第12話:相談と茂
「……ねえ、茂じいちゃん。これ、本当に私が決めていいものなのかな」
夕暮れ時の境内。
御神木の根元に設けられた丸太のベンチに腰掛け、少女がポツリと呟いた。
アルバイトとして境内や庭の片付けを手伝いに来ている高校生のアカリだ。
彼女の手には、進路希望を書きかけのプリントが握りしめられており、その端がくしゃくしゃに折れ曲がっている。
俺――漣は、少し離れた場所でハサミの刃を砥石にかけていた手を止め、ふたりの方へ視線を向けた。
アカリはここ数ヶ月、自分の将来の夢であるデザイン系の専門学校へ進むべきか、それとも両親の勧める安定した事務職の道を選ぶべきか、ずっと悩み続けていた。
「親には『手に職なんて不安定な道はやめなさい』って言われるし、かといって、自分が本当にやりたいことなんて、この先通用するのかも自信がなくて……」
アカリが俯き、膝の上でぎゅっと拳を握り締める。
その背中は、かつて都会の荒波に揉まれ、自分の生き方に迷っていた頃の自分の姿と重なって見えた。
自分がどうしたいのかすら分からなくなり、ただ周囲の意見や世間体に流されそうになっていたあの時期の苦しさが、胸の奥でチクリと痛む。
しかし、その悩みの真っただ中にいるアカリに対して、当の庭師である茂は、数歩離れた場所で無言のまま箒を動かしていた。
古びた竹箒が砂利を掃く「ザッ、ザッ」という乾いた音が、静かな境内に規則正しく響いている。
茂はアカリの方を振り返りもしない。
ただ淡々と、落ち葉を掃き集め続けていた。
(父さん、何か言ってやってくれよ……)
そう喉まで出かかったときだった。
茂が不意に箒を止め、背筋をぴたりと伸ばした。
そして、アカリの顔を見ることなく、ただ前を向いたまま低い声で呟いた。
「……枝はな、自分が伸びたい方向へしか伸びん。無理に違う方向へ曲げようとすれば、芯から折れるか、腐るだけだ」
「え……?」
アカリが驚いたように顔を上げる。
茂は相変わらず背中を向けたまま、足元に生い茂る庭木の一つを指先で軽く叩いた。
「他人の都合で無理な形に仕立てられた木は、見た目は綺麗かもしれんが、強い風が吹いたときに一番先に倒れる。どれだけ不格好でも、自分が『ここに葉を広げたい』と思った方向へ枝を伸ばすからこそ、木は自らの重みを支えられるんだ。……ハサミを入れる人間は、その手伝いをするだけであって、木の生き方を勝手に決めるわけにはいかん」
それだけ言うと、茂は再び無言で箒を動かし始めた。
説教臭い言葉でもなければ、大層な人生論でもない。
ただ毎日、何十年も木に向き合い続けてきた職人が、庭の手入れの真理をぽそりと言葉にしただけだった。
だが、その飾らない一言は、アカリの胸に深く染み入ったようだった。
アカリは目を見開き、そしてゆっくりと自分の手の中にあるくしゃくしゃの進路希望の用紙を見つめ直した。
迷いで曇っていた少女の瞳に、少しずつ確かな光が灯っていくのが分かった。
「……そっか。私、自分の意思で、行きたい道を選んでみる。……茂じいちゃん、ありがとう!」
アカリはパッと顔を輝かせると、弾かれたように立ち上がり、深々と頭を下げて境内を駆け抜けていった。
その足取りは、先ほどまでの迷いが嘘のように軽やかだった。
静かになった境内に、夕日の茜色がゆっくりと伸びてくる。
俺は砥石から手を離し、不器用ながらも誰かの背中をそっと押した老いた父の背中を見つめた。
庭の木々を見つめるその眼差しは、いつだって優しく、そして的確だった。
迷う枝があれば余分な力を抜き、必要な光が届くように間引く。
それは植物だけでなく、迷える人間の人生そのものを整える作業のようでもあった。
人生という複雑に絡み合う枝を整理し、迷う者にそっと光が差し込む道を示す。
実は、父は、見事に剪定された長寿の巨木であった。
(第12話・おわり)




