ACT56・翳る星の威光
漆黒の海にたゆたう。
奇妙な輝きは周囲の星の光を投影している。
何かの結晶かのように恐ろしいほどの正確無比な造詣は、ある種奇妙だ。
「・・・宵闇の眷属は、地上への進攻をやめたようだな」
男とも女とも取れる、平坦、中庸の機械的な声。抑揚のない言葉の羅列の中に、何かの感情はない。
「所詮、我らの領域に辿り付けなかった存在だ。人を捨てきれない故に」
かつて、同じ目的のために手を組んだ。だが、それはあまりにも自分たちよりも遥かに劣る存在で。現にそれが結果として現れている。
手駒として使えそうではあったが、シェイドとかいう存在と我が尖兵ダスターの噛み合わせは良くないようだったので、さしたる問題ではないだろう。
同じ、人間の根幹から生み出るエネルギーを欲する存在として、競合する相手が手を引いたことは、ある意味好機だ。
この潤沢たる、豊穣の地が全て自分たちの畑になったようなものだからだ。
星戦士の存在はさほど重要ではない。
カオススターを沈めた、宇宙を救った戦士だろうと、その実は僅かしか生きていない人間の娘だ。
それに手を貸す紫鉄の戦士と、宵闇の眷属の天敵の反応が見られないのが妙だが、これも自分たちにとって良い方向に転がっている。
自分に言わせれば、紫鉄の戦士だろうと、普通の人間だろうと、さほど変わらぬ時しか生きていない。何故、こんな存在にかつての長が破れたのか理解が出来ない。
そう。理解が出来ないのだ。
カオススターは、理解しようとした。
それ故、心を揺さぶられ、自壊した。
解る必要などない。
人間はいつだって。
我らの有閑を満たす存在でしかないからだ。
マギアスでの空気も慣れてきた頃。自分にこんな気持ちがあったことに光太朗は気付く。
自分の家が懐かしく感じるほどに家を空けたことが今までにないからだ。
豊かな自然は、光太朗の心に大きな安らぎを与えた。・・・多少、安らぎとは程遠い事件に巻き込まれはしたが。
それがかえって自分の家の大切さを知る。
ひとまず先に光太朗が地上へ出ることになった。お見送りに来てくれた百合花たちは、まだマギアスに残るようだ。どうやらニアに残るよう言われたらしい。それを抜きにしても、最近はゴタゴタで、友人同士として積もる話も出来なかっただろうし。
「今度は冬休みにでも会おうよ」
そんなことを言ったのは雛だ。
夏は夏の景色が、冬は冬の色が見えるのは地上と同じらしい。
「・・・今度は全力で手合わせしたいものだ」
鋳薔薇はそう言うが、光太朗は勘弁して欲しい。手合わせで丸焦げになるのは避けたい。
「迷わずにひとりで帰れるかなぁ?」
まるで子供に諭すように、雛が言う。迷うも何も、地上へは扉を通るだけで良いはずだろう。
「・・・ごめんね、神野くん」
対して百合花の表情は優れない。
マギアスでの休暇を誘ったのは百合花本人で。彼女もこのような事態が起こるとは想定していなかったからだ。
「・・・いや。なんだかんだで楽しかった」
アイリスという友達もできた。今回の旅は、危険以上のものが手に入った気がする。
ニアが地上へと繋がる力を扉に掛ける。
「今度は、海ではないところで泳ぎを教えてくれ」
光太朗は別に水泳の先生ではないのだが。
今生の別れではない。
百合花以外とは住む場所は違うが、それこそ別の長期の休みにでも示し合わせれば、またこの明るくもやかましい輪が生む中に再会できるのではないか。その時が楽しみでもある。
光太朗はノブに手を添え、回す。光の漏れる扉の中に足を踏み入れれば、もうそこは元の世界だ。
背中に感じる無数の視線を受けながら、光太朗は扉をくぐった。
最初に奇妙に感じたのは、時が止まったかのような静寂だ。時計の音すらしない、水を打ったような感覚。
長期で家を空けたことがないからこそ思う感情なのだと最初は思った。生まれた家がもたらす恋しさ、錯覚なのかもしれない。
だが、それが確実におかしいことであると気づく。
時計の針が止まっているのは、決して電池が切れているからではないだろう。
薄暗い部屋の中漏れる光は、外から照らす月明かりだろうか。
光太朗は廊下を抜け、玄関へ。帰ってきて、初めて外への扉を開ける。
そこは。
空に輝くは太陽だ。
だが、周囲を覆うのは、水に絵の具と垂らしたように斑に穢れた空だった。
少なくとも、まともな光景ではない。どんな気象現象にも当てはまらない。
それどころか、人の気配がないのだ。
神野家の向かい、隣。
人がいる気配が感じられない。向かいも隣も光太朗同様旅行中で留守だ、というおめでたい理由には思えなかった。
嫌な予感を感じつつ、光太朗はポケットに手を入れ、スマートフォンを取り出し、操作。
数コールを挟んで聞こえてきた声は望んだ相手ではなかった。
『休暇はいかがでしたか、光太朗様』
「・・・アフロディーテか?」
電話の向こうから聞こえて来たのは、機械の面影を残す声だった。
その相手に、光太朗は一抹の不安が胸を掠める。
「・・・博士はどうした?」
光太朗が掛けたのは、蛇ノ目へのアドレスだ。
『その様子では、この世界に起きた異変をお察しのようですね。・・・博士のことも含め、一度研究所にいらしてくださいませんか』
胸に去来する、言い表せない不安。
『一織様と、夜宵様もこちらに御座います』
まるで、淀んだ水の中にいるようだった。
薄紫の影が漂う空気は、まさに掃除が行き届いていない池の水の中のようで。
光太朗は、この感覚を知っている。まるで、アンチホープがもたらした淀んだ闇の中。
だが、彼らは地上かどころかマギアスからも手を引き、グランティールとの友好を結ぼうとしているはずだ。それとも、それに反対する勢力か。
だが、そんな雰囲気がするのみで、アンチホープそのものの気配はない。
研究所に向かう道すがら。
やはり人に会うこともなく、ただ周囲の異質さを奇妙に感じつつ、歩く。見慣れた街も、翳る光がこうも違うだけで見える景色が違うのが不思議だ。ただ単に夜の闇の中を歩くだけではない。
不安がもたらす、それこそ異世界に迷い込んだ日のような感覚をもたらす。
やがて、懐かしい全景が視界に入る。
蛇ノ目の研究所だ。
玄関を通り、中に入る。その扉を開ける音に反応したのか、廊下の奥からドタドタと駆け出す音が聞こえる。
小学生コンビである一織と夜宵だ。
その顔は、地上に帰ってきた光太朗を迎え入れるような嬉しさではなく、困惑を浮かべたものだった。
「やっと帰ってきた!」
開口一番叱責を飛ばしたのは夜宵だ。
蛇ノ目を筆頭に、光太朗が百合花と共に異世界に赴くというのは伝えてあったはずだ。まさか土産をねだる、なんてことはないよな。
覗える剣幕からして、当然そんな雰囲気ではない。
後ろの一織も同様。いつもの明るさは鳴りを潜め。そして、どこか申し訳無さそうな表情。
「・・・一体、何があったんだ」
この場にいない蛇ノ目も含めて。
世界が色を無くした原因も気になる。
そんな疑問を抱く光太朗に、一織と夜宵は家の奥へと促した。
ふすまを開けると、そこには布団が敷かれていて、ひとりの老人が眠ったように目を伏せている。
それは、見知った顔。蛇ノ目だ。
「・・・ご安心を。意識を失っているだけです」
最悪の事態が頭を掠める光太朗の背後から、アフロディーテが現れる。
「博士に限らず、七色町に住む人間は、全てが意識を失い倒れ伏せてる」
次いで夜宵。
「・・・一体、何が起きたっていうんだ」
その疑問に応えるのも夜宵だ。
「・・・ダスターが地上への進攻を開始したのよ」
忌々しそうに、夜宵は言葉を紡いだ。
「ダスターは、この街に巨大な結界を張り、その中にいる人間のスタープリズムを吸い取る作戦を開始したのよ」
完全な生命体であるダスター。完璧ゆえの彼らにとって、人間が放つエネルギーに触れることは、無限にも等しい時間の中で唯一の楽しみである。
芳醇で甘美な味。それは、遥か長い宇宙創生の中でもあり得なかった味。
それを欲することは、ある種ダスターの本能でもあるらしく。
それ故、ダスターと星戦士の戦いは続いていたわけだが。
普通の人間にダスターの精神攻撃が耐えられる理由もなく。
「奴らは人間を抵抗できない程度に弱らせ、恒久的に人間からスタープリズムをい搾取する手段にでたのよ」
それは、一織たちがかつて戦っていた頃からダスターが提唱していた地球牧場化計画の一旦なのだという。
ダスターにとって人間。とりわけ地球を滅ぼすつもりはない。そこに住まう人間が滅びてしまえば、吸い取れるスタープリズムが無くなってしまうからだ。
生かさず殺さず。人間の生命に干渉するギリギリのところで。
「・・・でも、このままでいいわけじゃない。普通の人間も当然。博士だけじゃなく、高齢の人も被害にあってる」
ダスターにとって子供だろうが老人だろうが、彼らの目から見れば、その全てが瞬きの間の中に生きる者には代わりはない。それに、生かさず殺さずとは言うが、そこまで保証する義理もない。その間に人間の誰かが命を落とそうと、それは知ったことではないだろう。
「・・・ウサポとイカロスは?」
星型の喋るぬいぐるみを探して視線を彷徨わせるも、その姿は見えない。
「ふたりには外で偵察してもらってるわ」
「あの」
今度は一織が疑問の声を上げる。
「百合花さんはこのことを」
百合花も光太朗と同じく地上に戻って来ていると思っているのだろう。
「白崎たちは、まだ向こうに残ってるんだ」
その言葉を聞き、一織は沈んだ表情になる。百合花たちの能力を戦力として当てにしていたのだろう。
「戻って来るのを悠長に待っているわけにはいかなくなったわね」
ニアもいないとなると、こちらから連絡する手段もないからだ。
「情けないけど、手を貸してほしいです」
当然だ。
光太朗としても、このままでいい訳がない。
そこで、光太朗に新たな疑問が生まれる。
曲がり無きにも、そのボスを下したこともある。この危機的状況は、その能力が機能していないことになる。
度々現れるダスターの残党。
例えばアンチホープは一族を統べる長を失いながら、活動を続ける理由は、最盛を取り戻すためだった。
ダスターは?
カオススターとやらを蘇らせるため?
「・・・スタープリズムに、生命を覆す力はない」
イカロスは、目を伏せ、言う。
それは、超常的な力を有しながらも、水晶花同様、共通の真理を超える力が無いことを示している。
「・・・彼らの長、カオススターに勝てた理由は、自分たちが僅かしか生きていない小さく、自分たちが人間よりも優れているという慢心を打ち砕かれたから」
カオススターを失った彼らは人間に対する考えを改め、軽視、そして搾取するだけの存在とする認識も改め。
地球圏から手を引いた。
だが、『そうではない』連中は絶えることはなかった。今、地球を襲っているダスターはその残党。
甘美な味が忘れられない、人間からにじみ出る甘露を搾り取るためだけが存在意義。
「奴らに誰かを悼み、敵を取るなどという考えを持つ者はいないだろう」
長の復権。復讐の線はない、と。
一難去って、また一難か。
そんな折り、遠くから物音が聞こえたかと思えば、
「一織ちゃん!」
星型の浮遊体が弧を描きながら部屋の飛び込んできた。
偵察と言っていたから、その帰りなのだろう。ウサポは見聞きしたことを報告しようとした瞬間、そのつぶらな瞳が光太朗を捉える。
「ああっ!」
その懐かしい顔に表情を歪ませ。
「うわああああぁーん!」
涙を迸らせながら、ウサポが光太朗の顔に張り付いてきた。
柔らかな感覚が光太朗の眼前を覆い尽くし、それと同時に供給される酸素の不足を息苦さをもたらす。
「むぐぐ!」
ウサポの背中に手を這わせ、引っペがそうともがくも、柔らかな体表が伸びるだけで、顔から剥がれる気配はない。
「うおい。死にそうだぞ、兄ちゃん」
その背後から次いで聞こえる渋い声。その声でようやく件のぬいぐるみが顔から剥離した。空気がこれほど上手いと感じたことはない。
ウサポと寸分違わぬフォルムの星型。ただ、その表面に乗る目鼻は凛々しい。
ウサポと同質の星の巫女であるイカロス。
「帰ってきたか。休暇はどうだい?」
本当に休暇の様子を聞いているわけではあるまい。
「博士が!博士がぁ〜!」
そんなイカロスとは対照的に、ウサポは涙を堰き止めることをしない。
光太朗はそんなウサポをなだめるように手で頭を撫でながら、懐かしい顔が揃うその場に素直に安堵の息を吐くことが出来ないでいたのだった。




