ACT75・想いの行方
薄暗い、陽の光の届かない部屋に断続的に音が鳴り響く。積み上げられた電子機器が星の瞬きのような明滅を残す。
陽の光は届かずとも、その部屋をいくつかのパソコンモニターが発する人工光が正面の影を淡く照らす。
その暗がりにひとりの影。白衣を身に纏い、一心不乱に。節くれだった10本の指先は、何かに取り憑かれたかのように激しく踊り、時に柔らかな調べを。部屋にある種小気味良い音楽を奏でているようでもあった。
人生の終盤に差し迫った老体であろうにも関わらず、その動きは一切の老いを感じさせることはなく、むしろその命が猛るように、情熱に火を注ぐように指先を跳ねさせている。
画面上には、常人には理解できない文字数字の羅列が高速で泳いでゆく。
その一字一句を見逃さないよう、老眼鏡の奥の目は、左右上下に慌ただしく、それでいてそれを労せずに動かしている。
「博士」
傍らから掛けられる声にも気づかないのか、老人の指が生む旋律は終わる気配を見せない。
「もう、ずっとぶっ続けで解析に勤しんでいます。少し休息をお入れになられては?」
その言葉で、初めて老人は指の動きを減速させた。
老人は、名残惜しそうにキーボードから指先を浮かすと、今度は背中を椅子の背もたれに預けた。ぎし、と柔らかな支えが老体を受け止める。
「・・・済まない、『アルテミス』」
老人が、傍らの女性に息を吐きつつ礼を放った。
アルテミス、と呼ばれた女性は、手の上にトレイを乗せ、そのまた上に温かな湯気の香る翡翠色の液体で満たした湯呑み。そして、心ばかりかのお茶菓子が隣り合っていた。
「いえ。マスターの喜びが、私の喜びですから」
言葉はどこまでも機械的で抑揚が無く、目の奥に生命の輝きは見えない。
アルテミスは、服装こそ看護師を思わせる身姿だが、所々を異質なケーブルで絡ませている。
揺れる花の香りのような流麗な藍色の髪は、陽の光の下でこそその輝きを誇示するだろう。どこか、人形めいた人間味の無い目が座上の主を捉える。
老人の目が、椅子の上のアルテミスに向けられ。
「・・・もうすぐだ」
何十時間もデスクの上で画面の中と格闘させた疲れを微塵も見せないまま、そう、熱に浮かされたように言葉を漏らした。
「もうすぐだよ。誰もが誰かを失うことに心を痛める必要のない世界が来る」
開放された言葉と共に老人の目がアルテミスを見つめる。
そのしわがれた手が、何かに焦がれるように、しなやかなアルテミスの白い肌に触れる。それは決して色恋に惚けた老人の戯言、盲言などではなく。
大切なものを離さないよう、手放したくない強い思いが見えた。
「・・・私もその新たな世界へ、微力ながらお手伝いいたします」
機械的に読み上げたその言葉に、老人は目尻に光るものすら浮かべて、来たる新たな世界を願った。
白崎家。
百合花の部屋にて。
半黒半白の猫に向かい、百合花は半眼を向けていた。
その要因は、光太朗に対して花の騎士としての能力が喪失する可能性を告げたことに対しての目だった。
それは避けられない運命だったとしても、今は言うべきではないと思っていた。
「そのことに関しては済まないと言っておこうか。だが、我の世界のことに関することでもあるのでな」
光太朗に明かすことは最低限の義理と、これからも彼に協力するつもりなら、その可能性は示しておいたほうがいいという判断だ。闘いの最中に喪失が起きたら戸惑うだろうし、目も当てられないだろう。
「・・・いつか、私から言おうと思っていたのに」
不満めいた目を追加。それに対し、ニアも半眼で返す。
「君にそれができるとは思えんがな」
その指摘に、百合花は「うっ」と小さく呻いた。
それ以上に驚いたのは、百合花の心の強さである。
マギアスでアンチホープの残党との闘いの後、百合花を始め、彼女たち花の騎士に告げたのは、能力の喪失の可能性だ。
何時、この日と、正確な日時は断定できないが、その日は確実に起きる。
それは決して悲観するべきことではなく、マギアスを覆う闇が払拭されたことの証明でもある。そのため、花香剣は次の脅威のためへの眠りにつく。
再び百合花たちが、今の適応者が生きている内に再びその柄を握ることはないだろう。むしろ、それを誇りに思って欲しいのだ。マギアスを覆う闇を振り払った勇者として。
それでもなお、百合花はその力を持って光太朗に助力をしようとする。いつか消える力に怯えること無く。
悪戯に自分に備わる力を私欲としてではなく、誰かを助ける、救うための力として。
それよりも。
ニアは半黒半白の尻尾を揺らし、百合花を見る。
「何やら嬉しそうだな。何かいいことでもあったのか」
その指摘に、百合花の顔色はあからさまに動揺と共に変化する。
「い、いやっ。別に!神野くんとは何も関係なくて!」
「ほほう・・・」
ニアの眼の形に、墓穴を掘ったと言わんばかりに百合花は顔を白黒させる。
数分前。
道端での光太朗との別れ際。
百合花は自分の能力がいずれ無くなる可能性を話した。
光太朗は、そんな百合花のことを遠ざけようとはしなかった。光太朗の性格上、自分以外の人間が傷つくことは許し型いことなのだろう。それでもなお肩を並べていられることに、百合花は素直に嬉しかったのだ。
何より。
もしも自分の力が無くなったその瞬間。光太朗は言った。
その時のことを思い出し、百合花の赤面具合が増す。
その理由を百合花に白状させたニアは、面白そうな笑みをただひたすらに浮かべている。
勿論、その時の光太朗の言葉に深い意味はないだろう。もしかすれば、ウロボロスの決戦の最中に能力を失ったら困る、程度のことなのかも知れない。
それでも、百合花の心を熱したのは確かで。
自分以外の誰かが傷つくことを恐れる少年が、少なくともその隣に誰かを置くことを許したその気持ちに、百合花は心を揺すられて。百合花自身も、彼の力になりたいと思っている。
世界を間違った力と思いにより統制をすることは、百合花としても認めることはできない。
失う者のいない、それは死の訪れない理想的な世界。
だが、光太朗は失ったものがいながら、それに向き合い前を向くことを決めた。
何度も何度も葛藤し、足を止めたくなって。時には後ろを向くこともあっただろう。
百合花や一織。クラスメイトの存在が後ろ向きな気持ちを引き止める、僅かな力になったのなら、嬉しい。
だから、許すわけにはいかないのだ。
もし、ウロボロスの望みが叶ったなら、光太朗のしてきたことが全て無駄になってしまう。
頬を朱に染め、クッションを胸に抱き顔を埋める百合花の姿を見て、ニアは先程までのからかうような視線を変える。
一年以上その姿を隣で見てきた。だが、このような感情を見せたのは初めてだ。
仲間を思う情愛の気持ちは当然あるだろう。でなければ、命を賭して花の騎士の能力を宿し、デュミルアスとの闘いに身を投じることもなかっただろう。
「・・・好意を抱いているのか?」
ズバリ核心めいた質問に、百合花は僅かに身体を震わせながら、言葉を選ぶように視線を中に彷徨わせる。
ニアは人間ではない。
だが、誰かが誰かを思う心の動きは知っているつもりだ。
「・・・わからない」
それは真実だろう。
ただのクラスメイト。転校生。同じような能力を有する仲間。
「でも、今は神野くんの力になりたい。それだけは本当だよ」
今の百合花の心を占める気持ちに嘘偽りはないだろう。その枠を超える感情に、気持ちが追いついていないのかもしれない。
その上で、百合花が光太朗に寄せる想いがあるのなら。それを暖かく見守ってやりたい。
ニアの指摘により、百合花の心に芽吹く得体の知れない感情があることに気付く。いや、本当はその正体が分かっているのかも知れない。
だけど、今はいい。少なくとも、ウロボロスとの闘いが終わるまでは。どのみち、ウロボロスとの闘いを乗り越えなければ、世界に未来は無いから。
それまで、百合花はそんな光太朗の力になれればそれでいいのだ。
「そうか」
敢えて、さほど興味がなさそうに尻尾を毛繕いをしつつニアは小さく言葉で切る。僥倖、と言わんばかりにニアは目を細める。
つくづく、人間というものは心が豊かで、色鮮やかだ。様々な状況、感情で幾重にも感情の形を変える。特に、この百合花という少女は、少なくともニアは見たことも無い色を見せていた。
その胸に宿る『水晶花』の眩い光を目の当たりにし、ニアはその表情に嬉しさを隠しきれなかった。
願わくば、その想いが何らかの形で成就することを祈って。
目を回し、未だ戸惑っている百合花を尻目に、ニアはそんなことを思うのだった。




