第5章 疑いの芽
[アスペクト・デザイン部管理進行課/午後]
新しい社内システムの運用は、少しずつ形になってきていた。
ファイルの保存形式。案件ごとのフォルダ構造。命名規則。
「……よし」
妹尾健汰は、画面に並ぶフォルダを確認しながら、静かに息を吐いた。
几帳面で、真面目で、目立つことは好まない。
だが、だからこそ“揃っていないもの”が目につく。
「坂辻さんのプレゼン案、これで……」
フォルダを開く。
坂辻陸斗。
社内コンペの常連。“エース”。
並ぶデザインデータを、妹尾は淡々と確認していく。
そして――
あるファイルを開いた瞬間、指が止まった。
(……似てる)
いや。“似ている”という言葉では、足りない。
余白の取り方。視線誘導。強調の位置。
偶然、重なる部分はある。
デザインの世界では、似ることもある。
けれど――これは。
妹尾は、別のフォルダを開いた。
八木尾航。
同じくデザイン部。
ただし、いつも後ろの方で静かに作業をしている印象の人。
八木尾の提出データを開き、坂辻のデータと見比べる。
「……」
喉の奥が、乾いた。
(似ている、じゃない。“同じ発想”が、同じ順番で並んでる)
妹尾は画面を閉じた。
“見なかったことにする”という選択肢が、頭をよぎる。
だが、手が動かない。
(もしこれが事実なら、このシステムは“守るための道具”じゃなくて、“暴くための道具”になる)
妹尾は立ち上がり、デザインフロアの片隅へ歩いた。
◇◇◇
[アスペクト・デザイン部/同日]
八木尾航は、いつもの席で作業をしていた。
誰かと雑談をするでもなく、淡々と画面を見つめ、マウスを動かす。
その背中は、静かだった。
「……八木尾さん」
妹尾が声をかけると、八木尾は少しだけ肩を震わせて振り返った。
「……妹尾さん。どうしました」
「ちょっと、確認したいことがあって」
妹尾は、声を抑えた。
「ここじゃ、まずいですか」
八木尾の眉が、わずかに動く。
それだけで、妹尾は確信に近いものを感じた。
「……休憩室、行きますか」
八木尾はそう言って、椅子から立ち上がった。
◇◇◇
[アスペクト・小さな休憩室/午後]
自販機の音が、妙に大きく聞こえる。
妹尾は、できるだけ淡々と切り出した。
「……坂辻さんのデザインと、八木尾さんのデザイン。似ているものが、いくつかありました」
八木尾は、返事をしなかった。
否定もしない。
ただ、視線を落としたまま、息を吐く。
「……妹尾さん」
やっと、声が出た。
「……誰にも、言わないでください」
妹尾は、すぐに頷いた。
「言いません。……でも、事実確認はしたかった」
八木尾の指が、カップの縁をなぞる。
「……気づいてしまいましたか」
「……はい」
八木尾は、しばらく黙っていた。
言葉を飲み込む癖が、身体に染みついている人の沈黙だった。
「……前に、一度だけ……坂辻さんに聞いたことがあります」
妹尾の目が、少しだけ見開かれる。
「聞いたら……」
八木尾は、まっすぐには妹尾を見ないまま続けた。
「認めました。僕のデザインを、少し直して出したって」
妹尾は息を呑む。
「……そんな」
「それで……」
八木尾は、言葉を選ぶように一拍置いた。
「報酬の半分やるから、黙っててくれって」
「……」
妹尾の胸の奥が、嫌な音を立てた。
(報酬……?)
「僕は、お金が欲しいわけじゃないんです。だから断りました」
八木尾の声は、震えていない。
ただ、少しだけ疲れていた。
「……でも、坂辻さんが“いくらもらってるのか”を聞いて、なんか……おかしいなって思って」
妹尾は、慎重に尋ねた。
「金額は……?」
「……平均、十万くらいだって」
「……少なくないですか」
妹尾が思わずそう言うと、八木尾は小さく笑った。
「……やっぱり、そう思いますよね」
八木尾は、そこで言葉を止めた。
“そこから先”は言わない、と決めているようだった。
「……妹尾さん。お願いです。誰にも言わないでください」
妹尾は、まっすぐに頷いた。
「約束します。
……ただ、八木尾さんが一人で抱える話じゃないと思います」
八木尾は、わずかに顔を上げた。
けれどその目には、“誰かを巻き込みたくない”という優しさと、“もう耐えられない”という限界が同居していた。
◇◇◇
[アスペクト・社内/夕方]
約束を守っていても、空気は勝手に形を持つ。
たった一度、妹尾が休憩室から出てきたとき。
誰かの視線が、妹尾の手元を追った。
たった一度、八木尾が席に戻ったとき。
誰かの会話が、ふっと止まった。
たった一度、坂辻が廊下を通ったとき。
笑い声が、少しだけ硬くなった。
“何かがある”その気配だけが、社内にじわじわと広がっていく。
具体的な言葉はない。
なのに、視線は確実に変わる。
坂辻陸斗の周りだけ、空気が薄くなる。
◇
[アークシステムズ・アスペクト仮設ミーティングルーム/翌日]
「……坂辻さんに関する噂が、少し出ています」
窪原が申し訳なさそうに言った。
「デザインの件、みたいです」
柊は表情を変えずに頷いた。
「……噂は、噂だ。でも、発端は必ずある」
凪が、画面を見つめたまま言う。
「噂が出るってことは、誰かが“違和感”に気づいたんでしょうね」
環は、胸の奥がまた小さく「チクッ」とした。
(坂辻さん……)
柊が言った。
「八木尾さんに、もう一度話を聞こう」
「また、環さんが……?」
窪原が驚いたように環を見る。
環は小さく首を振り、ゆっくり微笑んだ。
「……私が話すというより、今回は柊と凪くんも一緒に聞いたほうがいいと思います」
柊が頷く。
「そうだな。前は偶然だった。今度は――」
柊の声が、静かに落ちる。
「意図して確認する」
凪が小さく笑う。
「……よし。“点”を、“線”にしましょう」
環は、頷いた。
噂は、誰かを裁くためにあるんじゃない。
ただ――
真実が、もう隠れられなくなっただけだ。




