ACT35・FUTURE
「・・・俺達の力は特に要らないようだな」
物陰から光太朗たちは講堂の様子を見守る。
晶刻牢から開放された生徒たちは、頭を振りながら、今いる自分の状況を不可解な視線と友に周囲の同じ境遇の人間と答え合わせをしている。
後に分かったことだが、別の世界の人間が、この世界に足を踏み入れる時、正式な手続きが必要だったらしい。
今回はイングラムから世界を救うという名目があったから良かったものの、普通なら両手を上げて喜ばしいことではないのだという。さながら今の光太朗たちは招かれざる客、である。
というわけで、生徒が完全に目を覚ます前にこうして身を隠すこととしている。して、長くここにとどまるのは得策ではないことも。
「・・・君たちには本当に世話になった。礼を重ねれば暇はない」
ロディマスは心の底からそう思う。
自分の見初めた少女と、その繋がりが導いた少年。そしてその友人たちがウィルラントの崩壊。ひいては全ての世界の危機を救った。
ロディマスのその奥。
伏せた目のラネット。
「さあ。お別れを言いなさい」
ロディマスが優しく、ラネットに促す。
イングラムのいない今、魔法学校の昇進試験は願いの欠片収集ではなく、普通の試験に取って代わるだろう。光太朗の世界にまで足を運ぶ理由はなくなる。
お互いがお互いの世界を大事にし、そこに生きる時を迎えるべく、今は一時の別れ。
ラネットが一歩。足を踏み出し。
揺れるまつげが光太朗を見やる。
ラネットは、最初言葉を放つのを迷い、口を結んでいたが、やがて覚悟を決めたように唇を開かせる。
「ありがと」
それは、果たして何に対してのお礼か。
それはウィルラントを救うために、イングラムと戦うために。ラネットを助けるために。様々な理由に当てはまるだろう。
だが、ラネットの心にあるのはひとつ。
「アンタの言葉、嬉しかった」
それよりも何よりも。
絶望に打ちひしがれていたラネットの黒く、視界を塞ぐ闇を払ったのは。
「・・・『俺がいる』って言葉」
イングラムに拒絶の言葉を叩きつけられ。信じていたものを打ち砕かれ。
それはリウィッチの力をイングラム同様に間違った方向に走らせそうで。
そんな気持ちを思い留まらせ、闇を溶かしたのは、不器用ながらに真っ直ぐな。強いたった一言の言葉だった。
ラネットは、元々友人の多い人間ではない。むしろ真に心を通わせる友もいない。
他の生徒は知らないが、同じ境遇の子供が集う中、今の状況にラネットは振り落とされないよう、這い上がるしかなかった。他の生徒は敵ではないにしろ、競い合う、蹴落とさなければならない存在だった。友人だと思える考え、余裕すらなかった。
そんな自分を溶きほぐしたのは、そんなシンプルな言葉だった。
「ラネットたちはこれから、魔法使いを目指すため尽力しなければならない。イングラムの消失でこちらにひずみが起きているとも限らない。それも含め、しばらくはこちらに留まることになるだろう」
ラネットは元々こちらの人間で、光太朗の世界へは試験のために訪れたに過ぎない。
僅かな時間を過ごしただけの関係だ。だがそれはラネットにとっては刺激的で。光太朗にとっては新鮮で。
「我々と君たちの世界は繋がっている。また、いつか会えるさ」
そう言うロディマスの顔は、いつもとは違う、穏やかなものだった。
「じゃあね」
ラネットは光太朗から百合花。そして一織へと視線を這わせ。再び光太朗へと戻す。
側の扉を、ロディマスは不思議な光で覆い。
懐かしい香りが漂う長方形がもたらす輝きは、別の世界へと繋が門となる。
「さあ」
講堂の奥が騒がしくなってきた。生徒たちが外の様子を伺おうと出てくるだろう。
「元気でね」
最初は百合花が扉をくぐり。
「もっとお話したかったです」
涙目の一織がそれに続き。
「・・・じゃあな」
光太朗が扉に足を踏み入れる瞬間。
背を向けた光太朗の服を、何者かが引き。
次の瞬間には、柔らかく温かい感触が背中を伝った。
ラネットが、光太朗の背中に身を寄せたのだった。
「・・・ありがとう」
先よりもか細く。でもしっかりと。その言葉は確かに光太朗の耳に届いた。
名残惜しそうにラネットの身体が光太朗から離れる。うつむき、その顔の表情は伺い知れない。微かに香る赤みが、それが覚悟を持ってしたことだと雄弁に語っていた。
「・・・ああ。またな」
だから、光太朗はさよならを言わなかった。
光太朗が足を踏み出す。
意識が雪のように溶け。
光太朗の眼前を、眩い光が覆う。それは、ウィルラントがこれから歩む希望に満ちた光に思えた。
「・・・で。何でお前がここに居る!?」
数日が経ったそんなある日。
リビングのソファに背を預けているのは紛れもないラネットだった。
「別にこの世界とあっちは閉ざされているわけじゃないし。魔法を使えば簡単よ」
驚きと疑問に満ちる光太朗を、ラネットは小声ながらもさも当然とばかりに言い放つ。
基本的に、見習いの域を出ない魔法使いは空間移動の魔法を行使できない。したがって、使い魔の存在がなければ別の世界に行くことすらできないのだ。
しかし、今やラネットはその身分に合わない強大な力を得ている。自分自身で世界を行き来できる存在だ。
「あたしだって、四六時中勉強しているわけじゃないし、たまには息抜きしなきゃ潰れちゃうわよ」
昼頃。
一階のインターホンが鳴っていたが、今日は涼香が来てくれている。事故による怪我も、今では何でもないようで、今日も光太朗を気にかけて来てくれていることをありがたく思う。
そんな昼時。食事の支度をしてくれている涼香が、玄関先に現れた不審極まりない少女を、光太朗の名前を知っているという理由だけで家に上げたのだ。
ソファに我が物顔で背を預ける少女の姿は、先日名残惜しそうに別れたとは思えない尊大な態度が戻っている。
「はーい。ご飯ですよ。はい、ラネットちゃんもどうぞ」
「さっきからいい匂いだと思ってたのよね!」
目の前に出された皿に乗った料理を見て、ラネットは表情を輝かせる。
湯気とスパイシーな香り漂うそれは、琥珀色に輝くカレーライスだ。
「・・・コウちゃんも隅におけないわね。てっきり百合花ちゃんが彼女だと思ってたのに」
小声で涼香は言う。
当然、百合花とはそんな関係ではないし、無論ラネットも、だ。
光太朗はラネットの存在を、知り合いの知り合いという理由で誤魔化した。それを疑うこと無く、涼香は家に招き入れ、昼食まで出すと言い張ったのだ。
「うま!レトルトもいいけど、これもそれと遜色ないくらい美味しいわ!」
スプーンを口の中に収めたラネットの感想を、涼香は嬉しそうに見守る。
次いで出されたものも、光太朗は食べる。・・・確かに、疑うことのない美味しさだ。
人の家に来てご飯を我が物顔で頬張る神経の図太さを見る限り、ラネットに別れる直前までに見た気持ちの落ち込みは無いように思える。
そんな気持ちを汲み取ったのか、ラネットは座った目を横に滑らせる。
「・・・あたしがいつまでもウダウダと落ち込んでいると思ったんでしょ」
そんな考えが無かったとは言えない。恩師の裏切りをまざまざと突きつけられ、心が砕けない人間などいるだろうか。それを乗り越え、こうして憎まれ口を叩けるまでになったラネットは、強いと思う。もしかしたら、強く見せているのかも知れない。
「ご心配なく。あたしは元気にやってるし、友達もできたわ。順風満帆。後は魔法使いを目指すだけ」
それは結構で何よりだが。
「お前、リウィッチの能力を手に入れたんだろ?それはすでに魔法使いを越える存在ではないのか」
「バカねあんた。確かにあたしはリウィッチの力を得たけど」
それは目指していた、誇るべきもののはず。だが、ラネットの顔は晴れない。
「それは誰かに与えられたものだもの。自身の力が伴ってないあたしはまだまだ勉強しなきゃならない未熟な存在なの」
光太朗はその言葉にどこか安堵した。
リウィッチの力を得て、ふんぞりかえるような人間ではないのだ。自分の力がまだ幼く、研鑽し、磨き上げなければ、手に入れた力に見合わない人間だとちゃんとわかっている。
『彼』から受け継いだ、業とも呼べる力。それに負けないよう、ラネットはちゃんと前を向いて歩いている。それが分かっただけでも、十分だ。
もしかしたら、ラネットはその姿を見せるために来たのではないかと思う。自分はもう、大丈夫だと。それは流石に希望的観測だろうか。
「むはー!美味しかったぁ!」
その感想が、涼香にとって何よりの褒め言葉だ。
「ご飯食べたら甘いものが食べたくなったわ。ねえ、コータロー。アイス奢ってよ」
さもそれが当たり前のように、ラネットは輝きに満ちた目で光太朗の顔を見上げる。
「私あれ気になってたのよね。三段に重なっているやつ」
ラネットは、すでにアイスの頭なのか。連なる甘美を頭の中に思い描いている。
「お前。遠慮も容赦も無い奴だな」
「一段食べさせてあげるから、別にいいでしょ」
屈託もないそんな笑顔を見ると、そんな我儘も些末な物に感じた。
「食べ終わった?じゃ、行きましょ」
カレーの最後の一口を食べ終わるのを見届けるやいなや、ラネットは光太朗の腕を引っ張り上げる。
・・・そんなに食いたかったのか、アイス。
今の今までそんな感覚に陥ったことはないが、妹がいるのらこんな感じなのだろうか。そんな妹に腕を引かれ、光太朗は立ち上がる。
「・・・ちょっと出かけてくる」
「はい。いってらっしゃい」
涼香の笑顔を背に受けながら、光太朗とラネットは玄関の扉を開けたのだった。




