ACT62・始まりの胎動
七色町全体を襲った不可思議な怪異は住民に不安をもたらした。それ以前にも、時折住人を襲う昏睡事件がそれを増幅させた出来事だ。
似た事例が立て続けに起き、しまいには街全体がゴーストタウンになったかのような状態に陥った。
だが、その状況を知る者は少ない。むしろ、皆無と言っていいだろう。なぜなら、その時は皆が眠りについていたからだ。
だが、七色以外の街。町外からその噂を聞きつけ、興味本位で七色に足を踏み入れた者は、一様に意識を失う。
ウイルスや病原菌。様々な理由が考えられたが、その原因を突き止めた人間はいなかった。
が、夏のとある日を堺に、昏睡事件は鳴りを潜め、街には平和が戻った。
いつしか住人が不安に怯えることはなくなった。
薄暗い部屋に、巨大なスクリーンが見える。画像、動画が同時に映し出され、様々なデータの羅列が目まぐるしく泳いでいる。
淡く光を放つスクリーンの明かりに、眼鏡が反射する。
白衣を着込んだ、その顔に皺が刻まれた、老獪な男だ。老人と言っていい。
白髪が満足そうに画面に踊るデータに、口元を歪めながらその目は流れるデータを追っている。
その部屋には、老人以外の影がいた。
全員が男子。
年齢、容姿はバラバラだが、その全てがまだ若者と括っていい。
「七色に起きた怪異は、もうこれよりは起こらないだろう」
老人が、画面の文字を見つつ、言葉を零す。
「これもアンタのお得意の『予知』か?」
若者の誰かが、口を開く。
老人は首を左右に振り、
「・・・偶然の産物だ。我々の力の介入しない、意図しない部分が大きいがな」
満足そうに老人は頷く。
「じゃあ、これからはこちらも動くことになるのか?」
別の男の声。
「忌まわしき封印がまだ解けない。ロックは厳重でな。だが、解除は時間の問題だ」
ち、と誰かが舌打ちした。
「・・・いいか。我々の目的は、あくまで世界の平和であって、力による支配ではない」
それでは戦争屋やテロリストと同じだ。
老人が、血気盛んに貧乏ゆすりをしている男に向かっていう。ようやく訪れたチャンスに、身体が反応し、抑えきれない思いが見える。
「まだ、ゆっくりだ。時間はないが、焦ることはない」
「こちらには引き寄せるんだよな」
「最終的にはそのつもりだ」
別の男の疑問に、白衣は答える。
「No.6がいなければ、計画は完全とは言えない」
「だったらさっさと攫ってでもこっちに寄越せよ」
「言ったろう。だだその時期ではない。ロックプログラムの解除中だ」
「・・・爺さんの同期だったか。厄介なことをしてくれたな」
その言葉に、老人は何も言わない。
「お前はもう接触したんだったよな」
男の声が、別の影に話しかける。
「・・・顔合わせ程度なら。当然、向こうはこちらのことを知らない。夢にも思っていないだろう」
若い、男の声が答える。
「プロテクトが掛かっていないのは今のところお前だけだろ?」
「何ならヴェノムクラスタとリングをそのまま奪っちまえばいい。そいつは『生焼け』なんだろ?だったら必要なのはリングと素材だけだ」
「そのままこっちに付き従うとは思えない。だったらお前の言う通り、腹を掻っ捌いてもブツを取り出しても構わないんじゃないのか」
様々な意見が飛び交う。
それに議論に終止符を打つかのように口を開いたのは老人だ。
「今のところ適合者もいない。スケイルアーマーも馴染んでいる頃だろう。No.6は『彼』のままでいく」
一瞬目を伏せ。
「どちらにしても、接触は必要になるだろう」
老人の声の先が、若者に向く。
「その時に説得できればそれでいい。それで従わなければ」
「力付くも辞さない、と」
冷静な面持ちで若者は答える。
「恐らく『彼』にとっても人類にとっても、最後の夏になるだろう。世界の変革の前の最後の一時を味わっている間に、こちらは準備を進める」
老人のスクリーンを見る目に宿る決意は、固い。
夏の日差しの中。
喧騒が青空にひしめく。
ここは大型複合施設。
水着姿の男女が、楽しそうな声をと共に水と戯れている。
ここは、様々な趣向を凝らしたプールが集結する。
光太朗、百合花。そして一織と夜宵は残り少なくなった夏休みを謳歌するべく、主に女子3人の提案で催された。
マギアスの海で感じた潮風の代わりに、今は人の熱気が肌に差す。
それを掻き消すほどに清廉な冷たさが、心を冷たく洗い流してくれるようだ。
・・・だったが。
「ちょ、ぶは。手を離したら、許さないわよ!」
この光景に光太朗はデジャブを感じる。
光太朗の手を痛いくらいに握っているのは夜宵だ。
初心者、お子様用の浅いプールでいいのに、夜宵は最大限の強がりを持って底に足の届かない中級者用の浴槽に挑戦する。・・・光太朗の手を伴って。
「・・・確か夜宵ちゃん、ドルフィンセイザーだったよな」
イルカの名を冠する戦士が、泳げない、か。
その指摘に夜宵は身体を浸す水でも引かない程顔を赤くさせ、
「う、うるさいわね!ちゃんと、しっかり握ってなさい!」
2本の足をバタバタと動かし前に進もうとするも、流動する水の中で前に進む気配がない。
「だ、だめぇっ!」
ついに耐えきれず、夜宵はその小さな身体を光太朗へと押し付け。
「・・・だから子供用プールにすればいいって言ったんだ」
「それじゃ、学校の授業に間に合わないでしょ・・・」
学校の水泳の授業で、無様な姿を晒す自体は避けたいという。その気概や良し。
だが人には得手不得手がある。まずは己の身にあった場所で練習すrのが良いと思うのだ。
おまけにドルフィンセイザーという、宙を泳ぐように駆ける能力を有して起きながら、実際の水の中では泳げないときたものだ。
夜宵の顔が青いのは、水が冷たいからではないだろう。
「いやっ!手を離すなあっ!」
惜しげもなく押し付けられる身体は、白と黒の髪を有する少女とは比べるものでもなくて。
夜宵という少女は大人びて、不遜が見えるものの。ちゃんと自分の弱点を理解し、それを克服しようとする強さを持つ。
だから、光太朗もその特訓に律儀に付き合おうと思ったのだ。
その様子をプールサイドから見守るふたり。
掛かっているシロップが別の色をしているかき氷を、百合花と一織が並んで共にしている。
ニアは、自分が猫であることにかまけついには泳ぐことを諦めたが、夜宵はまだまだ理想の自分を追い求めるため、練習を続けている。
「頑張るなぁ、夜宵ちゃん」
親友の生み出す飛沫を眺めながら、一織。
「・・・・・」
そんな一織を、百合花が優しい笑みで眺める。
「今日集まろうって言ってくれたの、一織ちゃんだよね」
プールで遊ぼうといい出したのは一織である。表向きは残り少ない夏休みを謳歌するため。
「・・・お兄ちゃんにはお世話になりっぱなしだったし、ここのところ元気がなかったみたいだから」
いつの間にか、一織は光太朗への呼び方が『さん』から『ちゃん』に変わり。
同じ世界の平和を守る戦士同士だからというわけでなく。ひとりの男性として心を許すように思えてきた頃。
先日の戦いで、ダスターに対して歯が立たなかったことを悔いているのも知っている。
子供の考えながら、プールで遊べばそんなモヤモヤも吹き飛ぶのではないかと短絡的な考えだ。
光太朗に楽しんでもらおうと考えていたのに、夜宵が泳ぎのコーチとして独占してしまったり、思うようにはいかなかったが。
今も、必死の形相で水の深さから逃れようとする飛び出す夜宵の身体を光太朗が受け止めている。
これも夜宵ならではの元気づける方法・・・、と思うのは考えすぎだろうか。
『・・・少し聞いていいだろうか』
一織でも百合花でも、ましてや光太朗でも夜宵でもない声が聞こえる。
一織の右腕には、小学生には似つかわしくない光を放つ腕輪が。声は、その腕輪から聞こえてくる。
その正体は、粒子状に変化させた身体を腕輪状に再構築、変形させたカオススターだ。
事実上、ダスターの脅威は去ったが、星神の結界が再生するまで、カオススターは地球に留まることを決めた。
また、アビススターのような異分子が出現しないとも限らない。その時に速やかに一織の力となれるように。
ちなみにウサポとイカロスも帯同している。いつもは星型ぬいぐるみのふりをして人間の視線から逃れているが、今はさしずめ、今は星型の浮き輪かビーチボールか。
何より、カオススターは地球の文化、とりわけ人間の生態に興味を示した。
その中に置いて、不特定多数の老若男女が野外にひしめき合い、あまつさえ普段の衣服よりも無防備な面積で闊歩するこの状況に不可解な唸り声を上げたのだ。
それでいて、風呂とは異なり、温かくもなければただ冷たいだけの水の中に身を鎮める。泳ぐ、という半ば遊戯にも似た行動があるのは知っているが、あまつさえ浮遊する輪に乗り、水の流れに身を委ねたり、上空からレールに流れる水と共に猛スピードで滑落するという、理解の範疇を超えた光景がそこかしこに覗える。
「・・・理屈なんて無えのさ。そこに真夏の日差しがある、プールがある。人が集まる理由はそれだけだ」
ビーチボールに徹しているイカロスが、眩い夏の光に目を細めながら、深い声で答える。
勿論、一織も百合花もそれに対する明確な回答がある訳では無い。
夏だから。涼しいから、楽しいから。
そんな漠然とした理由でしか、答えることしかできないだろう。
その答えはかつての自分ならば簡単に否定していたところではあるが。
『・・・なるほど』
人間の全てをするには、まだまだ理解と時間が必要なようだった。
一織の小さな身体は、1日中遊んだことによりガス欠を起こしているようで。
光太朗がそれを背中に背負い、家路に向かう途中だ。百合花、夜宵を伴って今は一織の家へと背中のお届け物を運んでいる。
背中ののしかかる重さは、恐ろしいくらいに小さく。その小さな肩に宇宙の命運がのしかかっていたなんて、とてもじゃないが信じられない。
「ふふ」
茜色に染まりつつある空の下を歩く姿を見て、ふと百合花が堪える声を漏らした。
「ごめん。微笑ましい兄妹のように見てちゃって」
小さな子供を背負うその姿を見て、百合花にはそんなふたり組に思えたのだろう。
「言いえて妙ね」
夜宵も、それに同意。
「事実、一織ちゃんは少なくとも、光太朗さんのことをそういう風に思っていることは確かね」
嬉々として光太朗のことを話す一織の姿は、自慢の兄を紹介する姿に見えて。
無論、そこにそれ以外の感情が混じっていることを、本人は気づいていないだろう。
『ひとついいか』
一織を起こさぬよう、小声で、今は元の姿である真球に戻っている。
『兄妹の定義とは、同じ親から生まれた子供のことを示しているのだろう?光太朗と一織はその定義から外れる』
血縁関係がないのに兄妹に見えるという。少なくともカオススターはそういうふうには思えない。
「・・・血縁関係が無くても、それと同等の関係が互いの間に生まれることもある」
小さく、それでいて力強い言葉で光太朗は言う。それは、自分の体験が導いた言葉。普段は、気恥ずかしくて、そんなことは言わない。
一織が自分をそんなふうに思ってくれるのを、嬉しく思わないわけがないのだ。特に、親族に恵まれなかった光太朗には。
勿論、一織だけでなく。
百合花も、蛇ノ目も。夜宵もアフロディーテも。
生に執着していなかった刹那的な考えを瓦解させてくれた存在だ。
『・・・なるほど』
その光太朗の言葉に、カオススターは、得心したように球体を頷かせるのだった。
夜宵の小さな指先が玄関先のチャイムを押し。
暫くの後に扉が開かれ。
その女性は自分の娘を取り囲む奇妙な状況に目を丸くさせていることだろう。少なくとも半分は知らない顔だろうから。
「お届け物でーす」
夜宵は当然友達なのだから、顔見知りだろう。
百合花の母親と対峙した時にも感じたが、子供というのは親の要素を受け継いでいるのだと感じた。
百合花の母親は娘の面影を残し、目の前の一織の母親もまた、背中に背負った少女の面影を宿す。
果たして、自分の母親の姿はどうだったのか。そんなことを思う。
「あらあら。一杯遊んできたのね」
背中に背負った小さな体を、玄関先にお邪魔して、下ろす。
「重かったでしょう」
娘の寝顔をと共に、軽く頭を撫でた母親が、光太朗へ視線を送る。
「・・・いえ」
むしろ軽いくらいだ。
そんな母親の目が、真っ直ぐと光太朗を見据える。
「貴方がもしかして光太朗くん?」
本来なら、高校生である光太朗と小学生である一織が繋がることなどないだろう。訝しげな目を向けるのも分かる。夜宵が一緒にいなければ、不審者の目を向けられていてもおかしくはない。
「娘がいつもお世話になってます」
だが、、一織の母親が放ったのはそんなことばだった。
むしろ、こっちが世話になりっぱなしだ。先の闘いなて最たるものだ。一織がいなければ、世界がどうなっていたかもわからない。当然、一織の母はそれを知らないだろうが。
「とっても頼りになる、かっこいいお兄ちゃんだって」
その言葉に夜宵は唇を歪める。
「・・・本人が起きていたら、発狂しそうなセリフね」
当の本人は健やかな寝顔で母親の元で寝息を立てている。
そんな一織の寝顔を後にして、光太朗たちは出雲家をお暇したのだった。




