ACT98・アルテミス2号
蛇ノ目の研究所。
白髪に白衣と、いかにもな格好の老人が、モニターを前にしてキーボードを弾いている。相変わらず、そこだけを見たら年齢に似合わぬ機敏な指先をしていると思う。
叩くパソコンから繋がるのは、昨夜の行動が記録された変身リングだ。
ヴァイオレットバイパーとして活動したその後は、データをパソコンに同期させるのが常だ。昨夜は夜も遅かったから、今は日もだいぶ高い時間だ。
蛇ノ目博士がデータと格闘している中、その部屋の上。一階では。
湯気の立つ香るコーヒーは、身体を縮こませる冬にはお似合いの温かさを漂わせている。
看護師のような服に身を包んだ女性のシルエットが、茶の間の向こうにある台所で包丁を働かせている。規則的な、まるで機械のように正確な包丁さばきで、みるみる内にいい匂いの漂わせる料理を生み出してゆく。
訳あって、ひとり暮らしを余儀なくされている光太朗にとっては、食事は何よりの楽しみのひとつであり、家族の温もりの残滓を感じられる。
「コーヒーのお代わり、どーですか?」
カップの中身が、底よりも僅かになった頃、そんな声が掛けられる。
ただし、それは今台所に立っているアフロディーテが発したものではない。アフロディーテの真紅の髪色とは対になるかのような藍色の髪。
最初、光太朗がその姿を見た時、驚かなかったとは言わない。
面影こそ違うが、その『少女』の姿は、かつて拳を突き合わせた宿敵の姿を思わせたからだ。
アルテミス。
それはこの世界に絶望し、人類に永遠の命を罪と共に背負わせるために生み出した、始まりと終わりの少女。
ロボットである彼女を、永久の世界の王女として君臨させようと、『彼』は彼女を作った。
その戦いで、『彼女』は大破し。
荒れ、うねる地面に飲み込まれたかに思えた。
その身体の大半を破損させながらも、『彼女』は生き長らえていた。瓦礫に埋もれ、土にまみれ。
世界を壊す『ウロボロス』との最終決戦の後、他人の目に触れるよりも速く、『彼』の生きていた証を救おうと、根城にしていた廃病院をアフロディーテに探索させていた時である。
半壊のアルテミスが、まるで『彼』の置き土産かのようにその廃墟から発見されたのだ。
蛇ノ目はそれをアフロディーテに回収させた。
不思議なことに、その際のデータは何ひとつ『彼女』の内部からは発見されす、まるで消去されたようにまっさらなデータベースが残るだけであった。それは『彼』の最後の願いにも思えた。
愛する人を模した姿を、野望のために使い。それが叶わなかった時には、それをすべて消し去り。
無論、それは全て推測に過ぎない。都合のいい理想だ。『彼』は間違いなく世界を憎み、愛した姿を使ってでも、自分の望みを叶えようとした。
アルテミスが『生き残った』のは偶然で。奇跡でもない、そこに誰の意思も介在しないのかもしれない。
アフロディーテと同じように、蛇ノ目はアルテミスを再調整、改修し、アフロディーテの姉妹機として、研究所に置いた。
妹に見えるように、使用素材を半減させ、アフロディーテよりも幼く改修した。何より資金の節約にもなる。
・・・それは表向きの理由で、本当は、恨みを詰め込まれた『彼女』を違う姿に作り変えてでも解放させてあげたかったのだ。
そのおかげで、蛇ノ目としては単純に人手が増え、家事効率が高まった。
アフロディーテもアルテミスを認め、まさに妹かのように。
アルテミスは嬉しそうにポットを傾け、コーヒーを注ぐ様は小さなメイドさんか。
ミルクと砂糖で味を整え、それを口元に運ぶ。
アルテミスは、その様子を目を輝かせながら見ている。
アフロディーテが食事担当ならば、それ以外はアルテミスの仕事、らしい。
一杯目を飲む時も、「これ、私が淹れたんだんだよ!」と、まるで誇るように小さな胸を張る様は、まさに子供だ。
以前のアルテミスを知っているだけに、まだその姿には慣れない。
世界の命運を分かつ戦いの際には、アルテミスもスケイルアーマーを纏い、死闘を繰り広げた。
アルテミスはその小さな身体を光太朗に寄せ、自分の淹れたコーヒーを振る舞うことが幸せかのように、笑みを浮かべる。そして、幼い唇から吐息を吐き出し、カップの熱を健気にもいじらしく冷まそうとする。
今のその姿からは想像もできない。赤い、破壊をもたらす姿だった頃からは、180度反対の姿。
「どう?マスター、美味しい?」
何故か、今のアルテミスは光太朗のことを『マスター』と呼ぶ。その理論で言うと、『主人』の意味では蛇ノ目になるはず。
すでにいない『先代』から蛇ノ目へ。まるで受け継がれるようにこの研究所に来たアルテミス。
「・・・前も言ったけど、俺は君のマスターじゃないんだけど」
アルテミスは光太朗の言っている意味がわからない、といった具合に表情を傾げる。
蛇ノ目い曰く、消去されていても、体内にこびりついたデータが及ぼしたバグの一種であると推測されるという。
その原因は、戦いの衝撃か。元々のデータが変質したのか。話口調もかつてのものとは異なる。むしろ、これが本来のアルテミスと言わんばかりに。
昔の姿は、今のアルテミスからしてみれば、もしかしたら思い出さなくていい過去なのかも知れない。むしろ、蛇ノ目は今のアルテミスを今のアルテミスとして接して欲しいと常に思う。兵器だった過去は、過去に置いていけばいい。愛した人間を模した姿には、笑顔でいて欲しい、と。それが例えバグにより変質した姿だとしても。
「美味しい?」
コーヒーの味をしきりに聞くのは、その見返りを求めているのだと、光太朗は気づく。
「ああ、美味いよ」
言いながら、光太朗はアルテミスの頭を撫でた。アルテミスはくすぐったそうに浮かべる表情の中で目を細めた。
「こういうのって、警察に通報したほうがいいのかしら」
そんな深く、突き放すような声を上げたのは、闇夜のような漆黒の髪を揺らす少女だ。そして、その傍らで「あはは」と乾いた笑みを零すのはその親友の少女で。
出雲一織と草薙夜宵。
ふたりとも、妙な縁で光太朗と繫がった、女子小学生。
端から見れば、自分たちよりも幼い少女を側に侍らせ、愛でているように見えるのだろうが。
この幼女の正体が、あの死闘を繰り広げたアルテミスだということは承知のはずだ。そして、その時の記憶がないことも。
アルテミスは突如現れた小学生に敵意を見せ、まるで光太朗を守るかの如く、ふたり組との間に阻む。
「敵属発見、速やかにマスターを守るために戦闘体制に入る」
アルテミスはなぜか一織と夜宵に並々ならぬ敵意を燃やし、特に夜宵に向かってこうして鋭い目を向ける。それは、かつての記憶が思い起こされ、そうさせるのか。・・・まさかね。
「まったくいい御身分ね。女児にコーヒー作ってもらって、それをフーフーしてもらうだなんて」
「マスターの火傷を心配することの、どこがいい身分なのかを説明願う」
・・・本当はアルテミスは前の記憶があるのではないのか、というくらいに、こういう時は口調が変わる。
「彼女はこの家のメイドロボなのでしょう?あまり甘やかすのはどうかと思うわ」
アルテミスに、ではなく、光太朗に向けて、夜宵は冷めた目でそう言った。
「それに、貴方はちゃんとアフロディーテにも対等に接していて?」
夜宵は、新参者のアルテミスばかり構い、アフロディーテに身の回りの世話をしてもらうことが当たり前かのようになっている光太朗の態度が気になっていたのだ。
その言葉に、アルテミスの口元が邪悪に染まり。
「早い話が、マスターの寵愛を私だけが受けていることが許せないのですね。自分達のことがおざなりになりお、それが許せない、と」
夜宵はその言葉に、あからさまに表情を朱に染め。
「だ、誰が!ちゃんとアフロディーテと、一織ちゃんも構ってあげてと言っているの!」
「人の所為にして、卑しい子」
アルテミスの細めた目に貫かれ、夜宵は狼狽が収まらない。
「だ、大体、色々な事件の解決に協力してきた私達を差し置いて、大体貴方は」
そこまで言って、夜宵は口をつぐんだ。以前の『アルテミス』の暴走を止めるため、光太朗だけでなく、一織と夜宵にも力を借りた。
だが、記憶という以前のデータがない現在で、そこを突くことを蛇ノ目には口止めされている。何がきっかけでアルテミスのダータが復元しないとも限らない。そうならないように新たな人格データで書き換え、プロテクトも施している。
アルテミスからしてみれば、夜宵が図星を突かれ口を噤んだように見えただろう。何故か誇らしげな表情になり、フフンと鼻を鳴らした。
ただ、夜宵の言っていることに一利あったと自覚する。
一織、夜宵の存在だけでなく、光太朗は人に恵まれていると日々思う。彼女達の協力無くして、今の光太朗は居なかったかも知れない。
「俺は、みんなに感謝してるよ」
蛇ノ目だけでなく。
「アフロディーテは勿論、一織ちゃん。そして夜宵ちゃんも」
その言葉に、一織は嬉しそうに上気し、夜宵はバツが悪そうに視線を反らした。
「ふほほ。モテモテじゃのう、光太朗」
蛇ノ目が地下の研究室から引き上げ、茶の間に現れる。その手にリングを持って。そして、それを光太朗に預ける。
ここのところ、身を砕くような事件は起きてはいない。それでもデータの蓄積はスケイルアーマーにとっては大事な作業であり、磨き上げるのに必要な要素だ。
「博士、さっきの言葉、撤回してれませんか」
何が、というような目で、蛇ノ目が夜宵を見る。
「お兄さんが誰にモテて誰にモテなかろうが、そこに私を含めるのはやめていただきたいんです」
努めて冷静に夜宵は言う。その態度に、蛇ノ目は乾いた笑いで返すだけだった。
アルテミスと夜宵の一悶着を終え、小学生ふたり組は帰宅。
「・・・アフロディーテ、ごちそうさま。いつもありがとう」
アフロディーテは、食器を洗う手を止め、首をこちらに振り返り、
「夜宵様に突かれて言わされた言葉であっても、嬉しく思います」
アフロディーテまで、アルテミスに影響されてきてないか?
蛇ノ目はそんな光景を食後のお茶をすすりつつ、穏やかな目で眺めている。
「百合香の嬢ちゃんは、田舎じゃったか?」
と、そんな言葉を口にした。
光太朗の同級生にしてクラスメイトの白崎百合香は母方の実家へ、冬休みの間に帰省中だという。
「さしたることではないのだがな、ちょっと報告しておきたくてな」
さっき、一織達の居た時に告げなかったということは、本当に大したことがないのだろう。それか、まだ詳しいことがわからないか。
「数日前、センサーが妙な反応を拾った」
蛇ノ目の研究所は、現実世界に影響を及ぼす怪異の発端を拾うアンテナが備え付けられている。
ここのところ、世間を騒がす事件が頻発していたというのがその理由だ。
科学では到底解明できない事案が続き、光太朗はその事件の中心で戦いを続けた。今後、そのような事件が起こらないとも限らない。現実レベルで起きるものとは別にう、不可思議な力が根幹を成す事件、そしていち早く察知するため。そして、仮に世を襲う事件が起きた場合、今は百合香の力はもはや借りられないのだ。
「妙な反応?」
「ああ、気にするものでもないかもしれんがな」
蛇ノ目によると、空気の振動を一瞬感知した。
それが果たして異界が開いた音なのか、ナノマシンが散布された証なのか。どちらにせよ、それが怪異を呼ぶ音ならば、警戒をするものの、反応は一瞬。それが何を意味するものなのかもわからない。
「一応、心構えはしておいてくれ。こっちでも引き続き反応を追う」
蛇ノ目はあまり深刻には捉えてはいないようだ。蛇ノ目は何より科学を信じる。目に見えるものを究明する。
だが、光太朗は、その蛇ノ目が感じた僅かな異変が、とてつもない大きなものになるのではないか。そんな気がしてならないのだ。




