ep0 素晴らしいこの下界
ep.0
ガヤガヤとした話し声が絶え間なく耳へ飛び込んでくる。
「次の方どうぞー!」
「この書類は輪廻課の三番窓口ですね〜」
「番号札をお持ちくださーい」
行き交う者は皆どこか忙しそうで、手には分厚い書類やファイル。
受付には長い列ができ、奥ではちょこんと二対の翼を邪魔そうに広げた職員たちが目にも止まらぬ速さで判子を押し続けている。
神聖さなど欠片もない。
あるのは"仕事"に追われる天使たちの熱気だけ。
「なあなあお兄さん。この列に並んでるってこたぁ、アンタも天界へ?」
後ろから、犬の頭をした魂が話しかけてくる。
「……ん?あぁ、なんか……ここに並ばなきゃいけないような気がしてな」
「へへ、分かるぜ。オイラも前世では善行を積んだ身だ。アンタの徳の高さ、一目見りゃ分かる」
そういうもんなのか?
汚え面した野良犬にしか見えないコイツが、善行ねぇ……
「あー、わかるわかる。アンタも相当善行だ」
「やっぱり分かっちまうか〜。オイラは飼い主の帰りを駅前で10年以上待ち続けてなァ。下界じゃそれなりの有名犬で――」
「へー。そりゃすげえや」
善行……徳……。
さっぱり分からん。
なぜ、俺はこの列に並んでるのか。
そもそも俺って、下界でどう過ごしてたっけか?
「お次の方〜!」
「あ、兄さん。呼ばれましたぜ!天界でまたお会いできれば良いですね!」
「ん?あぁ……達者でな」
そうして俺は、奥へと進む。
簡単な書類確認と、当たり障りのない面談。
それが終われば、黄金に輝く階段を昇るように促され――
〜
よく分からないまま、月日が過ぎた。
天使学校での生活は、まさしく地獄。
最初はおもしれえ奴も何人か居たが、月日が経つにつれて「やぁご機嫌いかが?」とか「いい天気ですね!」とか……
中学生向け英会話の教材みてぇな会話しかしなくなっていく同級生共。
何だか異様なほど目がキラキラと輝いて、屈託のない笑顔はむしろ不気味に映る。
(俺が、おかしいんだろうな)
なんで俺は天使候補なんかに選ばれたんだ。
授業にも参加したくなくなり、俺は自室に引きこもるようになった。
コンコンッ
「おーい!魂番号18番くーん!今日も学校来ないのか?」
――毎日、誰かしらが俺の部屋にやってくる。
本人たちは素敵なことをしているつもりなんだろうな。
扉を開ければ、また目をキラキラさせて『体調悪いのかい!?』『今日の授業のノートだ!代わりに取っておいたよ!』とか言ってくる。
同じことしか言えねえんだから、扉の前にラジカセでも置いとけよ。
『今日は学校に来たほうがいいよー!』
なーにが今日"は"だよ。
毎日毎日、やれ人間を愛せ〜とか、悪魔には気をつけろ〜とか。
同じことの繰り返し――
『今日は特別に熾天使様と神様が訪問されるそうだよ!』
その瞬間、俺の魂が震えた。
なぜかは分からない。
でも何かの言葉に反応するように、俺の魂が……つまり全身が脈動した。
『それだけでもおいでよ!寅の刻に、第三広間でやるんだってさ!久しぶりに元気な君にも会いたいからね!』
寒気がするような捨て台詞を吐いて、同級生は去っていった。
行くわけねえ。今までの俺なら、行くわけねえんだが――
〜
第三広間。丑の刻。
予定より一刻も早く、俺は第三広間へ来ていた。
俺は最前列に座っていた。
(やっぱラッパは持参したほうが良かったんかな〜)
天使の標準装備として、入学式の日に支給されたラッパ。
原則、常に所持していないといけない。
(……でも俺のラッパはサビだらけだし、神様とかに見られたら怒られそうだもんな〜)
まだ、始まるまで全然時間はある。
他の同級生たちも、授業中なんだろうか誰も来ていない。
正面には豪勢な造りの祭壇。
ギラギラと艶めかしい輝きは、なんだか俺の目には痛く映る。
そんなことを考えていると、祭壇の奥から誰かが静かに歩いてきた。
『おや?こんな早い時間から待っているなんて、殊勝なことですね』
背中には、四対の大きな翼。
顔は、儀式陣の記された白金の布で覆われていて分からない。
だが、すぐに分かった。
この女性が――
「あ、アンタが……」
――熾天使だな?
そこまで言いかけた瞬間、体に電流のような衝撃が走った。
「アーダッ!ダッ!ダダダダッ!」
『アンタ……?口の利き方に気をつけなさい。この学校で何を、学んでいるのですか』
「ヒィ、す、すみません……」
『分かれば、よろしい……』
その女性は俺の顔を見つめて、話すのを止めた。
ジッと、見つめてくる。
まるで刻でも止まったかのように。
『アナタは……』
まるで無意識に漏れ出たような、微かな声。
その言葉と共に、大きな翼が広がっていって――
「あぁ!!!魂番号18番くん!!!来たんだね!!?」
五月蝿い声と共に、数多の学生たちの声が聞こえてくる。
ガヤガヤ
「あら!お花の香りがすると思ったら、18番くんじゃないの!」
「やあ、今日は本当にいい天気だね!体調は大丈夫かい?」
「ハバナイスデイ!」
目を異様なほどキラキラさせて同級生たちが歩み寄ってくる。
皆、心から嬉しそうに笑いあって声をかけてくる。
「あ、あぁ。いい加減、来ないとな……」
「良かったよ!心配していたんだよ!」
「今日は小鳥さんも歌っているわ♪」
「グッモーニン!アインファインセンキュー!」
同級生たちに囲まれ、俺は先ほどの熾天使を見失う。
彼女とは、何かを話さないといけないような――
そんな気がしたんだが。
〜
『そういうわけで君たちの大半は、卒業後正式に天使へとなるだろう!その場合、配属される場所に合わせて、天使の"系譜"というものがあり――』
バサァッ
それからは、先ほど居た彼女は現れなかった。
祭壇に立つのは、巨大な五対の翼をこれでもかと広げて見せびらかす大男――力の熾天使"ミカエル"。
ミカエルの長ったらしい講義は二刻を越えている。
(やっぱり来るんじゃなかったかな……)
溢れる欠伸を噛み殺す。
『更に!一定以上の成績、実力共に認められた選ばれし大天使は、熾天使へと選ばれることがある!』
バサァッ
――熾天使。天使の中でも、最上位職。
『熾天使は原則として、神と同等の地位、影響力を持つ!よって、神を介さず自らの系譜を持って組織を作ることも可能であり――』
バサァッ
(バサバサうっせえなぁ!?いちいち翼を広げないと話せねえのかこの脳筋天使は!?)
そんな脳内ツッコミも虚しく、ミカエルは話し続ける。
『熾天使にはその系譜に応じて、様々な権限や力を与えられるのだが!特に凄いのは智慧の――
ドクンッ
『ミカエルッッ!!』
誰かが、ミカエルの話を遮った。
ざわざわと、同級生たちは小さくざわめく。
だが、それ以上に俺の魂がざわめいていた。
――智慧。智慧の……熾天使?
何かが、俺の魂を引っ掻くような。そんな痛みにも似たざわめき。
『おっと……すまん』
刹那の、静寂。
割り込んだ声の主は現れず、ミカエルは一瞬だけたじろぐ様子を見せる。
『ま、まぁ話が長くなったようだな!とりあえず、希望者はこのあと私と個人面談も可能だ!ただし、先着順だぞ!ガッハハハ!』
〜
誰もいない第三広間。
俺はまだ、その場にいた。
待ってみたが、あの女性は結局最後まで現れなかった。
彼女が誰だったのかも分からない。
だが、熾天使という言葉は最後まで俺の"魂"を震わせた。
「熾天使か……」
理屈は分からない。
だけど強烈に求めてしまう自分を無視できない。
俺は、熾天使にならなければいけない。
そんな声が、自分の中から聞こえる気がする。
――あれ?そういえば今回、神も訪問するとか言ってた気がしたけどな。
◆
祭壇奥の控室。
ミカエルは先ほどまでの雄弁さが嘘のように、汗だくで地面に倒れ込んでいた。
『まさか本当に、てこでも動かないとは……』
バサァ……
ミカエルの嘆きに、ソファの上でくつろぐ少女が答える。
『甘いなー。無理に動かそうとしても無理だって〜』
もう一人――白金の布で顔を覆う熾天使も嘆く。
『わざわざミカエルまで呼んだというのに……アナタというお方は……』
『なんかさー、やる気でねえんだよな。何かを失ったような……分かる?喪失感って・や・つ♫』
『分かりません!アナタは仮にも戦神でしょう?悪魔の力も増しつつある今、アナタこそが筆頭となって天使たちを引っ張らなければ……』
『んなこと言われてもよ。想像してくれよ?
なんかスゲェ最高の夢を見てたのに、起きたら全て無くなってました!みたいな!!
分かるだろ?』
『分かるかぁ!』
激しめのツッコミに、赤髪は微かに揺れる。
それでも、少女は微動だにしない。
『はー。とりあえずやる気でね〜の。七罪との戦いについても、勝利の神"ネヴァ"にでも旗持ちしてもらえよ』
『そういうわけにもいきません!ネヴァ様は既に激務をこなしてらっしゃるので――』
『よいっ……しょっ!と』
『ちょ、どこへ!?』
『もう良いだろ?学生たちも居なくなっただろうし、私はもう帰るんだよ』
『ちょっと!!"アティナ様"!!』
『しつっけーな!!』
ガラガラガラ!
控室から出たアティナの目に入ったのは、まだ第三広間に残っていた一人の天使学生。
天使学生も、アティナの存在に気づく。
ただし彼が見ていたのは、奥でアティナの腕を引っ張る女性熾天使。
だが、まるで見つめ合うような形になるアティナと天使学生。
アティナにとっては、まるで永遠とも感じられるほど長く交わした視線。
天使学生にとっては、待ち望んでいた熾天使との邂逅。
「あ……やっと出てきた!俺は待っていたんです、アナタの話を聞きたくて――」
〜
次の瞬間。
(消えた)
もう、そうとしか認識できなかった。
視界の隅で、赤い何かが揺れたと思った瞬間。
ズンッ――
世界が、一歩だけ遅れて震える。
「――えっ?」
本能が叫ぶ。
ニゲロ。
理由など分からない。
目では何一つ捉えられていない。
それでも魂だけが理解していた。
"天敵"。
猛獣とも違う。
会ったことないが、恐らく悪魔とも違う。
もっと原始的で、もっと抗えない何か。
俺の視界は一瞬で赤く染まり、すぐに真っ黒に落ちていった。
〜
私の目から見て、そのときのアティナ様は全盛期を越えていた。
まるで獲物へ飛び掛かる獣。
あるいは、獲物を見つけたときの飢えた巨竜。
空間そのものを食い破る勢いで、赤い影が一直線に彼に向かっていって。
『アティ――!!!』
私の声よりも早く。
アティナ様は天使学生に襲いかかり――激烈に抱きしめた。
『コイツが欲しい!!』
無邪気な少女のような笑顔を浮かべているが、魂を締め上げるその腕はもはや巨人の腕力も越えているのだろう。
天使学生は、既に魂のはずなのに昇天しかかっている。
『な、何を言っているんですか?アティナ様!この魂を知っているのですか?』
『いや、わからん!!だが、決めた!私がコイツを貰おう!』
『いや、良いわけないでしょ!この魂はガーネシア様の学校の生徒なんですよ!』
『ならガーネシアに言えば良いんだな?』
『いやいや……!』
呆れた。
つい先刻までは睡眠の神とまで揶揄されていたアティナ様が。
もうすっかり戦神の眼差しに戻っている。
この魂は、一体……
『と、とりあえず離れて!!本当に死んでしまいますよ!!』
『あっ!?おっとと……悪い。なんか昂ぶってるみてえだ』
『言われなくても分かります。とりあえず、ガーネシア様はアティナ様にはお会いにならないと思いますよ』
『ハァ!?何でだよ!』
『そりゃアティナ様が怖……外部の神様だからです。今日は特別に訪問ということで来ただけなんですから』
『ふざけんな!!私がもらうと言ったら貰う!!』
『そんなに言うのなら正式な手続きを踏んでください!貰うってのがどういう意味か知りませんが!』
『なんだよ正式な手続きって。私の系譜の天使にでもすりゃ良いのか?』
『ガーネシア様の天使学校なので、天使としてはガーネシア様の系譜にしか属せません』
『ハァ!?それじゃ……あ、そうだ!私の神様大学に推薦させよう!それなら私のモンになるよな?』
『……もう何でも良いですから、離してあげてください』
「ゥ゙……ゥ゙ゥ゙……ヤクソク……ヤクソクって……ナンダ……?」
魂は白目を剥いて、泡を吹かしながら更に唸っている。
まるで想像を絶する悪夢でも見るかのように。




