ACT40・夏影
「ねえねえ神野くん!」
登校するなり、光太朗がカバンを机の側面に掛けるよりも早く、駆け寄る影に気がつく。
光太朗の隣の隣の席の小清水だ。
「昨日学校休んでたけど、どうしたの?」
小清水の言う通り、光太朗は昨日学校を休んだ。担任には家庭の事情と伝えていたはずだが。
「ちょっ」
それを百合花が諌めるように言うが、元来何にでも興味を示す、好奇心の塊のような小清水には聞こえていないらしく、一転の曇もない目で聞いてくる。
「・・・昨日は母親の命日でな。そっちの出向いてた」
その返答に、小清水はあからさまに表情を凍りつかせ、
「・・・あ。そ、そうなんだ。ご、ごめんね。変なこと聞いちゃって」
気まずそうに、小清水はその顔に珍しく明るさ以外の物で満たす。光太朗に近しいクラスメイトは、その家族構成と家庭環境を知っているだろう。
「いいんだ。小清水は俺のことを心配してくれていたんだろ?ありがとう」
「へえっ!?え?いや。まあ」
なぜか小清水は奇妙なポーズで顔を赤くさせ。上気させた顔のまま自分の席に戻って行った。
そんな友人の様子を見ながら、百合花が小声で光太朗へと喋り掛ける。
「・・・変わったよね、神野くん」
まだまだ短い付き合いだが、百合花の知る限り、光太朗という少年は周囲から自分を消すが如く、他人との関係を拒絶していたように思える。
今の小清水とのやり取りも、その印象を大きく覆すほどで、百合花も驚きを隠せなかったのだ。
「・・・みんなのおかげだ」
蛇ノ目との出会いから始まり、百合花、一織、夜宵。勿論アフロディーテやウサポ。イカロス。ラネットやロディマス。様々な仲間の存在が、光太朗の心に変革をもたらした。
現に、百合花が見る光太朗の胸の奥に宿る水晶花の輝きは、様々な色が交じる輝きに変化していた。それは勇敢だけで覆われた、かつての形ではなく。太陽に向かって生きようと雄々しく育つ生花のように。その変化が、百合花にとっては嬉しく思う。
窓の外で風が揺れる。どこか懐かしさを孕んだ風。
夏がすぐ側まで来ていた。
光太朗の父と母がこの世を去ったのは、奇しくも同じ時期だった。
母親はこちらの生まれではなく。埋葬してある墓は電車を用い、県境を隔てた場所にある。
学校を休み、光太朗は母の生まれ故郷へ涼香と伴って赴いた。すなわちそこは、涼香の故郷でもある。
墓石の前で涼香と連れ添って手を合わせる。
もはや、母親の顔は写真で確かめるしか記憶がおぼろげなのが恐ろしく思っていた。
こうやってすでに現世には存在しない母親の前で手を会わせることでしか、母の存在を確認できない。それが怖かった。
母を失った時は、無下に散らされる暴力に怒りが湧いていたのに。それに反比例するように、親の影が自分の記憶の中から薄れていく。
それが、何より悔しかった。
母の故郷から帰ると、今度は父親の番だ。
父の墓は地元である七色に埋葬してある。
連なる墓地にチラホラと見える、同じような人影は、光太朗と同じ目的の家族だろうか。
花を備え、線香に火を灯し。
少なくとも、両親が居ないこの世界に絶望することはなくなった。それもみんな、今までに出会った人間の影響だろう。
もう少し、この世界で生きていこうと思う。同じ目に遭う人間を助けるため。
そう、墓前に誓った。
空から頬に当たる冷たい感触。それが雨音を奏でるには時間は掛からなかった。
墓地からの帰る途中。
天気予報の見立ては見事に外れ、それを防ぐ用意をしていなかった光太朗は雨の中で足を進める気はなく、側の大木の陰に身を置き途方に暮れる。
枝葉の隙間から滴る雫に困っていると、お誂え向きに視線の先に軒先を見つけ、何とかそこへと小走りで飛び込む。
身体に纏った水滴を手で払いながら、断続的に弾ける水音を眺める。
変身すれば瞬く間に帰れるだろうが、後ろは窓に覆われた喫茶店らしい。人の気配はないが、こんなところで変身するのは得策ではないだろう。
急いでいるわけでもないので、雨足が止むまでここで凌がせてもらおう。
何秒。何分か。体感は何時間にも感じられる。
急いではないが、流石に肌寒い。雨が止む気配もないので、光太朗は覚悟を決めようとしたその時。
隣で扉の開く音がした。
そこから顔を覗かせたのは、ひとりのエプロンを身に着けた男性。
見た目から察するに、恐らくここの関係者。または店員なのだろう。年は光太朗よりも上だろうか。
涼やかな表情を称えた、爽やかな印象を残す男性だ。
「そこ。寒いでしょ。中に入りなよ」
そう言って、男性は目で店内を促す。
夏の影が目の前に見え隠れするとは言っても、雨は容赦なく体温を身体から突き放していく。それは改造人間だろうと変わらないらしい。
何かに導かれるように、光太朗は男性に促され、店の中へと足を踏み入れたのだった。
店内は、挽きたてのコーヒーの香りが燻り、心地よい気持ちで満たす。
促された店内、入り口付近の座席を越しを落ち着けさせてもらう。
大きい窓越しでも、外を襲う雨の勢いは変わらない。
「何か飲むかい?」
カウンターに戻った店員が、優しい眼差しで問いかける。
「い、いえ」
缶コーヒーでも出し渋るのに、ただ雨宿りをしたいだけで、何か注文する気は申し訳ないけど、節約している身分では考えに無い。
場所を店内に移しても、雨は止む気配はない。
急いでいるつもりはないが、いつまでも長居するわけにもいかず、いよいよ雨ざらしになる覚悟を決めようとした、その時。
光太朗のテーブルの上に、湯気の香るカップに入った液体が差し出される。
エプロンの男性が、トレイ片手にコーヒーカップを差し出したのだ。
「あ、いや。俺は」
喫茶店のなのに、光太朗は飲み物を注文などしていない。
「コーヒー、淹れ損じちゃってね。飲んでくれるとありがたいんだけど。勿論、お代は要らないよ」
当然、それは方便だろう。
心地よい香りがカップの中から漂う。それだけで、雨で冷えた身体が温もりを取り戻すかのようだ。
ありがたく、ぬるくなる前に光太朗はそれをすする。
程良い苦みが、洗練された流動体となって腹の中に落ちていく。身体の中から冷え始めた身体を温めてくれるようだった。
「ここは街からも離れてるし、君みたいな学生が寄り付くところじゃない。誰かに想いを馳せていたのかな」
「・・・父の墓参りで」
そう短く応えると、店員さんは「そうか」とだけ優しく答え、男性はそれきり何も聞くことは無かった。
コーヒーカップの中身が空になる頃には、外は待望の晴れ間が覗き始めていた。
光太朗は、店員に礼を言う。
エプロン姿の男は柔和な笑みを向け、光太朗を見送ったのだった。
外は、店に入るまでの薄ら寒さではなく、どこか温かなもので広がっていたのであった。
夜。
床に就こうとベッドの布団をめくり上げた時、光太朗はその動きを止めた。
「・・・遅かったな。待ち詫びたぞ」
ベッドの上には、四肢を折り畳んで座する半黒半白の猫が、温もりを奪われたことに抗議するように同色の尻尾を揺らす。
「・・・ニア」
ベッドの上に鎮座するニアを、光太朗は驚きを含めた目で見る。
「お前に大切な言伝を預かってきた」
「言伝、って。・・・白崎か?」
光太朗の問いに、ニアは首をゆっくりと横に振る。
「いいや。我々の長からだ」
そう言って、ニアは静かに口元を揺らせて見せた。
「マギアスへ?」
ニアから発せられた言葉は、光太朗の想像の上を行くもので。
「ああ」
そんな困惑にも、ニアはあくまでも冷静だ。
「・・・なんで俺なんだよ。俺に一体なんの用なんだ」
百合花ならともかく、その誰かさんが自分を呼ぶ意味が分からない。
「あの方の考えは、常にマギアスの平和のためにある。あの方が貴様を呼んだのなら、それは意味がある言葉だ」
困ったように光太朗は頭を掻く。
「・・・こっちの世界はどうするんだ」
自惚れているわけじゃないけど、ヴァイオレットバイパーで世の中の怪異から人間を守るのが光太朗の使命だ。それをほっぽって別の世界に行くなんて。
ウィルラントの時は、明確な理由があった。もっとも、その時の光太朗は情けなくも気を失っている間に自体は収束してしまったが。
「あの子供たちに、後のことを頼んだ。どのみち現段階では彼女らにしか気体の集合体に対抗する手段はない」
ダスターだけでなく、その他の事件をも一織に任せるというのか。
「貴様のヒーローとしてのプライドが許さないか?まだ、全てを自分の腕だけで守りたいと夢想しているのか?」
鋭く、細められたニアの目が、光太朗に突きつけられる。
「それは、どこか心の奥で我々をまだ信頼していないのと同じだ」
それを指摘され、光太朗は押し黙る。
「彼女たちは、貴様よりもずっと大人だ。・・・それに、もうひとりの片割れは力を取り戻したのだろう?」
それでも、光太朗は素直に頷く事ができない。確かに夜宵の能力は目の前で見た。確かに強い。だがそれが安心材料にはならなかった。
「今回の件、後押ししたのは百合花だ」
「白崎が?」
こくり、とニアは頷く。
「百合花が率先して一織たちに後のことを頼むと打診した」
「待て。俺は行くとは一言も言ってないぞ」
ダスター相手ならともかく、自分で対応できる事件なら、自分で解決させたい。それは思い上がりだろうか。
「貴様より幼い彼女たちのほうがよっぽど大人だな。一織たちは、後のことは任せろと息巻いていたぞ」
特に力を取り戻した夜宵だ。夜宵は取り戻した力に心を踊らせているようだとも。
「・・・それに、この件は一織たちの思いも籠もっている」
全く違う角度からの言葉に、光太朗は戸惑いを見せる。
「・・・どういうことだ」
「百合花も一織も、貴様を気遣っているということだ」
世界の平和ために戦い、それはどれだけの神経をすり減らすことなのか。同じような力を有しているとは言え、光太朗と百合花たちの能力は全くの別物で、背負っているものも違う。
「マギアスは、自然が豊かで住みよい大地ぞ。こちらを悪く言うつもりはないが、閉塞感とは無縁の、気安い世界だ」
そう言って、ニアは片目を瞑って見せた。
「聞くところによれば、貴様たち学生は、もうすぐ長期休暇が訪れるのだろう?おあつらえ向きではないか」
確かにニアの言う通り、間もなく夏休みに入る時期だ。
光太朗の考えとしては、休みに入れば、学校を気にせず事件に打ち込むことができる。それすなわち、事件を望んでいるという矛盾も孕んでいるのだが。
「貴様には簡単に受け入れられない話だろうが、休暇のつもりで引き受けるのを、誰も責めやしないと我は思う」
・・・知らず知らずのうちに、自分の表情が出てしまっていたのだろうか。両親の墓参りと重なって、要らない心配を滲ませてしまっていたのか。
「詳しい話は後々する。今はそういう心づもりで居て欲しい」
ニアの世界の長とやらが何かはともかく、百合花たちの心遣いを無下にするのも悪い。少し、考えても良いのかも知れない。そう思う。
話は終わったのにも関わらず、ニアはベッドの上で丸める身体を解こうとしない。
「・・・何ぼさっと突っ立っている?もう就寝時間に入ろうとしたのだろう?」
そう思った矢先に、ベッドの中に異物を見つけてこうなったわけだが。
「ほれ、布団を早く閉じんか」
何かを催促するように、ニアは尻尾を揺らして光太朗を導こうとする。
猫を懐に置いて寝たのが遠い昔のように感じるな。
自分と布団の間に別の温もりを抱きながら、光太朗の意識は早くも深い闇の中に堕ちていったのだった。




