ACT71・牙を向く青い竜
その扉の開く音は、夏の前の郷愁を思い出させてくれる。
光太朗は、その店内で香り高い琥珀色をカップに注ぐ様を見つつ、警戒の色を薄めない。
両親の眠る墓地に向かう道すがらにある、小さな喫茶店。
その店内に光太朗はいた。
まさか、ここの店員の正体がブラックパイソンだとは、夢にも思っていなかった。
男の名は、影山月斗と名乗った。
この喫茶店『月光』で働く店員で、歳は光太朗よりも一回り程上に見受けられる。
光太朗の目の前で、香る湯気が寂しく揺れる。光太朗には、そのカップの持ち手を取る気にはなれなかった。
少なくとも、光太朗は今ここにコーヒーを呑気に飲みに来たのではない。
「・・・毒なんて入っていないよ。どちらにせよ少量の毒ならヴェノムクラスタは解毒するからね」
それでもなお険しい顔を向ける光太朗に、月斗は少し寂しそうな顔を向ける。
光太朗がここに赴いたのは、月斗の行動、真意を問いただすため。そして、月斗が光太朗をここに招いたのも、目的があったからだ。
この柔和な顔の奥に、世界を変えようとする、大仰な思想を宿していた。信じろと言うほうが難しい。
「・・・この店は、僕の店ではないって、前に言ったよね」
以前。ここに赴いた時に耳にしたその言葉。普通に解釈するのなら、この店には別のオーナーがいて、月斗はここで働く一店員という言葉に聞こえる。
「この店を夢としていたのは、僕の大切な人だった」
何かを思い出すように、その細めた目がどこか遠くを見る。
「小さくても、いつか喫茶店をやってみたい。そんな夢を語る彼女の顔を、僕は今でも思い出すよ」
建物自体は築年数の経った古民家だ。それを費用をかけ、立て直した。少しでも改装費用を浮かせようと、それを手伝った日々ですら懐かしい。
「でも、彼女は事故で亡くなった」
無念に滲むように、月斗の顔が歪む。
「昨日まで、普通に離していた恋人が、唐突に物言わぬ姿に変化した」
それは、ある種光太朗と同じ境遇で。滲むように言葉を紡ぐ月斗に、光太朗が感じた絶望と重なる。
「この店を引き継いだのも、彼女を忘れないようにする気持ちからだった」
でも、と続け。
「時が立つ度に、進む毎に、それが惨めなものであると知る」
銀のトレイを持つ手が、痛いくらいに握られる。
「彼女を殺した人間が堂々と生きながらえ、残された人間が深い悲しみを乗り越えることが出来ないでいる」
月斗の目が横に滑り、光太朗を見据える。
「・・・君は、どうやってこの世界に希望を見出した?冷静な心で生き続けられる?」
光太朗も、両親の命を奪った事件に恨みを抱かなかった訳では無い。
自分がどれだけ願おうとも、その事実は覆らないし、無力な自分を呪った時期もあった。
乗り越えられる程、自分が強いわけではないことをしっかりと自覚している。
自らの境遇を恨み、刹那的な生き方に足を踏み入れることを、自分は止めなかったし、それでもいいと思っていた。
そんな歪んだ考えは、偶然にも畳み掛ける出会いで変化した。
涼香の存在で、かろうじてまともな思考を繋ぎ止めていた僅かな糸は、蛇ノ目の存在ではっきりと形作る。
百合花との出会いでそれは鮮明になり、一織たちとの出会いでそれは強靭になっていった。
「・・・俺は、人との出会いに恵まれていると思う」
最初は、些細な偶然だったと思う。
蛇ノ目の言う通り、光太朗の身体をヴェノムクラスタの隠し場所としてだけに必要とされた存在だっただろう。
何の因果か出会いは続き。
これだけ続く出会いは、必然だ。
それが、自らの心を太くする力となり。
過去の出来事を忘れることは出来ないが、それを受け止められるくらいには強くなったと感じる。
だから、光太朗は蛇ノ目に感謝している。
百合花。一織、夜宵にも。
「だから俺は、この世界に留まる。あんたらがどれだけこの世界を憎み、壊そうとしても」
世界を壊す、人々に危うさをもたらすものは排除する。
月斗の胸の内の苦しみは、理解は出来ないが、分かる。だが、それを素直に肯定は出来ない。
光太朗には、あがきもせず、気に入らないからと言う理由だけで作り上げたものを壊す子供の言い分に思えてならない。
その光太朗の決意に、月斗は目を伏せ小さく息を吐く。
同時に、問いかける月斗の目が光太朗に向けられ。
「君以外の5人が、君を阻む敵となっても、かい?」
鷹村の野望を止める。それはつまり、ヴァイオレットバイパーを除くスケイルアーマーを有する同質の敵を相手取らなければならない。
「スケイルアーマーは、所有者の肉体を改造することが前提のシステムだ。手合わせした限りで、君の身体はそこまでには至っていない。何か理由があるのかは知らないけれど、それが僕との闘いで僕に勝てなかった理由だ」
スケイルアーマーの生み出す強力な負荷、力に耐えるため、身体を構成する部位を別の素材で入れ替えることを必要とされる。
でなければ、通常の肉体など力で引き裂かれ、瞬く間に砕けてしまうだろう。
光太朗を除く5人の適応者はスケイルアーマーの負荷に耐えうるため、改造を施している。
オーバーワークは、一時的に身体にのしかかる負荷を自動でセーブするリミッターを外す装置だ。だが、それでも本来のスケイルアーマーの能力には遠く及ばない。あくまで一時的な開放にすぎない。
スケイルアーマー本来の性能を引き出す改造を施していない光太朗に、残り5体の適応者を相手取る力があるとは思えない。
それを知ってなお、光太朗は立ち向かおうとしている。
テーブルに叩きつけるように置かれた硬質の音で月斗の意識は引き戻された。
光太朗は律儀にもコーヒー分の硬貨をテーブルの上へ残したのだ。
当然、カップの中身は一滴も口につけていない。
「・・・俺には、仲間がいる。ひとりじゃない」
光太朗の口から、そんな言葉が自然に突いて出た。
その言葉を最後に、光太朗は鈴の音に送られ、店を後にした。
耳が痛いね。
月斗は思う。
自分を含む5人は、目的を同じにするも、そこに何の繋がりはないからだ。ただ、世界を覆すために集った、お互いの背景も知らない仲だ。
月斗に向けて言葉を残した光太朗の背中が、眩しく見えた。
『月光』に近づく影が見える。
それは青い鎧を纏った影。
他の連中は他人事だが、奴に不穏なものを感じている。
ひいては、それは自分たちの計画の停滞を意味する。
真意を正すよりも、力で従わせ、最悪ヴェノムクラスタを奪うことも辞さない。
青い鎧。
ブルーサーペントの足がゆっくりとそこへ狙いを定め、歩みを進めた。
その姿を見て、光太朗は思わず足の動きを止めた。
「・・・ブルーサーペント・・・!」
青い鎧も、光太朗もその姿を認め、構える。青い鎧が面白そうに首元を回した。
「・・・No.3に用があったんだがな。おもしれえ相手に巡り会えたもんだ。一挙両得ってところか?」
『月光』を出て間もなく。うらびれた路地に現れたのは、ブルーサーペント。
ブラックパイソンとは同じ組織に属する仲間なのだから、月斗の居場所を知っていても不思議ではないだろう。
「逃げるなよ。後で相手をしてやるよ」
ブルーサーペントの合わせた手のひらから、青い水流が生まれる。
・・・まさか。
まるで水の刀のような形を成したそれを。
「やめろっ!」
光太朗の張り上げた声に気づき、水の刃を振りかざす動きを停止させる。
光太朗には、狙いを定められた店には何ら思い入れはない。
だが、そこに身を寄せる人間にとって、ここは深い思い出の残る場所であるはずで。
そこを破壊しようとするブルーサーペントの動きを見逃すわけにはいかない。
ヴァイオレットバイパーを纏った光太朗が、ブルーサーペントの腕を抑える。
そのせいで、生み出した水の刃は空中で霧散。
見えない鋭い目が、光太朗へと投げつけられる。
「・・・何のマネだ?」
静かな言葉を持って、光太朗の行動の意味を問う。
強く腕をひねり、光太朗の拘束をいとも容易く引き剥がす。次いで放たれたパンチが、両者の装甲のかち合うのと同時に、残った飛沫が宙に舞う。
「気でも狂ったのか?ブラックパイソンはテメエの敵で、あの店がブッ潰れようとテメエには関係のない話のはずだ」
『月光』を狙ったブルーサーペントの攻撃を止める義理はない。
だが、そこに込めた月斗の想いは、少なくとも本当だと信じたい。
月斗が光太朗の敵であるということ以前に、光太朗は思い出の破壊を何より嫌う。
それは、人の命を奪うことと同じくらいに罪深く、愚かしい行為だと思っているからだ。
外での騒ぎに気づいたか、現れた月斗が険しい目で、青い鎧を睨む。
「・・・ここは、死者が眠る場所も近い、厳かな場所だよ。君は行動を改めたらどうだい?」
咎めるように、月斗はブルーサーペントの愚行を責める。
「・・・だったらテメエも墓に入るか?」
言いながら、ブルーサーペントが光太朗へと視線を送り、月斗へと戻しながら、
「ふたりで仲良く密会か。それでいて、あのガキをこちらに引き入れてはいないようだ。コレはいよいよ言い訳が立たねえぞ?」
ウロボロスの目的は、光太朗を組織に引き入れること。いや、光太朗の身体の中のヴェノムクラスタ、と言った方が正しいかも知れない。
当然、光太朗はそれを拒否。自分を狙うウロボロスと対立する選択を選んだ。
だが、内心光太朗は焦る。
ブルーサーペントと月斗の両方が一辺に襲いかかられたら、光太朗には押し返せる自信はない。少なくとも、一体一でも、どちらにも土をつけられているからだ。
近づいてくる月斗。警戒を込めた構えで、光太朗は気を張ることを途切れさせない。
すぐ側を通り過ぎる際。
月斗の目が光太朗に滑り。
「・・・ありがとう。この店を守ってくれたんだね」
そう言って、今度はブルーサーペントへと厳しい視線を向ける。
「・・・僕は」
静かに、月斗はまっすぐと前へ視線を向けたまま口を開き
「ウロボロスを抜けるよ」
その言葉に驚いたのは光太朗だ。
「彼に、自分のしていることが改めさせられたよ」
ウロボロスの作戦。鷹村の願い。
それは、人間が人間であることを否定させられる。それは許しがたいことなのを改めて知った。いや、教えられた。
怒りと絶望に心が絡め取られ。思い出や未来もふいにするところだった。
光太朗という少年が放つ熱を、信じてみたくなった、というのが本音だろうか。
「・・・以外だね。怒り狂うかと思っていたけど」
月斗の言葉にも、ブルーサーペントは身じろぎひとつ起こさない。彼の荒ぶる性格上、飛沫を撒き散らさんばかりの勢いで糾弾すると思っていたのだが。
「・・・呆れてモノも言えねえだけだ。それに、これで心置きなくテメエをブチ殺せると思っているだけだ」
スケイルアーマー同士の小競り合いはウロボロスではご法度。だが、裏切ったのならば話は別だ。
裏切った奴に手心を加える必要はない。決別した相手を惨殺するのに躊躇いはない。
「じゃあ、僕はそれを拒否しよう。・・・まだ、死ぬわけにはいかないからね」
月斗は、右手で自分の左腕に触れ。
「スケイルアップ」
静かに言葉を漏らし、
「・・・変身」
始まりの言葉を唱える。
黒い粒子が月斗の身体を覆い始め。
硬質の鎧が、服の上から滲み出て。
ブラックパイソンの姿となりて、光太朗の眼の前に顕現した。
ドオゥンっ!!
ぶつかり合う拳と拳が衝撃波を生み、周囲の木の葉を揺らす。
弾ける水の粒子が、打ち合うたびに宙に撒き散らされる。
「『完全体』だからって、調子に乗るなよ。だったら闘い方はいくらでもある!」
余裕にも思えるブルーサーペントの言葉。
ブラックパイソンの攻撃はどれも重く、早い。その全てが鉄の塊すら打ち砕きそうな威力を誇る。
ブラックパイソンの動きが一瞬目で追えない程加速し。
黒い稲光を伴う拳撃が叩き込まれる。それすらも、ブルーサーペントは追いつき、防ぐ。
「ブラックパイソンは、速度をウリにした電撃戦を得意としている!そのお株を奪う反応だろ!?」
楽しそうに、ブルーサーペントは嗤う。
光太朗のメットの反応が追いつかない。掻き消えるように移動するブラックパイソンの攻撃。
あの時、月斗が本気になって立ちふさがっていたら、光太朗は今、この場にいただろうか。
それくらいの神速の瞬き。
何より、それに追いつくブルーサーペント。
「何ならふたりがかりでも構わねえぜ」
強がりでもなんでも無く。吐く言葉には余裕がある。首だけを光太朗の方へと向け、その狂気じみた笑い声を増幅させる。
弾ける水飛沫を伴う掌底が、月斗へと叩き込まれる。
「・・・なるほど」
得心したように月斗は言う。
「周囲に撒き散らした水滴に伝わった動きに反応するレーダー、と言ったところか」
ブラックパイソンほどの速度の出せないブルーサーペントが追いつける理由。
「あの水を操るガキもいねえ。心おきなくやりあえるぜ・・・!」
無数の粒子状に散りばめられた水滴がブラックパイソンの動きを感知し、常にその位置、攻撃方法を逐一伝達する。言わば、弾ける水滴が舞うこの空間全てが、相手の動きを感知するレーダーが張り巡らされたフィールドとなる。
滴る水が唸りを上げ、円盤状の鋸が高速で回転した。
「運ぶのは面倒なんで、刻んで行くぞ・・・!?」
高ぶる宣言と共に、水車鋸が激しく震えた。




