第17章 焦りの一手 ―バックドアが鳴いた日―
[アスペクト・進行管理課/深夜]
静まり返ったオフィス。
モニターの光だけが、疋田大輝の顔を照らしていた。
(……やっぱり、気のせいじゃない)
キーを打つ指が、わずかに止まる。
ログの流れ。処理速度。分岐の挙動。
――どれも、表向きは正常。
だが。
(……この間隔)
疋田は、自分が残した“名残”を辿る。
完全には消さない。
自分だけがわかる、わずかな癖。
(……誰か、触ったか?)
背中に、冷たいものが走る。
慎重に、作業手順を変える。
いつもより、一段階遅らせる。
(様子を見る)
画面を見つめた、そのとき。
――微細な揺れ。
ログが、ほんの一瞬、跳ねた。
(……!)
疋田の心臓が、強く打つ。
侵入。
だが、派手な動きはない。
データも、動かない。
(……何も、してこない?)
相手は、こちらを探っているのか。
それとも――
見ているだけか。
(クソ……)
疋田は、一度、深く息を吐いた。
(焦るな。ここで動いたら、負けだ)
指を離す。処理を中断。
痕跡を、いつもより丁寧に消す。
それでも、完全には消さない。
――癖だ。
席を立つ前、もう一度だけ画面を見る。
「……クソっ」
小さく、吐き捨てる。
「誰だったんだ」
(気づかないように操作されたのか……それとも、俺が焦ってただけか……)
結論は、出さない。
「……今日は、やめだ」
疋田は、何事もなかったように、電源を落とした。
その夜は、静かに終わった。
――そう、思っていた。
◇◇◇
3日後。
[アークシステム・仮設ミーティングルーム]
「……来るね」
凪が、静かに言った。
モニターには、待ち続けた“癖”が映る。
柊は、何も言わず、頷く。
「……予定通りだ」
凪の指が、ゆっくりと動く。
「トリガー、準備完了です」
◇◇◇
[アスペクト・進行管理課/深夜]
疋田は、慎重にログインした。
(3日、空けた。これで、様子見は十分だ)
いつも通りの処理。
いつも通りの手順。
――の、はずだった。
(……?)
接続が、通らない。
バックドアが――塞がれている。
「……は?」
一瞬、思考が止まる。
慌てて、別ルートを叩く。
(残してある……はずだ)
だが。どこにも、“入口”がない。
(……消された?)
次の瞬間。
画面に、見覚えのあるデータ群が表示された。
(……ある)
金の流れ。操作ログ。
積み上げてきた、すべての履歴。
(よかった……)
そう思ったのも、束の間。
疋田は、気づく。
(……違う)
これは――
コピーだ。
動かない。書き換えられない。
中身は、自分がやってきた作業の“完璧な再現”。
「……ダミー……?」
喉が、ひくりと鳴る。
その瞬間。
画面の隅で、小さな通知が点灯した。
――トリガー、実行。
「……っ!」
疋田の背中に、はっきりと汗が滲む。
(3日間……3日間で、全部、吸い上げられた……?)
自分が、作業を止めていた時間。
その間に――
すべてが、奪われていた。
(……しまった)
それは、初めて浮かんだ、明確な後悔だった。
だが、もう遅い。
疋田は、ようやく理解する。
――自分は、“待たされていた”のだと。
バックドアが鳴ったのは、侵入の音ではない。
終わりの合図だった。
静かだった夜が、音を立てて、崩れ始めていた。




