第二9話 暴食と暴食
第二9話
「お待ちしておりました。ベル先生」
入り口を探していると、突然背後から声をかけられる。
振り返ると、そこには禍津高校の制服を着た女子生徒が一人。
「……君は?」
「2年の特進クラス、出席番号33番。武井です。新しく赴任された英語の先生なんですよね?」
そう言われて、オレは咄嗟に笑顔をつくる。
「Oh!ソウデス!イギリスから来マシータ!この高校ヒロクテ迷っテマシタ!ヨケレバ職員室…に……」
だが、女子生徒の目を見てすぐに気づいた。
薄暗く、光の無い目。
……瞬き一つしない。
「……なんだ、お前はもうコッチ側か」
「ふふ」
女子生徒は微かに、笑う。
そして目線の奥にそびえる、古びた校舎を向いた。
「理事長がお待ちです。"まだ面接が残っている"と」
そう言って歩き出した。着いてこい、という意味なんだろうな。
「……赴任はもう、決まっているはずなんだがな」
返事はない。オレも黙って、歩き出す。
◆
女子生徒に導かれるまま。
渡り廊下へ足を踏み入れた瞬間、空気が変わる。
「理事長は、アナタが来るのを楽しみにされています」
(これは……)
校舎を吹き抜ける風は生ぬるく、それでいて肌だけが冷えていく。
窓ガラスは何枚も割れたまま放置され、鋭い破片が黒い牙のように窓枠へ突き刺さっていた。
「精一杯歓迎しようって……教室の飾りつけまでされて」
床板は湿気を吸って黒ずみ、踏み締めるたびに嫌な軋み声を漏らした。
壁には何度も塗り直された跡が残っている。だが、その白い塗料はところどころ剥がれ落ち、下から染み出した黒い染みが、人の手形のようにも、誰かの顔のようにも見えた。
「私たちも手伝ったんですよ?」
(そうか、もう既に――)
廊下の先は薄闇に沈み、昼間だというのに陽の光はほとんど届かない。
まるで、この旧校舎だけが学校という世界から切り離され、時間ごと取り残されてしまったかのようだった。
そして一つの教室に着く。
扉の上には、「2-Z」と記載されたプラスチックの板。
「どうぞ、禍津高校の……特進クラスです」
ガラガラ……
扉がひとりでに開く。いや、正確には扉ではない。
(――地獄を、完成させていたのか)
扉の形をした"口"が、牙を剥いて、パックリと開かれたのだ。
『ギィギギギイアァアアアア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙アア!!!!!』
オレの足首に舌が絡みつき、オレを闇へ引きずり込んだ。
「……」
『オイ、電気!』
「……」
『大きな声出すなって!バレるだろ!』
「……」
『ちょっと、誰か足踏んだでしょ!』
「……」
『いくぞ、せーのっ」
パッ。
突然、視界が明るくなる。
教室の中央では机がいくつも繋げられ、一つの長いテーブルになっていた。
その上には色とりどりのお菓子やジュース、そして大きなホールケーキまで並べられている。
壁には折り紙で作られた輪飾りや色鮮やかなリボンが揺れ、黒板には大きな文字で――
『せーのっ、ベル先生 禍津高校へようこそ〜ー!!』
三十七人の生徒たちは一斉にこちらを向き、満面の笑みを浮かべる。
「……」
パチッパチッ
奥から、小さな拍手が鳴る。
漆黒のスーツで身を包んだ痩身の男が、生徒たちの中央で微笑み、細い腕を鳴らしていた。
「ハハハ……ベル先生。驚かれましたか?」
『先生!よ うこそ!』
「お前が、ミートロフか」
「どうしても先生を驚かせたくてね……皆、楽しみにしていたんです」
『先 生!イ ギリス生ま れナの?』
「オレの用件は、分かっているだろう?」
「見てください。豪華なケーキまで、用意しました。これはウチの生徒が丹精込めて作ったんです」
『先セ イ!英 ゴ 話してミ テよ!』
「ミートロフ、お前はもう――」
「アハハ。こちら、ぜひ!優秀な教師が増えることは、当校としても喜ばしいことです」
『セン 生、はや クコッチへ きて 』
オレは右手をミートロフへ向け、魔法陣を展開する。
「地獄にも戻れない」
『「サァ…… メ シ ア ガ レ !!」』
ミートロフが一歩踏み出した――そう見えた次の瞬間。
床を砕く勢いで駆けた。
「ッ!!」
人では到達できない速度。
痩せ細った身体が四肢をしならせ、獣のような軌道を描きながらオレのもとへ一直線に迫る。
そして、走りながら――
口が、裂けた。
ビキッ
ビキビキビキッ
頬が裂け、顎が外れ、口角は耳を越え、それでもなお止まらない。
下顎は胸元を過ぎ、腹へ向かって垂れ下がり、裂け目はへその辺りまで一直線に広がっていく。
もはや人間の顔ではない。 一本の巨大な裂け目が、胴体を縦に走っているだけだった。
開いた喉の奥には舌など見えない。
代わりに並ぶ。
歯。
歯。
歯。
幾重にも。 幾重にも。 幾重にも並ぶ歯。
サメのような細く鋭い牙が、肉の内壁を埋め尽くすように何列も生え揃い、呼吸をするたびにガチガチと擦れ合う。
奥からは、生臭い熱風と直接的な胃液の臭いが噴きつける。
「デュァァァァァァァア゙ア゙ア゙ッ!!」
巨大な口そのものとなったミートロフが、ベルズバブルを丸呑みにせんと、凄まじい勢いで飛びかかった。
歯が、目の前いっぱいに迫った。
「ッ……」
ガンッ!!
先に展開していた魔法陣が、生い茂る無数の歯をかろうじて抑える。
オレはすかさず、呪文を唱える。
「死肉ヲ屠レ暴食ノ――ッ!」
「あまい………アマァァイ!」
眼前。ミートロフの口内。
喉の奥底で、魔法陣が妖しく光る。オレの術式よりコンマ早く、ミートロフが呪文を唱える。
「苦九同!」
叫びと共に……オレの展開した魔法陣は形を変える。
丸く成形され、焦げるように変色していく。
やがて――魔法陣は煎餅になった。
バリバリッ!ムシャムシャ!
「うむ、塩気が効いていて……グゥ〜!」
「それが、お前の"暴食"か」
ぺろり
巨大な舌が、より巨大な口を一周する。
「いかにも。吾輩の権能は"厨暴大食堂"。吾輩の舌が向けられる、あらゆる森羅万象は……等しく食材であるッ!!」
再度ミートロフは巨大な口を開け、迫りくる。
「……なるほど」
同じ罪を背負う悪魔だとしても、同じ権能とは限らない。
アイツの暴食は、オレの暴食とは何もかも違う。
「人も家畜も、防御も攻撃も……吾輩にとっては等しく食材!!食わせろ!食わせろ!喰わせろォオオオオ!!!」
オレは手のひらを突き出す。
巨大な口が、その腕ごと喰らい尽くそうと迫る。
奴がオレを食材へ変える、その一瞬より早く――
「略式権能、屍肉漁り(スカベンジャー)」




