思う。


もし八木尾(やぎお)が告げ口でもしたなら、噂になるのは「盗用」だ。


それなのに。



「数字」「金」「流れ」



聞こえてくる単語が、どれも噛み合わない。


(……待て。金?)


報酬の話なら、覚えがある。


社内コンペで採用され、プレゼンに勝てば、報酬が出る。


それは会社の規定で決まっている。


だが、坂辻(さかつじ)がもらっているのは――


「平均10万程度」


たいした額じゃない。


大きな広告案件でも、デザイン部の取り分は決して派手じゃない。


(そんなもんで、何を騒ぐんだよ)


坂辻(さかつじ)は苛立ちを抑えながら、画面のデータを開く。


だが、集中できない。


背中に刺さる、視線。


明らかに“見られている”感覚。


そして、また声。


「……半分、どこ行ってんだろ」


「……いや、もっと……」


坂辻(さかつじ)の心臓が、一瞬だけ強く跳ねた。


(半分?)


――何の半分だ。


報酬は、10万だ。


半分にしたところで5万。


(……笑える)


そう思った瞬間、喉が乾いた。


“半分”という言葉が、別の意味に聞こえたからだ。


(……俺が、何かを抜いてるってことか?)


その可能性が頭をよぎり、坂辻(さかつじ)の背筋が、冷えた。


――そんなこと、してない。


少なくとも、金に関してはしていない。


(俺は……金のことなんて、興味ない)


興味があるのは、評価だ。


採用されること。勝ち取ること。


そこに金がついてくるのは、おまけだ。


なのに。


“金の噂”が先に立ち、自分の周りの空気を変えている。


坂辻(さかつじ)は、ペンを握り、机を軽く叩いた。


カツ、と乾いた音。


周囲の会話が、一瞬止まる。


誰かが咳払いをして、また作業に戻る。


……戻った、というより、逃げた。


坂辻(さかつじ)は、口の中で舌を転がした。


(何なんだ……)



◇◇◇



[アスペクト・廊下/昼]



昼休憩の時間。


坂辻(さかつじ)は飲み物を買いに行くふりをして、廊下を歩いた。


普段なら、すれ違う社員が軽く会釈をする。


だが今日は、会釈の角度が深すぎる。


丁寧すぎる。

距離がある。


まるで、触れてはいけないものに触れないように。


(……俺が、汚れてるみたいじゃねぇか)


坂辻(さかつじ)は、無意識に拳を握った。


自販機の前で足を止めたとき、背後で声がした。


「……坂辻(さかつじ)さんってさ、ああいうタイプだったんだね」

「……意外だった」


意外?


坂辻(さかつじ)は、息を止めた。


“どの部分”が意外なんだ。


盗用のことなのか。

金のことなのか。


それとも、何か別のことなのか。


坂辻(さかつじ)は振り返りたくなった。


だが、振り返れなかった。


ここで顔を上げた瞬間、自分が“認めた”ことになる気がしたからだ。


(……ちがう)


(俺は、知らない)


知らないのに、知らないまま、追い詰められていく。


この感覚が、坂辻(さかつじ)を焦らせた。



◇



[アスペクト・デザイン部/夕方]



午後の作業が進むにつれ、フロアはさらに息苦しくなった。



指示が回ってこない。

会議に呼ばれない。

頼まれていた確認が、別ルートに変わっている。



――排除されている。


坂辻(さかつじ)はそれを、肌で感じた。


(俺がいなくても回るって言いたいのか)


そんなこと、あるわけがない。


エースとして積み上げてきた実績がある。


勝ち取ってきた案件がある。


それなのに。



一つの噂で、空気が変わる。人の態度が変わる。



坂辻(さかつじ)は、ふと、八木尾(やぎお)の顔を探した。


だが八木尾(やぎお)は、いつも通り黙々と作業をしているだけだった。


(……おまえ、何をした)


そう言いたいのに、言えない。


八木尾(やぎお)は何もしていないように見える。


けれど、坂辻(さかつじ)は知っている。


“何もしていない”人間が、一番怖いこともある、と。


そのとき、不意にあの声が頭の中に蘇った。


――「今回のプレゼン、必ず勝ち取ってください」

――「そのあとで、全部ちゃんと確かめますから」


(……確かめる?)


あの時は、鼻で笑って流した。


何を言ってるんだ、って。


だが今になって、その言葉が、骨の中にひっかかる。


(何を確かめるんだ)


(……何を、知ってるんだ)


坂辻(さかつじ)は、視線を落とした。


自分の画面に映るデザインが、急に薄っぺらく見えた。


“借りて作ったもの”だからではない。


この会社の中で、自分の立ち位置が、急に宙に浮いたからだ。


(俺は……)


(俺は、何も知らない)


なのに。


“俺の名前”だけが、勝手に歩き回っている。



坂辻(さかつじ)陸斗(りくと)。


――エース。

――勝ち続ける男。

――そして今は、何かを“抜いている男”。



坂辻(さかつじ)は、唇を噛んだ。


喉の奥が熱いのに、胸の奥は冷える。


(……誰か、教えろよ)


(何が起きてるんだよ)


その答えを持っているのが、八木尾(やぎお)なのか。


それとも、別の誰かなのか。


坂辻(さかつじ)には、まだ何もわからなかった。


ただ一つだけ、確かなのは――


このまま何も起きないふりは、もうできないということだった。

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