第二13話 全能の神
第二13話
全能の神"ヤーファウ"
"世界"が創り給うた始まりの神にして、現存する神々の実質的なリーダーでもある。
戦を司る女神アティナのように、本来神には各々の象徴がある。
逆に言えば、神といえど専門ではない分野については疎いのが常。
だが、全能であるヤーファウに不可能は無い。
彼が望むことは全て実現される。
その力は、死という概念を持たない悪魔すら心ごと完全に消滅させるほど。
だからこそ――
『悪魔たちを完全に使役し、地獄と下界の保存と観察に利用する。その関係性はしっかりと教え込んできたはずだが……』
暴食の悪魔――ミートロフ。
彼が下界で行おうとしていたことは興味深かった。
だから無許可であれ、ある程度は容認していたが――。
突然の大量虐殺。
更に力を蓄え、天使や神すらも喰らおうとしている。
これ以上見逃せば、奴の行動は自然変化の域を越え、世界の"保存"に影響が出てしまう。
『少々、やり過ぎたようだな』
ヤーファウは八対の翼を広げる。
次の瞬間、沈みゆく太陽に重なるように後光を照らし下界へと降臨する。
彼が望めば、降臨も大悪魔の消滅も刹那の単純作業。
結果は決まっている。あとはその結果に基づいた行動をするのみ。
――だが、一つだけ理解しておかなければならない。
ヤーファウは全能ではあるが、"全知"ではないということを。
◆
「あっ……!」
大量の亡骸の中。
見覚えのある顔が一つ。
それは禍津高校に来て、最初に出会った人――
いや、悪魔。佐藤先生だった。
「うぅ……」
まだ、息がある。
腹部を抉り取られ、息をすることすらやっとの状態ではあるが、佐藤は確かにまだ生きていた。
「先生!佐藤先生!!」
「う……君は……アマツカ……くん」
「先生、大丈夫ですか!?」
僕は天界で学んだ下界式治癒を行う。光が徐々に佐藤の体を包み、傷口が埋まっていく。
「こ、これは……アマツカくん、君は……もしかして」
ズキッ
「うっ……」
突然、頭の中で声がする。
低く、重い。
それなのに、間違いなく"僕自身の声"だった。
――オイ、治して良いのか?コイツは、悪魔だったんじゃないのか?
「うるさい……」
コイツはこの高校に居た悪魔だ。つまりミートロフの仲間だろ?
「でも、死にかけている」
悪魔は死なねえよ。精々地獄に還るだけだ。
「でも、見過ごせない。僕は誰も……」
甘い。まさしく"甘ちゃん"だな。
お前の行動原理は滅茶苦茶だ。悪魔を倒したいんじゃないのか?
助けたいのは、優しくしてくれた戌亥だけだろう?
お前の心は、自己矛盾で埋まってる。
「うるさい、うるさい……」
「アマツカくん……僕より、先に生徒たちを……」
「先生、喋らないでください。まだ治ります。まだ……」
コイツは悪魔だ!お前も見ただろう!
悪魔だ!悪魔だ!悪魔だ!!
脳に響く僕の声を無視して、治癒の光は佐藤の傷口を埋めた。
「先生、とりあえず応急処置は出来ました。立てますか?」
「あ、ありがとう……少しなら、動けそうだ」
「良かった。すぐに、逃げてください」
「いや、逃げるわけにはいかない」
「えっ……?」
佐藤は立ち上がると、僕の方を向く。
「先ほどの力。そしてこの状況……君は、天使なんだね?」
「はい……皆を、助けた――」
「君が天使ならば、僕にもやるべきことがある」
そう言って、佐藤は両手を広げる。
手からは黒いインクのようなものが滴り落ちる。
脈動する魔力の慟哭が聞こえる。
「佐藤……先生?」
佐藤は何も言わず、僕の眼前へ儀式陣を展開した。
「救ってくれたことには感謝している。だが、さよならだ、アマツカくん。後は――」
僕の視界は真っ黒に染まった。
〜
「天啓が"勤勉"だけじゃ、いい加減ヤバいにゃ」
光はほぼ尽きた。
ミートロフの蝿はあらかた消し飛ばしたが、まだ蠢くゴキブリは大量に残っている。
最初から、近隣の被害なんて考えず一帯を吹き飛ばせば良かった。
そんな後悔も、今や後の祭り。
今できることは、応援が来るまで時間を稼ぐことだけ。
『追い詰められた猫……いや鼠!鼠肉のシチューなんていいですねぇ!』
体育館のステージ裏にある、用具倉庫。
背中にはマットや跳び箱が積み上げられ、眼前にはゴキブリの群れを率いたミートロフ。
ついにオレサマも……万事休すにゃ。
『さぁ、さあさあ!細切れになって!!アナタの血で煮込ませてッッ!!!』
ブゥゥゥゥン――
体育館中を這い回っていたゴキブリが、一斉にミートロフの頭上へ集まり始める。
幾千、幾万もの黒い甲殻が折り重なり、互いの脚を絡ませながら一つの塊へと凝縮していく。
やがてそれは人の背丈を優に超える巨大な包丁となった。
刃渡りは二メートルを超え、黒光りする刀身は蠢いている。
『さぁ……調理の時間です』
ミートロフが巨大な包丁をゆっくりと掲げる。
ゴキゴキ、と甲殻が軋む不快な音が体育館中へ響いた。
『いただく命に感謝を込めてッ――』
ズンッ――
空気そのものを叩き割るような勢いで、巨大な包丁がニャニャエルへ振り下ろされた。
「ニャゥ……!」
死なないはずのオレサマにとって、初めて訪れる恐怖。
自分でも聞いたことのない、情けない声が漏れ。
咄嗟に、目を瞑る。
痛みが、来ない。
あの巨大な包丁に潰され、切り裂かれる感触が無い。
「……にゃ?」
目を開く。
振り下ろされたはずの巨大な包丁は、途中でぴたりと止まっている。
その刃ごと、巨大なミートロフの胸には、人ひとりが悠々と通れるほどの巨大な風穴が穿たれていた。
ぽっかりと開いた穴の向こうから、砕けた天井越しの夕光が真っ直ぐ倉庫へ差し込んでいる。
『……あ、え?』
ミートロフ自身も、何が起きたのか理解できていない。
蟲で形作られた巨大包丁は音もなく崩れ、甲殻の破片となって床へ降り注ぐ。
光に目が慣れる。
穿たれた風穴の向こう側。
黒い影が、一歩こちらへ踏み出した。
「た、太郎……!?」
「ギリギリになって、すみませんニャニャエルさん!」
太郎の体は、インクでも浴びたように黒く染まっている。
だが太郎には、オレサマでも理解の及ばない力が全身に漲っている。
「太郎……その姿は……?」
太郎は少し憂いの帯びた目を向ける。
「悪魔の……力だそうです。佐藤先生が、自分の心を使って……」
『さ、佐藤だとぉ……?』
崩れながらも、ミートロフは微かに声を漏らす。
その名は知っている。
地獄からソウエンが送り込んできた、吾輩の監視者。
分かっていたが、余りにも脆弱な存在だったため気にもしていなかった。
確か――"怠惰"の悪魔。
「はい。佐藤先生は"アンチタイダーフィールド"と呼んでいました。全身に力が漲って、感覚が研ぎ澄まされるんです」
「にゃるほど……実質的に"勤勉"の天啓と同じ効果ということかにゃ」
分からない。詳しくは分からないが――
「にゃんにせよ、助かったにゃ」
『バカな……バカなぁ……』
ミートロフを模っていた蟲たちが崩れ散っていく。
奴の虚しい声だけが、卑しく響いて。
〜
「この寝かされてる奴らは?」
体育館の脇には、数人の生徒が寝かされている。
「佐藤先生のおかげで、千里眼の感覚も鋭くなって……まだ息のあった生徒たちも助けられたんです」
その中に眠る一人の女子生徒を見つめ、太郎は安堵したように微笑んだ。
「助けられて、本当に良かった」
「……そうか。良かったにゃ」
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「佐藤……先生?」
佐藤は何も言わず、僕の眼前へ儀式陣を展開した。
「救ってくれたことには感謝している。だが、さよならだ、アマツカくん。後は――」
僕の視界は真っ黒に染まった。
「僕の代わりに、生徒たちを。皆を救ってくれ」
"アンチタイダーフィールド"
「うっ……!佐藤先生、これは!?」
「ハハハ……僕は、本当は先生なんかじゃないんだ。ミートロフの奴を監視するために、この高校へ潜入した悪魔」
「だけど……」
佐藤の顔からは、生気が抜けていく。
心の灯火が、消えていくことが分かる。
「いつの間にか僕は、生徒たちのことが大好きになってしまった。これじゃ……悪魔失格だよ」
「佐藤先生!いま、今傷を……」
「本当は……ミートロフの暴虐を観察して、目立たず、報告……するだけの任務だったのに」
「シンパチくん……たちのことを、止めなくて……すまない。目立つわけには………」
「先生!!」
咄嗟に体に触れようとしたが、佐藤の身体は黒い粒子となって静かに崩れていった。
悪魔は、本来死ぬことはない。
だが、自らを形作る"心"そのものを使い果たせば。
その存在は二度と還ることなく、消滅する。




