番外編1 結婚五年目の二人(セドリック視点)
二人のその後です。
コーデリアと結婚して五年が経った。
当初「白い結婚」を目指していたコーデリアと私の間には、ヨランという今年三歳になる一粒種が存在している。私譲りの黒髪に、コーデリア譲りの琥珀色の瞳。容貌は私の小さな頃にそっくりだと、よく私の両親が頬を緩めていた。将来はきっと、私のように美しくなると。
しかし私としては己に似ているということよりも、ヨランの瞳がコーデリアと同じ琥珀色だという事実が何よりも嬉しく、また愛おしいと思っていた。
そのヨランは今、ソファに腰かけて絵本を読んでいる。私はその隣に座り読書をしており、コーデリアは来週邸で開催するお茶会の打ち合わせを使用人たちとするために、席を外していた。
その折に――。
熱心に絵本に見入っていたヨランがふいに顔をあげ、大きな輝く瞳で、不思議そうに隣に座る私に聞いてきた。
「とーさま。かーさまはとーさまのこと、嫌いですか?」
ヨランにそう言われ、私は驚いた。
コーデリアは確かに私に対し「嫌い」という言葉をよく使うが、ヨランの前では使わないよう気を付けていたのだ。もちろん、ヨランの前で夫婦喧嘩などはしたこともない。
「そんなことはないよ。どうしてだい?」
もしや誰かに余計なことを吹き込まれでもしたかと思っていたが、ヨランの次の言葉でその謎が解けた。
「このあいだ……夜に、かーさまが……」
「ああ……なるほど」
これはこの場にコーデリアがいなくて正解だったと、私は内心で安堵の息をついた。
ヨランの言うこの間とは、数日前の晩のことだ。
数日前、私とコーデリアは小さな諍いをした。
その晩、私たちは王宮での舞踏会に参加したのだが、その舞踏会でコーデリアが殿下と踊ったことが諍いの原因だった。
あまりにも楽しそうに踊っていた二人を見ていた私が、ついコーデリアに嫌味を言ってしまったのだ。嫌味というよりは、嫉妬の言葉と言った方が正確だろう。王宮で始まった諍いは邸に帰って来てもまだ続いていた。
そして、私はまたコーデリアに言われてしまったのだ。
「セドリック様なんて、嫌いです!」と。
あとでヨラン付きの乳母に聞いたところ、私たちが帰って来た時の言い争いの声ですでに寝ていたヨランが起きてしまったと言っていたので、おそらくヨランはその時の言葉を聞いていたのだろう。
私はヨランに真相を教えるべく、その触れれば柔らかな頬に顔を寄せて囁いた。
「心配しなくていい。母様の嫌いは好きの裏返しなんだよ。でもそれは父様に対してだけだ。母様が父様以外の誰かに嫌いと言っていたら、それは本当に嫌いという意味だからね。特にアルフレッド殿下に対しては――」
「違います! 勝手なことを言わないでください!」
いつのまにか部屋に戻ってきていたコーデリアが、焦ったように反論をしてきた。だが、どうやら諍いの件の下りは聞いていなかったらしい。またあの時の諍いが再発したらたまったものではないので、コーデリアの耳に入らなかったことに私は密かに胸をなでおろした。
「違っていたかい?」
「違います!」
叫ぶコーデリアの頬が赤くなっていて可愛い。大きな琥珀色の瞳も潤んでいる。そんなコーデリアを見た私は、頬が緩むのを止められなかった。照れているのが丸わかりだ。
けれどまだ幼いヨランは、コーデリアの言葉を額面通り受け取ったらしい。
「……やっぱり、かーさまはとーさまのことが、嫌いですか?」
悲しみのために伏せられた大きな琥珀色の瞳が潤んでいる。
「え、あ、あの……ヨラン? 違います、違いますよ⁉ 別に嫌いなわけでは……」
泣きそうになっている我が子を見たコーデリアが言葉を詰まらせながら言い訳をした。
「では、好きですか?」
「う……その、それは……」
コーデリアはその柔らかな印象を与える見かけによらず強情だ。そして、人前で私に対する直接的な好意の言葉を口にすることが極端に少ない。それがたとえ我が子といえども。特に今は意固地になっているので、なおさらだろう。
――仕方ない。
私は愛する妻の手助けをするべく立ち上がり、コーデリアへと近づいた。
私はコーデリアの後ろに周り、背後から腰に両腕を回し抱きしめ、そして耳元に顔を寄せ囁いた。コーデリアの柔らかな髪が私の頬をくすぐり、自然と笑みがこぼれてくる。
「コーデリア。ヨランが私たちの仲が悪いのではないかと心配しているよ?」
実際の私たちの仲はすこぶる良好だ。私はコーデリアを誰よりも愛しているし、コーデリアも私を愛してくれていると感じている。たまに――主に私の嫉妬による小さな諍いをするだけだ。
「うう……。そ、その。でも……」
「コーデリア」
強情さを嗜めるように名を呼ぶと、コーデリアがヨランを見て決心したように唇を引き結んだ。そして口を開いては閉じ、閉じては開いてを数度繰り返したあと、小さな声で言った。
「父様のことは……嫌いではありません」
「好きなのですね⁉」
満面の笑みで聞いてくるヨランに、コーデリアがいかにもしぶしぶと言った様子で「そうかもしれません」と呟いた。
頬どころか耳まで赤くなっている。
私は思わずその耳に口付けたが、案の定、身をよじったコーデリアに抵抗されてしまった。だがこんなやり取りはもう慣れている。私はめげずにコーデリアの頬に口付けを送りながら誘いをかけた。
「コーデリア……。今夜も妻の務めを望んでも?」
「妻の務め」などと言う言葉は、私たちの間では今では体のいい夜の誘いの言葉と化している。
「嫌い」という言葉すらも、コーデリアの可愛らしい唇が発するのなら、私には甘い囁きにしか聞こえない。
彼女の「嫌い」は、「好き」の裏返し。
「セドリック様なんて、嫌い」と、瞳を潤ませ、目尻を赤らめた彼女にそう言われるたびに、私はいつも彼女にそんな言葉を言わせてしまう罪悪感とともに、それに勝る喜びを感じていた。
彼女の心は、まだ私に捕らわれている。捕らわれてくれている。私に感情を乱されているのだと。湧き上がってくるそんな仄暗い喜びを、私はいつも彼女に悟られぬよう押し隠すのに必死だった。
さんざん彼女を傷付けておきながら、それでも彼女の愛を求めてしまう己を、あさましいと思いながら。
「コーデリア?」
「……ダメです」
「怒ったのかい?」
「違います。……あの……」
そう言ったきり顔を背けて黙ってしまったコーデリアを覗き込むように更に顔を近づけると、振り返ったコーデリアが潤んだ瞳で恥ずかしそうに「多分……二人目が、出来ました」と告げてきた。
「……コーデリア!」
歓喜のあまり思わずコーデリアを抱きしめると、胸を押し戻すように小さな抵抗が返って来た。
「た、多分です。多分! まだはっきりとはしていません!」
「ああ! そうだね! すぐに医者を呼ぼう!」
私はコーデリアの頬にひとつ口付けを落とし、使用人を呼び、かかりつけの医者を手配するよう指示を出した。そしてもう一度、今度はその身に些かの衝撃も加えぬよう細心の注意を払いながら、柔らかく包こむようにコーデリアを抱きしめた。
どうか腕の中にあるこの幸せが永遠のものであるようにと、祈るような気持ちで。




