第19話:それぞれの役割
親父の言葉を胸に刻み、自分の足でこの庭を背負うと決めた翌日。
俺は一人で本堂裏の庭木に向き合っていた。
これまでは親父の真似ばかりを意識していたが、「自分のやり方でこの木をどう生かすか」を考え始めると、見えていなかった木のクセや枝の伸び方がクリアに感じられるようになっていた。
「お疲れさーん、漣くん! また朝からそんな真剣な顔してさー」
作業に没頭していると、いつものように竹箒を担いだアカリがひょっこりと顔を出した。
「おう, アカリ。サボってないでちゃんと掃き終わったのかよ」
「もう終わったし! ちょっと水分補給のついでに、新しい剪定プランで張り切ってる漣くんの様子を見に来たのよ。どう? 今日はもう『親父のコピー』脱却できた?」
相変わらずズバッと核心を突いてくる奴だ。
だが、昨日の今日でからかわれても、不思議と嫌な気はしなかった。
「あぁ、おかげさまでな。お前の言う通り、俺は俺のやり方でこの庭と向き合うって決めたよ」
「おっ、なんか今日の漣くんは頼もしいじゃん! じゃ、邪魔しちゃ悪いし、あたしは向こうの参道掃いてきまーす!」
アカリはニカッと笑うと、風のように軽快な足取りで走っていった。
あいつのその明るさに救われながら、俺は再び手元のハサミに視線を落とす。
さて、口だけでなく、結果を示さなきゃな。
俺は息を整え、意を決して一本の枝にハサミをあてがった。
その軌道は、かつての迷いがない、自分自身の意志が宿ったものだった。
「ほう……」
ふいに背後からかけられた低い声に、俺はビクッと手を止めて振り返った。
いつの間にか背後に立っていた茂が、俺が今まさに切ろうとしていた枝と、その周囲全体のバランスをじっと見据えていた。
「親父……」
「ただ真似て切るだけの時期は過ぎたようだな。……おい、漣。その枝を落とした後、全体の風通しをどう取るつもりだ。言ってみろ」
それは、一人の職人対職人として投げかけられた問いだった。
俺は心臓の鼓動を高鳴らせながらも、自分が導き出した剪定の意図をまっすぐに親父へと告げた。
「……この枝を落とすことで、本堂側に抜ける風の通り道を作ります。そうすれば、湿気がこもりやすいこの一帯の黒松の葉枯れを防げるし、何より下の植え込みに十分な陽の光が届くはずです」
俺が自分の言葉でまっすぐに答えると、茂はしばらくじっとその木を見つめ、それからフッと小さく息を吐いた。
「……ふん。相変わらず理屈ばかり先行しがちだが、木の声を聞こうとする姿勢は悪くない。やってみろ」
その許可の合図に、俺は胸の奥で小さく息を弾ませた。
「あぁ、見ていてくれ」
迷いを断ち切り、再びハサミを構える。
シャリッ、と静かな境内に響いたのは、紛れもない俺自身の意志を乗せた切断の音だった。
不要な枝が落ち、ふわりと空間が広がる。
そこを通り抜けた風が、黒松の葉を優しく揺らしながら吹き抜けていった。
仕上がりのバランスはまだ完璧とは言えないかもしれないが、確実に、昨日までの「親父の真似事」とは違う手応えがあった。
「どうだ……?」
俺が緊張を隠しながら振り返ると、茂は腕組みをしたまま、満足とも不満ともつかない絶妙な表情でその枝ぶりを眺めていた。
「……まぁ、及第点だな。だが、調子に乗るなよ。ここからどう枝を育てていくか、数年後の姿まで見据えておかんと、すぐに木に愛想を尽かされるぞ」
口ではそう言いながらも、茂のその目に浮かんでいたのは、かつての厳しいだけの眼光ではなく、確かな手応えを感じ取った師の顔だった。
「分かってるよ。これからだろ」
俺が力強く笑うと、茂はフンと鼻を鳴らしたものの、どこか嬉しそうな、誇らしげな横顔を見せた。
その様子を見ていたアカリが、ふと思い出したように手を叩いた。
「あ、そういえばさ、昨日の集会でさ、ご近所のおばちゃんたちが『最近、あそこの息子さん、見違えたように堂々としてるじゃない』『いよいよ本格的に跡を継ぐんだってねぇ』って、ものすごい盛り上がりだったよ! じいちゃん、そのときどんな顔してたと思う? もう、顔が綻びすぎてお地蔵さんみたいになってたんだから!」
アカリがいつもの調子でケラケラと笑うと、先ほどまでの厳格な雰囲気が一気に崩れ去った。
「なっ……! ば、馬鹿者、近所の噂話に耳を貸す暇があるなら手を動かせ!」
茂は慌てたように大きな声を張り上げ、わざとらしくそっぽを向いたが、その耳たぶが真っ赤に染まっているのは隠しきれていなかった。
他人に自分の跡継ぎを褒められ、それがよほど嬉しかったのだろう。
あんなに頑固で仏頂面だった親父が、今や息子である俺の成長を誰よりも誇らしく思ってくれている。
その不器用な照れ隠しを見ていると、胸の奥からじわりと熱いものがこみ上げてきた。
「なんだよ親父、隠すことねぇじゃん。俺がしっかりこの庭を守るって、近所中に自慢して回ってくれたのか?」
「うるさい! 自慢などしておらん、事実を述べたまでだ! ……まったく、調子に乗るな!」
相変わらずの怒鳴り声だが、その響きには以前のようなトゲはなく、どこか温かい響きに満ちていた。
アカリはそんな二人のやり取りを面白そうに眺めながら、「はいはい、照れ隠しはおしまい! さーて、若旦那の新しい門出を祝して、今日の休憩はお饅頭追加ね!」と、楽しげに笑い声を響かせた。
都会へ帰るなどという迷いは、もうどこにもなかった。
親父の背中をただ追いかける日々も終わった。
これからは同じ庭に立つ一人の職人として、俺はこの場所で、自分の根をしっかりと張っていく。
境内を包む青空の下、新しい季節の風が、俺たちの背中を優しく押していた。
(第19話・おわり)




