Episode 75
婚約披露パーティーの朝。
まだ薄暗いうちから、身支度が始まった。婚約披露パーティーですらこの時間から準備するなら、結婚式は何時から準備が始まるのかな、なんて、欠伸をかみ殺しながらいずれ来るその日に戦々恐々とつつ、髪のセットをしてもらう。
社畜時代は問答無用で早起きせざるを得なかったけど、この世界に転生してからは、朝もゆっくり起きていいんだ、とだんだん心が受け入れてきたせいか、最近ではめっきり朝が弱くなった。いや、前世だって朝に強かったわけじゃない。毎朝必死でベッドから己の身体を引き剥がす儀式を怠らなかっただけで。とにかく、朝のんびりしていいんだ生活に慣れてきた身体に、今日の早起きはなかなかきついものがある。でも、起きさえすれば、あとはこうして身支度を整えてもらえるんだから、貴族ってすごい。時計を横目に最低限綺麗に見えるように慌ただしくメイクをしていた日々を思い、思わず遠い目になる。
「イライザ様は御髪も本当にお美しいですね」
「ありがとう」
打ち合わせでも何度か髪をセットしてくれたこの侍女さんは、私が第二王子派に襲撃された時にも足を洗ったり着替えを手伝ってくれたりした人で、名前はカリンさんという。これからも王城で何かある時にはカリンさんがお世話してくれることが多くなるみたいで、パトリックからカリンさんが担当でいいか聞かれた。感じのいい人だし、腕も確かなので嬉しい。まあ、そもそもパトリックが先に選んでくれていた人だから、間違いはないだろうけど。
今も相変わらず手際よく、かつ丁寧に、髪を結い上げてくれている。
今日はカリンさんはじめ王城の侍女の人たちの他にも、ウォーノック公爵家から、いつも私の身の回りのお世話をしてくれているメイドのマリーさんも来てくれていて、カリンさんたちと一緒に身支度を進めてくれている。将来、パトリックと結婚して王城住まいになる時には、マリーさんは一緒に付いてきてくれる予定になってるんだよね。公爵家での生活にはだいぶ慣れたけど、また王城に引っ越してきたら慣れるところから始まるんだと思うと、どうしても少し躊躇いがある。だから、よく知っている人が一緒に来てくれるのは、本当に心強い。
「お嬢様、反対のお手を失礼いたします」
マリーさんは右手のネイルを終えて、私の左に回り込み、今度は左手のネイルに取り掛かる。イライザの陶器のような白く美しい手に、桜色のネイルが可憐に映える。これ、私の手なんだよねー。我が手ながら惚れ惚れしちゃう。転生してきた時から、イライザの身体はどこもかしこも磨き抜かれていて、いくらメイドさんたちが頑張ってくれているにしても、美意識の高さに頭が下がったものだ。私も頑張ってこの美貌を保たないとな。
身支度は事前の打ち合わせ通り順調に進み、ハイヒールを履いたタイミングをまるで見計らっていたかのように、ドアをノックする音が響いた。
入ってきたのは当然パトリック。私とお揃いのサファイアブルーの衣装に身を包み、前髪を上げたパトリックは、ゲームのスチルの如く神々しいほどに輝いている。ああ…もうこれは危険なレベルの美しさだ。このおでこが見える髪型、すごくレアなんだよね…!はあ…本当に好き!久々にクリティカルヒットくらったわ…。
心臓を射貫かれたまま言葉を発せずにいる私を見つめて、パトリックがその麗しい目を細めた。
「溜息が出るくらいに綺麗だよ、イライザ」
美の破壊力の高さに遠のきかけた意識を手繰り寄せ、私もなんとか令嬢スマイルを浮かべる。
「パトリック様も、本当に素敵です」
心からの言葉だから、熱量が声に滲み出てしまったかもしれない。しっかりしなきゃ。今日一日、パトリックの婚約者として完璧に振る舞わないといけないんだから。
そんな私の決意をわかっているだろうに、パトリックは追い打ちをかけるかのように私の手を取った。
「イライザなら大丈夫。だからそんなに緊張しないで」
レアなおでこ出しの髪型で愛おしそうに見つめられ、再びその破壊力にやられそうになる。理性…理性を保て!胸の前でぎゅっと拳を握りしめて、必死にその攻撃に耐える。今日一日、私本当に大丈夫かな。パトリックの美貌にはだいぶ慣れたはずなのに、なんだろう、この胸の高鳴り。緊張と相まってか、全然冷静になれないんだけど。
「ありがとうございます」
それでもなんとかお礼の言葉を絞り出す。まだパーティーは始まってもいないのに、こんなんでどうする!きらきらした笑顔を前に、今日は長い一日になりそうだ、と、私は小さく溜息を吐いた。




