第10話「新天地にやってきたのに嫌な予感がします」
## 第10話「新天地にやってきたのに嫌な予感がします」
### 【あらすじ】
死の大地で、骸骨兵士を一人で倒したエマ。
配信の視聴者数は一万人を突破したが、その背後には魔物の大群が迫っていた。
エリオットは、エマの笑顔と迫る魔物を二台のカメラで映し、絶体絶命の瞬間に配信を終了する。
しかし、それはエリオットが作り上げた演出だった。
二人は風魔術で加速し、放棄されたノクスヴェルト家の探索基地を目指して逃走するのだった。
### 【本文】
「うっ……うぅ……エマ……」
とある馬車の中で、女性が咽び泣いていた。
座席の隅に身を縮め、両手で顔を覆っている。
肩は震え、指の隙間からは涙がこぼれていた。
彼女の名は、リゼット。
王都で絶大な人気を誇るダンジョン配信グループ、“レイド・スターズ”のアサシンである。
「お、おい……姉ちゃん、大丈夫か?」
向かいに座っていた乗客の男が、見かねて声をかけた。
――しかし、それを御者台の男が止める。
「……そっとしておいてやれ」
「いや、でもよぉ……」
「お嬢ちゃん、“レイド・スターズ”のリゼットだろ?」
御者に言われ、乗客の男は改めてリゼットを見る。
動きやすさを重視した軽装。
腰に下げた二本の短剣。
そして、外套の隙間から覗く、“レイド・スターズ”の紋章。
「ああ……なるほど。今の配信――そりゃ、そうか」
リゼットの身体がびくりと震えた。
この馬車は、一般的な乗合馬車ではない。
王都と主要都市を結ぶ、少々値の張る高速馬車である。
座席は柔らかく、魔物から馬車を守る護衛もついている。さらに車内には、移動中でも人気配信を楽しめるよう、ライブクリスタルまで常設されていた。
リゼットがこの馬車を選んだ理由は、死の大地へ向かいながら、エマの状況を確認するためだった。
そして先ほどまで、そのライブクリスタルには魔物の大群を背に笑うエマの姿が映っていた。
「お嬢ちゃんには悪いが……ありゃ助からん」
乗客の男が、気の毒そうに首を振った。
「あの距離じゃ逃げられねえ。今頃は魔物の大群に群がられて……骨も残らんだろ――」
「おい、その辺にしておけ」
御者がたしなめる。
だが、遅かった。
「うっ――!」
リゼットは口元を押さえた。
次の瞬間、その場に吐いてしまう。
「わ、悪かったよ! おい、なんか拭くものくれ!」
二人の男が慌てる声も、今のリゼットには届かない。
(エマ……エマ……!)
頭に浮かぶのは、かつて仲間だった彼女の顔。
荷物を整理しながら笑い、戦闘が始まればいつも隅でみんなを応援する。
ポーターとして、ミスは多かったが、嫌われてはいなかった。
ぞんざいに扱われてはいたけど、誰もエマがこんな最期を遂げることを望んでなどいなかったはずだ。
(私が……私が守ってあげなきゃいけなかったのに)
パーティーから追放されると聞いたとき、何もできなかった。
エマが傷ついていることに気づきながら、仲間たちへ強く反対できなかった。
その結果、彼女は一人で死の大地へ向かい――
(ごめんなさい……私のせい。エマが死んじゃったのは、私の――)
「それにしても、すげえ配信だったよな」
床を拭きながら、乗客の男が呟いた。
「ああ、それについては同感だ」
御者も前を向いたまま答える。
「あんなふうに映像が切り替わる配信なんざ、見たことがねえ。地上から映したり、上空から映したり……俺は戦闘に関しちゃ素人だが――あれが本物のモンスターとの戦闘かと思うと恐ろしくなった」
「配信が終わる直前も、ヤバかったよな。あの姉ちゃんの笑顔の後ろに魔物の大群が映り込んで――そこで終わりだろ? ありゃ反則だ」
何気ない会話。
だが、リゼットはゆっくりと顔を上げた。
(二台のカメラを……切り替える?)
聞き覚えがあった。
リゼットのジョブは、アサシン。
さらに彼女は、その道を極めつつある猛者でもある。
彼女が持つスキル“暗殺術”は、その昔、この大陸で恐れられた盗賊団が使用していた伝説のスキル。周囲の気配だけでなく、常人なら聞き逃すほど小さな音まで拾う。
だから、知っていた。
“レイド・スターズ”がよく利用する酒場。
その片隅で、いつも配信を見ながら何かを呟いていた少年のことを。
『カメラを増やして、場面ごとに映像を切り替えればいいのに』
『一台は演者の表情、もう一台は戦闘の全体を――』
そんな言葉を、何度も繰り返していた。
身なりの良さと、“ノクスヴェルト”という家名。
リゼットは、増長した貴族の子供にありがちな戯言だと思い、聞き流していた。
だが――
(まさか、本当に……?)
これまで見たことのない、二台のカメラを使った配信。
その中で、死の大地に一人で立たされていたエマ。
最後には逃げ場のないほどの魔物を呼び寄せ、彼女が死ぬ瞬間さえ見世物にしようとした。
散らばっていた情報が、リゼットの中で一つにつながっていく。
もちろん、それは大きな誤解だった。
しかし、配信が途切れた今、それを訂正できる者はこの馬車にいない。
(もし、エマが……そんな貴族のくだらない実験のために死んだのなら)
リゼットが拳を握りしめる。
爪の食い込んだ掌から、血が滲んだ。
(たとえ相手が王国一の貴族だとしても、必ず――報いを受けさせてやる)
馬車が、わずかに揺れた。
「……ん?」
乗客の男が顔を上げる。
先ほどまで座席にいたはずのリゼットが、消えている。
残されていたのは、座席の上に置かれた馬車代だけだった。
「いつ降りたんだ……?」
御者が振り返る。
しかし、街道のどこにも彼女の姿は見えない。
復讐を誓ったアサシンは、すでに死の大地へ向かって走り出していた。
◇◇◇◇◇◇
「いやー! 逃げ切りましたね!」
死の大地にある、旧ノクスヴェルト探索基地。
そのボロボロの廃屋へ、エリオットが転がり込んだ。
背負っていた大型の配信魔導具を床へ下ろし、大きく伸びをする。
「我ながら完璧な撤収でしたね」
続いて、エマが扉から倒れ込んだ。
仰向けに倒れ、激しく肩で――いや、胸で息をしている。
「エ、エリオットさん……なんで……そんなに、元気なんですか……」
「日頃の鍛錬です」
「そんな大きいの、背負って……私より、走ってたのに……」
「ああ。風魔術で、自分の移動を補助していましたから」
エマが上体を上げた。
「ずるいですーーー!!!!」
素っ頓狂な叫びが、死の大地にこだました。
「エマさんにも使いましたよ?」
「嘘です! 全然そんな感じしませんでしたー!」
「強くしすぎると転ぶじゃないですか」
「ひどい!」
エマは再び床に寝転がった。
――しばらく起き上がれそうにない。
エリオットは苦笑すると、改めて廃屋の中を見回した。
ひび割れた壁。
朽ちかけた机と椅子。
隅には、錆びついた剣や、空になった木箱が積まれている。
何年も放置された建物と聞いていたが、やけに生活感のある品々が置かれている。
さらに、追跡してきていた魔物たちは、一定の距離からこちらへ近づこうとしなかった。
(……それにしても、さすが父上、といったところですかね)
エリオットは壁へ近づき、薄く刻まれた術式を指でなぞる。
(放棄されたとはいえ、まだ魔物避けの結界が効果を発揮してる。ずいぶん効力は下がっていますが――)
廃屋を中心に、かなり高度な結界魔術が張られていた形跡がある。
拠点の外周。
建物の四隅。
さらに地下にも、魔力を循環させるための術式が埋められているようだった。
「どうかしたんですか?」
ようやく呼吸を整えたエマが、床に寝転がったまま尋ねる。
「いえ。剣術剣術と言いながら、あの人、やることはやってるんだなと」
エマはピンときていない様子だったが、エリオットにはその凄さがよく分かる。
(正直なところ、前世の記憶がある俺でも、剣術と魔術をここまで両立させるのは難しいかもしれねえ)
「エリオットさん……?」
難しい顔をするエリオットに、エマが声をかける。
「ああ、なんでもね――何でもないですよ」
思わず前世の言葉遣いが出そうになったエリオット。
エマは怪訝な顔をしたが、追求はなかった。
しばらくして、安全な拠点へたどり着けたこともあってか、二人から緊張が抜けていく。
「さて。少し休んだら、掃除と機材の確認をしましょう」
「……今日はもう休みませんか……?」
「一万人以上が、次の配信を待っているのに、ですか?」
「……い、いちまんにん?」
エマの目が点になる。
「ああ、まだ見せてませんでしたね」
エリオットは配信機材を起動し、エマに見せる。
登録者数は、ゆうに一万人を超えていた。
「…………お腹痛いです」
「じゃあ、十分だけ休みましょうか」
「短いです!」
誰もいない廃屋に、二人の声が響く。
そんな緊張感の欠片もない二人は、まだ知らない。
エマを死なせたと思い込み、復讐を誓ったアサシンが、死の大地を目指していることを。




