第22話:日々一歩
奉納剪定に向けて親子二人で庭を支えていくという覚悟を固めた翌朝、境内の空気はどこか引き締まって感じられた。
まだ空が白みきらない早朝の静寂の中、俺はいつものように竹箒を手に取り、参道の落ち葉を掃き清めていた。
ザッ、ザッという規則正しい音が、ひんやりとした朝の空気に心地よく響く。
「おはよーございまーす!」
静寂を破るように、境内の入り口から元気な声が飛び込んできた。
見れば、愛用の自転車を勢いよく停めたアカリが、いつもの作業着姿で軽やかに境内に入ってくるところだった。
額には薄っすらと汗が滲んでおり、どうやら今日も一番乗りでやってきたらしい。
「お疲れ、アカリ。今日も早いな」
「そりゃあね! なんたって今年は、あたしもお祭りの裏方として正式に駆り出されるんだからさ。気合の入り方が違うわけよ!」
アカリは胸を張りながら、自分の竹箒を力強く地面に突き立てた。
その瞳には、二年間のアルバイト生活で培ってきたプライドと、大きなイベントに参加する高揚感がきらきらと宿っている。
「そう意気込むのはいいけど、サボって茂に見つかるなよ。昨日の今日だぞ」
「わかってるって! あたしを誰だと思っててるの。二年間、茂じいちゃんの鬼のような視線をかいくぐって境内をピカピカにしてきたスーパーバイトちゃんだよ?」
得意げに鼻をならすアカリの姿に、俺は思わず吹き出してしまった。
だが、その底抜けに明るい笑顔を見ると、胸の奥で重く澱んでいた緊張の糸がふっと緩むのを感じる。
孤独にプレッシャーと戦っていた数日間に比べれば、今のこの環境はなんと心強いことか。
「……ふん、朝から賑やかな声を出しておるな」
低い、よく通る声が背後から降ってきた。
振り返ると、いつの間にか本堂の前に立っていた茂が、腕を組んでこちらをじっと見据えている。
その手にはすでに、愛用の剪定バサミが握られていた。
アカリはビシッと背筋を伸ばし、見事なまでの直立不動のポーズをとってみせた。
あまりの分かりやすいご機嫌取りに、茂はわずかに片眉をピクリと動かす。
「……じ、じいちゃん! おはようございます! 今日も境内はゴミも落ちてません!」
「……朝から声が裏返っておるぞ、アカリ。大役を任されて浮かれているのか知らんが、その浮ついた心構えでは参道の砂利すら綺麗に掃けまい。浮き足立つな、いつも通りにやれ」
茂の静かで重みのある一喝に、アカリは「ひっ……!」と小さく肩を震わせ、顔を真っ赤にして姿勢を正した。
「は、はいっ……! すみません、気を引き締めます!」
慌てて頭を下げるアカリの様子に、俺は思わず苦笑いを禁じ得なかった。
しかし、その叱咤には、ただ厳しく突き放すだけでなく、調子に乗りやすいアカリの足元をしっかりと地に付けさせようとする親父なりの優しさと気遣いが込められている。
「……口を動かす前に手を動かせ。今日は午前中、裏庭の植え込みの透かし剪定だ。漣、お前は俺についてこい。アカリ、お前は本堂周りの落ち葉とコケ取りを徹底的にやれ」
「はいっ! 承知いたしました!」
アカリはビシッと敬礼をすると、先ほどまでの浮かれた様子から一転、キリッとした表情で自分の持ち場へと駆け出していった。
その後ろ姿を見送ってから、茂はちらりと俺の方に視線を向けた。
「行くぞ、漣」
「ああ、分かってる」
俺は竹箒を立てかけ、新たに剪定バサミを腰に装着すると、父さんの背中を追って裏庭へと歩き出した。
裏庭に足を踏み入れると、そこには手入れを待つ無数の木々が静かに佇んでいた。
これまでであれば、「どこを切れば親父の合格点がもらえるか」という恐怖心ばかりが先立っていた空間だ。
しかし、今は違う。
この木々がどのような歴史を持ち、周囲の景色とどう調和しているのか。
その全体像を自分の目でしっかりと捉えようとする意志が、胸の中にしっかりと根付いていた。
「ここを見るんだ、漣」
茂は一本の古いカエデの木の前に立ち止まり、その枝先を指し示した。
「この枝は長年伸び放題になっており、中の光を遮っている。だが、ただ切り落とせばいいというものではない。木のバランス、そして来年の新芽が出る方向を計算に入れなければ、この木は生き生きとした呼吸を失う」
茂の説明は簡潔でありながら、長年の経験に裏打ちされた圧倒的な説得力があった。
俺は茂の指し示す枝と、自分の目で見た木全体のシルエットを交互に見比べ、じっくりと脳内でシミュレーションを重ねる。
「……どうだ、お前ならどこから入る?」
茂の問いかけに、俺は一瞬息を呑んだが、すぐに迷いを振り払って答えた。
「……まずは、交差しているこの内側の枝を落とす。そうすれば、風通しが良くなって全体のシルエットが引き締まるはずだ」
俺の言葉を聞いた茂は、しばらく無言で木を見つめ、それからわずかに顎を引いた。
「……悪くない。やってみろ」
心臓が大きく高鳴った。
許しを得た俺は一歩前へ踏み出し、カエデの枝に手をかけた。
冷たい金属の感触。
刃先を当て、呼吸を整え、力を込める。
パチン、と、乾いた美しい音が裏庭の静寂を切り裂いた。
切り落とした枝の断面から、みずみずしい樹液の香りがふわりと広がる。
「ふん、少しは様になってきたか」
茂は短くそう呟くと、フッと鼻を鳴らし、自分の持ち場へと戻っていった。
その頑固で不器用な親父の背中を、いまの俺はもう、ただ怯えながら見上げることはしない。
肩を並べるなんて、まだ烏滸がましい。
長年この庭の歴史を背負ってきたあの親父の背中に追いつくには、あまりにも遠い道のりだ。
だが、それでいい。
父さんが築き上げてきた道のりを、今度は職人としてしっかり受け継いでいく。
足元に落ちた細い枝を拾い上げながら、俺は自分の剪定バサミをぎゅっと握り締め、目の前のカエデの木と再び真摯に向き合った。
(第22話・おわり)




