第11章 余裕の仮面
[アスペクト・デザイン部管理進行課/夜]
疋田大輝は、誰もいなくなったフロアで、ひとりモニターを眺めていた。
静かな時間。
余計な雑音がない。
(……やっぱり、誰も気づいてない)
口元が、わずかに歪む。
この会社の連中は、自分が何をしているかなんて、想像すらしていない。
――進行管理。
聞こえは地味だ。
デザインでもない。営業でもない。
談笑の輪にも、ほとんど入らない。
飲み会でも、存在感は薄い。
(ちょうどいい)
疋田は、画面を切り替える。
案件管理。契約金額。支払いフロー。振込先。
すべてが、一本の線で繋がっている。
(全部、見える)
誰が、どの仕事を、いくらで受けて、どこに、どれだけ金が流れるか。
そして――
どこを、どう触れば、“誰にも気づかれずに”ずらせるか。
(俺は、一番いい場所にいる)
疋田は、椅子に深くもたれた。
この位置にいるのは、偶然じゃない。
自分で選び、掴み取った。
派手な才能なんて、最初から期待していない。
評価されなくてもいい。
(評価されるのは、“結果を出したように見えるやつ”でいい)
視線が、坂辻陸斗の名前に止まる。
(……あいつ)
自然と、鼻で笑った。
デザイン部のエース。
顔もいい。プレゼンも通る。
しかも――
金に興味がない。
(バカみたいだ)
生まれたときから、金に困らない家。
がむしゃらに働かなくても、勝手に“評価”が転がり込む。
(……癪に障る)
疋田は、無意識に指を鳴らした。
努力しても、報われないやつはいくらでもいる。
数字を追い、スケジュールを詰め、尻拭いをし続ける人間は、誰にも見向きもされない。
なのに。
坂辻は、“借り物のデザイン”で、次から次へと大きな仕事を取ってくる。
(運がいいだけだ)
それが、どうしても許せなかった。
(……だから、選んだ)
扱いやすい。疑わない。金額を細かく見ない。
そして何より――
“評価がすべて”の人間。
(エースを潰すには、一番いい)
疋田は、画面に表示されたログを眺める。
少しずつ、ほんの少しずつ。
数字をずらす。見せ方を変える。
坂辻本人には、“少ない現実”を。
周囲には、“怪しく見える数字”を。
(噂は、勝手に育つ)
人間は、説明されなくても、“疑いたい理由”を見つける生き物だ。
最近の坂辻を思い出す。
視線を避けられ、会話が途切れ、誰も近づかない。
(……いい顔してたな)
疋田の胸の奥に、黒く、ぬるい満足感が広がる。
(もう少しだ)
(光が消えるまで、あと少し)
画面を閉じ、疋田は立ち上がった。
(アークシステムズ?)
一瞬だけ、柊と凪の顔が脳裏をよぎる。
(大したことない)
あいつらは、“作る側”だ。
用意された設計の中で、正しく動いているだけ。
(バックドアを仕込める余地を残すような設計で、何がプロだ)
疋田は、心の中で嘲笑する。
(俺にかかれば、楽勝)
気づかれるわけがない。
ここまで、完璧だ。
(まだ、大丈夫)
(誰も、俺を疑っちゃいない)
疋田は、フロアの電気を落とし、静かに会社を出た。
その背中には、“余裕”という仮面が、ぴったりと貼り付いていた。
だがその仮面は——
すでに、静かにひび割れ始めていることを、本人だけが知らなかった。




