第二11話 惨劇
第二11話
「ねえ、本当に行くの? せめてお姉ちゃんを待ってからでも――」
「それじゃ遅いにゃ! さっき天界から追加情報が届いた」
「天界から……?」
ニャニャエルは走りながら僕の髪をぐいっと引っ張り、頭の上から顔を覗き込む。
「相手は"暴食"。七罪の大悪魔にゃ」
「暴食……!?」
「そうにゃ。被魔人が三十七人もいた理由がようやく繋がった。あいつは喰えば喰うほど、眷属を増やしていく。最悪の相手にゃ」
「増えて……っ!?」
「けど、限界はあるはず。それが37にゃんだろう」
そんなの――
「勝てっこないよ!悪魔って、3等天使相当の強さって学んだよ。それが37体も……」
「もっと良いこと教えてやるにゃ。大悪魔……それも七罪クラスになると、大天使でも軽く手こずるレベルにゃ〜♪」
「そんな……!?」
体が冷えていくのが、自分でも分かった。
「帰ろ!神様とお姉ちゃんを待とう!そんな一大事なら、すぐに帰ってきてくれるはず……」
ニャニャエルはチッチッと指を揺らす。
「良いニュースと悪いニュースが一つずつ」
ニャニャエルはニッコリと笑う。猫の笑顔は、どこか不気味に見える。
「良いニュースは、ソイツのチカラは神や神の手下が削ってるらしいにゃ!今はチャーンス!」
そしてニャニャエルは、もっと歪んだ笑みを浮かべる。
「手負いってことは、奴はエネルギーを補給しようとするだろうにゃ〜。自分の眷属を増やそうとも思うはず……つまり?」
瞬間、クラスメイトたちの顔が浮かぶ。
「まさか……」
「まだ学校に残ってる奴は危険だにゃー。例えば……"部活生徒"」
〜
「部活あるし!」
〜
女子バスケ部は――今日も部活のはずだ。
僕の足は、考えるよりも先に動いていた。
「戌亥さん………!!」
――――――
キュッキュ キュッ!
「そっち!パス!パス!」
「ロング!」
「ライン引いて!」
ボールが力強く床を叩き、汗を流した部員たちがコートを駆け回る。
女子バスケットボール部は、いつも以上に熱気を帯びた空気の中、放課後の練習を続けていた。
「今年は、本当に狙えそうですね」
「……えぇ。例年よりも部員全体のレベルも高いし、なにより――」
コーチはある選手の動きを目で追う。
その女子選手は絶え間なく動き回りながら、細かい指示を出して仲間たちを扇動する。
「戌亥さんがいる」
「士気も高い……これなら全国だって!」
『おぉ……やっていますね』
「えっ……」
コーチは驚きながら、声のした方へ視線を向ける。
そこに立っていたのは、理事長。
「あ、理事長……いらしてたんですか」
『えぇ……少し、用がありまして、ね』
痩せこけた頬。女性の私でさえ、本気を出せば折れてしまいそうな腕。
それでも今日は、いつも以上にやつれて見えた。
「用……ですか?」
『はい。練習中申し訳ありませんが、部員を集めてもらえると……』
「え?女子バスケ部の……?」
『あぁ、アナタは女子バスケの部員だけで大丈夫です』
コツン コツン
「あ、理事長!体育館内は土足禁……」
ぐるんっ
理事長の首が捻れ、頭だけがコチラを向く。
『他の部活動の生徒は、それぞれの担当コーチにお願いしておりますので』
ゾクッ
理事長と目が合った瞬間、強烈な寒気が背筋を駆け抜ける。
「わ、分かりました」
意思を無視して、体が動き出した。
◆
急げ。急げ。
もっと疾く、走れよ僕。
僕の、友達が危ないんだ。
もっと早く、走るんだ。
異様なほど静かな校庭を走り抜ける。
誰からの視線も感じない校舎が、僕の横目に過ぎていく。
半分が使われていない、無駄に広い敷地を抜けて。
ガラガラガラ!!
僕は、体育館の扉を開ける。
そして視界に飛び込んだ。
ムシャ……
ムシャ……
体育館の中心には、黒い竜巻。
それは無数の小さな影が絡み合い、一つの巨大な生き物のように渦を巻いている。
羽音が共鳴し合い、鼓膜の振動を埋め尽くす轟音。
冷たく、そして薄黒く鼻腔に突き刺さる鉄の臭い。
轟音の中から小さく、でも確かに聞こえてくるのは――
ガツ……ガツ………モグ………ゴクリ
咀嚼。
咀嚼。
咀嚼。
「チッ……遅かったにゃ」
「ね、ねえニャニャエル。これは……あ、あれは……!!」
『オヤ。来ましたか、神の手先……』
四方から聞こえてくる、禍々しい声。
そのとき、ニャニャエルの体が白く輝く。
その光は次第に大きく、人の形を模していく。
「アイツが……いや"アイツら"が」
そしてニャニャエルの光に誘われるように、黒い台風から枝分かれして伸びてくる黒影。
「"暴食"の悪魔。ミートロフにゃ」
その影が、『蝿とゴキブリの群れ』だということに気づくまで。
そこまで時間はかからなかった。
『悪魔の次は、天使ですか!どうやら神は、随分と臆病者のようだ!』
幾万のゴキブリの集合体は、やがて人の形になり、ミートロフが現れる。
ミートロフは、薄く笑って両手を広げる。
『天使を味わえるとは、これぞ僥倖!最後に神が来る頃には、私は満腹になっているかもしれませんねぇ!』
広げた両手に呼応するように、蝿の竜巻がほどけ、再度ミートロフの体へと集まっていく。
体育館の景色がゆっくりと露わになる。
床一面には、制服やジャージを血で濡らした生徒たちが折り重なっていた。
その周囲を彩るように、千切れた四肢や臓腑が無造作に散乱している。
「ウッ……オェッ!ォエエエエ」
その光景を見て、思わず吐き出してしまった。
それでも視界に入ってくる。
赤黒く染まった床には、引きずりまわされたような跡が幾筋も走り、砕けたボールやシューズ、部活用のタオルが無残に散乱している。
『……吾輩お手製の"シーザーサラダ"ですが。
やはり下等な人間に美食は理解できないようですね』
「……黙れ外道」
『外道……?天界の定めた道を外れてこそ、悪魔の本懐なのでは?』
「その汚え口を閉じろにゃ」
『おっと失礼。どうやら"ソース"が口についていた様子』
そう言って、ミートロフは口元に付着していた血をハンカチで拭う。
『さ、食事の続きと行きましょう。まだまだフルコースの途中ですから!』
◆
瞬間、ニャニャエルが飛び出した。
大きく翼を広げ、体育館を駆けるように飛び奔る。
「黙れと……言ってるニャ!!」
突き出す掌。その手は光を纏い、衝撃を伴ってミートロフの体を貫く。
「地獄に落ちろ、クソ悪魔!」
貫いた手は、閃光と共に爆風を放ちミートロフの体を霧散させた。
『ぐはっ……!?』
「ニャ、ニャニャエルさん……!」
僕が咄嗟に立ち上がると、ニャニャエルさんが鬼気迫る顔で叫ぶ。
「オイ、後ろにゃ!!」
「えっ……」
『まずは下等天使で前菜と行きましょう』
僕の首元から、声が聞こえる。
咄嗟に掴むと、手の中でゴキブリが笑っていた。
「ひっ」
グッ
蝿とゴキブリの群れが腕の形となり、僕の首を締め上げる。
「………ッ!!」
『いただきまぁ……』
「――させねえ!!」
ニャニャエルの拳が唸る。
空気を裂く一撃が、僕の首を締め上げていた虫の腕を横薙ぎに吹き飛ばした。
「離れろにゃ!」
衝撃で、群れが四散する。
無数の蝿とゴキブリが床へ叩きつけられ、黒い雨のように体育館へ降り注いだ。
「ゴホッ……! ゲホッ!」
首を押さえながら膝をつく僕の前へ、ニャニャエルが滑り込むように着地する。
「下がってろにゃ」
『おやおや』
散らばった虫たちが一斉に蠢く。
カサカサカサ……
ブゥゥゥン……
床を埋め尽くす虫が渦を巻き、再び一つへ。
『乱暴な食前酒ですねぇ』
「何度でも潰してやるにゃ」
ニャニャエルは床を蹴る。
タッ
タ、ダッ!
三歩目には、もうミートロフの懐。
「ゥ……ラァァッ!」
拳。
肘。
膝。
そして、鞭がしなるような回し蹴り。
光を纏う神速の連撃が暴風となって叩き込まれる。
『ぐッ……!』
ミートロフの顔が潰れ、胴が折れ、脚が千切れ飛ぶ。
だが次の瞬間。
弾けた肉体は黒い虫となって飛び散った。
ブワァッ!!
「ッ!」
四方八方から押し寄せる羽音。
ニャニャエルは翼を広げ、一気に上空へ跳ぶ。
その直後。
さっきまで立っていた床が、黒い津波に呑み込まれた。
『当たりませんねぇ』
体育館中に声が響く。
右から。
左から。
天井から。
床下から。
どこに本体がいるのか、どれが本体なのか分からない。
「鬱陶しいにゃ!」
ニャニャエルは両翼を大きく羽ばたかせた。
ブワァッッ!!
白銀の衝撃波が扇状に広がる。
蝿も。
ゴキブリも。
まとめて壁へ叩きつけられ、無数の黒い染みとなって潰れた。
それでも。
カサ……
カサカサ……
飛び回る無数の虫たちが、何事もなかったように集まる。
『痛い、ですねぇ』
ブゥゥゥゥン……
『ですが』
体育館中の蟲が笑った。
『吾輩は"一つ"ではありませんので』




