第二6話 天魔のあれこれ
第二6話
『魂は神に成り。心は悪魔と為る。』
探求神ルポルト著『よく分かる地獄入門I』より抜粋
◆
天界と地獄の狭間――下界の"裏"に位置する『虚無』。
その一室。
光も闇も存在しない、果ての見えない白い空間。 最奥には、五つの椅子が横一列に並んでいた。
天界において最上位へ座する五柱の神々。
互いに距離を置いているにもかかわらず、その存在感は果てのない部屋を埋め尽くしている。
視線を向けられるだけで、魂そのものを覗き込まれているような錯覚に陥る。
その遥か下座では、呼び出された七体の悪魔たちが頭を垂れ、一様に顔を伏せている。
沈黙だけで空気は張り詰め、息を吸うことさえ許されない。
中央に座る神――全能神"ヤーファウ"ただ一柱のみが、薄く笑みを浮かべて口を開いた。
『これより……君たちの発言を、許可しよう。私は、対話を愛している。皆も、良いな?』
ヤーファウが左右に軽く目配せをすると、横に座っている四柱の神々は、黙ったまま頷いた。
『久しぶりの天魔会談だ。今日は無礼講と……いこうじゃあないか』
ヤーファウは心なく笑う。
それでも、この場では誰一人として顔を上げられない。
下座に並ぶ七体もまた、それぞれが地獄を治める大悪魔。
五柱の神々を前にすれば、大悪魔でさえ顔を伏せることしかできなかった。
ヤーファウの左手側に座する青髪の神"ネヴァ"が口を開く。
声量は小さく、落ち着いた話し方。
それなのに心臓が直接打ちつけられるように鼓膜を叩く。
『オイ、ヤーファウ様が無礼講と言っておるのだ。無礼講を――"するのだ"』
一人の悪魔が咄嗟に立ち上がる。
「は、はい!じゃあ裸踊りでも!」
ドンッドコ ドンッドコ
勢いよく上着を脱ぎ捨てると、顎をしゃくれさせ、口で太鼓の音を出しながら腰をくねらせた。
お腹にパックリと開いた口が、合の手をいれる。
「ア、ソーレ!ソレソレッ!ヨイショ!」
『……』
「……」
中央に跪く悪魔"ソウエン"は一瞬顔を上げるが、結局何も言えずに顔を伏せた。
「……」
『……』
『……お前は誰なのだ?』
「はい!僕は"色欲"のアスモデスマスです!」
アスモデスマスの腹に割かれた大口が舌を出す。
「ドーモ!オイラハアスモデスマス ノ、オ腹デスマス!」
「……」
『……』
中央に跪く悪魔の一体は顔を伏せながら、頭を抱える。
『それで……今日の議題だが』
ヤーファウは腰をくねらせ続けるアスモデスマスを無視して、本題に入る。
「ァ、オイラ歌モ歌エマス!神ハ歌ガ大好キダッテ聞イテ……」
ネヴァが強烈な眼光をアスモデスマスに向けた。
『 だ ま れ 』
瞬間、アスモデスマスはぴたりと動きを止めた。
『……最近、無許可で下界侵入をする悪魔が増えている件についてだ。理由を聞かせてくれ』
「「「……」」」
ヤーファウの問いに、答える者はいない。
皆、分かっているのだ。
ヤーファウは全能の神である。
だからこそ、この問いはもはや質問ではないということを。
ヤーファウは続ける。
『君たちのように……下界を盛り立ててくれる悪魔には、我々も積極的に入界許可を出しているつもりだ』
『心だって……十分な量を供給してあげている』
『それなのに……何故だ?全能である私に、分かるように説明をしてほしい』
「……」
痺れを切らして、ネヴァが立ち上がる。
『オイ!さっさと分かるように答えるのだ!』
『お前たち大悪魔が心を独り占めしていて、他の悪魔たちへ心が行き届いてない。だろうのだ!分かってるだ!』
「アハハ!」
捲し立てるネヴァに、アスモデスマスのお腹が突然笑う。
「語尾ヲ意識シ過ギテ、田舎者ミタイナ話シ方二………ピョッ」
瞬間――ネヴァの指先が紅く光り、アスモデスマスの頬に小さな傷がついた。
「な……なぜ……?」
アスモデスマスの頬を切り裂いた光線は鮮やかにカーブし、その横に跪いていた悪魔"ミートロフ"の半身を焼き消した。
「そんな……吾輩……何も……」
ミートロフの残った半身は塵となり虚無に飲み込まれていく。
『見せしめなのだ。次、舐めた態度をとったら今度こそお前を消し飛ばすのだ』
「ぴぃ……」
アスモデスマスはお腹を強く抑え、その場に座り込んだ。
『……代わりの悪魔、用意しておいてくれ』
ヤーファウの言葉に、ソウエンは顔を伏せながら頷いた。
「……はい」
『とりあえず、地獄のことは君たちに任せているんだから。秩序は保ってもらわないと……』
『我々に見限られたら、貴様らは終わりなのだ!精々死ぬ気で働くのだ!』
『……ネヴァの言うとおりだ。私たちは君たち悪魔との共存を願っているのだから』
「……ありがたき、幸せです」
ソウエンはひれ伏す。
(……共存だと?銀の首輪を付けて、飼養しているだけだ)
『とにかく、無許可での脱獄、下界侵入は厳しく取り締まってくれ。そろそろ……私は眠い』
「承りました」
虚無に溶け込んでいくように、うっすらと透けていくヤーファウ。
『あ、そうそう。もし大変であれば、遠慮なく言ってくれて構わない。仕事量を調節するのも、私の仕事だ』
その言葉に呼応するように、指先を光らせ笑うネヴァ。
『いつでも、永遠の休みを与えてやる。なのだ』
五柱の神々の姿が、蜃気楼のようにゆっくりと薄れていった。
やがて最奥に並んでいた五つの椅子だけが静かに残る。
〜
「ハァ〜。やっと終わった終わった」
神々の気配が完全に消えたことを確認すると、地獄を統べる大悪魔たちは、ようやく肩の力を抜いた。
七大悪魔――"色欲"のアスモデスマス。
中性的な見た目で、端正な顔立ちの少年は脱ぎ捨てていた上着を羽織る。
「疲れたよぉ。ソウエン、心を頂戴〜」
呼ばれたソウエンは身に付けていた黒仮面を外す。
七大悪魔――"傲慢"のソウエン。
長い黒髪を後ろで束ねた青年は大きくため息をついた。
「毎度毎度、天魔会談の日には誰か消されているな」
「話を逸らすなよ〜」
口を尖らせるアスモデスマスの腹に向けて、ソウエンは指を向けた。
「逸らすも何も、アスモデスマス……その腹、ちゃんと躾けておけ」
「え?あー、えへへ。ミートロフくんには悪いことしたなぁ」
ポンポンとお腹を叩いて微笑むアスモデスマス。
「まあ、仕方ない。アイツも所詮は、為りたての新参者だ」
「あーあ。ミートロフくんは会う度に下界のお菓子をくれて、いい奴だったのにな……」
「……ミートロフは今日初めましてだっただろ。それは多分、前の"暴食"だ」
「あれれ、そうだっけ?」
天魔会談が終われば、残された悪魔たちだけで愚痴を零す。
それが、いつしか当たり前になっていた。
「次、暴食……候補、誰?」
ソウエンに問いかけたのは、七大悪魔――"嫉妬"のリーヴァイ。
全身を黒い布で覆った小柄な悪魔が、静かに口を開く。言葉を発する度に、顔に張られた布面がゆっくりとはためいた。
「ふむ……あまり、支給された"心"は使いたくないのだがな」
ソウエンが腕を組みながら呟くと、アスモデスマスが地団駄を踏む。
「え!召喚に使うくらいなら、僕に頂戴よ〜」
一瞥して、ソウエンは呆れたように息を吐いた。
「……『魂は神に成り。心は悪魔と為る。』だ。お前のせいでミートロフは消された。次の色欲支給分から、当然天引きしておく」
ソウエンの無慈悲な言葉を聞いて、アスモデスマスは白目を剥き、腹の口は牙を晒した。
「は、はぁ!?」
「フザケルナ!フザケルナ!」
「お前のせいだろ!この!」
「イタイ!痛イノハ、オ前モ一緒!」
「自業自得……裸踊り、もっと練習」
「そういう問題じゃないと思うが……」




