ep0.1 育成機関
ep0.1
コンコン
理事長室の静寂を、控えめなノックが破る。
机いっぱいに広げられた書類から視線を上げ、私は万年筆を静かに置いた。
時計へ目を向ける。もうすぐ来客の時間だ。
「理事長。少しお時間、よろしいですか?」
『……はい、どうぞ。ただ、もうすぐお客様が来るので手短に』
「……失礼します」
ゆっくりと扉を開けて入ってきたのは、1-Aクラス担任の佐藤 甘助。
普段から覇気のある教師ではないが、今日の彼はいつも以上に肩を落として見える。
彼のことは昔から見てきた。
私と同じ《怠惰》の罪を持つ――悪魔でもある。
『用件は――通達のことでしょう?』
「えっ……あ、はい。そうです」
言われなくても分かる。
この時期に佐藤が、わざわざ私を訪ねる理由など一つしかない。
「来年から、私のクラスの子たちが特進クラスになると……」
佐藤は、言葉を最後まで続けられない。
一度だけ俯き、拳を静かに握り締める。
そして決意したように顔を上げ、真っ直ぐ私を見据えた。
「それは、もう決定なのですか!?」
一瞬の静寂。
『――ふぅ。佐藤先生、アナタのお気持ちはよく、分かり魔す』
私は席を立ち、壁一面の棚へ歩く。
整然と並ぶ学年別のファイル。
その中から『霊輪8年度一年A組』と書かれた分厚い一冊を取り出し、机へ戻った。
表紙をそっと撫で、ゆっくりと開く。
『アナタはとても生徒想いの先生です。その点は私も高く評価している……ですが』
ページをめくる。
顔写真。
成績。
適性。
精神傾向。
一人ひとりの人生が、何枚もの紙へ丁寧に綴られていた。
『今の我が校に、彼ら以上の適役は居ないのです』
「そ、そうは言っても……」
佐藤は言葉を詰まらせる。
担任として反論したい。
だが悪魔として、この計画の必要性も理解している。
二つの立場が胸の中でぶつかり合い、思うように言葉にならないのだろう。
『特進クラスになるということは、下界を背負う悪魔として育てられるということ』
「……」
『彼らの心は大変優秀であり、生まれてくる悪魔にも……おおいに期待できるのです』
「どうしても、特進クラスは必要なのですか! こ、今代だけでも……!それにウチのクラスの子たちは悪魔へ堕ちずとも、間違いなく下界を引っ張る人材として育ちます!」
勢いよく机へ手をつく。
普段の佐藤なら決して見せないほど、感情の滲んだ声だった。
全ては親心だろう。
特進クラスになるということは、彼らの心は――。
『これも魔た、天界との共存の為』
「……っ」
『この学校も、その為に天界が創り上げたシステムです。下界を我が物にせんと目論む大悪魔や、悪魔殲滅を掲げる過激派の神々との摩擦は根強い』
私は再びファイルへ目を落とす。
責任感の強い生徒。
努力を惜しまない生徒。
人を笑わせることが好きな生徒。
欠点だけの子など、一人としていない。
逆に……人生が順風満帆で、満点という子もいない。
だからこそ、この学年が選ばれた。
『私たちは穏健派の神々とだけでも手を取り合わなければ』
「それは……その通りですが……」
佐藤先生は、今にも泣きそうな顔を浮かべる。
『アナタは素晴らしい教師です。ですが――教師である前に、《怠惰》を掲げる七罪の門徒。目的を見失ってはいけ魔せん』
しばらく沈黙が流れた。
時計の秒針だけが、小さく時を刻む。
「……わかり、ました」
『勿論、彼らの勉学、生活のサポートも含めて禍津高校総出でサポートし魔す。怠惰の力を用いて、授業の際は自動傾聴を使ってあげてください』
怠惰を操る佐藤は、相手の怠惰を吸い取り人知を超えた勤勉さを生み出す。
同じ《怠惰》であっても、私の怠惰とはまた別の権能。
「でしたら理事長……1つだけお願いがあるのです」
『お願い……ですか』
「彼らはそれぞれ、青春を信じています。特進クラスに上がって、最後の二年間だけでも。彼らの望む青春を体験させてあげたいのです」
『青春……』
偶然開いていたページへ、佐藤先生は身を乗り出す。
「例えば彼は、対等な関係を築ける友達が欲しいと思っています! あ、次のこの子は部活漬けだった毎日じゃなくて、女の子らしい日常を送りたいと!」
次のページ。
また次のページ。
一人ひとりの願いを語るたび、その声には少しずつ熱が宿っていく。
それは教師だけが知る、小さな夢だった。
『ふむ……』
「私の権能を使えば、努力しなくても関係性を築かせることが出来ます!たとえ卒業すれば消える夢の時間だとしても……」
『……そう、ですか』
「どうか、彼らの青春だけは奪わないでやってください」
『……』
私は静かに席を立ち、窓際へ歩いた。
『我が校を卒業した特進クラスの者たちは、皆下界を支える立派な悪魔となっていく……』
私の脳裏に浮かぶのは、数多の卒業生たち。
「……」
『ある者は政界へ進み、飢えに苦しむ悪魔たちへ心を配り……ある者はアーティストとして、人々を心酔させ熱狂させる上質な心を育てている』
校庭では、金属の棒で玉を殴ることに夢中になっている野球部。
グラウンドでは、何が楽しいのかも分からないまま無心で走り続ける陸上部もいる。
中庭では笑い合いながら購買の菓子パンを貪る生徒たち。
私には、何が楽しいのか分からない。
それでも皆、眩しいほどキラキラとした笑顔で毎日を送っている。
『……分かり魔した』
小さく息を吐き、振り返る。
『実験的な試みですが、価値はあるかもしれない』
下界を発展させ、保存する人材を育てる天界公認の悪魔育成機関。
そんな我が校でも、青春を謳歌する時間くらいは与えても良いのかもしれない――
◆
――そんなふうに思っていた時間が、私にもありました。
『たとえガーネシア様の仰ることといえ……
天使を我が校の生徒として受け入れるなど!』
「いやぁ……そうじゃよね〜。無理よね〜。いや、儂も反対したのよ?でもウリ――」
「神様?」
「おっと……ゴホンッ!儂の秘書天使のミリュエルがの〜。どうしてもと言うもんでな?」
ミリュエルと紹介された天使。
美しい見た目をしながらも、メガネの奥で光る眼光は鋭く、どこか冷たい。
『ミリュエルさんと仰られ魔したか。ガーネシア様とは長い付き合いですが、どうも、アナタとは初めましてですかね……』
ミリュエルはメガネをクイッと上げて、真っ直ぐ私を見つめた。
「えぇ。新たにガーネシア様の系譜として配属されまして。ミリュエルと申します。よろしくお願いします」
『……それで、話を戻しますが。天使を我が校に転入させるというお話ですが』
「あ、あぁ!もちろん実際は禍津高校の監査をしたいとか、そんなことでは無くてじゃな!」
『申し訳ありませんが、謹んでお断りを――』
「死んでも、天界は一切関与いたしません」
『……え?』
「綿堂理事長がご心配されているのは、御校の悪魔たちによって、万が一のことがあった際……抗議や、天界との衝突などが無いか。その点でしょう?」
ミリュエルは優しく微笑んだ。
だが、その目は酷く冷徹に見える。
『……』
「御校が天界の定めた規定に則り悪魔育成を行っているのは重々承知しております。だから、綿堂理事長がご心配されているのは内部を見られることではない」
ミリュエルはガーネシアを横目で流して、話を続ける。
「むしろ、多感な時期の生徒たちです。悪魔化によって不安定になる子や、権能を暴発させるようなこともあり得るでしょう」
『……もちろん、そんなことのないよう万全の体制は敷いており魔すがね』
「それで預かった天使に何かがあったとき。責任が取れない。そういうことでは?」
『……おっしゃる通りです。我々は天界との友好を望んでいる。そんな中、わざわざ火種を投げ込むようなことは出来ない』
「だからこそ、死んでも、最悪壊れても構いません。なんなら、誓約書を書いても良いです」
「み、ミリュエル何を……!?」
「お互い腹を割って、ウィンウィン……といきませんか?」
『ウィン……ウィン?』
〜
結局、押し切られてしまった。
私しか居ない来客室で、冷めたコーヒーを一口啜る。
あまりにも理解不能な提案であった。
天使見習いの魂を我が校の転入生として受け入れる。
その魂は、研修として我々悪魔の命を狙ってくる。
とはいえ、見習い天使如きにやられる我々ではない。
その場合、返り討ちにして殺しても良い。
どうも、裏で何か大きな話が進んでいる気がしてならない。
(だが……)
ズズッ
受け入れてしまった理由は、ミリュエルが述べた最後の一言。
「悪魔へと堕とすのに"親しい友人との別れ"などいかがでしょう?心をかき混ぜるのには十分なキッカケになりますよ」
「教員たちにとっても、悪魔化したあとの生徒たちにとっても……天使との対策訓練のように扱ってはいかがですか?今後も、過激派の神々がやってこないとも限りませんし」
まるでこちらの事情も、悪魔の生み出し方も熟知しているかのような提案。
――心底、恐ろしい。
――だが
(確かに上手く転べば……素晴らしい心を育てられるかも、しれない)




