ACT48・脱出
「・・・意外とすんなり潜入できたねぇ」
通路の物陰に身を潜めつつ、雛は小声で呟いた。
「デュミルアス無き今、この城に残存するアンチホープの戦力は数えるほどのはずだ」
その言葉に、ニアは雛の肩越しに言う。
この広大な城をくまなく警護することは、今のアンチホープの規模からしたら難しいだろうからだ。
「光太朗の水晶花の反応は我が探る。雛は我の指示で進んでくれ」
「おけ」
城内に漂う、生温い不快な肌触りを感じながら、ニアを肩に乗せた雛は深い廊下の向こうへ向かって歩き始めたのだった。
キョロキョロと所在なさ気に、アイリスは不審な動きで周囲を見渡しつつ、とある部屋の前に立つ。
そこは、この城でも地位のある爵位を持つ者の部屋。あの地上人のリングとやらはここにあると踏んでいた。
ドアノブにそっと指を這わせ、回す。
古びたドアは、音もなく中の暗がりをアイリスの視界に落とす。
執務室のようなそこは無人だ。
本棚、ベッド、テーブルがある。
部屋の主は留守のため、明かりは灯っていない。
薄暗い中、アイリスはテーブルの上に何かを見つけた。
輪っか状の何か。
この世界に置いて、それは異質な物に見える。十中八九、これが彼の探していたものであろう。
アイリスは、もう一度周囲を見渡し、テーブルの上のリングを手に取る。
この世界に身を置いていたら、感じたことのない重さと感触。
それを手にした瞬間、アイリスは決意のような感情と共に、部屋を後にした。
外は、白い月の輝きのお陰で、白夜のような世界が広がっている。
にも関わらず、その部屋は一切の光を通さず、ロウソクの明かりで灯されている。
「計画は難航しているようだ」
「あの人間から奪った水晶花から抽出した黒晶核」
「質そのものは素晴らしい」
「だが、姫そのものには影響を与えなかった」
黒晶核を用いた計画。それは、この黒の花園の未来を担う悲願。その計画がいきなり頓挫しかけていた。
「計画は続けるか?」
「軌道修正する必要がある」
静かな言葉が飛び交う中、ひとり黙りこくる者もいる。
「どうした」
「・・・ネズミが入り込んでいるようだ」
「我らを撃つためか。グランティールの攻勢か」
「・・・いや。ひとりのようだ。あの人間を引き上げるためだろう」
「みすみす逃がすのか」
「・・・姫への影響が皆無だと判明した今、ここに置いておく必要はない」
「グランティールをのさばらせておく気か?」
「今は機ではないというだけだ。こちらから手を出さない限り、奴らもこちらに手を出さないだろう。現に今回のマギアスへの花の騎士の帰還は、そのためではないようだからな」
外套の奥の目が、怪しく揺れる。それと同時に、息を吹きかけたようにロウソクの灯火が波を打った。
薄闇の奥から誰かの気配が現れる。
それが抑揚のない表情を称えたアイリスだと光太朗が気付いたのは次の瞬間で。
アイリスは、光太朗の姿を認めると小走りに駆け寄ってきた。その手には、何も持っている用に見えない。
光太朗の内心を落胆が覆う。目当てのものは奪取出来なかったと見える。
と、思っていた瞬間。
アイリスは何を思ったか、衣服の胸元をわずかに開け、その中に手を突っ込む。その手の先に掴んでいたのは、見慣れていたリングだ。
そして、それをまるでお使いを全うした子供のように、満足そうな表情で格子を隙間を通して、光太朗に向かって差し出した。
「・・・お前。そんなところに仕舞っておくなよ」
光太朗の手のひらの上に戻ってきたリングは、妙な生温かさが残っている。アイリスは、それの何がいけないの?といった表情で、自分の手の中から離れたリングの行き先を見つめている。
光太朗は戻ってきたリングを眺める。外見的には何かを仕掛けられている様子は見られない。もっとも、科学とは無縁そうなこの世界の住人に技術的な意味で介入できるとは思えないが。
光太朗は返ってきたリングを右腕に付け直す。・・・妙な温かさが右手首から伝う。
「ありがとう。助かった」
盤面に触れた感触からしても、故障しているというわけでもない。変身できる感覚も勿論残っている。
アイリスは約束を守ってくれた。今度は光太朗がそれに応える番だ。
この城を出て外の世界を見たい。
それが叶わない原因は、彼女がこの場所に囲われているからか。
黒の外套たちの言葉遣いから察するに、アイリスはここでも身分の高い存在と推測できる。かつてデュミルアスがアンチホープの女王だった、という体制からそれもあるのだと読み取れる。
少なくとも、光太朗がここから脱出し、彼女を外に連れ出せばこっちの約束は果たされる。
「・・・君のことはなんて呼んだらいい?」
自分ではアイリスと名乗り、外套からはアルミルと呼ばれていた。それが名前と苗字の関係かと感じていたが、そんな様子でもないようだ。
「・・・アルミルは、彼らから付けられた名前」
少しの逡巡の後、アイリスは口を開く。
「アイリスは、お母さんが付けてくれた名前」
何かを懐かしむように、アイリスは表情を翳らせた。この世界の住人は、光太朗やマギアスの様相とは異なるものの、そこには誰かの存在があり、その上で生命が紡がれるのを知った。
「・・・じゃあ、アイリスって呼ばせてもらうよ」
その言葉に、アイリスは何処か満足そうだ。
リングが手元に戻った今、ここに長居は無用だ。
光太朗は盤面を回転させ。
「スケイルアップ!変身!」
光太朗の体内から湧き出す感覚。溢れ出る力が全身を覆い、それが穂質の鎧と化す。
闇夜に映える、紫色の輝きを宿した鎧。
「・・・よし。変身も問題なくできる」
相変わらず蛇ノ目との通信は断絶されているが、メット内に表示されているデータにも異常はない。
アイリスは、目の前で姿を変えた光太朗に驚きの表情を向けている。スケイルアーマーは、異世界の住人でも驚く技術であるらしい。何だか光太朗は少し誇らしい。
「・・・変身前に叫んでいたの、何?」
が、アイリスは、ヴァイオレットバイパーの荘厳さに驚嘆しているわけでは無かったようで。前に、百合花にも似たようなことを言われていたのを思い出す。
メットの中で、少し気恥ずかしそうになりながらも、光太朗はアイリスの問いに応えることは出来なかった。
光太朗が両手を添えると、金属質の格子は面白いように簡単にその姿を曲げる。人ひとり分は余裕で変形させられた。その間を通って、光太朗は久方ぶりの牢屋の外へと足を踏み出した。
格子を破ったことによる脱獄の反応もなし。何者かがここにくる気配もない。それが返って不気味だったが。
「・・・よし。じゃあいくか」
リングが思ったよりも簡単に返ってきたことに警戒を途切れさせることなく、光太朗は出入り口があるであろう方向へと足を踏み出した。
アイリスに聞いたところによると、ここはアンチホープの居城であり、この牢獄はその地下にある施設。地上に出るためには、ここから上へ向かわなければならない。
アイリスの先導がなくとも、そこは一本道の廊下で。光太朗が収められていた格子で阻まれる小部屋がいくつも連なり。だが、そのどれもがもぬけの殻。囚われていたのは光太朗だけのようだった。
やがて、上へ続くであろう階段が現れる。アイリスを後続に、光太朗は気を前方に傾けつつも、緩やかな螺旋を描く石段に足を乗せる。
硬質の靴底が鳴らす音が、周囲に自分の居場所を教えているようで居心地は悪かった。
牢獄に陰気さを感じていたのは、そこが地下だからというわけではなかった。
階段を登った先も、窓から光が入ることなく。だが、視界が闇に覆われている訳では無い。不思議な感覚だ。
そこはエントランスホールのような場所。天井は底抜けに高い。ここが中世の世界なら、鎧姿の騎士が闊歩していてもおかしくはない。それこそ、グランティールにも通じる雰囲気すらある。
改めて周囲を見渡すと、自分たちの背丈よりも遥かに高い扉がある。部屋のようなドアとは異なり、その金属の門扉は、文字通りい外界とここを隔てる強固な高い壁に思える。
光太朗がその扉に触れてみると、鎧越しでもずしりと重い感触。開こうとしてみても、それはヴァイパーのパワーを持ってしても動かすことは出来ない。恐らく、技術的以外の理由で開けることができないのだろう。
だが、力で開かないのなら、無理やり蹴破るまでだ。
光太朗が、右足に力を込めようとした瞬間。
メット内に反応。頭上に何者かの影。その反応に気付いた瞬間、何かの気配が地面に降り立った。
「あー!ヴァイパーだあっ!」
その姿を見て、光太朗は一瞬で百合花かの友人だと認識した。姿こそ変化しているが、見た目は花の騎士のそれだったからだ。
「よく無事でいた」
その少女の背後から顔を覗かせたのは、猫状態のニアだった。
「なんだぁ。助けに来るまでも無かったじゃん」
雛は面白くも無さそうな態度で頭の後ろに両手を組んで、唇を尖らせる。
「囚われの姫を助けに向かう騎士・・・。メチャ熱いシチュだと思ってたのに」
「お前ら、どうやってここへ?来たのはふたりだけか?」
言いながら、光太朗は周囲に目を巡らせる。その様子に、雛は面白そうな表情で顔を歪める。
「何ィ?ゆりかっちの姿でも探してんの?」
が、光太朗の反応が思ったものでもなに気付いたのか、雛は再び面白くも無さそうに首を傾げた。
「・・・光太朗。彼女は誰だ?」
その声に、雛もニアの目に続く。
「ああ。彼女は」
光太朗は変身を解除しつつ、後ろにいるアイリスに向かって首を振る。
「離れろ、光太朗」
紹介する前に思ってもいない言葉を受け思わず前に向き直ると、ニアは人型の姿に変化し、険しい表情を向けていた。
「この黒の花園に置いて人の姿を保ったま動けるのは、花の聖飾の保護のある花の騎士か、それを防ぐ手立てを持つ神官か」
それ以外は、この世界に住まう人間でも外套で光を保護している。そうでなければ生きていけない。
「敵!?」
ニアの様子を受け、雛は花香剣に鋭いオーラを纏わせながら、構える。
「ち、ちょっと待て!アイリスは俺を助けてくれたんだ!」
リングのことを含めて、光太朗は今までの経緯をふたりに話した。
「・・・尚更疑問だな。この娘が光の下を歩ける理由にはならない」
ニアは警戒を収めない目で、アイリスへと注意を収めない。
そして、驚くべきことを口にした。
「我が懸念しているのは、その娘がデュミルアスと同じ匂いを発しているからだ」
「ウソ、でしょ?」
その言葉に戦慄の表情を浮かべたのは雛だ。
ニアは勿論、雛、そしてここにはいない百合花や鋳薔薇はデュミルアスとの決戦を経験していた。
そして、目の前の少女がその面影を残すとニアは言うのだ。
「そ、それはここがデュミルアスの根城だったってだけだろ?だったらその匂いとやらがつくのは当然じゃないのか」
ニアがどれだけ鼻が効くのかは知らないが、短い時間の中でもアイリスが警戒を抱かせるような存在には思えない。
デュミルアスがマギアス、そしてグランティールにどれだけの脅威をもたらしたかは光太朗には推し量れないが、少なくともアイリスがそんな危険な存在には思えないのだ。それは希望的観測に過ぎないのだろうか。この世界に関しては、光太朗より断然ニアのほうが造詣が深いだろうから。
ニアの、咎めるような目が光太朗に向けられる。
「少し一緒にいるだけで情が湧いたか?彼女の発言が本当かどうかはともかく、マギアスを闇に覆ったデュミルアスの意思を受け継ぐ存在だ」
ニアから感じられるのは、純然たる敵意。冗談や軽口ではない、力強い棘を感じる。
「・・・わたしたちが花の騎士になるよりも前から、ニアはアンチホープと戦っていたから。そうなっちゃうのはしょうがないよ」
デュミルアスの進攻から守ってきた神官であるニア。デュミルアスと関連しているアイリスに敵意を向けるのは仕方のないこと、なのかもしれない。
「・・・なら聞こう。アンチホープの残党は、何を企んでいる?最近活動が見られる用になったのはなぜだ?」
「・・・わたしは何も知らされていない。この城から出ることが出来ないから、外でないが起きているのかもわからない」
その言葉に、ニアは眉間の鋭さを増す。
「それで済むと思っているのか!お前らは我々の街を滅ぼしかけたのだぞ!」
怒気を孕ませるニアの表情。それは、光太朗が過ちを犯した百合花を傷つけた時を同様で。それがニアの怒りの度合いを如実に現している。
その強い言葉を欠けられるアイリスの表情は変わらず。だが、どこか寂しそうに見えたのは光太朗の気のせいだろうか。
そして、アイリスが「ごめんなさい」と小さく呟いたのを、光太朗の耳に聞こえていた。




