第13章 守られていること
[アスペクト・デザイン部/夕方]
坂辻陸斗は、自分が呼び止められた理由がわからなかった。
「……何だ?」
声をかけてきたのは、八木尾航だった。
相変わらず地味な服装。控えめな声。
けれど今日は、どこか決意のようなものが滲んでいる。
「……少し、話せますか」
坂辻は一瞬、周囲を見渡した。
誰かに見られている気がして、それだけで、胸の奥がざわつく。
「……ああ」
2人は、フロアの端にある小さな打ち合わせスペースに腰を下ろした。
沈黙が、数秒流れる。
先に口を開いたのは、八木尾だった。
「……坂辻さん」
呼び方が、いつもより少しだけ柔らかい。
「……坂辻さんも、被害者だと思っています」
坂辻の眉が、わずかに動いた。
「……は?」
思わず、声が低くなる。
「何を言ってる」
八木尾は、すぐには答えなかった。
言葉を選ぶように、視線を落とす。
「……僕は」
ぽつりと、続けた。
「坂辻さんを、訴えるつもりはありません」
坂辻は、思わず笑いそうになった。
「……今さら、何を」
「確かに」
八木尾は、淡々と頷いた。
「僕のデザインを使ったことについては、最初は……正直、怒りもありました」
そのひと言で、坂辻の胸が、わずかに締まる。
「でも」
八木尾は、顔を上げた。
「冷静になって考えたら……僕が、あんな派手なデザインを、この会社で通せると思いますか?」
坂辻は、言葉に詰まった。
八木尾は続ける。
「……正直、無理です。誰も、僕にああいう役割を期待していない。でも、あれはほとんど僕のデザインでした」
坂辻は、無意識に拳を握っていた。
「坂辻さんが、それを“生きたデザイン”にしてくれた。世の中に出してくれた」
八木尾の声は、静かだったが、確かだった。
「広告って……見る人にとっては、誰が作ったかなんて関係ないんです」
坂辻は、顔を上げる。
「……」
「ただ、そのデザインを見て、何かを感じる。それだけ」
八木尾は、小さく笑った。
「僕は……それで、満足していました」
その言葉に、坂辻は、完全に言葉を失った。
「……じゃあ、なんで……」
やっと、それだけを絞り出す。
「なんで、こんなことを調べてる。なんで、俺を訴えずに……」
八木尾は、少しだけ間を置いた。
「……報酬額です」
「坂辻さんが、もらっているって言っていた金額。会社の規定より、明らかに少なかった」
坂辻の喉が、鳴る。
「……」
「それが、どうしても引っかかった。だから、調べていました」
坂辻は、背もたれに深く身体を預けた。
「……八木尾」
声が、かすれる。
「……なんで、そこまで」
八木尾は、少し困ったように笑った。
「……坂辻さん。坂辻さんは、金のこと、気にしてないでしょう」
そのひと言が、胸に刺さった。
「でも」
八木尾は、はっきりと言った。
「それを利用して、誰かが坂辻さんを“悪者”にしようとしている」
坂辻の視界が、一瞬、揺れた。
「……協力者がいます」
八木尾は、声を落とす。
「今、社内システムを構築している、アークシステムズの人たちです」
「……彼らが、調べてくれています」
坂辻は、しばらく何も言えなかった。
訴えられると思っていた。
責められると思っていた。
なのに。
「……俺は」
ぽつりと、こぼす。
「……何も、知らなかった」
八木尾は、頷いた。
「だから、被害者だと思っています」
坂辻は、ぎゅっと目を閉じた。
胸の奥で、張りつめていた何かが、少しだけ、緩む。
(……守られている)
それが、今まで感じたことのない感覚だった。
「……八木尾」
声が、低く震える。
「……すまなかった」
八木尾は、首を振った。
「……今は、それよりも。事実を、一緒に見届けましょう」
2人の間に、静かな時間が流れた。
外では、夕暮れの光が、ガラス越しに差し込んでいる。
その光は、坂辻の足元を、そっと照らしていた。
――彼はまだ知らない。
この“守り”が、どれほど強く、どれほど静かなものかを。




