ACT46・黒の牢獄
そこは、光満ちる世界とは逆に。
重い、身体に纏わり、押し付けられるような感覚で光太朗は目を覚ました。
まるで全速力長距離走を踏破した時のような疲労感が残る身体の中、なんとか動くぼやけた視界を巡らせる。
例えるなら。
四方を薄汚れた壁で囲まれた小部屋。深い、水の底が見えない淀みのような色。
自分は囚われているのだと悟る。四方の内、一辺が細い格子が連なり、隔たっているからだ。
太陽の光の一切入らないその小部屋は、ただひたすらに深く、陰気だ。
光太朗は格子の側まで近づき、手で恐る恐る格子に触れてみる。格子が電流等が流れている様子はなく、ただ無機質さを残すのみ。
その時気付いたが、光太朗の右腕にあるはずのものがなくなっている。
リングがないのだ。
変身して脱獄しようとする考えは早々に頓挫する。
格子の向こうも薄暗い闇で覆われ、通路があるが、それがどこから続いてどこに向かっているのか。どれくらいの長さかわからない。そもそもここはどこで、地上なのか地下なのかも定かではない。
格子は頑丈で、少し揺さぶってみても遊びがなく、微動だにしない。生身である光太朗には、押し曲げることすらできないだろう。
格子から離れ、落胆にも似た気持ちと共に尻を床に落とす。不思議とこれだけ陰気でも、触れる床には冷たさはない。それは自分の体温が奪われているのか錯覚するほどだ。
見上げる天井は、天地が逆さまになっているかのような深い海の色を宿しているようで、底なしに空が伸びている・それがすでに、見えない格子で塞いでいるようで。格子を伝って登っていっても、飛び越えられる保証はない。
(脱出は懸命ではない、か)
リングのない状態では、それはままならないし、体力の徒労に終わりそうだ。
記憶が途切れる寸前。覚えている限りを記憶の中から引き出すと、どうやら自分は何者かに捉えられ、ここに押し込められた。
身体を纏わりつく黒い蔦は、全身から力を奪い、抵抗する気力を奪った。気付いたら、すでにここだった。
静寂の中、これからの身の振り方を考えようとした瞬間。格子の向こうから、床を打ち鳴らす足音のようなものが聞こえてくる。
警戒を滲ませた表情で光太朗の意識と視線を巡らせる。
深い闇の奥から姿を現したのは、数名の外套を身に纏った影。
それは、光太朗も見たことがある。百合花がアンチホープと言っていた存在。奇妙にも、その全員が外套により表情は伺い知れない。
その中に置いて、リーダー格であろうオーラを纏った先頭が一歩前へ歩み寄り、格子越しに見えない目で光太朗を見下げる。
「気分はいかがかな、地上よりの客人よ」
「・・・無理やり連れてきてよく言うぜ」
光太朗の嫌味にも、外套たちは見えない表情で崩さない。
「君の右腕の機械は外せさせて貰った。あの力で暴れられたら困るのでな」
当然だが、光太朗がヴァイオレットバイパーであることも承知か。
「君をここへ招待したのは、我々の悲願のためだ」
わずかに見える外套の口元が、笑みを形作る。
「我が国に置いてなお、穢れることのない水晶花の輝き。・・・思った通りだ」
満足そうに、外套は光太朗の顔から外套越しの視線から喜びを噛み殺す。
「我らが干渉し人間の心の輝きは、やがて黒の輝きを纏って生まれ変わる」
黒晶核と呼ばれる、水晶花と相反する性質を持つ物質。それは光太朗の心の中を反射し、シャドウバイパーという異形を生み出した。
奪われた黒晶核は全て砕き、それに伴い全てのシャドウバイパーも喪失させた。
「我らは君の力が欲しい。この負の世界に置いても希望を折られることもなく、普通に呼吸を可能とし、人としての形を保ち、変わらぬ輝きを放つ君をね」
彼らは『それ』を目的に光太朗をここへと攫ったのだろう。彼らにとって都合の良い、力を生み出す光太朗の水晶花を求めて。
「普通の人間の数倍、いや、数十倍の輝き。それは花の騎士にも匹敵する」
外套が更に一歩踏み出す。すると光太朗と外套たちを隔てた格子は人ひとり分の範囲が消失。外套はその中をさも当然といった様子で踏み出し、光太朗の眼前まで顔を押し迫る。不思議なのは、それでもなおそのフードの奥の顔が伺い知れないことだ。
「我らに協力しろ。悪いようにはしない」
「・・・こんなところに強引に押しやられて、大人しくイエスと頷くと思うか?」
光太朗の言葉に、外套は押し黙る。そして、首の動きだけで背後に促し。
別の外套が、何か文言を紡ぐ。
それはまるでお経のような、呪文のような。
「・・・っ!?」
光太朗は身体が強張る。だが、その抵抗はすぐさま固定される。なぜなら、地面から生えてきた黒い蔦が光太朗の四肢の自由を奪ったからだ。
外套の、しわがれた指先が光太朗の肩口から始まり、身体に這わせ。
光太朗の歪む視界。
身体の奥から、何かが渦巻き、吸い出される感覚。
目の前で信じられないことが起きた。
光太朗の胸元から、何かが押し上げられる。外套の細い指が光太朗の襟元をなぞり、引き裂く。
光太朗の肌。そこに、黒い光の蠢く結晶体が、まるで身体の中から染み出し、湧き出るように。
自分の身体からまろび出る異物に、光太朗は慄く。
「ほら、直接触れればこうして君の逞しい心の光はたちまち色を変える」
黒晶核。
それは、色を変えた水晶花の別の形。アンチホープの生きる糧であり、手駒を増やすための手段でもある。それは、まるで身体に宿る腫瘍のように。
拳一回りほど大き良い、鈍い輝きを宿す黒い結晶。
外套がそれに触れ、実る果実をもぎ取るように手繰る。
「くっ・・・?」
実際にそれは光太朗の身体に張り付く感覚をもたらし、力を込めると枝を折るように外れる感覚。
「はあ、はあ」
息の荒い、弛緩した光太朗にも目もくれず、外套の手の中に黒い結晶が乗る。
「やはり、素晴らしい。これだけの力を生み出しておきながら、意識を失うこともない」
高揚感。気だるさ。倦怠感。様々な感覚が光太朗の身体を微睡ませる。
四肢の戒めを解かれた光太朗は、息も絶え絶えに背中を壁に預ける。額には薄っすらと汗を滲ませつつ。たったあれだけのことなのに、身体の中から生命力を絞り取られたような感覚。
その引き出された黒晶核が、どれほどの規模の力を宿すのかはわからない。少なくとも、アンチホープは黒晶核を引き出し、その源泉である光太朗を自分の元へと囲った。
光太朗から生まれた黒晶核を手に、外套たちは牢獄から姿を消した。
牢獄に静寂が戻る。
その所為か。皮肉にも程よい疲労が光太朗の身体を襲った。
リングが無ければ、自分は一般人の域を出ない。それをいやというほどの無力さを思い知った。
「ゆりかっち、任せて!きっと光太朗くんは連れて帰るから!」
息巻く雛とは反対に、百合花の表情はすぐれない。
神野光太朗の救出作戦。
赴くのはゲートを開ける能力を持つニアと、雛による少数で行われる。グランティールは本来の兵士と、百合花と鋳薔薇で固める。
「んだば、行きますか!」
雛の言葉に、前もって結んでいたこちらの世界と向こうを繋ぐ転送の門。
地面に描かれた円状の魔法陣が、旅立つ者を待つように淡い輝きを灯している。
「雛、変身しておけ。向こうは生身では生きていけないぞ」
例え花の騎士の適応者であろうと、花の聖飾の保護なしには『黒の花園』の中ではまともに動くこともままならない。
「おっけー」
雛は花香剣を右手に召喚し、
「カラフル・コネクト・ルミナース!」
その言葉と共に、雛の全身が黄金色に輝き。夏の青空に咲く大輪の花のような、輪っかが飛び出す。
雛は両腕を天に向ける。伸びた手先から、空に射出された輪っかが通ると、身に纏った衣服が流れるように変化してゆく。
ふわりと広がったスカートから、地面に伸びた足を覆う、闇を照らす朝日のような黄色。
元から輝く明るい髪の毛は、更に明るさを宿し、強い生命力を感じさせる。
「・・・よし。準備かんりょー」
満足そうに、雛は変貌した自分の姿を顧みる。
「・・・良し。では行こうか」
その様子を見届けたニアが、淡く輝くサークルに足を踏み入れる。そして、それに雛も続く。
「後のことは頼んだぞっ!ゆりかっち、いばらっち!」
努めて明るく、雛はこちらも任せろと言わんばかりに腕を曲げ。
グランティールの防衛のため残る百合花と鋳薔薇。雛は光太朗を救うため。
地面に描かれた円から淡い光が溢れ出し。ニアと雛を前進を覆い尽くし。
やがて、周囲は光が溢れる。
次の瞬間、ニアと雛の姿は、その場から消えていた。
そこは、視界を覆い尽くすような闇で覆われて居ながら、数メートル先も見渡せる、不思議な空間だった。
重い、視覚化した闇がそこかしこに広がり、容赦なく方向感覚を奪う。花の聖飾の保護がなければ、たちまち精神を食い破られ、意識を発狂させていただろう。それぐらい漂う闇は深く、粘性の重さを持って雛の身体に纏わりつく。
「・・・陰気すぎぃ。こんなん楽しくないっしょ」
その光景を見た時、雛はいつも明るい顔に陰りを落とした。
光景そのものはマギアスのような自然が溢れる。だが、手を触れるのにも憚られる黒い影が侵食している。
「これがアンチホープにとって住みよい世界なん?」
自分ならこんな陰気で光のない世界、生きてはいけない。つくづく雛は思う。
『花弁の翼』で飛行している今ですら、浴びる風が不快だ。風が具現化し、生暖かい水分が断続して顔に触れるような。
「でもいいの?こんなに大手を振って飛んでいても」
背中に猫状態のニアを乗せながら、雛は言う。
「奴らが我々のマギアス転移を感知出来たように、奴らは我々の黒の花園侵入を気付いているだろう。今更気をつけることもあるまい」
大丈夫なの、という表情で見る雛と対象的に、ニアは編然としている。
向かう先は、城のようにそびえる山脈。それこそ城のように形作る岩肌が建造物のように盛り上がり、それが悪魔の居住のように不敵な怪しさを称えている。
「君の能力なら、最低限の戦闘で潜入できるだろう」
ニアの言葉を頭上で聞きながら、雛は感慨深く思っていた。
「・・・ニア、変わったよね」
「何だ、急に」
突然言われ、ニアは面食らう。
「私達と初めて出会った頃、もう少し尖った感じだと思ってたけど」
率先して光太朗の救出へと参加する当たり、雛の知るニアの姿は遠い記憶のように思える。
当時はデュミルアスの今日がグランティールを襲い、それを守護する神官であるニアは心を砕いていたから。余裕も無かったのだろう。
その言葉にニアは珍しくバツが悪そうに視線を逸らし。
「光太朗のベッドの中は、貴様らとは違って温かい。それだけだ」
その言い訳じみた言葉に、雛は思わず笑みを零したのだった。
どれくらい時間が経っただろうか。
光太朗の胸から黒晶核を収穫されてから人の気配は感じられず。
ただひたすらに光太朗は牢獄の中で時間を過ごしていた。
冷たくも寒くもなく。かといって快適ではない。人の心を徐々に蝕むような不安感。
人の存在がこれほど恋しいことはない。
今まで孤独を気取ってきたくせに。
これが、この世界に漂う黒いモヤのようなもののせいなのか。
時計も当然ない。その概念すらないように思える。
ただ、ひたすらに自分の心臓が鼓動を刻み続ける音が聞こえるだけ。
だが、その異体のリズムが崩れているのに気がついた。その原因は、格子の向こう。
薄闇の帳の向こうから、心臓の鼓動とは別の音が聞こえてくる。
それが靴音だと気付いた時、光太朗は身構える。
また、黒晶核の収穫でもしに来たのか。
意識を格子の隙間の奥に向けつつ、光太朗は喉を鳴らす。
やがて。
闇から滲み出るように、影が現れる。
その姿に、光太朗は目を見開いた。
そこにいたのは、外套を身に纏わない、表情に色を宿さない、少女の姿だった。




