ep11 悪魔の影
ep11
「おはよ〜アマちゃん」
教室に入るやいなや、戌亥が笑顔で挨拶をしてくる。
「最近いっつもギリギリだなー。なんだ、夜ふかし?いや、夜遊びか?」
猿渡はケラケラと笑う。
「まー、そんなもんだ」
「えっ、本当に?」
「そんなもんだな」
猿渡は一瞬だけ焦るような素振りを見せて、すぐに笑う。
「ま、まぁ女とかじゃねえよな!なんだよ、散歩とかか?ははは……」
(ニャニャエルは確か……)
「あー、女ではあるな。一応」
「は?」
戌亥が物凄い形相で睨みつけてくる。
「……え、何?」
「別に?」
「いや絶対なんかあるだろ」
「ないけど?」
「顔怖いぞ」
「へー」
「へーって……」
戌亥は飲んでいたパックのストローを噛み潰し、ギリギリと鳴らしている。
「夜遊びね〜」
「だから、まぁそんな感じ」
バコッ
「うわっ!?」
戌亥は飲み干したパックジュースを手で叩き潰す。
「お、おい、どうしたんだ?」
「全然?」
「えぇ……」
「おっとっと……」
猿渡は俺たちから目を逸らし、わざとらしく授業の準備を始めた。
「な、なぁ戌亥――」
「オイ、アマちゃん!」
「あ、根津」
「予鈴がもうすぐ鳴るぞ!準備を――」
「黙れや……」
根津が言い切る前に、戌亥が凄んだ。
「……え゙?」
まさか戌亥から「黙れ」と言われるとは微塵も予想してなかったのだろう。
「あ、え……」
根津は唖然として、言葉に詰まる。
「とりあえず今日の放課後、ゆっくり聞かせてもらうから」
戌亥はこちらも見ずに吐き捨てた。
「……何を?」
「全部」
「だから何が?」
「全部」
(何だコイツ……)
◆
「かわいいぃ〜!!」
「にゃにゃにゃにゃ……!!」
戌亥はニャニャエルを抱きしめ、お腹に顔を埋めてはしゃいでいる。
「オイ太郎!誰にゃこいつ!何で連れてきてんだよ!?」
「……そう言われてもな。ついていくと言われたから」
「『言われたから…キリッ』じゃにゃいわ!アホかお前ニ゙ャニ゙ャニ゙ャ……」
「言ってよ〜!こんな可愛い子ちゃんと遊んでたなんてさ」
「あぁ……まぁいろいろとな」
「これじゃあ悪魔調査どころじゃにゃ……ん?」
ニャニャエルはじっと戌亥を見つめる。
「え、この子みつめてくるんだけど!可愛すぎる……」
「どうした?ニャニャエル」
「……にゃるほどね。いろいろ合点がいったにゃ」
「は?」
「今日のところは帰るにゃ」
「ニャニャエル、どうしたんだ」
「この子も、あんまり遅くまで出歩かせたら家族も心配するにゃ」
「あ、あぁ。そうだな」
そう言うとニャニャエルはひらりと戌亥の手から離れ、路地裏へと消えていく。
「あ、猫ちゃん〜」
「ほら戌亥。アイツも帰ったし、今日はもう帰ろう」
「またあの子と遊ぶ時は、ウチも呼んでよね!」
戌亥を家まで送り、俺は一人夜道を歩いた。
(ニャニャエルの奴……どうしたんだ)
路地の角を曲がる瞬間。
視界の端で何かが動いた気がして、反射的に振り向く。
「――こんばんは」
すぐ目の前に、男が立っていた。
「っ!?」
心臓が跳ねる。
ほんの一歩先。
男は黒い厚手のロングコートを羽織り、こちらを見つめている。
(ビックリしたー。暑くないんかコイツ)
帽子の影で表情はよく見えないが、ニヤリと上げる口角だけはハッキリと視認できる。
「こんばんは」
「え、あ……はい。こんばんは」
「ウフ、こんばんは」
「……」
マジ何だコイツ。
とりあえず素通りしようと思い、歩きながら男の目線から逸れる。
すると男は両手を広げて通せんぼしてきた。
(は?)
「こんばんはァ」
(エグーー)
「……何か、用すか?」
「見えてます?」
「は?」
「明日……いいえ、未来」
(アタオカかコイツ)
「……」
「見えてるなら、手を叩こう」
路地に、静寂が奔る。
男は首を傾げる。
「えっと……何?道でも聞きたいの?」
「ウフフ……ア゙ー、アー。ゴホンッ」
「う〜え〜をむ〜いて〜、あ〜るこぉ〜ウォウウォウ」
唄い出した。
(やっべぇ〜コイツ。誰か来てくれ!)
「あの、どいてください」
俺が話しかけると、男は嬉しそうに肩を震わせた。
「し〜た〜もむ〜いてぇ〜、あ〜るこぉ〜ウォウウォウ」
そして――。
バサァッ!!
突然、ロングコートを左右に広げた。
「うおっ!!?」
思わず一歩飛び退く。
そこにいるのは、生まれたての姿を顕にして顔を赤らめる、真性の"変態"だった。
男は再度ニヤリと笑う。
「ハァハァ……"下"をムいてください」
ヒュゥーー
夜風が吹く。
男は少し肌寒そうに腕を擦ったあと、一度ロングコートを閉ざし、こちらを見る。
どこか誇らしげな、顔で。
「明日は見えますか?」
「あ、あぁ……。お前の真っ暗な明日がな……」
ドン引きしてしまって、上手く言葉が出てこない。
一刻も早く、ここを去りたい。
「開放ッッ!!」
目にも留まらぬ疾さで、再度ロングコートを広げる。
「すんな!!」
「上もム〜いて〜ぇ、あ〜る
「もういいよ!」
「シュン……」
俺が止めると、男はあからさまに落ち込んだ。
「自由な未来が、見えてないのですか」
「見えねえよ。今すぐ逮捕されてくれ」
「それも素敵ですね」
「ウワァ……」
(会話にならねえ)
そう思って、踵を返す。
ダッシュ――!
〜
「――ということがあってな」
ミリュエルは眼鏡をくいっと上げる。
「春ですね」
「いや、どっちかというともう初夏なんじゃないか?」
「春はそういう人間も増えますから」
「下界ってどうなってんだ」
「私はどっちかというと、『明日があるさ』の方が好きですけどね」
「俺は今日を境に嫌いになりそうだよ」
(……ん?明日があるさ……?)
男の言葉を思い出す。
『見えてます?』
『明日……いいえ、未来』
『見えてるなら手を叩こう』
(あー……)
(熱狂的なファンなのかな……)
手を叩く気には、なれなかった。




