ACT90・蛇ノ目と鷹村
だが。
終わりは突如、訪れた。
ぎぎっ。
耳を塞ぎたくなる奇音。怖気を催す不快な音。
それは、光太朗の眼前のアルテミスから鳴り響いた。
まるで人形の関節を無理に折り曲げたように、淡麗な顔がもたらす流麗さと相反するような奇妙な動き。
四肢が人間の可動域とは異なる動きを見せ。
アルテミス自信も、その状況に戸惑っているようだった。
「な、なんだ?」
その証拠に、口から漏れ出る言葉は、理解できない感情を宿していた。
そして。
「マスター・・・!」
がくんっ。
アルテミスは、電源を落としたかのように目から光を失い。
その動きを止めた。
しばしの静寂。
膝を地面に折り、付け。何かの許しを得るように右手を天に掲げたまま。
アルテミスは動かなくなった。
「・・・一体、なんなの?」
ラネットが、杖を構えながらも不可解な状況に訝しむ。
空洞の時間は数秒。数分にも感じ。それでもアルテミスが動く様子は見えない。
一瞬、光太朗はラネットやアイリスと顔を見合わせる。
「止まった、の?」
ラネットが、目から光を失ったアルテミスの顔を覗き込む。
光太朗は軋む身体を奮い立たせ、立ち上がる。
「・・・ここは任せた」
アルテミスが止まろうと、どんな理由で停止させたかもわからないが、これが終わりではない。鷹村の元へ辿り着けなければ、意味をなさない。
「無茶よ。そんな身体で」
引きずるように足を進めをしようとする光太朗を、ラネットは引き止める。
それでもなお、光を失わない光太朗の表情を見て、ラネットはわずかの胸の高鳴りと強い意思を見た。
「分かった。もう止めない」
多分、もう止まらない。誰かを救いたいという気持ちがなせる技なのだろう。その中に、百合花がいることが、少し羨ましくもあった。
「・・・一応、アルテミスの監視と」
そう言いながら、遠間にいる月斗へ目を向け、
「あの怪我人のことも頼む」
その言葉とは反対の憮然とした表情に、ラネットは顔を綻ばせながら、光太朗の背中を見送った。
『反応がある。鷹村の研究室は、下部じゃろう』
生きていた通信機能の向こうから、蛇ノ目が言う。
廃病院ではあるが、その面影は恐らく使われていた頃と変わりはないのだろう。
特段物が散乱しているわけでもなく、荒れ果てているわけでもなく。ただ今は営業時間外だから、と言われれば信じてしまいそうだった。
軽く見ただけでも、階段は上に登るものしかない。
光太朗はエントランス奥にあるエレベーターに目を付ける。
逸る気持ちでボタンを押すと、それは反応を見せる。廃墟であるはずの建物には電気が通い、そのドアが開く。
通常のエレベーターより若干広めの箱に足を踏み入れる。傍らに設えた操作盤。そこには上に行くだけではなく、下に続くであろうボタンが増設されていた。
光太朗は、躊躇いもなく、直感的にそれを押す。
静かにドアが閉じ。
密室となった箱は、ゆっくりと下に向かう感覚を残したのだった。
薄暗い。
非常灯が点在する、通路。
剥き出しの配線が壁を伝い。何かの計器が数値を示す。
その伝う線が導くように、奥に続いている。光太朗はゆっくりと、だが確実に足を進める。
そして。
一枚の扉に辿り着く。
取っ手もノブもない、フラットな機械扉。
それはいとも容易く開いた。まるで部屋の主が光太朗を招いたように。
薄暗い部屋に煌々と灯る、無数のモニター。それが連なり、一枚の画面となっている。
それに目を向けるひとつの影。
権力者の座るような椅子に背を預ける妙齢の姿が、モニターから漏れる光に照らされていた。
「・・・ようこそ、と言うべきか」
しわがれた、老人の声。それはどこか弱々しく。でも、なにか一本通った信念のようなものを感じる。
「アンタが鷹村か・・・!」
光太朗は怒りを滲ませながら、早足でその老人の元まで近づく。
椅子、というよりは、ベッドにも思える角度のそれに背を持たれた老人が、その目を光太朗へと滑らせる。
「・・・いかにも」
老人は、その身体から管を生やし、傍らの機械に繋げていた。
カリカリ、と機械が何かを刻む音。明滅する光。それが、何かしらの延命作業であることは想像に固くない。
「今すぐにナノマシンを止めろ!」
弱々しい老人に向かって、それすらも関係ないと言わんばかりに、光太朗は詰め寄る。
その姿に、鷹村は笑いを噛み殺すように身体を震わせた。
「これが、お前の見初めた人柱か、蛇ノ目」
感慨深そうに、鷹村の弱々しい動きに似合わぬ、精悍な目が光太朗を貫く。
「そんなことはどうでもいい!止めろ!」
今、こうして無駄話をしている間にも、侵食は進んでいるのだろう。
光太朗の剣幕に、鷹村はくくく、と笑いを漏らす。
「・・・もう、ナノマシンは止まっておるよ」
と、信じられないような言葉を吐いた。
「・・・なん、だと?」
嘘を言っているのか。こんなあっさりと言うことを聞くとは思えない。
「信じられないようならば、蛇ノ目に調べさせろ。大気に流動する異変は動きを変えたはずだ」
「なんのつもりだ。アンタ、何がしたいんだよ!」
光太朗の怒りにも、鷹村は感情を見せることなく。
「アルテミスが変身を解除した時点で、ナノマシンの流動が止まるプログラムを組んでいた」
鷹村の言っている意味がわからず、光太朗は鋭い目を前へ向ける。
「私は、アルテミスを新世界の管理者にしようとした。未来永劫、管理された世界の、まさしく女神としてな」
急かす光太朗の中に染み込む、鷹村の言葉。
「レッドコブラが解除された時、その呪縛は解ける。破壊されたにしろ、説得されたにしろ、その姿を解いた時、それはこの計画が止められたことを意味する」
もう一度、鷹村は肩を揺らし、笑う。
「もっとも、変身を解除した理由が、そのどちらでもないのには驚いたがね」
外部からの破壊でも、光太朗の熱意にほだされたわけでもない。まさか、迫る危機を煽ろうと、挑発するために鎧を解除した。それすらも、計画失敗の引き金だ。
「同時にナノマシン中和の薬剤も散布される。・・・じきにこの状況は収まるよ」
野望が潰えたというのに、鷹村の表情は悔しさはない。
『・・・鷹村の言うことは本当のようじゃ。計測中の大気の数値に変化が見られた』
蛇ノ目が、安堵を含んだ声で、言う。
その言葉に釣られるように、光太朗は身体から力が抜けていくのを感じる。
『鷹村・・・』
光太朗のリングから、声が響く。
懐かしい声に、鷹村の表情が緩む。
「・・・お前に、世界の変革を促した時、以来か」
蛇ノ目にそれを拒否され、開発したスケイルアーマーのデータを盗むという暴挙に出た。
『これが、お前のしたかったことか。こんなことで、葵が喜ぶとでも思ったのか』
叱咤するような、力の籠もった熱。それは、初めて出会った光太朗に命を説いた時にも似ている。
「・・・それは、生きている者の理屈だよ。死者は、そんなことは思わない。発言することすら出来ない。・・・想いが、伝わることも叶わない」
ぎし、と。背を預ける音が鳴る。
虚空を見つめる、鷹村の目。その目の奥にある感情は何か、光太朗には知る術はない。だが。
「そんなことない」
静寂になりかける空間に、光太朗の声が響く。
「生きている者が忘れなければ、その人は決して死なない」
光太朗は一時も両親のことを忘れたことはない。死んだ理由だけ悔やむのは、不毛だ。
確かに。
もし。
あの時。とか思わない訳では無い。でも、それは覆ることはない。
それすらも、鷹村は生きている人間のエゴと言うだろう。
もう、光太朗は両親の生きていた世界を進むしかないのだ。
鷹村の目が、光太朗を見つめる。
「・・・強いのだな」
「弱いよ。今も、みんなのお陰でここにいられる」
蛇ノ目をはじめ、数え切れない人間との間に、今がある。
本当は、分かっていたのかも知れない。忘れていない、という点では鷹村も同じだ。ただ、それは執着だ。だからこそ、想いを捻じ曲げ、復讐心だけが大きく膨れ上がった。誰にぶつけるでもない、歪んだ空虚な黒い気持ちだけが。
機械が、異音を知らせる。
それと同時に、鷹村はその顔に苦悶を浮かべ。
「恨むぞ、少年。私は負の気持ちを持ったまま、アルテミスに全てを託し、逝くつもりだった」
ふふ、と意地悪そうに笑う。
蛇ノ目が叫ぶ。このまま死ぬのは許さん、と。
「やはり、私の最大の敵は、お前だったな、蛇ノ目」
唯一敬服する、かつての友。
天才と自惚れていた自分の前に現れた、劣等を努力で覆す、天才。
目を閉じれば、あの時の青い日々が蘇る。そこには、死んだ葵の愛おしい笑顔もあった。
ああ。なるほど。
少年の言っている意味が、最後の最後に分かった気がした。
様々な人間への思いを零し。
鷹村は息を引き取った。
ナノマシンの完全停止を計らって、蛇ノ目はアフロディーテを回すと残し、通信を切った。
本人が、最も辛いだろう。
光太朗は、思い足取りでエレベーターに戻り、病院の外に出る。
数分ほどしか離れていないのに、空の色はこんなに青かったのだと気づく。
「コータローっ!!」
ラネットがその顔に喜びを貼り付けて駆け寄ってくる。隣にはアイリスもいる。
ふたりには本当に世話になった。助けてもらった。このふたりも、自分の人生に組み込まれた『誰か』だ。
「・・・終わったよ」
決して、納得も腑にも落ちなかったけど、ナノマシン、という部分においては、終わった。
「よっしゃーーっ!」
歓喜に身体を跳ねさせるラネット。アイリスも、珍しくその顔は綻んでいるようにも見える。
早く、研究所に戻って百合花の安否を確かめないと。
ラネットたちも来るか?と光太朗は問いかけようと首を傾ける。その寸前、足をへし折られた月斗のことを思い出し、視線の行き先を変える。
その時。
「みんな!気をつけろ!」
何かを警告するような月斗の声が響き。
光太朗、ラネット、アイリスが振り返る。
そこには。
見知らぬ男が、動かなくなったアルテミスを抱きかかえようとしていた。




