第26話 旦那様の元恋人はもう一人の私です
「コーデリア。大丈夫かい?」
馬車を待たせてある場所へ向かって歩いていると、セドリック様に声をかけられました。視線を上げると、心配そうにこちらを見つめるセドリック様と目があいます。
セドリック様と離縁しなくても良くなったというのに、私の気持ちはまったく晴れていません。まったく大丈夫ではありません。私はセドリック様に返事ができませんでした。
「すまない、コーデリア。また優しい君を傷付けてしまったね」
セドリック様の言葉に私は歩みを止め、驚いてセドリック様の顔を見つめました。セドリック様の翡翠色の瞳は、少しの動揺もなく凪いでいます。
「セドリック様……もしや」
陛下はアマンダ様の提案とおっしゃっていました。けれど、殿下からの文書を見て心配していた私に、セドリック様は「心配いらない」とおっしゃいました。
セドリック様は、何も言わずに微笑んでいます。けれど、セドリック様はおそらく知っていました。今日、王命による離縁など成立しないことを。
もしかしたらセドリック様とアマンダ様の間では、今日のことはすでに話し合われていたことなのかもしれません。あるいは、陛下を交えての話し合いが行われていた可能性すらあります。
ですがそうなれば、セドリック様はアマンダ様の想いを知っていたことになります。
これから先ずっと、愛する夫に憎まれることになるかもしれないアマンダ様の覚悟すら。
そしてセドリック様は、私がアマンダ様の想いを知ったことにも、気付いています。だから「すまない」と謝ったのでしょう。
離縁させないで欲しいと言ったのは私です。ならば、私からセドリック様に何を言うことも出来ません。――アマンダ様のことを思えば、感謝の言葉すら言えません。
「……なんでもありません。帰りましょう」
これでもう二度と、私たちに王命が下ることはないでしょう。アマンダ様とセドリック様がさせません。今日、それを思い知りました。
「そうだね、帰ろう」
セドリック様が微笑みながら、私の腰に手を回してきます。
けれど帰ろうとした私たちのところへ、アマンダ様がやってきました。先程の今なので当然なのかもしれませんが、アマンダ様のお傍に王太子殿下のお姿はありません。
侍女に伴われてやってきたアマンダ様は、一度私を見て、次にセドリック様を見て話しかけられました。
「セドリック。少しだけ、コーデリア様とお話できるかしら」
セドリック様はアマンダ様には何も答えずに、無言で私を見つめ、私の答えをお待ちになっています。私は少し考えてから、セドリック様に頷きました。
この段階でアマンダ様が私に何の話があるのかまったく予想が付きませんが、アマンダ様が愛しているのは王太子殿下だとわかったので、特に身構える必要はないだろうと判断したのです。
私はアマンダ様の瞳を見つめ、応じる旨を伝えました。
✢✢✢
先ほど陛下に謁見した応接間とはまた違った部屋で、私はアマンダ様とソファに座り向き合っています。
用意されたティーカップを手に、私はアマンダ様の様子を窺っていました。今のアマンダ様はなんだかいつもの華やかな雰囲気が鳴りを潜め、かなり落ち着いた様子です。
けれど静かすぎます。
もう数分このままなのです。
もしやこれは私から話しかけないといけないのかと思っていると、アマンダ様が思いもかけなかった言葉をおっしゃいました。
「……ごめんなさい」
「アマンダ様……?」
なぜ私がアマンダ様に謝られるのか、まったく心当たりが――いえ、ありますね。そう言えば私の結婚はアマンダ様とセドリック様のお二人のせいでした。ですがそれをここで謝られるのも今更な気がします。
「ごめんなさい。ごめんなさい……!」
「アマンダ様……」
こんな風に下手に出られて謝られたら、こっちが悪いような気がしてきてしまいます。確かセドリック様に対してもこんなことを思ったことがありますね。美人は得です。
「殿下を愛しているの……」
「……はい」
夫を愛するのは悪いことではありません。そしてそれを私に謝っていただく義理もありません。ですがアマンダ様はとつとつと話を続けられました。
「……わたくしが殿下の側妃となることは、幼い頃から両親にきつく言い聞かされていたことよ。お前はサフィーナ様をお助けするために、殿下の元へ嫁ぐのだと。最初から誰かの代わりだと、決まっていた結婚なの」
ああ。私と同じです。私もアマンダ様の代わりでした。
「セドリックと恋をした時、わたくしはその恋に希望を見出したわ。もし、わたくしが側妃となる時までにサフィーナ様がご懐妊なされば、未来は変えられるかもしれないと思っていたの。結局、サフィーナ様は亡くなられて、わたくしは側妃ではなく正妃となったわ。でも立場は変わったけれど、わたくしがサフィーナ様の代わりだという事実は変わらない……」
私がセドリック様と結婚するまで、半年期間がありました。でもその半年、私は随分と憂鬱な気持ちで過ごしたものです。それを、アマンダ様は幼少の頃からサフィーナ様の代わりと言われてお育ちになったのです。
私だったら、きっと耐えられません。心が死んでしまいます。
「……最初は、殿下のことを嫌っていたの。殿下が悪い訳じゃないことはわかっていたけれど、だからといって納得なんて出来なかった。わたくしの人生を縛って、セドリックと無理やり引き裂かれて、愛してなどなるものかと、思っていた。けれど、殿下と過ごす内にどんどんと惹かれてしまって」
王太子殿下は、太陽の化身のようなお方です。眩いお方です。ちょっと意地悪ですけれど、それでもその輝きに惹かれてしまいます。
殿下を愛してしまった、アマンダ様のお気持ちはわかります。けれどやっぱり、何だか面白くありません。
あれだけ私とセドリック様を振り回しておきながら、ご自分の愛していた方は実は夫である王太子殿下だなんて。それならセドリック様に縋ろうなんてしなければ良かったのです。
ああ、けれど。そんな私の気持ちがわかったから、アマンダ様は私に謝ってくださったのでしょうか。
「……殿下にとって、わたくしがサフィーナ様の代わりだという事実が認められなかったの。嫌われているとわかっていても、もうどうしようもなかったの。殿下に嫌われているのが辛くて、セドリックの愛を求めてしまった。セドリックとの恋に縋ってしまったの」
なんて勝手な言いぐさなのでしょう。この方は、ずるい方です。この方はセドリック様を利用していたのです。けれどお優しいセドリック様は、そんなアマンダ様のこともきっと許してしまうのでしょうね。
以前だったらその事実に私は傷ついていたことでしょう。けれど今は大丈夫です。今のセドリック様のお気持ちが誰にあるのか、ようやく信じることが出来ましたので。
「でも……いつまでもセドリックを縛ろうとした天罰が下ったわ」
「え?」
アマンダ様は私に向かって悲しそうに微笑みました。
「殿下はあなたを愛しているの」
「え? いえ、それは……勘違いではないかと……」
それ、セドリック様もおっしゃっていましたね。
ですが確かに気に入られている自覚はありますが、それは同士だからです。好みだとも言われましたが、きっと動物を可愛がるような感覚でしょう。
「いいえ。ずっと殿下を見てきたのだもの、間違いないわ。わたくし……今になってやっと、あなたの気持ちがわかったわ。自分を愛してくれない、しかも別の相手を愛している夫を持つのは、辛いわよね」
以前なら優越感から来る言葉だと思うところですが、きっとこの言葉はアマンダ様の本心でしょう。
殿下が私を愛しているという件だけはアマンダ様とセドリック様の勘違いだと思うのですが、今否定しても信じていただけなさそうです。
「……それでも、離れたくないのですね。殿下と」
「ええ、そう……。離れたくないの」
そうおっしゃった途端、アマンダ様が堰を切ったように泣き出されました。顔をくしゃくしゃにしてお泣きになっています。セドリック様に見せたような、美しい泣き顔ではありません。
ああ、ついにはしゃくりあげながら泣き出されてしまいました。美人が台無しです。
「愛されなくても、憎まれてても……離れたくないの」
殿下を愛していると、離れたくないと、まるで子どものように泣くアマンダ様。
私はその気持ちをいじらしいと思いつつも、怖い、とも思ってしまいました。そこまで誰かに心を囚われることを、誰かを求めてしまうことを、執着してしまうことを、恐ろしいと。
アマンダ様の姿に、私の姿が重なります。
私も、そうだったのでしょうか。本心では、たとえアマンダ様の代わりでも、セドリック様から愛されなくても、離れたくないと思っていたのでしょうか。自分の心を、セドリック様の心を縛り付けてでも、その隣を誰にも明け渡したくはないと。
わかりません。私はずっと、自分の本当の気持ちを、心を、見ないふりをして来たのです。
だって、見てしまったらもう戻れません。
私は幸運にも取り返しのつかなくなる前に、自分の感情を吐き出すことが出来ました。セドリック様にぶつけることが出来ました。受け入れて貰えました。
ひとつ道を外れていたら、私もアマンダ様と同じ道を辿っていた筈です。
アマンダ様の今の姿は、あり得たかもしれない、もう一人の私です。
アマンダ様はもう一人の私。
自分を映す鏡だったのだということに、私ははじめて気が付きました。
明日は最終話+番外編二話を投稿します。




