ep2 禍津高校
ep2
電車の扉が開く。
太郎は恐る恐るホームへ足を踏み出した。
「すげぇ……」
見渡す限りの人、人、人。
誰も笑ってない。
誰も空を見上げていない!
誰も他人を気にしていないこの空間のなんと心地良いことか。
なのに、皆それが当たり前のような顔で歩いている。
「天国だ……」
「いいえ。下界です」
「……」
ミリュエルは眼鏡をくいっと上げた。
「ね、ねえミリュエル、本当に一緒に登校すんの?」
「お姉ちゃんと呼びなさい。そして日本において姉弟は一緒に登校することと法律で義務付けられています」
「そーなのか……」
呟きながら人の流れについていく。
階段を下り、改札を抜ける。
「ところでさ、お姉ちゃん」
「おぉ……良いですね。その響き」
「……悪魔は千里眼で見つけるって聞いたけど、千里眼で見ても大まかな場所しか分からないよね。どうやって特定すんの?」
「大まかにしか分からないのは天界から見ているからです。至近距離で見れば、誰が悪魔か。または悪魔の関係者か分かります」
「なるほど。零距離千里眼……通称、零里眼か。それってどんくらい近く?」
「接吻です」
「は?」
「接吻です」
「せっ……?」
「怪しいなと思ったら、接吻した状態で千里眼を使ってください。悪魔であれば、相手は赤く見えます」
「いやいやいや!高校潜入初日に誰とキスすんだよ!?」
「別に初日からやらなくても。気が早いですねスケベさん」
「……」
「あのさ、接吻って……キス?」
「はい」
「それってマジ?」
「大マジです。疑うのなら、ご自分でやってみればいい」
「……いや、確か接吻するのって犯罪なんじゃ」
「そりゃ同意がなきゃ駄目でしょ。こわいです」
「怖いってのはこっちの台詞だよ!!」
「……そういや、ジジイは?この時間何してんの?」
「あぁ。神様でしたら、就活中です」
「は?」
「就職活動」
「いや、何してんのまじで」
「遊びに行くからお小遣いくれなどと言い出しましたので、自分で稼げと返しました」
「だめだついていけねえ……」
「天界からの支給とかは無いのか!?」
「下界の通貨価値が壊れない程度の支給と、最低限度の生活備品、食料品の現物支給はあります」
「え、何それ。じゃあ俺も?」
「もちろん。ただアルバイトとかやって本来の仕事が出来ないとかは論外ですよ」
「詰んでるやん」
そうこう言っているうちに、高校の門が見えてきた。
「ここが……」
『私立 禍津高校』
神無川県 肌野市に存在する私立高校であり、前身の禍津学園高等部を含めれば、創立は今からおよそ百年前。
偏差値は県内でも上位。
部活動も盛んであり、毎年のように全国大会出場者を輩出する文武両道の名門校として知られている。
生徒数は約千人を越え、県内でも屈指のマンモス校である。
――表向きは。
◆
「とりあえず、転入の手続き等は全てやっておきました。太郎は職員室に行って、朝のHRの時間に担任と一緒にクラスへ行くだけです」
「分かった。ありがとう、お姉ちゃん」
「おぉ……」
正門の前で恍惚とした表情を浮かべるミリュエルを置いて、俺は学校へと入った。
(今日から、俺の天使生が始まる。目指すは天使の最上級役職"熾天使")
拳をぐっと握りしめ、俺は職員室のドアを叩く。
コンコンッ
「失礼します!今日からこの学校に転入予定の、天使太郎です」
「あー、こっちこっち」
職員室の奥で、手が挙がる。
そのまま声がする方に向かうと、いかにもやる気のなさそうな黒縁眼鏡の男が座っていた。
「天使くんね。よろしく。僕は君の担任になる佐藤。担当は現文」
「よろしくお願いします」
「おぉー、珍しくマトモそうな子だね。感心だよ」
「え?」
「あぁ、気にしないで。とりあえず、他所の学校と比べると最初は戸惑うことも多いだろうけど、それが禍津高校の"普通"だからさ」
「はぁ……」
「とにかく担任として最初で最後のアドバイス」
「?」
佐藤は立ち上がる。そして真っ黒な目で覗き込んでくる。
「気にするな。気になるな。何事も、疑問を覚えたら終わりだよ」
「気に……?」
「ほら、それ。とりあえずハイハイ言って従っとけば、悪いようにはならないよ」
「……はい」
「うん、よし。大丈夫そうだね。それじゃあ行こう。着いてきて」
「君のクラスは、2-Zだから」
◆
クラスのドアが開く。
佐藤が最初に教室に入る。
「はいー、それじゃホームルーム始めるぞ〜。とりあえず急だけど今日から転入生くるから」
「えー」
「いきなりだな〜」
「どんな奴〜」
ドア越しに教室がざわめくのが分かる。俺は一応襟やボタンを再度確認する。
「そーだよね。とりあえずもう入ってもらおうか。天使くんおいでー」
俺は促されるまま教室に入る。
黒板の前に立ち、クラスを眺めた。
「え……」
こちらを見る生徒全員の目が、真っ暗に染まっている。
全ての目がこちらを向いているのに、全ての目は穴のように暗く、深い。
俺以外三十七人。
七十四の暗い穴が、こちらを見ていた。
「え、えーと……」
「ほら、自己紹介。緊張してるのかな?ははは」
「あ、はい。天使……天使 太郎です。よろしくお願いします」
「「「……」」」
何の反応も、拍手も、笑顔もない。
なんだこれ。これが下界の普通?
「え〜……っと、俺は――」
続けようとすると、佐藤が口を開いた。
「はい。素晴らしい自己紹介でした。とりあえず君の席は一番奥の窓際。あそこね」
「え、あ〜はい」
そう言って席へ向かう。そして俺はぎょっとした。
(机の上に……)
花が1輪。無造作に置かれていた。
「ん……んん」
その後、授業は滞りなく進んだ。
いや、滞りが無さすぎた。
生徒は誰一人として話さない。
いや、それどころか"一切動くこともない"。
(今の下界ってこんな感じなのか?)
私語だけじゃない。質問も無く、ノートを取ることさえ無い。
全員が黒板を見つめたまま、ただ座っている。
キーンコーンカーンコーン
「はい、それじゃあ帰りのホームルームは終わります。明日は体育祭の役割決めやるから、そのつもりで」
それだけ言うと佐藤は足早に教室を出ていく。
ホームルームが終わり、クラスメイトたちは一気に口を開いた。
「お前どーする?」
「まー、無難に借り物競争とかかな〜」
「お揃いのハチマキつけよーよ!」
授業中以外はこんな感じで、至って普通だ。
(よくわかんないな)
そう思いながら鞄に手をかけた瞬間。
一人の男子学生が声をかけてきた。
「なぁ、天使くん」
「んぁ?」
もみあげが長い、アホそうな面の男。
系統で言うとサル顔。
「オレ、猿渡。お前の友達に"決まった"から、よろしくな」
「は?」
「とりあえず、そういうことだからよ。一緒に、帰ろうぜ」
そう言うと猿渡は俺の手を引き教室から出ようとする。
「や、やめ……」
なんとなく男と手を繋ぐのは不快だったので、振り払おうとする。
そのとき、一瞬だがクラスに目を向けた。
いや、目を"向けてしまった"。
全員が、俺を見ている。
朝と同じ、穴のように真っ暗な目で。




