恋しさの正体
ヒョンジュと別れ、そのまま家へ戻ってきたジェヒは、どうにも引っかかるものがあり、なかなか気持ちが落ち着かなかった。
夢の中で確かめなければならないことが、山ほどある。
人前で告白までしたというのに、どうして二人の関係はあんなふうに曖昧なまま終わってしまったのか。
そして、高校三年生の夏。
ジョンウと自分は、なぜあれほど怒って言い争ったのか。
なぜジョンウは、跡形もなく姿を消してしまったのか。
そして最後に、ジョンウの近況を尋ねただけなのに、セジンはなぜあそこまで過敏に反応するのか。
もちろん、その疑問のほとんどは今すぐ解決できるものではなかった。
今のペースでいけば、これから何度も夢を見なければ知ることのできないことばかりだ。
『あの頃、日記でもつけておけばよかったのに……』
大切な出来事をはっきりと思い出せない自分が、もどかしくて、そして腹立たしくなるジェヒだった。
【翌朝】
『くそっ』
ジェヒの口から思わず声が漏れた。
あれこれ考えてしまい、なかなか眠りにつけなかったジェヒは、結局ほとんど眠れないまま月曜日の朝を迎えてしまった。
確かめなければならないことは山ほどある。
焦りと苛立ちが入り混じり、ジェヒの眉間には深いしわが刻まれていた。
しかもジェヒにとって、毎晩というのは『ジョンウに会える大切な機会』でもある。
その機会を、こんなふうに逃してしまうなんて。
『くそっ』と悪態をつきたくなるのも当然だった。
そんな朝からすっかり神経を尖らせた状態で会社のオフィスに入ったジェヒの前に、明るい顔をしたヒョンが現れた。
「ジェヒさん、ゆっくり休めました?」
「はい。ヒョンさんは?」
「僕もです」
ヒョンが答えた。
正直なところ、今のジェヒにとってテンションの高いヒョンは、それほど嬉しい存在ではなかった。
頭の中は複雑だし、ろくに眠れてもいない。
それに、一度途切れてしまった夢が、今日を境に永遠に見られなくなってしまうのではないか――そんな漠然とした不安まで抱えていた。
だから、その苛立ちが何の罪もないヒョンに向かってしまわないかと、少し心配でもあった。
形式的な朝の挨拶も済んだことだし、もう自分の席に戻ってくれればいいのに。
そう思っていたのだが。
やはりヒョンは、そう簡単には引き下がらなかった。
「ジェヒさん、僕たち一階に行ってコーヒーでも飲みません?」
「月曜の朝なんて、まだ急ぎの仕事もないじゃないですか~」
甘えるような声を出しながら、ヒョンがジェヒの隣にぴたりとくっついた。
「あ……」
「ほら、今すぐ行きましょう、今すぐ!」
ジェヒがためらっていると、ヒョンは強引にジェヒの腕を引っ張り、歩くよう促した。
その様子を見る限り、どうやら簡単には諦めてくれそうにない。
『そうだな。どうせ一人で頭を抱えていたって、解決することじゃないし。
それなら、ヒョンと他愛もない話でもして、少し頭を切り替えるのも悪くないか』
結局、降参したジェヒはヒョンについて一階のカフェへ向かった。
カフェに到着して注文を済ませ、適当な席に腰を下ろした二人。
ヒョンは席に座るやいなや、会社にまつわるあれこれとしたゴシップを次々と話し始めた。
もちろん、その中には先週の金曜日に話していた品質管理チームのキム課長の話も含まれていた。
「彼女が泣きながら会いに来たらしいですよ。初恋の相手が、自分の記憶の中にいる初恋とはずいぶん違ってたんでしょうね。昔の気持ちに酔って、一時的にどうかしてたみたいだって。『俺にはお前しかいない』って、すがったらしいですよ?」
「それで?」
「それで結局、また結婚することにしたみたいです。キム課長も大したものですよね」
「ああ、そうなんだ……」
ジェヒはコーヒーを一口飲んだ。
今日はなぜか、いつもよりコーヒーの香りが苦く感じられた。
『結局、キム課長の彼女の初恋は、ああやって終わったんだ……』
ジェヒの頭の中を、ジョンウの姿がふっとよぎった。
「やっぱり初恋って、初恋のままにしておくのが一番いいんでしょうか?」
「……」
ヒョンが口を開いた。
「正直、初恋って……あまりにも昔のことだから、記憶もぼんやりしてるじゃないですか。ただ、その頃に感じてた『好きだった』っていう感覚だけが残ってるんですよね。
僕も高校生の頃に好きだった先輩がいたんですけど、その人については、そんなにたくさんのことを覚えてないんですよ。ただ思い出すと、『ああ、あの頃、あの人のこと本当に好きだったな』って思うくらいで」
「……」
「それで、よく考えてみたら、なんていうか……今の僕がその人をまだ恋しく思ってるっていうのは、ちょっと違う気がして……」
ヒョンは少し考え込んでから、再び口を開いた。
「そう! それですよ。あの人が恋しいというより、ただ……あの頃の自分が恋しいんですよ!」
そして、どこか納得したように続けた。
「なんとなく、そんな気がするんですよね。ジェヒさんも、そう思いません?」
ヒョンがジェヒを見つめて尋ねた。
しかし、ジェヒは答えなかった。
その代わり、コーヒーカップを持つ二本の指に、妙に力が入った。
『ジョンウが恋しいんじゃなくて、ただあの頃の自分が恋しい……ってこと?』
ヒョンの言葉を聞いていると、ただでさえ複雑だった頭の中が、さらに混乱していくようだった。
ただ他愛もない話でも聞きながら、少しの間だけでもこの複雑な考えを頭から追い出そうと思って、ここまでついてきたのに……。
いつの間にか初恋の話になり、今度はジョンウに対する自分の気持ちまで疑わなければならなくなってしまった。
今にも頭が破裂しそうだった。
ジェヒの表情が、次第に険しくなり始めたその時だった。
『ピロン――』
携帯電話から軽快な通知音が鳴った。
チーム長からの呼び出しだった。
「ヒョンさん。僕たち、今上に戻ったほうがよさそうです。チーム長が会議室に集まれって」
「え? 何かあったんですか?」
ジェヒが席を立つと、ヒョンも慌てて残ったコーヒーを一気に飲み干した。
そしてすぐにジェヒの後を追った。
そうして慌ただしく会議室へ入ったジェヒとヒョン。
チーム長の表情を見るに、どうやら何か良い話を持ってきたようだった。
「うちとずっとコンタクトを取ってたブランドの担当者と、昨日たまたま会ったんだ。コーヒーでも飲みながら、以前話してた新商品のローンチについて、その後何か進展があったのか聞いてみたんだけど……」
チーム長が話し始めると、チーム全員の視線が一斉に彼へ集まった。
「どうやら、新商品のローンチについては、ほぼ方向性が決まったみたいなんだ」
「それで、ちょうどこれからうちとも話を進めようと思ってたらしくてな。あの時、誰だったっけ? 会議中に、新進作家たちと一緒にグラビアを制作してみるのもいいんじゃないかって、さりげなく言ってたの」
チーム長が言い終わるや否や、ヒョンが勢いよく手を挙げ、にっこり笑った。
「そう、ヒョンさん。いいね。
それで、その話を思い出したから、昨日の会話の中でさりげなく話題に出してみたんだ。そしたらブランド側がすごく興味を持ってくれてね。
今朝も出勤途中に連絡が来て、実際に一度ミーティングをして詳しく話してみたいって」
チーム長がヒョンを指しながら満足そうに笑うと、ヒョンの頬が一気に赤くなった。
チーム長はそのまま話を続けた。
「ああ、それから、あの時ちょっと出てたアイデアもあっただろ。ウェブマガジン形式でドライブ展示をするってやつ。あれも結構新鮮に感じたみたいだ。
前に念のため、作家のリストアップをしておいたよな?」
「はい。コンタクト用の資料を準備して、水曜日の退勤前までには一度お見せできるようにします」
ヒョンが答えた。
「うん。いいね。
あ、それとこれは俺の考えなんだけど、あのブランドの特性上、オフラインのローンチイベントもまた大きくやるだろうからさ。
だから、このウェブマガジン形式の企画を、次のローンチイベントにまでうまく絡められる方法があるといいと思うんだけど……」
そう言いながら、チーム長はゆっくりとジェヒへ視線を移した。
「何かいいアイデアある?」
結局、チーム長と目が合ってしまったジェヒ。
何かそれらしい答えがジェヒの口から出てくることを期待しているようだった。
しかし残念ながら、今のジェヒには、何か気の利いたアイデアを考え出せるほどの心の余裕がなかった。
『どうしよう……』
余計な焦りから、左足が小刻みに震え始めた、その時だった。
ふとジェヒの頭に、ジョンウの顔とともに、ジョンウとセジンが勤めている出版社の名前が浮かんだ。
「出版社とのコラボを提案してみるのはどうでしょうか?」
ジェヒは慎重に言葉を続けた。
「コラボという形なら費用面もある程度抑えられますし、同時にブランドと出版社の双方が新進作家たちに機会を提供して、活躍の場を広げる……という形にすれば、ブランドイメージの向上にもつなげられるんじゃないかと……」
ジェヒが言葉を濁すと、チーム長は「続けてみろ」と言うように、手をひらひらと動かした。
「事前にはオンラインでウェブマガジン形式のドライブ展示をしてプロモーションして、ローンチと同時に行うオフラインイベントは、若い人たちが好みそうなポップアップ形式にするのも悪くないと思います。ブランドのターゲットも、ちょうどそのあたりですし……。
それから、ウェブで見たマガジンブックを実物にして、特典として販売すれば、その収益もシェアできますし……」
「うん」
「まあ、今は思いついたものをそのまま出しているだけですけど。もう少し考えれば、結構いい形にできそうな気はします。ただ、実現可能かどうかも見てみないといけないので……」
ジェヒが話し終えると、チーム長は頷いた。
「いいね。まだ提案する段階だから、そこまで力を入れなくてもいい。
出版社はどこがいいかな? 何か考えてるところある?」
チーム長が尋ねた。
「あ、ぱっと思いつくところなら……」
ジェヒは、セジンとジョンウが勤めている出版社の名前を口にした。
業界で圧倒的な一位というわけではないものの、上位にランクインしている出版社で、他社に比べて実験的な取り組みも多い。
今回の企画を提案する相手としては、かなり適しているのではないかと思った。
幸い、チーム長も同じように考えたらしい。
「うん、そうだな。とりあえず当たってみよう。ダメなら他の出版社もあるし。
まずはブランド側とのミーティング前に、こういう趣旨のコラボに参加する意思があるかどうかくらいは確認しておいたほうがいいと思うんだけど、早めに動ける?」
「はい。できるだけ早く企画書を作成して、先方の広報部と一度ミーティングを組んでみます」
「いいね」
チーム長の承認が下りてようやく、ジェヒはふうっと深く息を吐いた。
そして思った。
この出版社とのコラボを思いついたのは、もちろん仕事上の関連性もあった。
けれど、その理由の大部分を占めていたのは、やはりジョンウだった。
仕事を口実に、その出版社へ何度も足を運ぶようになれば、自然とジョンウと顔を合わせる機会ができるかもしれない。
そうなれば、今のようにセジンを頼る必要もなくなる。
ジョンウと二人きりで、いろいろな話をする機会も増えるはずだ。
そうさえなれば――。
なぜ自分たちが自然と離れてしまったのか。
あの頃、二人はどんな気持ちだったのか。
そして今は、どんな気持ちなのか。
そのすべてを、一度に確かめることができる。
ジョンウに会えるかもしれない。
そう思った瞬間、ジェヒの心臓が速く鼓動し始めた。
ドクン、ドクン、ドクン。
これは、証明のようなものだった。
ついさっき、カフェでヒョンが言ったことが『間違っている』と気づかせてくれる証明。
『私が恋しいのはジョンウじゃなくて、あの頃の自分だって? 違う』
ジェヒには、はっきりと分かった。
ジョンウのことを思い浮かべるだけで。
また会えるかもしれないという希望を抱くだけで。
こんなにも胸がいっぱいになって、切ないほど痛むのを見ると……。
自分が恋しいのは、間違いなく――ジョンウ。
あの頃の自分ではなく、ジョンウを。
今もなお、恋しく思っているのだと。




