第25話 旦那様の元恋人の今の想い人は……
宿屋での出来事から一週間ほど経った後、私とセドリック様は王太子殿下に呼び出されました。
王宮からの使者が持って来た封書にはなんと、殿下とアマンダ様と共に、陛下に謁見する機会を得たこと、それにより私とセドリック様、そして王太子殿下とアマンダ様の離縁が実現するかもしれないことが書いてありました。
その文書を見てこれはいよいよかと思った私は、一緒に文書を覗き込んでいたセドリック様の顔色を窺いました。
私は宿屋で離縁させないで欲しいとセドリック様に頼みましたが、やはり王命ともなればいくらセドリック様でも背くわけにはいきません。
ようやく本当の夫婦になれるかもしれないと思い始めていた矢先だったのです。なのに、夫婦としていられるのはあと少しのことかもしれないと思えば、自然暗い気持ちになってしまいます。
けれど私が見ていることに気付いたセドリック様は、私に向かって優しく微笑みました。
「心配しないで、コーデリア。離縁などということにはならないよ」
「でも……」
「大丈夫。それよりも――」
セドリック様が私の肩を優しく引き寄せ、一度私と視線を合わせてから唇を重ねてきました。
あれから私は、口付けだけはセドリック様に許しています。ですが、私たちはいまだ清い関係のままです。セドリック様に感じていたわだかまりはなくなったのですが、それでも離縁の可能性がある以上、確定するまでは白い結婚を続けた方がいいと思ったからです。
万が一にも身体を重ねてから離縁などということにでもなれば、今度こそ私の中の何かが壊れてしまいそうな気がしましたので、そのことも拒否している原因ではありますね。
「……セドリック様」
セドリック様は何度も何度も私の唇にご自分の唇を重ねては離し、また角度を変えては重ねてきます。本当に恥ずかしくて死にそうです。顔が真っ赤になっている自信があります。
口付けの最中、セドリック様の指が私の首筋に触れました。その羽でなぞるような感触にあの時の恐怖を思い出した私は、つい「ひっ」と小さく叫んでしまいました。そんな私の態度に目を見開いたセドリック様が、困ったように笑いながら「ごめんね」と謝りました。
「もうしないよ」
細くなった翡翠色の瞳が私の瞳を覗き込んできます。その瞳の奥にどんな感情があるのかは、私にはわかりません。けれど「もうしない」ということは、あの時は何かをしようとしいていたことになりますよね?
やっぱり、私はあの時命の危機だったのでしょうか? 怖くて聞けません。
真面目で誠実で堅物で馬鹿正直なセドリック様ですが、どうやらそれだけではないようです。そんな普段隠されている一面を見られたことに、妻として喜べばいいのか悲しめばいいのか悩むところですね。
✢✢✢
数日後。
すみやかに登城した私たちは、陛下に謁見しました。
大勢のお付きの者たちとともに応接間に姿を現した陛下は、さすがの貫禄です。このお方の命令で、私はセドリック様と結婚することになりました。不敬ながら、陛下に対する私の感情はとても複雑です。
けれど、それはこの場にいる全員が共通して持っている感情でしょう。
よく来たと私たちを労ってくださる陛下に、挨拶を返します。しばらくの間、私たちは陛下からのお声掛けにただ返事をしていました。王太子殿下もすぐに本題を切り出す様子はありません。お隣に座っているアマンダ様は、今日も女神のようにお美しいです。
そうやってしばらくの間は王太子殿下も陛下の話に付き合い無難な会話をしていましたが、頃合いを見て殿下が本題を切り出した途端、陛下はあからさまに機嫌を悪くなされてしまいました。
空気が重いです。息が詰まるとはこのことです。特に私は慣れていないので、すでにこのまま卒倒しそうなほどに緊張が高まっています。
「馬鹿なことを言うな。アマンダとの離縁は認めん」
陛下が重圧感のある声で王太子殿下の提案を一蹴しました。
「何故ですか⁉ アマンダは未だセドリックと会っているのです。生まれてくる子が王家の血を引いていなくとも良いのですか⁉」
同じ女性として聞くと納得しがたい理由ではあるのですが、セドリック様との逢瀬を、実際殿下は目撃しています。今回の宿屋での一件も、殿下がからんでいるかどうかは別としても、客観的に見れば看過しがたい事案でしょう。殿下の懸念は、王族としては当然のことなのかもしれません。
ですが陛下はそんな王太子殿下の不安さえも、一言で断じました。
「そんなことは、あり得ない」
「陛下⁉」
あり得ない、と言い切った陛下に、殿下だけではなく私も驚きました。よほどアマンダ様を信頼しているのでしょうか。
「アマンダは先だって医師による診断を受けた。それによって現在妊娠の兆候はないことが確認されている。そして、その時より今日までアマンダには監視がついている。そしてこれからアマンダが世継ぎを孕むまでの間も、日中夜の監視が付くことになる。これから生まれてくる子はお前の子以外はあり得ない」
「それは……さすがにそんなこと……」
さすがにそれは行き過ぎのような気がします。陛下は護衛ではなく、はっきりと監視と言い切ってしまわれていますので。
王太子殿下も陛下の言葉に怯んでいます。それはさすがにアマンダ様が不憫だと思われたのでしょう。日中夜の監視ということは、アマンダ様がどこへ行くにも、それこそ湯あみや不浄の場までも監視が付くということです。
「これはアマンダからの提案だ」
陛下のお言葉に、王太子殿下が驚きに目を見開き、アマンダ様を見ました。つられた私もアマンダ様を見ます。
その瞬間、アマンダ様と視線が絡みました。アマンダ様の瞳には、深くて暗い感情が宿っています。私が王太子殿下と二度踊った舞踏会でも、アマンダ様はこのような瞳をなさっていました。
アマンダ様のその瞳を見た私は、今更ながらアマンダ様の想いに気が付きました。
ああ……アマンダ様は、王太子殿下を愛していらっしゃる。
いつからなのか、わかりません。ですが、アマンダ様は確実に、王太子殿下を愛していらっしゃる。
私は勘違いをしていました。
アマンダ様はずっとセドリック様を愛していると思っていたのに、すでに別の方を――王太子殿下を愛していたのです。
「アマンダ――!」
王太子殿下に名を呼ばれたアマンダ様は、私から視線を外し、殿下へと視線を向けました。
殿下が悔しそうにアマンダ様を睨みつけています。もはや憎しみを込めたと言っても差し支えない視線です。
そんな王太子殿下の険しい視線に怯むことなく、アマンダ様は静かにおっしゃいました。
「……わたくしは、王太子妃としての役目を全うします。それを望まれたのは、王家ですわ」
アマンダ様のおっしゃる通りです。
アマンダ様と王太子殿下のご結婚は、王命にも等しいものです。アマンダ様は隣国の姫の備えとして用意されたお方なのです。いくら王家とて、アマンダ様が望まないのに確実な不貞の証拠もなく離縁することなど出来はしないでしょう。陛下のご様子を見れば、宿屋でのこともこのままなかったことにされるはずです。
セドリック様とアマンダ様の不貞という事実がなくなるのならば、私とセドリック様だけが離縁する道理はありません。今の私たちは、それを望んでいないのですから。
ですが、アマンダ様はそれでいいのでしょうか。いくら王太子殿下を愛しているとはいえ、あのような目で己を見て来る夫の傍で、アマンダ様は本当に幸せになれるのでしょうか。
「……そんなに、俺が憎いか。セドリックから引き離した俺が」
違います、王太子殿下。アマンダ様は憎くてやっているわけではありません。けれど私がそれを口にすることは出来ません。
何という、何ということでしょう。
私とセドリック様よりも、こちらのお二人の方がよほど拗れていました。ぶつかる二つの視線は、まるで火花が散っているかのような激しいものです。
ああ。アマンダ様は王太子殿下を愛しているはずなのに、どうしてそんなに険しいお顔をなさっているのでしょう。
そんなお二人のお姿を、私はただ茫然と見つめていることしかできませんでした。




