第15章 偽りの静寂
[アスペクト・進行管理課/昼]
疋田は、いつも通りの顔で席に座っていた。
キーボードを叩く指。モニターを見る視線。
同僚に向ける、最低限の相槌。
(……問題ない)
そう、何度も自分に言い聞かせる。
バックドアは生きている。
権限の流れも、まだ掌の内だ。
――だというのに。
視界の端に、どうしても入ってくるものがあった。
坂辻陸斗と、八木尾航。
2人が、話している。
短い時間。ほんの数分。
業務連絡のようにも見える。
だが、それを、一日に何度も見かけるようになった。
(……あいつら)
疋田は、画面を見つめたまま、耳だけをそちらに向ける。
(何を、話している)
笑っているわけじゃない。
だが、以前のような距離感でもない。
坂辻の表情が、以前よりも硬くない。
八木尾は相変わらず無口だが、その沈黙が、妙に“自然”に見える。
(……仲、良かったか?)
答えは、明白だった。
――違う。
疋田は、無意識にペンを強く握っていた。
(システムだ。俺が気にすべきは、人じゃなく、数字だ)
そう思おうとする。
だが、胸の奥に残るざらつきは消えない。
そんなとき。
エレベーターホール近くで、ふと足を止めた。
――八木尾だ。
誰かと立ち話をしている。
(……?)
相手を見て、疋田の眉が、わずかに動く。
アークシステムズの人間。
しかも――女。
(……なんだ)
八木尾が、社内の女性社員と話しているところなど、見たことがない。
それなのに。
相手の女は、終始、穏やかな笑顔だった。
柔らかく、落ち着いた表情で、ゆっくりと話を聞いている。
一方の八木尾は――真剣だった。
身振りは控えめ。
声は低く、何かを説明しているように見える。
(……何を話してる)
距離は、近すぎず、遠すぎず。
仕事の話だと、誰にでも言える。
だが。
(……違う)
疋田の胸に、説明のつかない違和感が残る。
(なぜ、俺はこんなことを気にしている)
自分で、自分に問いかける。
(システムの中を見ろ。数字を追え。余計なものを見るな)
だが、視線は、無意識に2人を追っていた。
やがて、女が軽く会釈をし、その場を離れる。
八木尾は、しばらくその場に立ち尽くし、深く息を吐いた。
(……)
疋田は、ゆっくりと踵を返した。
(落ち着け。まだ、何も起きていない。疑われている証拠は、ない)
自分に言い聞かせる。
だが。
――静かすぎる。
以前なら、数字が動けば、すぐに反応があった。
今は違う。
何かが、水面下で動いている。
見えない。聞こえない。
だからこそ、不安だけが、膨らんでいく。
疋田は、モニターの電源を落とした。
静かなフロア。変わらない日常。
だがその静寂は、偽物だった。
嵐の前の静けさだと、気づいていながら。
――彼はまだ、自分がどこで判断を誤り始めたのかを、知らない。
それが、“数字”ではなく、人を見る目だったことを。




