第20章 名前を呼ばれる時
[アスペクト社・会議室]
静まり返った室内で、紙がめくられる音だけが響いていた。
誰も、急かさない。
誰も、責め立てない。
それでも――
空気は、重かった。
佐原秀樹は、最後の一枚を閉じる。
「……疋田大輝」
その名前が、淡々と呼ばれた。
疋田は、反射的に顔を上げたが、すぐに視線を落とした。
言葉は、出てこない。
言い訳も、反論も、もう形にならなかった。
数字は、すべて示している。
経路も、意図も、結果も。
「……本件については」
佐原は、静かに続ける。
「社として、 正式な処分を行う」
それだけだった。
誰かが怒鳴ることもない。
問い詰める声もない。
その“静けさ”が、何よりも重く、疋田の肩にのしかかった。
「……以上だ」
会議は、それで終わった。
◇◇◇
廊下に出ると、日常の音が戻ってきた。
コピー機の音。キーボードの打鍵音。誰かの笑い声。
――世界は、何事もなかったように続いている。
疋田は、それを遠く感じながら、自分の席に戻った。
もう、やるべき仕事はなかった。
◇◇◇
[デザイン部/夕方]
坂辻陸斗は、自分のデスクに座ったまま、ぼんやりと画面を見つめていた。
そこに、一枚のスケッチが置かれる。
「……これ」
顔を上げると、八木尾航が立っていた。
「前に言ってた、 “余白を残した構図”、 ちょっと描いてみました」
坂辻は、スケッチを見る。
確かに、見覚えのある線。
だが――どこか、違う。
「……いいな」
ぽつりと、本音がこぼれる。
八木尾は、少し照れたように視線を逸らした。
「……一人で考えるより、 誰かと話したほうが、 見えてくることもありますから」
坂辻は、しばらく黙ってから言った。
「……俺さ」
「はい」
「ずっと、 結果だけを見てた」
八木尾は、何も言わずに聞いている。
「でも……」
坂辻は、ゆっくり続けた。
「これからは、 一緒に考えてもいいか」
八木尾は、少し驚いた顔をしてから、小さく頷いた。
「……はい」
それだけで、十分だった。
2人の間に、もう、奪う必要はない。
競う必要も、隠す必要もない。
デザインは、ここからまた、違う形で生まれていく。
◇◇◇
[アークシステムズ・仮設ミーティングルーム]
「……終わったね」
環が、小さく息を吐いた。
柊は、環の肩にそっと手を置く。
「一区切りだな」
凪は、椅子に背中を預けて言った。
「でも、 壊れたものばかりじゃない」
「ええ」
灯が、やさしく微笑む。
「ちゃんと、 次につながる終わりよ」
環は、胸の奥が、少しぽかぽかするのを感じた。
(……終わりは、 始まりでもあるんですね)
名前が呼ばれ、ひとつの物語は終わった。
けれど。
誰かが誰かを信じ直し、誰かが誰かと並んで歩き始める。
そんな静かな始まりも、確かに、そこにあった。
――それが、この事件が残した、もう一つの答えだった。




