ACT74・動き始める
夏休みも終わり、世間の学生はいつもの日常に身を投じ始めていた。
蛇ノ目の研究所。
テーブルを挟んで一織と夜宵がお茶を嗜んでいる。アフロディーテ謹製の紅茶は、鼻の奥を温かくふくよかな香りで満たしてゆく。
「ふう・・・」
喉を通り抜ける爽やかな味は、身体の奥底から浄化されるくらい清廉で。
差し当たって、呑気にお茶の時間を楽しめるくらい、世間には平和な時が流れていた。相変わらず馬鹿な考えを抱く不届き者は存在しているものの、ウロボロスの影はなりを潜めている。
影山月斗の言う通り、残るスケイルアーマーのプロテクトを解除しているのだろう。指し示した来るべき日に向けて、体勢を整えてもいるのだろう。
それはある種、不気味な前触れにも思える。
その時のことを思い出し、仄かな甘さがもたらす味が、苦いもので塗り替わる。
夜宵の脳裏に思い出されるのは、ウロボロスのスケイルアーマーに敗北したという事実だ。
『水』の領域で遅れを取るつもりはなかった。一織も、ことパワーに関してはそのつもりだろう。
お互い得意な戦法を封じられ、地に倒れ伏せた。助けに入った百合花をも退ける力を持っていた。
あれが、スケイルアーマーの本来の強さ。人間を超えた身体が生み出す、他者を捻じ伏せる力。
提示した期限を境に世界を操ろうと姿を現した時、自分たちはそれを阻止することができるだろうか。そんな思いに駆られる。
影山月斗の来訪後、蛇ノ目は研究室に籠もることが多くなり、久しく白衣姿を見ていない。
『青』を始めとするスケイルアーマーに対抗できる手段を考えているとは言うが・・・。
あの強さを身体で思い知った時、それでも自分たちは勝てるだろうか。スターセイザーの強さは、鍛錬や修行で身につくものではない。
カオススターも、あの日以来姿を見せていない。一織に「やり残したことがある」と言い残し、姿を消した。彼のことだ、一織たちに見切りを付けて姿をくらませたわけではないと思うが・・・。
・・・いや。
いかん。
悲観に陥ってはだめだ。
一織は呑気にアフロディーテのお茶と共に菓子に舌鼓を打っている。
それでいい。
自分はただ、この穏やかな友人との日常を望み、この幸せそうな笑顔を守りたいのだ。
が。
あまりにも幸せを噛みしめるように顔をほころばせる一織に、仄かな意地悪心が働いて。
「それにしても残念ね」
「・・・なに?夜宵ちゃん」
そう問いかける夜宵に、一織は目を丸くして答える。
「大好きなお兄ちゃんと最近会えなくて」
その言葉に、一織は面白いくらい正直に感情を表情に投影させた。
「な、な、な何をっ!?」
そして、わかりやすく言葉を詰まらせ狼狽える。その姿がまた可愛らしく、夜宵は少し妬ける。
「わ、わたしは、別に」
モゴモゴと口を動かしながら、皿の上の菓子を指で突く。
事実。光太朗はここに月斗を呼びつけた日から姿を表していない。少なくとも、一織が顔合わせすることはなかったと聞く。
「お兄ちゃんを、後から来た新参者に取られて悲しいと思うけど、気を確かに持って」
更に意地悪な言動に、一織の顔の赤みが加速する。
「や、夜宵ちゃんっ?」
そのいつもの反応に、夜宵は今日もいいものを見た、という充足感を得る。
今、光太朗は、月斗の元へ通い詰めている。
夜宵にはその理由がなんとなく分かった。
今までが特殊な環境だったのかも知れない。
同じような志を持っていたとは言え、その中に置いて光太朗は居心地の悪さを感じていたのではないか?
自分以外は全員女子だから。
信頼が無かったわけでもないだろう。真の意味で同じような力を持つ人間が現れ。それが同性ならば、気を許さない理由にはならないだろう。夜宵もそうだった。一織と同じ力を手に入れた時、言い表せない高揚感に包まれたのを覚えている。
同じ気持ちが光太朗に起きたとはわからないけど。
とは言え。
友人とこうして邪魔者が入らずお茶に講じる時間は代えがたい幸福である。
穏やかな時間が流れる中。一織は夜宵と共に優雅なお茶の時間を満喫していた。
眼下で行われている横暴を目に、ふたつの影がビルの上に華麗に立つ。
その姿の登場に、周囲の野次馬が喜びに歓声を上げる。
「・・・歓迎されて迎えられるとは、いい気分だね」
「言っておくが、名声が欲しくてこんなことをしているわけじゃないぞ」
「知っているよ」
その分かったような物言いに、光太朗は少し鼻につく。
「ここでうだうだ話していても時間の無駄だ。行くぞ」
言いながら、光太朗はビルの上から飛び降りた。それに月斗は小さく息を吐き、続く。
眼下で行われていたものは、黄色が目立つ機械の乱舞だ。それが乗用車が行き交う道路には明らかに不釣り合いで、不自然である。
ロードローラーやショベル。ユンボ。まるで重機がひと塊になったかのような、言うならばで重機のキメラだ。
操縦者はいるらしく、聞いた人間によれば支離滅裂な主張の声を上げながら、破壊活動に勤しんでいるという。
その操縦者がどんな理念で主張を掲げていようとも関係ない。人に害を成すものは退ける。それだけだ。
「全く、あれだけ主張できる行動力があるのなら、より良い風に使えないものかな」
それに関しては同意。
月斗も、荒れ狂うアームを振り回す様を見て、呆れたように嘆息する。
ロードローラーのキャタピラに、ショベルのアームを振り回す。
警察は拡声器で事態の収束を図ろうと搭乗者に呼びかけるも、聞き入れる様子はない。
興奮しているのか、ただの破壊衝動に赴くまま動かしているだけなのか。どちらにせよ、早く収めなければならない。
車の通る道路の車幅に対し、重機キメラの大きさはそれを遥かに上回る。
振り上げるショベルアームが容易に側面のビルなど削り取り、ガラスも粉々になるだろう。警察の声も跳ね除け、重機キメラは暴走を続ける。
掬い上げるショベルがアスファルトを削り、撒き散らし。振り上げたそれを下方へと向かって叩きつけようとする。武装した警察もろとも叩き潰さんと落とされる、鉄の塊。
誰もが鉄の塊に人間が押し潰される光景を想像した。
それを片腕で防ぐは黒い鎧。
触れた部分を五指のみで掴み。
少し力を込める。
それは簡単に、蟹の足をもぎ取るが如く容易に、支えるアームごとへし切った。
重機のコックピットそのままの操縦席から見える、ご丁寧に工事用のヘルメットを被っている。そのヘルメットが、戦慄の顔を浮かべていた。
「・・・だったら、最初からそんなことをするなよ・・・!」
こんな強大な力を手に入れて、歪んだ全能感に苛まれたか。
光太朗はコックピットのドアを引き剥がし、操縦者を制圧にかかる。
そこは全能感満ちる聖域であるはずだ。そのコックピットに簡単に外部から侵入者を許すその状況に、搭乗者の男は、混乱を増幅させるように顔を青ざめさせた。
いくら操縦桿を操作しても、眼の前に押し迫る紫の鎧に外のアームは届かないのはわからないのか。
めちゃくちゃにレバーを上げ下げするせいで、アームが乱舞する。それにより起こるのが、周囲への巨大な凶器による破壊。
それを阻止しようと、光太朗は操縦者の動きを拘束し、レバー等を止めようとするも、クレーンアームは勢いを止めることなく容赦なく回転する。
だが、コックピット外で人々の悲鳴が沸き起こることはなかった。
壊れかけの観覧車のように土を掬うショベルは形が違うだけの鉄の塊だ。
人に当たればただでは済まないし、建物すら容易に抉るだろう。
黒い鎧が、荒れ狂いそうな鉄のアームを片腕で抑え込んでいた。光太朗は思わず息を吐く。
「・・・もう少し、冷静にことを終えられないものかな?」
光太朗のメットの奥から聞こえる嘆息。
「・・・いや。収められたんだから、別にいいだろ」
光太朗ひとりだったら、搭乗者は制圧できても、周囲は被害が出ていたかも知れない。
「君から出てくる言葉とは思えないね」
痛いところを指摘されたように、光太朗はわかりやすく狼狽える。この状況は、ふたりがいたからこそ収められた事態だ。
「とりあえず、あとは警察に任せて撤退するぞ」
建物が崩れるなどの被害は幸いにも起きなかった。呆けた顔のまま操縦者はコックピットに収まっている。毎度のことだが、これ以上騒動に関わることはない。
紫と黒の鎧は、観衆で騒いでいる現場を一瞥し、その場を去ったのだった。
「ほんっと!もう素敵なの!」
隣の席からそんな声高な歓喜が聞こえてくる。
光太朗の隣の席の百合花に掴みかからんとばかりに、小清水が熱弁している。
ヴァイオレットバイパーに追従する黒い鎧を纏う戦士の登場に、世間だけでなくこのクラスにも鮮烈な印象を与えたらしい。
ヴァイオレットバイパー同様、その名は公にしていないので『紫仮面』のように早くもあだ名が付いているようだ。率先して突撃するヴァイオレットバイパーとは違い、落ち着いた佇まいで事態収束に当たるブラックパイソンは『黒騎士』などと呼ばれているらしい。
黒騎士は勿論、紫仮面の正体が近くのクラスメイトであることなど夢にも思わない小清水は、いかに黒騎士ことブラックパイソンが見目麗しい紳士であることを百合花に熱弁していた。
その熱い態度に百合花は困惑の表情で受け止め、ちらりと隣人を見る目と重なり、光太朗は小さく肩を竦めた。
・・・それにしても、ここまでブラックパイソンが持ち上げられ、ヴァイオレットバイパーが蔑ろにされていると、気が気ではないな。いや、別に争っているわけではないのだが。
挙句の果てに、まるでブラックパイソンの頼りない弟を守るような立ち回りで尊敬に値すると。
小清水とは反対方向に向ける光太朗の額に、微かな青筋が浮き上がるのを感じる。
誰が誰に守られているって?
今すぐ弁解したい気分だが、それができないのが歯がゆい。
「『紫仮面』も、今までこの街を守って来てくれたんだし」
百合花がフォローのつもりで言ったのだろう。あまりにも頬杖を付いたまま外に意識を向けつつも身体を震わせている光太朗を不憫に思ったのか、そんな言葉で小清水に対抗する。
褒め讃えろなんて言うつもりはないが、ブラックパイソンと比べられるのは我慢ならないだけだ。
「あれ?百合花ちゃんは『紫仮面』派?」
そんなことを言われ、思わず百合花は顔を僅かに染めながら、
「い、いやあ。そうじゃなくって」
何故か光太朗の方を見ながら慌てた素振りで両手を振って否定。
そんな百合花の行動も含めて、新たな戦士の登場に湧くクラスの熱を背にしながら、今日も一日が始まった。
「神野くん」
一日の授業を終え、帰宅の道を行く光太朗を呼び止めたのは百合花だった。
百合花が隣に肩を並べるのを待ち、光太朗は足を止めた。
どちらかでもなく、足を前に動かすのを再開させた。
どうした?とでも言いたげな光太朗の表情。
「いやあ、最近話せてないなー、って思って」
あはは、と百合花は照れくさそうに笑った。
最近会うのはもっぱら学校のみだ。
街での異変、事件に介入するのに、光太朗は月斗と共に向かうことが多くなった。百合花を伴うことは皆無になった。逆に言えば、同時に姿を消すことがなく、フォロー役に回ってもらっている、というのが正しいか。お陰で、光太朗はフットワークも軽く事件に望める。もっとも、そんな事態はない方がいいに決まっているのだが。
月斗が光太朗と同等の能力を持つ、ということが大きな要因だ。同性ということで気兼ねなく、接せるというのも大きい。決して百合花や一織たちのことを頼りなくなった、ということではない。頼りない、という意味だけであれば、光太朗が『そう』であると思うし。
戦わないのであれば、それに越したことはないと考えている。まだそんなことを言っているのか、と怒られそうだが。
だが、百合花が思うに、光太朗が自分を遠ざけている理由は『そこ』ではないと睨んでいる。
「・・・神野くん、私に何か隠し事していない?」
「・・・何がだ?」
思い当たるフシはない、そう言いたげな表情。
「例えば、私のこと、とか」
僅かな反応。
光太朗の表情が僅かに揺れるのを、百合花は見逃さなかった。
恐らく光太朗も気づいていただろう。いや、むしろ気づかないというほうがおかしい。
ニアにあのことを告げられてから、光太朗はどこか百合花を遠ざけていた感覚がある。
百合花が、花の騎士の能力を失う可能性がある、と。
そのことを懸念すると、これ以上闘いの中に百合花を連れて行くのは得策ではないと考えたのだ。
特に、ウロボロスとの決戦が控えている。百合花の『タイムリミット』がその時期に重なったら。その時、危険の最中ではないとは言えない。ニアは、明確な『いつか』とは名言していないから。
ただでさえ、自分と月斗を除くスケイルアーマー所有者の能力は計り知れない。まだ見ぬナンバーズもいる。
百合花に対しては、ここが引き際なのかとも思う。百合花の意思も確かめず、光太朗は一線を引いてしまっていたことは確かだ。
目を白黒させる光太朗を見て、百合花は思わず笑いを漏らした。
「・・・嘘がつけないんだね、神野くんって」
言われ、光太朗は罰が悪そうに視線を反らした。
最初も最初。
光太朗が百合花の正体を知った時。
闘いに同行させたのは共通の敵が存在したからだ。
戦闘能力、経験に置いても当時の光太朗よりも遥かに上だったろう。
言い方は悪いが、自分の目に見える位置に置いておきたいと感じたのも、ヴァイオレットバイパーの正体を明かされると言う不安要素を排除しておきたいという気持ちが強かった。
無論、今までの間で百合花がそんな思いを持つ人間ではないのは承知済みだ。
ニアに花の騎士の運命を聞いた時。
光太朗の胸に去来したのは今までとは違う考えだ。
もし百合花が花の騎士の力を失ったのなら、光太朗にとって、百合花はクラスメイトや街の人たちと同じく、守るべき対象となる。少なくとも、前線に連れて行くことなどなくなるだろう。
自分と違い、百合花には親もいる。自分と違い、帰るべき家がある。それをわざわざ危険に晒すことなどない。
そんな考えなどお見通しかのように、百合花の目が明るい優しさを灯す。
「私の能力は、いつか消えてしまうものだけど」
言いながら、百合花の顔に寂しさが陰る。
花の騎士の力は、光太朗と出会う前より早く手にし、苦楽を共にした仲間と一緒に連れ立った能力だろう。その能力との別れ、喪失は光太朗には計り知れない。
でも、と百合花は続け。
「その時まで、一緒に戦わせて?」
その申し出に、光太朗は素直に頷きかねる。
もし、ウロボロスとの戦いの最中に能力が消えたら。百合花を危険に晒すことになる。
光太朗を刺す、力強い百合花の瞳。
きっとそれは、光太朗と出会うよりも前。幾多の苦難を乗り越えたからこそ手に入れた強さが称えたものなのかもしれない。
「神野くんが拒否しても、ついていくから!」
そう言って、百合花は自信に満ちた笑みを浮かべた。
出会った直後の光太朗なら、即答で拒否していただろう。
でも今は。不思議とすぐに否定するきにはなれなかった。
少なくとも、百合花という少女の人となりを知り、彼女の強さを目の当たりにした今なら。
それは決して花の騎士だから、というだけではない。
それこそ『心の強さ』が成せるものなのだろう。
だから。
「・・・くそっ」
なぜそう思ってしまったのか、光太朗は自分がわからないでいた。
光太朗は百合花を闘いから遠ざけたいと思っている一方で、その反対の思いもあるのだ。それは百合花のことを頼りにしていて、実際助けられたことも多々あった。いや、百合花の助けが無ければ戦うことへの意味を見出していなかったかも知れないのだ。だから、冷たくも簡単に闘いから手を引けとは言えないのだ。
どちらからともなく、分かれ道で立ち止まり。
「じゃあ、また明日」
と笑顔で背を向ける百合花。
その背中をどこか遠くに見ながら、光太朗が数秒。体感はそれよりも数十倍は長く思えた。
「白崎」
その背中を光太朗は呼び止めていた。名を呼ばれ、百合花は驚いた表情で振り返った。
これからのウロボロスとの闘い。
ブラックパイソンという味方も増えたが、依然百合花や一織の力を借りなければならないだろう。
「もし。この先、白崎に花の騎士の力が無くなった時」
まさにウロボロスとの決戦時、それが起こり得る可能性がある。
「その時は、俺が守るよ。だから、これからも力を貸してくれ」
そう言って、今度は光太朗が背を向けた。
光太朗の去っていく方向を、呆けた顔で、百合花はいつまでも追い続けたのだった。




