ACT47・アイリス
薄暗い闇の中から姿を現したのは、ひとりの少女だ。
年は光太朗と同等か、少し下。だが、ここにいる人間がまともであるはずはないだろう。彼女も光太朗と同じく何処かから攫われたのならば話は別だが。
だが、その少女の纏う雰囲気が異質だと物語っている。
髪の毛は、肩口で機械に正確に切り揃えられたように水平を描いており、闇の中でも瞬く水晶のように光沢を放っている。
格子の向こうの光太朗へと、何処か色のない目を向けている。それは興味と無関心の中庸。光太朗ではなく、その上の空気に目を向けていると言われても納得してしまいそうだ。
「・・・あなたは」
目の前の少女が、口を開いた。
静寂に反響する、澄んだ声。
「なぜ、その姿のままここにいられるの?」
光太朗は、少女の言っている意味が分からず、眉をひそめる。
「ここに住まう命は皆、黒衣で僅かな光すらも遮断して生きなければならない。それが宿命」
少女の言う通り、少なくとも光太朗がこの世界で出会った者は皆、一様にその身体に何かマントのようなローブを羽織っている。光太朗から黒晶核を奪った外套も。それは、己の正体を明かさないための意味があると思っていた。例えば、戒律のようなルールのためか。
少女の言葉は、それがこの世界に住む者のルールならば、ローブを身に纏っていない光太朗を奇妙に思うのも当然だろう。
だとしたら。
それは少女も同じなのではないのか。その身体に、ローブは身に纏っていない。素顔を晒している方が異質なおだと錯覚する。
「・・・君は、誰なんだ」
光太朗の警戒を滲ませる問いに対して、少女は感情を揺らがすことなく視線を真っ直ぐと正面に据え。
「アイリス」
少女は、名前らしき単語を口にした。
少なくとも、光太朗はその名に覚えもないし、聞いた名前でもない。
名前を名乗ったアイリスという名の少女は、何故かじっと光太朗の目を捉えて離さない。
「・・・なんだよ」
まるで、アイリスの目から物理的に糸が伸び、光太朗を貫くように視線が伸びたままだ。
「私は名乗った。あなたは誰?」
異常な世界で、至極真っ当なことを言われ、光太朗は鼻白む。だが、ここで素直に名乗って良いものか。いや、光太朗の存在はこの世界に周知なのだろう。だからこそ、この少女もここに来たのではないのか。
「・・・光太朗、だ」
名前も返しても、アイリスの表情は変わらず。だが、代わりに興味深そうな意識の高まりは感じられた。
「私の他に黒の花園で黒衣を身に纏わずに動ける人間を初めてみる」
アイリスは、地面に尻を付ける光太朗と目線を会わせるように自らもしゃがみ込み、膝を抱えながらその興味深そうな穢れ無き目を真っ直ぐと向ける。
「・・・あなたは一体何者なの?なんで、ここにいるの?」
「よく言うぜ。あんたのお仲間がご丁寧に俺をここに引きずり込んだんだろうが」
嫌味っぽく言ったつもりの光太朗の言葉にも、アイリスは何を言っているのかわからない。そんな表情だ。
そんな表情が、気を付けていなければわからないほど、わずかに翳る。
「・・・きっと、わたしのせい」
そう零したアイリスの言葉は、光太朗に届く前に冷たい空気に溶け、消えた。
そんな時。
格子の奥に、さらなる気配が生まれた。
黒衣を纏った影。それは、外見だけでは中身は誰かはわからない。さっきの中にいたのか、また別の奴か。身体を覆うローブは顔だけでなく、体付きの輪郭すら惑わす。
「ここにおられましたか、アルミル様」
黒衣の言葉に、アイリスは光太朗に向けた物と同じ目で、背後を見る。
・・・アルミル?
今、この黒衣はアイリスのことをアルミルと言った?
言い間違いか。
だが、アルミルと呼ばれた時、彼女はその顔に悲しさ、そして苦しさすら宿る表情を浮かべた気がした。
「・・・アイリス?」
光太朗は、出会ってすぐの彼女を心配する義理も言われもないが、思わず声を掛けてしまっていた。
黒衣がそれに反応する。
「貴方はアルミル様です。その名は過去に置いていくよう言ったはずです」
それは、何処か咎めるような。
「地上の、ましてやマギアスの住人でもない人間に、その名を教えたのですか」
言いながら、黒衣はアルミルを立ち上がるよう促す。
「この地以外の人間に興味を示すのは仕方がありませんが、過度の干渉は控えますように。貴方は次期黒の花園の女王になるお方なのですから」
黒衣は表情なく俯くアイリスを伴い、その場から去っていった。最後、何かを言いたげに、アイリスの視線のみを光太朗に残して。
「ねえ」
アイリスは黒衣に問いかける。
「なぜ、彼と接触してはいけないの?」
抱いた疑問。
「彼は、我とは対局に位置する種族。我々から光を奪った一族の末裔でもあるからに他なりません」
それは、アイリスがこの世に生を受けてから、何度も聞かされていたことだ。
この世界は光と闇に別れていて、人間は光の差す世界に残り、『宵闇の眷属』である自分たちは、光の閉ざされた『黒の花園』に根ざした。
漆黒の世界に留まらず、世界を広げようとしたデュミルアス。それを光の世界の使者に阻まれ、願いと共に潰えた。
「じゃあ、何でわたしはあなた達と違って黒衣がいらないの?」
黒の花園は完全な漆黒の世界ではない。マギアスと地続きであるため、多少なりとも光の影響を受ける。
深く奥に進むほどの深層階では無いこの地に座すこの表層には、多少の光が差す。それゆえ、黒衣は手放せない。でなければ、闇に生きる彼らは身体に過度なダメージを伴う。だが、アルミルには黒衣が必要ではない。
「・・・それは、あなた様がご病気だからです。宵闇の眷属でありながら、闇を必要としない、光の影響を受けない我々と異なる体質をお持ちだからです」
それは皆と異なる、逸脱した性質。この世界に住まう生命は、必ず宿す性質。だから、この世界でも動けるアイリスは同様の体質を持つであろう『彼』に興味を示した。
「先ほども申し上げたように、彼と接触するのは控えますよう・・・。それはきっと貴方様に良い影響を与えません。何より、彼はデュミルアス様を討ち滅ぼした敵の仲間です」
『彼』は、黒の花園の救世の主軸である長を打ち倒した存在の仲間。許すことのできない、憎むべき相手のはずだ。
アイリスは奇妙に思う。
それにしては、彼らにはこの世界を統べる女王を倒された憎しみを感じられないし、『彼』に対する怒りも感じない。
アイリスは、自分に向けられた彼に対する注意事項を何処か遠くに聞きながら、迷宮の奥へと向かって歩みを進めるのであった。
光太朗は地面に身体を投げ出しつつ、天井を見上げる。視線の先にどこまでも先に続く暗闇。それは、自分に降り掛かった境遇のように先が見えないでいた。
光太朗は、乱れた息を天に吐く。
再び黒衣が現れ、黒い蔦で自由を奪った後光太朗の胸元に指を這わせる。
光太朗が生み出した、輝きを宿す結晶を満足そうに眺め、それを奪う。
奴らの目的は、光太朗そのものではなく、光太朗が生む黒晶核なのだろう。
光太朗の全身を襲う甘美な倦怠感。
殴られたり、暴力を振るわれたりするよりもたちの悪い。だが、いつまでもこの状況に甘んじているつもりはない。なんとか脱出する方法を考えないと。
だが、リングを奪われている今、何も出来ないのも事実だ。
「っ!?」
光太朗は身体を強張らせ、壁に背中を押し付けるように飛び退いた。まるで瞬間移動したかのように、気配を生み出したからだ。
格子の向こうにアイリスがいた。
「・・・何だ?」
光太朗は、乱れた着衣を直しながら、来訪者に視線を向けずに言う。
「城の外の世界って、どんなの?」
ボソリ、とアイリスが呟いた。それがただ空に向かって吐いたものならば気に留めることもない。それが気の所為でもないのなら、自分に問いかけられているのか。
「・・・外の世界、って」
そこに住んでいる本人を目の前にしていうのも憚られるが、ここは陰気以外の何者でもないのは確かで。
「知ってるだろ、そんなの」
「わたし、この城を出たことないし、出ることも許されてない」
箱入り娘だからといって、外の景色を見たことないことがあるだろうか。
「黒の花園とマギアスってどう違うの?」
どう。って。
まず纏う空気そのものが違う。そもそも、まだ日の浅い光太朗には預かり知らないことであり、説明のしようがない。
・・・・・・。
光太朗は閃いた。
「俺はここから脱出したい。あんたは外の世界を見てみたい」
これはチャンスだ。利害は一致しているはずだ。この少女を利用して、ここから出る。
そのためには。
「・・・あんたの仲間が、俺のリングを持っているはずだ。それをなんとか取り返したい」
右手首を左手を掴むジェスチャー。リングさえ戻れば、ここから出るのは容易い。外に出るための交換条件としてはあまりにも対等ではない。だが、ここでくすぶって、ただひたすらに黒晶核を生み出すだけの存在でいるつもりはない。脱出する際にそれが叶うなら、それで済ませる。
「リング・・・」
アイリスが、その手首に視線を送りながら、呟く。そして、得心したように頷いた。
「わかった」
そう、抑揚もなく言葉を続け、アイリスは格子の向こうの深い闇へとゆっくりとした足取りで向かっていった。
信じるには交わした言葉も関係性も薄すぎる。だが、今は何にでもすがっていたい気分だ。今は、その闇の向こうに消えた少女に期待するしかない。
光太朗は少しでも体力を温存するため、壁に背を預け虚空へと預けるのであった。
グランティール城。
深部。
そこは、一部王族にしか足を踏み入れることが叶わない、神聖なる階層。
ロウソクの明かりではない。
不思議な光の灯る光源が、薄暗いフロアを照らしている。
そこは、例えるなら墓地のような寂しさを称え、聖地のような荘厳さも兼ね備えている。
フロアの中心に設えた、円状に連なる何か剣の柄のような棒状のものが突き立っているのが見える。
それは等間隔に。時計の円盤のように。時間を差し示すかの如くその柄が突き立っている。
台座は12個。だが、その連なりに僅かな欠けが見られる。
エリフォリアはその柄の葬列を、悲しみを称えた目で憂うように佇んでいる。
グランティール城の最下層に位置する宝物殿。
そこはグランティール創建時、過去の王族からの贈り物。
12の『花香剣』の連なりは、さしずめ花で彩られた時計の盤面のよう。
その中で、3本の柄が欠けている。その『花香剣』の持ち主は今、3人の少女に委ねられている。
『花香剣』は、その時代に生きる花の騎士の証明として顕現し、目覚めさせる。その人数はその時々で異なる。
今は、『白』『赤』『黃』のみ。
「・・・かつてのグランティールの王たちよ」
エリフォリアの問いかけは、誰もいない空気に虚しく消える。
「なぜ、我々にマギアスを守らせてもらえないのですか?」
代々、『花香剣』の資格者、すなわち『花の騎士』の存在はこの世界の人間には生まれない。必ず異世界との関わりを余儀なくされる。
マギアスに危機が訪れた時、その闇を払うためにグランティールはその資格者を探すために、神官を地上に上げてきた。
だが、何故だ?
何故『花の騎士』は地上の人間でなければならない?
自分の世界の人間で守らせてくれない?
地上との繋がりが明らかになったから、闇を求める者は地上に現れるのではないのか?
最初からマギアスで『花の騎士』の存在が生まれれば、地上にまで干渉を及ばすことはないのでは。
この12本の『花香剣』を残した誰かは、最初から『そう』するためなのか。
それは、過去からの伝承が『花香剣』しか残っていない今では確かめる術はない。
ただひとつ分かっていることは、『花香剣』を操る『花の騎士』は、闇を断罪し、光をもたらす戦士であるということだけだ。




