第二12話 ミートロフという男
第二12話
ニャニャエルとミートロフの戦いは熾烈を極めた。
閃光が弾けるたびに床は砕け、体育館の壁は爆ぜる。
天井から照明が落ち、窓ガラスは次々と砕け散る。
羽虫の濁流と白銀の衝撃波が激突するたび、体育館そのものが悲鳴を上げていた。
「うっ……」
戦闘に巻き込まれ飛び散る血。
衝撃で、生徒たちの亡骸が更に吹き飛ばされていく。
皿に盛られた料理が、吐瀉物になっていくようにぐちゃぐちゃと原形を失っていく。
僕はひとしきり吐いたあと、立ち上がる。
何も出来ないまま、見ているだけなんて出来ない。
戌亥さん――
「まだ生きてる人だって、いるはずだ!」
一人でも、救いたい。
ミートロフがニャニャエルさんに気を取られているうちに――
僕は千里眼を発動させる。
グゥン……!
視界いっぱいに赤い光が埋め尽くす。
体育館中に散らばる蝿やゴキブリ。その全てが赤く脈動していた。
その中に――
ピカッ
「見つけた!赤い光の中に、まだ微かに白い反応がいくつかある……!」
本来千里眼は悪魔を識別するための天使の能力。
悪魔がいるエリアは大まかに赤く光る。
対して人間であれば、微かに白く光る。
死んでいるのなら光ることすらない。
「助けるんだ。僕が、一人でも!」
〜
「ハァ……ハァ」
『フフフ、だいぶお疲れのようですねえ』
「ぬかせ。お前の方こそ、随分小さくなったにゃ」
『ふ、フフ。減った分は、食えば良いのです』
「そもそも天使はにゃ――」
『死なない、のでしょう?天使や神、そして悪魔といった魂や心の存在が、殺されるということは無い』
「にゃにぃ……なら分かってるだろ。お前がいくら足掻いたところで消耗戦で勝ち目はねえにゃ」
ミートロフの右手に、虫が纏わりついていく。
それらはやがて、一回り巨大な黒腕となった。
『殺すのではない。私の一部となり、私の力となる』
「バカにゃことを!そんなことが出来るわけ――」
ミートロフはニャニャエルに右手を向ける。
『出来る。それは既に"オレ"で実証済だ』
ミートロフの顔が、一瞬だけ別人へと変わった。
――屍肉漁り(スカベンジャー)
その言葉が聞こえた瞬間。
ニャニャエルの翼が溶けて崩れた。
「にゃ……!」
『ふ、ふふ……ふ、アッハハハ!!』
黒い大群が、翼を失ったニャニャエルの元へ。
『ハハ……ハァ。さぁ、食べやすいサイズだ。お前も吾輩の糧となれ』
◆
ぐちゃっ
踏まないように気をつけていても、足裏に柔らかな感触が伝わり、思わず息が詰まる。
「……うっ」
無惨にも食い破られた臓物や死体を動かし、光の指し示す場所を探す。
「ごめん、ごめんね……」
首から上の無い死体。
内側から腹部を食い破られた死体。
皮膚が赤黒く爛れ、朽ち溶けた死体。
死体。
死体。
死体。
「うぅ……うっ、ウプッ」
こみ上げる吐き気を無理やり飲み込み、必死になって亡骸を掻き分ける。
「あっ……!!!」
見覚えのある頭。
黒髪を、リーゼントに固めたこの頭は………。
「シンパチ……くん」
■■■■■
ドゴッ!
『ホラホラ三発目ぇ!!』
ドゴッ
「ウッ!!ま、待って……」
『オイオイ猿渡!数間違えてんぞ!まだ二発目だろ!』
『あ、そうだった!じゃ、次な!一発目ぇ!』
ドゴッ
ドゴッ
ギャッハハハハ
■■■■■
思い出されるのは、旧校舎での出来事。
僕はシンパチくんの死体を抱いて、ただ涙が溢れてくる。
「君たちも……悪意に踊らされていただけだったんだ」
その表情は、恐ろしいものを見たときのような、悲痛な顔で固まっている。
部活動の生徒だけじゃない。
一帯の生徒たちは、皆ここに集められて……アイツに、食い散らかされた。
「戌亥さんは……!戌亥さんは、どこに」
次々に死体を漁る。
もう、恐怖や悲しみは無い。
とにかく今は、一刻も早く生存者を見つけるんだ。
戌亥さんが、まだ生きているかもしれない。
〜
『どうした?自慢の機動力が削がれて、逃げるので精一杯のようだな!』
(くっそ……)
マズったにゃ。
翼がもがれるとは、さすがに想定外。
天啓は既に使用している。
いい加減、神の応援が来てもおかしくないはずだが――
「こいつはやっぱり、地獄の片道切符だったにゃあ……」
奴は……ミートロフの体は次第に大きくなっている。
蝿の一群が、地べたに転がる栄養源を食い漁る。
「チッ……追いながら食ってやがるにゃ」
オレサマの光は、次第に弱まっている。
◆
天界。
白亜の回廊を抜けた先。
円形に広がる大広間の中央には、直径数十メートルはある巨大な水鏡が静かに浮かんでいた。
鏡面には一面、下界の景色が映し出されている。
海。山。街々。
そして、人々の営み。
鏡の周囲を囲むように幾重もの儀式陣が展開され、無数の光文字が絶え間なく流れていた。
ここは、天界が下界全土を監視する施設。
――下界望遠館
そこに現れるは、一柱の神。
腰には豪華な装飾が施された剣を携え、肩には身の丈ほどある大弓を背負った少女の姿。
少女は水鏡を覗き込み、薄く笑った。
『へぇ。あいつが注目していたから見に来てみれば……随分とおもしれぇことになってんな』
その姿を見た天使が、慌てて駆け寄る。
「あ……よ、ようこそ。いつの間にこの部屋へ……?いや、どうしてこちらへ……?」
『ぁあ?うるせえな。お前には関係ねえだろ』
ドンッ
「キャッ!」
突き飛ばされた天使は、もう一人の天使に支えられ、再度追い縋った。
「お、お待ちください!この部屋は現在、ヤーファウ様より神の入室を禁止されていて――」
『クロノス=ファルス派の神は、だろ?安心しな。私はクロノス派じゃねえよ』
「そ、そうは言っても……」
『ま、ガイア=カオスの思想派でもねえけどな。そこはまぁ!融通利かせよう?な?』
「う……う〜ん」
『出ていけと言っているのだ』
奥より、重い声が直接心臓に轟く。
『チッ。めんどくせえ奴が居たか……』
声の主――"ネヴァ"が階段を真っ直ぐに降りてくる。
『そこの天使が言うように、この館内は現在一切の神の入室を禁じているのだ』
『でもお前は入ってるじゃん』
『えっ……あ、我は良いのだ。その……』
『ほれ見たことか。差別か?神差別なのか?あん?偉大なるガイア派の神々は、差別主義なのか!?』
『う……それは……その、なのだ』
『フンッ。そもそも私は随分前からここに居たが、ヤーファウから注意なんてされてねえ』
少女は胸を張り、背を反らしてネヴァを見下す。
『ヤーファウは全能の神だろ?なら私が入ったことだってとっくに知ってら。なのに注意してこない。なーぜだ?』
『ぐ、ぬぬ……。ヤーファウ様は今、忙しいのだ!』
『知らねえよ。そんなことより見ろネヴァ!日本って国で、どうもおもしれえことが起きてんだ』
水鏡の先に映る、蝿の大群と無数の死体。
そして、猫耳の天使が応戦している。
『知っているのだ。ヤーファウ様はこの件を片付けに"下界へ向かった"からな』
『下界に……?こりゃまた珍しいこともあるもんだ』
『我にも、ヤーファウ様が何を考えているかは分からんのだ。とにかく、ガイア派の神には見せるなとだけ……』
『へへ、なんだよ。やっぱりおもしろそうじゃねえか。よし、一緒に見よう』
『馴れ馴れしくするな!お前は中東の戦争を見に行かなくて良いのか!?』
『あー?あぁ。あれはもう飽きちゃった』
『ハァ。これが"戦女神"とは聞いて呆れるのだ。仕事しろよ――"アティナ"』
アティナと呼ばれた少女は、屈託なく笑った。
『なんとなく、こっちの方がおもしれえ戦いになる気がするんだよ』
そう言いながら、二柱の神は揃って水鏡を覗き込んだ。




