警戒心
押し寄せる羞恥心に耐えきれず、教室へと一目散に駆けていったジェヒ。
ぎゅっと目を閉じ、再び開くと、見慣れた天井が目に入った。
『目が覚めたんだ……』
夢から覚めたジェヒは、なかなか高鳴る鼓動を落ち着かせることができなかった。
『全校生徒の前で告白するなんて……。こんなの、予想してなかったのに』
ついさっきまで夢の中で見ていたジョンウの赤く染まった顔が、頭から離れない。
ここまでまったく違う過去を作り出してしまうなんて。
興奮のあまり、二、三度深く息を吐き出していたそのとき、傍らに置いていたジェヒのスマートフォンがけたたましく鳴り始めた。
音の発信源は、メッセージアプリだった。
見覚えのある名前がずらりと並ぶグループチャットで、高校時代に生徒会長を務めていたジョンミンがメッセージを送っていた。
『みんな、久しぶり。元気にしてた? 久しぶりに連絡する友達も結構いるな。
それでなんだけど、同窓会に参加できそうな人たちでグループを作ってみたんだ。
そろそろ日にちを決めたほうがいいかなと思って』
ジョンミンのメッセージを皮切りに、大勢の友人たちから次々と返信が届いた。
同窓会は、二週間ほど先に開かれることになった。
いくつか候補日はあったものの、ほとんどの友人が都合をつけられる日がその日だったため、自然と決まったのだ。
思っていたより急な予定ではあったが、むしろ都合がよかった。
一日でも早くジョンウに会えることが、何よりも重要だったからだ。
仕事のほうも、急ぎのプロジェクトはすべて片付いていた。むしろ二週間後くらいの予定なら、今後どんな変更が起こるか分からず、確実に参加できるとは言い切れなかったかもしれない。
高校を卒業してから、初めての同窓会。
ジェヒはジョンウに会えるかもしれないという期待を胸に、グループチャットに招待されたメンバーの名前を一人ずつ確認し始めた。
『カン・ヒョンジュ、モ・セジン……』
見覚えのある名前がいくつか目に入った。
けれど、残念ながらジョンウの名前は見つからなかった。
『ジョンウは……来ないのかな?』
ジェヒは少し落胆した。
だが、まだ何も確定したわけではない。
ジョンミンがこのグループを作るとき、ジョンウを招待し忘れたのかもしれない。
あるいは、ジョンウの連絡先を知らず、まだ参加するかどうか確認できていない可能性もある。
もしそうなら、今でもジョンウと付き合いのあるモ・セジンを通して確認すればいい。
そうやって一縷の望みを抱くことにしたジェヒは、すぐにソーシャルメディアのアプリを開き、セジンとのメッセージ画面へと指を走らせた。
ジェヒの指先が、かすかに震えた。
それも当然だった。
セジンとのソーシャルメディア上のメッセージ画面は、ジェヒにとって、単にジョンウが同窓会に参加するかどうかを確認するための手段というだけではなかった。
今、自分の身に起きている非現実的な出来事を、現実のものとして証明してくれる装置のようなものだった。
単なる夢ではないことを証明してくれる証拠。
そして、過去を変えることで未来も変わるかもしれないという希望を見せてくれる媒介でもあった。
ジェヒは一度大きく深呼吸すると、セジンとのメッセージ画面をスマートフォンいっぱいに表示した。
『あなたがジョンウと一緒に撮った写真を見たよ。なんだか嬉しかった。ジョンウは元気にしてる?』
画面には、先日の朝にジェヒが送った、見覚えのあるメッセージが表示されていた。
そして、その下にはセジンからの冷たい返信も、そのまま残っていた。
『悪いけど、ジェヒ。こういう連絡をされるのは、ちょっと不快に感じる』
ジェヒは、改めて目にしたセジンの冷たい返信に、わずかに眉をひそめた。
ここまでは、まだ何も変わっていなかった。
だが幸いにも、その後に続いていたメッセージは、以前とは違っていた。
『ジョンウは元気にしてる。でも、俺がお前とジョンウの近況を話す理由はないと思うんだ』
この返信も、ジェヒにとっては相変わらず冷たく、寂しさを感じさせるものだった。
それでも、以前届いた「もう連絡せずに過ごそう」という断固とした返信に比べれば、まあ、まだマシだろう。
そうやって自分を慰めるジェヒだった。
ただ、一つ残念なことがあった。
夢を通して未来を変えることには成功したものの、期待していたほど目に見える変化は起きていなかったのだ。
藤棚の下での公開告白よりも、もっと大きな何かをしなければ、すれ違ってしまったジョンウとの関係を、もう一度正しい形に戻すことはできないのだろうか。
途方に暮れたジェヒは、小さくため息をついた。
『ジョンウは元気にしてるけど』
『俺がお前と』
『ジョンウの近況を話す理由は』
『ないと思うんだ』
セジンから届いたメッセージを一文ずつ分解するように読み返していたジェヒは……力なくスマートフォンをぽん、と横に置いた。
『ジョンウが同窓会に来るかどうか聞くのは、また今度にしよう』
ジェヒのため息が、さらに深くなりかけたそのときだった。
ちょうどそのタイミングで、ヒョンジュから連絡が来た。
ジェヒがグループチャットを確認したか聞くついでに、久しぶりに顔を合わせようという誘いだった。
「じゃあ、二時間後にあのカフェで会おう」
通話を終えると、ジェヒは急いで出かける支度を始めた。
以前聞いたとき、ヒョンジュもジョンウやセジンの近況についてはよく知らないと言っていた。
それでも、何しろ記憶力のいい友達だ。
話をしているうちに、過去に何があったのか。
自分が覚えていない、何かの出来事があったのか。
もしかしたら、その「手がかり」を得られるかもしれない。
そして、もう一つ。
さっきの夢の中で変えてしまった過去。
つまり、藤棚の下で公開告白をしたあとの自分とジョンウがどうなったのかということも、気になって仕方がなかった。
もちろん、今夜また夢を見ることができれば、その続きを知ることはできるだろう。
けれど、それまで待つには、ジェヒの気持ちはあまりにも焦っていた。
* * *
ジェヒが店のドアを開けて入ると、ヒョンジュが手を振りながら嬉しそうに挨拶をしてきた。
数か月ぶりに会ったヒョンジュは、以前とはかなり変わっていた。
前に会ったときは濃い茶色だった髪が、いつの間にか鮮やかなオレンジ色に染まっている。
胸元まであった髪も、耳のすぐ下までばっさりと切られていた。
「髪型変えたんだ?」
「うん。もっと歳を取ったら、こういう色はもうできない気がして。
どう? 似合ってる?」
「うん。似合ってる」
ヒョンジュがにっこりと笑った。
「それより、あんた最近どうしてるの? この前会ったときは仕事ですごく忙しそうだったし、疲れてたじゃん。
ちゃんと終わった?」
ジェヒは席に座るなり、ヒョンジュが先に注文しておいてくれたアイスコーヒーを一口飲み、頷いた。
「うん。幸い、ちゃんと終わったよ。当分は少しゆっくりできそう」
「よかった!」
ヒョンジュが続けて尋ねた。
「でも、あんた何か悩みある? 顔色がなんか……げっそりしてる!」
「そう?」
「うん。最近ちゃんと寝てる?」
ヒョンジュが心配そうな目でジェヒを見つめた。
「ううん、寝てるよ。むしろ寝すぎるくらいで、そこは助かってる」
ジェヒが答えた。
「ただ……」
「ただ?」
「……」
ジョンウについて、どう切り出せばいいだろう。
どう話し始めれば不自然にならず、それでいて自分が欲しい答えをきちんと引き出せるだろう。
ジェヒがしばらく考えていると、ヒョンジュが先に口を開いた。
「もしかして、ジョンウの話?」
「……!」
勘の鋭いヒョンジュだった。
ジェヒが「どうして分かったの?」と言わんばかりに目を丸くして見つめると、ヒョンジュはやっぱりね、とでも言うようにニヤッと笑った。
「あんた、この前いきなりセジンとジョンウのこと聞いてきたじゃん。何かあるのかなって思ってたんだけど。
やっぱりジョンウのことなんだ?」
「ほんと、あんたには何も隠せないね」
「当然でしょ。私はあんたの顔を見るだけで、今日履いてる下着の色まで当てられるんだから」
ヒョンジュが豪快に笑った。
「それで? 何なの? 何がそんなにあんたを悩ませてるの?」
「うん……別に大したことじゃないんだけど」
ジェヒはまず、ジョンウと突然連絡が途絶えた高校三年生の夏について尋ね始めた。
あの頃、何か事件のようなものがなかったのか。
些細なことでも、何か覚えていることはないのか。
「うーん」
ヒョンジュはしばらく考えたあと、口を開いた。
「実は、その辺のことは私もよく分からないんだ。ジョンウと仲が良かったあんたですらよく覚えてないことなのに、私ならなおさら覚えてないよ」
ヒョンジュの答えに、ジェヒは失望を隠せなかった。
「……でも、一つだけぼんやり思い出せることはある」
「何?」
「たぶん、その頃だったと思う。あんたとジョンウの仲が悪くなったの」
「私とジョンウが?」
「うん。急に二人とも話さなくなって、すごく気まずそうだった記憶があるんだけど。違った?」
むしろヒョンジュのほうがジェヒに尋ね返した。
ジョンウとの仲が悪くなった出来事……。
ジェヒはじっくりと、過去の記憶を辿り始めた。
「あんたたち、毎日ずっと一緒にいたじゃん。
あ、あれ覚えてるでしょ? 食堂の前で」
ヒョンジュが続けた。
「藤棚の下で、あんたがジョンウに公開告白した事件!」
「ああ、うん! ちょうどそれを聞こうと思ってたんだけど……」
ヒョンジュが先に藤棚での出来事について話を振ってくれた。
するとジェヒは、待ってましたとばかりに、一番気になっていたあの日。
藤棚で公開告白をした「あと」の二人の関係について、詳しく尋ね始めた。
「そういえば、ちょっと不思議ではあったんだよね。
あんた、あんなに堂々と『私、イ・ジョンウが好き!』って告白したじゃん?
だから私は、二人が付き合うか、気まずくなるか、そのどっちかだと思ってたの。
なのに付き合うどころか、まるで親友みたいに急に仲良くなって、二年、三年ってずっとくっついて歩いてたじゃん」
「それで、終わり?」
「うん」
ヒョンジュは「なんでそんなこと私に聞くの?」とでも言いたげな顔で続けた。
「とにかく、ずっと友達だったよ。私もどういうことなんだろうって結構気になってたけど……。
まあ、あんたたち二人のことだから、そのときは詳しく聞かなかったんだよね。
でも今なら聞いてもいいかな。どういうことだったの?」
「……」
何も起こらなかった。
そう聞かされ、ジェヒは戸惑いのあまり、しばらく言葉を失った。
それでも、あれだけ大勢の生徒の前で告白したのだ。
それなのに、いったい何が、どうして、どこからすれ違ったのか。
ただの「友達」のまま?
どうにも理解できない部分だった。
やはりこれは、次の夢の中で答えを見つけるしかなさそうだった。
ジェヒが答えないでいると、ヒョンジュは興味なさそうな顔で目の前のコーヒーを一口飲み、話を続けた。
「まあ、それはそうとして。続きなんだけど……。
たぶん三年生の夏休みが始まる前だったと思う。その頃、急にあんたたち二人がものすごくよそよそしくなったの。
だから私、一時期こう思ったこともあったよ。
もしかして、みんなには付き合ってないふりをして、二人でこっそり付き合ってたけど、結局別れたのかなって」
「……」
高校三年生の夏休み頃。
ジョンウと自分が、よそよそしくならざるを得なかった出来事。
ヒョンジュの話を聞いていると、ふと、ジェヒの頭の中を一つの記憶が短くよぎった。
雨が激しく降っていた日。
自分のアパートの前で向かい合っていたジョンウ。
何が原因だったのか、その日、ジェヒはジョンウにひどく怒っていた。
『……なんで怒ったんだっけ?』
なかなか思い出せない記憶を、無理やり掘り返そうとするジェヒだったが、どうしても。
どうしても、その日、自分がなぜジョンウにあれほど怒っていたのかまでは思い出せなかった。
「……私、あんたに何か話してなかった?」
ジェヒがヒョンジュに尋ねた。
よく覚えていないからこそ、せめて何か手がかりを得られないかと、頼ってみたのだ。
「うーん。特には」
だが、ヒョンジュも同じだった。
そもそも二人は、当時の女子高生たちのように、くだらない話をあれこれ喋り続けるような性格でもなかった。
お互い、自分のことは自分でちゃんとやるだろうと、ある程度放っておくタイプに近かった。
実はそれこそが大きな長所であり、二人の関係が今まで小さなひび一つ入ることなく続いている秘訣でもあったのだが、今の状況では何の役にも立たなかった。
良く言えば「無難」だったものが、今この瞬間だけは「無関心」になってしまう。
そんな瞬間だった。
「まあ、とにかく。そのあと二学期になってからは、ジョンウを見なくなったよね。
あんただけじゃなくて、他のみんなもあの頃からジョンウと連絡が取れなくなったし」
「……」
「でも今考えてみると、高校三年生、それも二学期に転校する人なんている?
そもそも受け入れてくれる学校なんてあるの? 私、それも不思議だったんだよね」
「……」
深刻な表情で聞いているジェヒを見て、ヒョンジュは急いで話をまとめ始めた。
「まあ、とにかく。そんな感じでイ・ジョンウはいなくなった。おしまい。
私が覚えてるジョンウは、ここまでだよ」
「そっか」
「うん。もっと知りたいなら、やっぱり本人に直接聞くのが一番かもしれないし」
「うん。そうだね」
これ以上ヒョンジュとジョンウについて話しても、自分が知りたいことは分からないだろう。
そう直感したジェヒは、今度はセジンの話へと話題を変えた。
「じゃあ、セジンと私の間は?」
「急にセジン?」
あまりにも急な話題の変化に、ヒョンジュの顔には疑問符がいくつも浮かんだ。
「うん。久しぶりに連絡したんだけど……セジンが、なんだか私に怒ってるみたいに感じたの」
「あんたに?」
「うん」
ヒョンジュが真剣な顔で尋ねた。
「どんな感じで?」
「それが……」
ジェヒは、先週の金曜日から今朝までのセジンとのメッセージのやり取りを、ヒョンジュにすべて話し始めた。
ソーシャルメディアでセジンのアカウントを見つけ、懐かしさからメッセージを送ったこと。
そして、それに対してモ・セジンがどんな反応を見せたのか。
本当なら、最初は返信がなかったのに、夢の中で過去を変えたあとには返信が届いていたということも、「ありのまま」に伝えたかった。
けれど、そんなことを話すわけにはいかない。
だからジェヒは、今の現実で起きていることだけを、ありのままヒョンジュに伝えた。
「なるほど。確かに、ちょっとそういう感じはあるね」
「うん。だからもしかしたら、私がセジンを怒らせるようなことをしたのかなって。
私は覚えてないんだ」
「うーん……」
ジェヒの話を聞いたヒョンジュは、深く眉間にしわを寄せた。
「私の記憶にも、そんな出来事はないよ。
そもそもモ・セジンって、そんなに繊細なタイプでもなかったじゃん。
もし、あの単純なモ・セジンがあんたに腹を立てるようなことがあったんだとしたら、それはきっと大きな出来事だったはず。
だったら、私もちゃんと覚えてると思う」
「……」
「だから、私が思うにはね」
ヒョンジュが長い指でテーブルを、トン、トン、と叩きながら言った。
「これは、モ・セジンが直接あんたに何か嫌なことをされたっていうより……」
真剣な顔をしたヒョンジュを見つめていると、
「トン、トン」
テーブルを叩く音に合わせるように、ジェヒの心臓も緊張で、トク、トク、と鼓動を速めた。
「たぶん、あんたが『ジョンウ』の話を出したところで、何か警戒したんじゃないかな。私はそう感じる」
ヒョンジュの目が、細く鋭くなった。
これは幼い頃から、直感が研ぎ澄まされたときに出る、ヒョンジュの癖のようなものだった。
「あんたが最初に『元気にしてる?』ってメッセージを送ったときは、『うん、まあね』って返ってきたじゃん。
ちょっと素っ気なくはあるけど、それでも自分の近況を聞かれたことに対して、ただ質問に答えてるって感じが強いんだよね」
ジェヒが頷いた。
「でも、二回目にあんたが『ジョンウ』について聞いたときは見て。
ただジョンウと一緒に撮った写真を見た、ジョンウは元気にしてるのかって聞いただけなのに、すぐ返ってきた答えが『不快だ』だったじゃん」
「うん」
「『不快だ』って、その言葉から感じるのは、なんていうか……あんたにはジョンウのことを聞いてほしくないってことなんだよ」
「そうだね」
「それに、そのあとに続いた言葉は何?
『俺がお前とジョンウの近況を話す“理由”はない』でしょ?」
「うん。そう」
ヒョンジュが手のひらでテーブルを、バン、と叩いた。
「だから、結論はこれ。
セジンは今、ジェヒ、あんたに怒ってるんじゃない。
『ジョンウ』について尋ねてくるあんたを警戒してる。
そういうことなんだよ」
そして、ヒョンジュは続けた。
「でも、どうして?」
ヒョンジュが訝しげな表情を浮かべた。
ジェヒも同じだった。
頭に浮かぶ言葉は、たった一つ。
『どうして?』
何が理由で、どうして。
なぜセジンは、ジェヒが「ジョンウの近況」を尋ねることを、ここまで警戒するのだろう。
「これは……本人じゃないと分からないよね……」
「……」
「どうして」という問いに、答えは出なかった。
それでも、一つだけ。
さっきヒョンジュとの会話から得られたものがあるとすれば、それは――。
セジンの警戒心は、もしかするとヒョンジュの言う通り、
ジェヒという人間そのものに向けられているのではなく、
ジェヒが「ジョンウ」について尋ねているという状況。
その状況そのものを、警戒しているのかもしれないということだった。
そして、もしそうなのだとしたら、その理由が何なのかは、結局セジン本人が話してくれない限り、
夢の中にある過去を通して、ジェヒ自身が「直接」突き止めるしかない。
それだけだった。




