第36話「美人魔族が少女に口づけし戦場へ戻ります」
## 第36話「美人魔族が少女に口づけし戦場へ戻ります」
### 【あらすじ】
領地を襲うスタンピードの前兆を食い止めるため、エリオットたちはダンジョン内で魔物の群れを迎え撃っていた。しかし、その数は予想を遥かに上回り、戦線は崩壊寸前まで追い込まれる。
応援を求めて死の大地を走り抜けたエマは、騎士団長シルヴィアへクレハの解放を懇願した。そこへエリオットも配信を通じて姿を現し、自らの演出と領地経営が招いた問題の責任を引き受ける。
それでも騎士団長が判断を下せずにいる中、クレハは王国に対する敵意がないことを証明するため、人間族へ危害を加えた際には命を差し出すという契約を提案した。
### 【本文】
「この私、魔族であるクレハ・ヴァルグリムは、王国に対し、一切の敵意がないことをここに誓う」
冷たい地下廊下に、クレハの声が静かに響いた。
騎士団長シルヴィアの前に跪いた彼女を、騎士たちの槍が取り囲んでいる。その傍らでは、エマを追ってきたカメラが、すべてを王国中へ伝えていた。
「そして、人間族に危害を加えた時は、この命をもってその罪を償う」
誰も言葉を発しなかった。
配信のコメントさえ、流れが止まったように見える。
「私は……この領地に救われた」
クレハは顔を上げた。
「エリオット少年――いや、領主殿の寛大な心で、ここにいることを許された。寝床を与えられ、食事を囲み、領民と呼んでもらった」
ダンジョンでは、その領主が今も戦っている。
自分を救うために、何もかも背負おうとしている。
「今度は、私がその心に応える番だ」
「クレハさん……」
エマは目元を拭った。手の甲に付いていた泥が頬へ移ったが、気にする余裕はなかった。
シルヴィアは、跪いた魔族をしばらく見下ろしていた。
「……どうやら、本気のようだな」
そして一転、鋭い声で騎士たちへ命じる。
「聖職者を呼べ。冒険者ギルドに同行していたはずだ」
「はっ!」
二人の騎士が慌ただしく駆け出していく。
「心意気はわかった。ただし、条件を追加させてもらう。人間族への加害だけではない。領地から逃亡した場合にも、同じ罰を受けてもらう」
「騎士団長様! それはあまりにも――」
抗議しかけたエマを、クレハが視線で制した。
「かまわない。もとより、命尽きるまで戦うつもりだ」
「…………そうか」
ほどなくして、白い法衣をまとった聖職者が騎士たちに伴われて現れた。
差し出されたクレハの手首へ、淡い光の紋様が刻まれていく。聖職者が条項を一つずつ読み上げ、そのたびにクレハは迷いなく同意した。
『本当に命を賭けるのか』
『そこまですんのか?』
『魔族の言葉なんて信用できない』
『だから契約するんだろ』
『逃げたら死ぬ契約で、それでも戦いに行くって……』
騎士団長立ち会いのもと、魔族が王国へ圧倒的に不利な契約を結ぶ。
前例のない儀式は瞬く間に視聴者を集め、今や王国でこの出来事を知らぬ者はいないと思えるほどの注目を浴びていた。
最後の光がクレハの胸へ吸い込まれる。
「…………これで契約は成った」
「礼を言う。エマ嬢、案内してくれ」
クレハは立ち上がると、両手へわずかに残った魔力を集中させた。
「……何をするつもりだ」
シルヴィアが警戒した直後、甲高い金属音が響く。
クレハの手枷が砕け、床へ転がった。
(な……こいつ、いつでも拘束を外せたとでもいうのか!?)
クレハは驚くシルヴィアを一瞥することもなく、エマへ向き直った。
「待て! せめて魔力を回復してから――」
「時間が惜しい。エマ嬢。いつものを頼む」
「“いつもの”って――んんっ!?」
クレハがエマの腰を引き寄せ、その唇を塞いだ。
――王国中が見守る中で交わされた、人間族と魔族の接吻。
驚いたエマが腕の中で身をよじる。だが、触れた場所から魔力を吸い上げられる感覚に、すぐ力が抜けていった。
『は?』
『え、なに』
『これ配信して大丈夫なやつ?』
『騎士団長の目が点になってる』
『魔力補給……だよな? 方法それしかないの?』
やがて唇が離れる。
魔力を取り戻して艶やかな顔をしたクレハに対し、エマは膝から崩れかけていた。
「では、行こう」
「ふぁ、ふぁい……」
「ふむ……少し急ぎすぎたか」
クレハはふらつくエマを抱き上げた。
「~~~!?」
顔を真っ赤にしたエマは、クレハの胸元へ顔を埋めるしかない。
クレハが片手を伸ばすと、部屋の隅に置かれていた愛刀が黒い魔力に引かれ、その手へ収まった。
「案内を頼むぞ」
「……は、はい……!」
次の瞬間、クレハはエマを抱いたまま廊下を駆け抜け、勢いよく基地を飛び出した。
残されたシルヴィアは、しばらく閉じない口を押さえようともしなかった。
「…………何だったのだ、今のは」
『それはこっちの台詞すぎる』
『魔力を吸い取ったんだろ』
『方法!』
『あれだけ厳かな契約をした直後にこれかよ!』
ともかく、エリオットがエマへ託した任務は果たされた。
あとは――間に合うかどうかだった。
◇◇◇◇◇◇
「ねえ、アンタ! 本当に大丈夫!?」
リゼットの叫びが、魔物の咆哮に満ちたダンジョンへ響く。
エリオットは返事の代わりに魔術を魔物に向ける。
風の刃が獣型の魔物を斬り裂いた。だが、その背後から別の一体が飛びかかり、バルガスの大剣が寸前で弾き飛ばした。
「エリオットの旦那ぁ! もうさすがに撤退するべきじゃねえか!?」
「大丈夫です! エマさんは、必ず戻ってきます!」
「それに、もう撤退できる状況でもねえですぜ!」
ニックの言うとおりだった。
奥から来た魔物は脇道へ回り込み、エリオットたちを囲み始めている。入り口へ戻る道も、いつ塞がれてもおかしくない。
「……我が刀も、すでに限界」
シグの刀には幾つもの刃こぼれが生じていた。
「魔力回復薬も、これで最後です!」
カーネルが残った一本をエリオットへ投げ渡す。
魔力も、武器も、体力も尽きかけている。
ここで自分たちが倒れれば、魔物は地上へ溢れ出し、領地へ押し寄せるだろう。
(エマさん……クレハさん……!)
小瓶を飲み干し、エリオットは震える足を踏みしめた。
到着が先か。
自分たちが崩れるのが先か。
一刻を争う戦いは、なおも続いていた。




