ACT27・BELIET
魔法は万能だ。
魔法学園の一室。
四方を蔵書の壁でうず高く積まれ、仄かな明かりが照らす部屋の中、イングラムは広げた古書の文字を目で追っていた。
魔法は、かつては自然の理を壊す外法とされていた。自在に炎を灯し、風を纏い、水を生み、地を削る。
ロウソクに明かりを灯すのにも、ページをめくることも、手を煩わせずともできる。
この世界に満ちる魔力を、人間は特殊な呪文により操り、隷属させ、不可思議な力を編む。
だが、全能ではない。
その力は、生命へ干渉のみを禁じられている。それは、人間には余りある神の領域。
だが、イングラムはそれすらをも越えたいと思っている。
人間を縛る様々なしがらみを打ち破り、物理法則を無視し体現できるそれはまさに魔の技。その技法は、いずれ世界の理をも砕くと信じている。生命をも干渉し、亡くなった人間に会いたいと願う者はいくらでもいる。その願いが叶えられる神の業を望まぬ人間がいるだろうか。
病や戦争。
弱き者が無下に失われていく命を尊ぶのは、残され人間に課せられた、業なのか。いや違う。旅立つ物を見送る者を救うことだと信じている。イングラムは、そんな悲しみを取り払いたいのだ。
それを阻むのは倫理。人の運命を捻じ曲げる深い考え方の隔たり。
そして、そもそもの技術の差だ。無病、寿命。永遠の命。そこへと至る道は、現時点では机上の空論でしか無く、夢物語に限りなく近い。
困難と呼ばれた空間凍結、すなわち時間停止の魔法を編み出したのは、イングラムの功績だった。そんなイングラムの力でも、その夢への頂きは遥かに高く、見えない。
だが、今でも研究は続けている。自分ならば、その領域に辿りつける。そう信じて。
イングラムの魔導への探求はとめどない。もっと知りたい。もっと深く、もっと多く。自分の地位に満足していない。自分の夢に辿り着いてもいない。
数多の魔道士を目指す児童の尊敬の眼差し。権威ある同僚の羨望の眼差し。
イングラムが欲しいのはそんなものではない。
魔導により高みに。より、豊かに。魔導が人の生活により近く、より助けになるように。
それを可能にするのは、異世界にあるエネルギーかも知れない。
この世界には、目に見えない粒子のように漂う魔力がある。
その見えない粒子を、魔法使いは自身の力で、操り行使する。だが、近年その操る魔法に限界が見えてきたように思えてならない。それは、決して魔法使いのレベルが衰えてきた、という意味ではない。
人間には集める魔力の量、生み出す魔法に限界があるのだと結論付けた。それは、人と神の立ち入ってはならない境界線だと暗に言われているからなのかも知れない。
そこに光明が訪れる。
異世界のエネルギーの存在だ。
数週間前、異世界の観察していた観測班から報告が入った。
地上にて、イングラムが預かり知らないエネルギーの波動の観測。
かねてより推論されていた心の輝き、活力エネルギーの反応。そして何より。
手を取り繋がりあった戦士たちの存在が、その仮説が正しいことを、教え子が見せてくれた輝きがそれを証明してくれた。
願いの欠片が倫理と技術の境界線を越える、その希望の光になりうるかも知れない、と。
蛇ノ目の研究所。
一階の居間では、この家の主の他に、ふたりの少女がいた。
うなだれるようにテーブルに突っ伏すのは一織。
湯気の立ち上るお茶をすすりながらお菓子を口にするのは夜宵。
「・・・最近、お兄さんに会えてないなぁ」
顔を横に傾けたまま、一織はポツリと呟いた。
「またそれ?そんなに気になるのなら、会いに行けば?」
そんな親友の言葉に、夜宵は辟易した様子でお茶を一口すする。
「で、できないよ。それに今、お兄さん大変そうだし」
蛇ノ目を通じて、今光太朗に起きている事態を聞いた。例え同じ敵を前に戦った仲間だとしても、自分はそれを受け止められるほどの人間でもないことも知っている。所詮、自分は年の離れた子に過ぎないのだ。
今、アフロディーテにも光太朗が最近ここに姿を見せていない理由も聞いた。蛇ノ目、アフロディーテも一織同様に寂しいと思っているのだ。
異世界から来たという魔法使いなる少女の噂。
マギアスからの客人でも無ければ、遠い宇宙からの来訪者でもない。話に聞けば、まさに魔法使いといった様相の女の子らしいが。百合花、一織とも違う預かり知らない能力を持っているらしい。
街を覆う悪意の塊を退けてから数週間。
それぞれお互いの生活を送りつつ、この蛇ノ目の研究所を拠点とし、敵への襲来へ備えている。今のところ、あの日以来、アンチホープ、ダスター共に目立った活動は見られない。その動向をニア、ウサポそれぞれが探っている。
「でも、改めて考えてみると珍しいわね」
夜宵の言葉に、首を傾けたまま一織は視線だけを動かす。
「一織ちゃんが男の人に興味を示すなんて」
その指摘に、一織は顔を真っ赤にさせ、飛び上がらんばかりに上半身を起き上がらせる。
「や、夜宵ちゃん!何を?」
「だってそうじゃない?口を開けばお兄さんお兄さんって。言葉を吐いていない時ですら漏れるため息は、まるで恋する乙女のようよ」
その言葉に、一織はさらに顔の熱を増し、赤みも高まる。
夜宵の知る限り、一織のこんな態度は見たことはない。
一織は活発で、明るい女の子だ。まだ、そういうことには無縁に思えた。だから少し羨ましく、妬ましくもある。親友をそんな気持ちにさせる光太朗という男のことを。
「一織ちゃんは、彼のどういうところに惹かれたのかしら?」
まるで色恋事情を引き出す芸能レポーターの如く、架空のマイクを一織の前に差し出す。
「そ、そんなんじゃないって!」
一織は慌てて両手を振る。
「そんなんじゃない・・・」
手の動きが勢いを失い、一織は憂うような表情。
「それに、お兄さんは私のことなんて覚えて無いだろうし」
その言葉に、夜宵は眉をひそめる。
「・・・え?もしかして、一織ちゃん、会ったことがあるの?」
一織はその笑みに乾いたものを加えて、
「わ、私が一方的に思ってるだけで、もしかしたら勘違いかもしれないし!」
再度、一織は手を振る。
「・・・昔ね」
僅かな静寂の後、一織は小さく口を開く。
「子供の頃、ずっと誰かと走り回ってたんだ。その日も、みんなで公園で遊んでた」
それは言い換えれば、誰にでも明るく、好かれる。自分が持っていないものだと夜宵は思う。一織の言う通り、休み時間に彼女は男子女子別け隔てなく、一緒に遊ぶほどの元気娘だ。
「あの日も公園で友達と男の子に混じってサッカーしてたんだ」
蹴り損じた、歩道に飛び出た黒と白のボールを追いかけ飛び出したところに、車が飛び出した。それが自分の不注意が招いたことだとは、当時の自分は理解が出来ていないのだと思う。
あやわ、鉄の塊に跳ね飛ばされそうになったのを、誰かに抱えられ、歩道のそばに倒れ込んでいたのが、その時の最後の記憶だ。
そのすぐ後、一織は恐怖に襲われ泣き叫んでいたと思う。慌てて駆け寄る友達。助けてくれた男の人にお礼も言えず。
決定的だったのは、初めて光太朗と出会った時だ。でも、その瞬間は確信がなかった。
一織と夜宵が、その時はまだ喋るだなんて思いもよらない半黒半白の猫を木の枝の上で見上げていた時だ。その後、光太朗ははぐれたウサポを届けに来てくれた。
その時、帰り道である商店街で車が突っ込む事故が起きた。
折れ曲がる街頭から守られるように覆われた感覚が、過去の体験と重なる。それは、一織の都合のいい勘違いなのかも知れない。なぜなら、その時抱えられていたのは、紫の鎧に身をまとった何者かだったからだ。冷たく、たくましい鎧の向こうに、懐かしい匂いを感じた。
光太朗に、過去に助けられた英雄を重ねるのは、ある意味仕方のないことだろう。
「・・・それ、確かめたりはしないの?」
そんなのは、本人に確認すれば済む話だ。夜宵からしてみれば、まごついている意味がわからない。
「ち、違ったら恥ずかしいし。困らせるだけだと思う」
一織は誰に分け隔てなく明るいが、自分のことに関しては無頓着だ。かつて、自分の身を呈して夜宵を守って来たこともそうだ。
ダスターとの戦いでも、友人が戦場に身を置くこと。その夜宵が傷つくことを恐れて、全て一織が前を行き、守ってきた。夜宵はそんな一織を信頼し、支え、そして叱咤してきた。
夜宵はそんな不器用でまっすぐな友人のことが好きなのだ。
「・・・?夜宵ちゃん?」
夜宵は穏やかな眼差しで、一織の頭を撫でてやる。
もしかして、一織は今、自分の胸の中にある気持ちが特別なものであるのにも気付いていない。そんなところも可愛いのだが。
今はまだ、それに気付いて欲しくない。ただの勇敢な男の勇気に憧れるだけであって欲しい。まだ自分だけの友人であって欲しい。そう思うのは我儘だろうか。
ダスターや、アンチホープの影が見えない。それは不安でもあるが、一時の安らぎを堪能するのは何ら悪いことではないと思うのだ。
もちろん、一織が困ったときには力になる。未だわからない感情に揺れているなら相談にも乗る。・・・また再び戦うことがあれば、共に手を取る。
でも、今だけは、普通の小学生でいたい。
そう思いながら、夜宵は一織と共にお茶のおかわりを頂くのであった。




