私たちの物語は、今から始まる
いつの間にか、退勤時間になっていた。
退勤時間が近づいていることにも気づかないほど仕事に没頭していたジェヒは、「帰らないんですか?」というヒョンの声にようやく気づき、数時間ぶりに曲がった腰を伸ばしながら、大きく伸びをした。
『これなら明日の午前中には終わりそう。社内で大きな意見の食い違いさえなければ、すぐにあの出版社の広報チームに連絡できそうね』
そう考えたジェヒは、急いで帰宅した。
空腹を適当にカップラーメンで満たし、そのままベッドに横になったジェヒは、昨日むなしく過ぎてしまった夜を、今日は絶対に無駄にしないと、改めて固く心に誓った。
昨日は一晩中眠れなかったうえ、一日中仕事に没頭していたせいで、もう体力が残っていなかったのだろうか。
ジェヒはほどなくして、深い夢の中へと沈んでいった。
*
再びジェヒが目を開けたとき、幸いにもそこは夢の中だった。
見慣れた、あの頃のジェヒの部屋の天井が視界に入ってくる。
『ふぅ、よかった。無事にまたここへ戻ってこられたんだ』
深い安堵のため息が漏れた。
このまま夢が途切れてしまうのではないかと、心のどこかで不安に思っていたジェヒにとって、再び目にしたこの見慣れた天井が、どれほど嬉しかったことか。
「待って、そういえば今はいつ?」
ジェヒは慌てて、傍らに置かれていた携帯電話を手に取った。
携帯電話のカレンダーには、今日の日付が8月18日と表示されていた。
『8月18日ってことは……』
ジェヒは素早く布団を蹴飛ばして起き上がると、リビングに掛けられたカレンダーの前へ駆けていった。
町内で無料配布されている、少し野暮ったくて大きなカレンダーには、8月28日に大きな丸印がつけられていた。
「始業式……」
その日は、ジェヒの夏休みが終わる日。
つまり、二学期が始まる始業式の日だった。
言い換えれば、前の体育祭の時点から一気に数か月が過ぎ、今、夢の中のジェヒがいるのは、始業式まであとわずか10日という、夏休みの終わり頃だということだった。
「もうそんなに時間が経ったの……!」
あれから、どうなったんだろう。
ジェヒは考えた。
前の夢でユ・ソンウンとの関係をあらかじめ断ち切っておいたのだから、その後の修学旅行で、ソンウンと時間を過ごすためにジョンウをないがしろにするようなことは、きっと起こらなかったはずだ。
それだけではない。
夏休み中、ソンウンがずっと話していた「あの姉さん」が、大学の夏休みを理由にこちらへやって来ることも。
そして、そのせいで一緒に映画を観に行く約束をしていた当日に、ソンウンに冷たくドタキャンされることも。
きっと、起こらなかったはずだった。
「そうだ、携帯!」
その瞬間、ジェヒの頭に携帯電話が浮かんだ。
メッセージやアルバムなどを調べてみれば、過去がどう変わったのか確認できるはずだ。
ジェヒは急いで部屋へ戻り、すぐに携帯電話のアルバムを開き始めた。
「やっぱり!」
アルバムを確認したジェヒの口から、喜びの声が飛び出した。
そこには、修学旅行先と思われる場所で撮った、ジェヒ、ヒョンジュ、イェジン、セジン、そしてジョンウの写真が何枚も収められていたのだ。
「一緒にお弁当も食べて、こんなポーズで写真も撮ったんだ……」
ジェヒの口元が、ふっと緩んだ。
写真の中のジョンウとジェヒは、本当に幸せそうな表情を浮かべていた。
藤棚の下での告白事件のあと、二人の間に何がどうあったのかは分からない。
けれど、今はそんなことは重要ではなかった。
過去には存在しなかった新しい思い出。
こんなにも素敵で、胸が熱くなるような思い出を、こうして胸の中に刻むことができたのだから。
そんなふうに、しばらく携帯電話の中に残された思い出に浸っていた、そのときだった。
ジェヒの頭の中に、以前はなかったいくつかの記憶が、次々と浮かび始めた。
みんなでお弁当を食べながら、お互いのおかずを取り合って笑い合っていたこと。
夜遅く、みんなで海を見に行って、先生に見つかって怒られたこと。
山登りの途中でジェヒが疲れてしまうと、ジョンウが代わりにバッグを背負い、手を差し伸べてくれたこと。
そんな記憶が、次々と蘇ってきた。
「これは……」
どうやらこれは、夢の中でジェヒが不在だった間に起こった出来事が、ジェヒの中に「記憶」として刻み込まれていく瞬間らしい。
自分自身が直接経験したわけではない。
けれど、これまでの夢によって過去が変わったことで、新しい記憶が付け加えられていく。
そんな、奇妙で不思議な現象だった。
ジェヒはふわふわとした不思議な気持ちに包まれたまま、続いてメッセージを開いてみた。
「こっちは特に何もないな……」
メッセージの中には、ジョンウとの間にこれといったやり取りは残っていなかった。
ただ、夏休みの間も元気に過ごしてね、というような形式的なやり取りが一、二件あるだけ。
それ以外は、ヒョンジュと時々会っていたらしいメッセージが残っている程度だった。
ヒョンジュが言っていた通り、ジョンウとジェヒの間には、本当に何もなかった。
藤棚の下での公開告白も、ただ面倒な女の子を一人遠ざけるための行動として片づけられてしまったのだろうか。
ジェヒの知るジョンウなら、きっと自分にその真意を尋ねてきたはずなのに。
携帯電話の中を隅々まで探してみても、これ以上、手がかりになりそうなものは見つからなかった。
頭が複雑になってきたジェヒは、とりあえずこうなった以上、チェックリストを書いておくことにした。
夢の中で確かめなければならないことの一覧だ。
一つ目。
あの日以降、ジョンウとジェヒの関係は、なぜそれ以上進展しなかったのか。
二つ目。
高校三年生の夏、ジョンウはなぜ突然、跡形もなく姿を消したのか。
そして、なぜセジンは、ジョンウの近況を尋ねることに対して、あれほど警戒しているのか。
ジェヒはすべてを書き終えた紙をノートからビリッと破り取ると、よく目につく壁の一角に貼り付けた。
『あ! そういえば……』
そのとき、ふと一つの記憶が蘇った。
そういえば、ソンウンにドタキャンされた日もちょうどこの頃だった。
『悪いけど、今日の約束は行けそうにない。姉さんが来たんだ』
ぼんやりと、そんなメッセージを受け取った記憶が蘇ってきた。
あの「綺麗な姉さん」のせいで、それまでジェヒと積み重ねてきた数々の思い出など眼中にもなかったソンウンに、思いきり振られたあの日。
静かな湖に大きな岩を投げ込まれたかのように、「苛立ち」という感情が大きな波となって、空高く高く噴き上がっていった、あの日のことだった。
『あのとき、ジョンウが現れたんだ』
続いて、また別の記憶がジェヒの頭の中に、ゆっくりと姿を現し始めた。
苛立ちを募らせたまま、バス停にぼんやりと座っていたジェヒの前へ、トボトボと歩いてくるジョンウの足。
そして、アイスクリームがたくさん入ったスーパーの袋から一つ取り出し、何も言わずに差し出してくれたジョンウの右手。
そんな記憶だった。
『まさか、今日の夢は……あの日、あの瞬間が核心なの?』
ジェヒは両手を合わせ、パンッと音を立てた。
『そうだ。そうじゃなきゃ、体育祭からいきなり今日まで飛んでくる理由なんてないもの!』
ジェヒは考えた。
あの日、あのバス停に座ってアイスクリームを分け合ったとき。
ただ「始業式の日に会おう」と軽く挨拶を交わして別れるのではなく、二人きりでもっと話をしたり、もっと早く距離を縮められるような何かをしていたら?
今の曖昧な記憶の中で、「ジョンウ」という存在が、ジェヒにとってただ「昔、仲が良かった」相手であり、叶わなかった「初恋」としてだけ残るのではなく、もっと特別な存在として残ることができたのではないか。
そんな気がした。
『とにかく、何も考えずに行ってみよう。私の予感が当たっているなら、今日、あのバス停でジョンウにもう一度会えるはず』
焦る気持ちを抑えきれないジェヒは、クローゼットから手に取った適当な外出着に着替えると、急いで靴下を履き始めた。
今のジョンウにとって、ジェヒはきっと、入学式の日、道端で初めて出会ったあの瞬間の、あの感情のままの存在だろう。
しかも、自分以外の男子と多くの時間を過ごしたわけでもない女の子。
それどころか、藤棚の下で大勢の人が見ている前で、自分のことが好きだとまで告白した女の子だ。
二人の関係がどうして曖昧なまま終わってしまったのかは、これからゆっくり確かめていけばいい。
とにかく今のジェヒは、ジョンウにとって、疑いや悩みを抱かせるような存在ではない。
そう考えれば、今日、バス停で再会したときの雰囲気も、当時とはきっと大きく違うはずだった。
『そういえば、私たちがまた近づき始めたのは……』
そうだ。
二学期が始まって、なんと半分ほどが過ぎた頃。
掃除当番で一緒に残ったジョンウといろいろな話をする中で、自分が小説家になるのが夢だと打ち明けた日。
そして、だったら自分は出版社の編集者になると、指切りをして約束した日。
遠回りを重ねた末に、ようやくあの日をきっかけに、二人は再び少しずつ近づいていったのだ。
『私が一番好きだった歌も、あの日に初めて一緒に聴き始めたんだっけ』
靴下を履き終えたジェヒの目の前には、所狭しと並んだ何冊ものノートがあった。
ジェヒが書き綴ってきた、たくさんの物語たちだった。
『そうだ。だったら、わざわざその日が来るのを待つ必要なんてない。
今日、全部決着をつけるんだ』
ジェヒは固い決意を胸に、引き出しに差し込まれていた大量のノートをまとめて抱え上げると、素早く玄関を飛び出した。
『ちょっとだけ待ってて、ジョンウ』
そして、歩いて三分もかからないバス停へ向かって、走り始めた。
何冊もの小説ノートを胸にぎゅっと抱えたまま。
ジョンウに会うための、あのバス停へ。
速く、速く。
焦るような駆け足とは裏腹に、ジェヒの顔には期待に満ちた明るい笑顔が浮かんでいた。
ああ、もちろん、その理由は決まっている。
これからジョンウと自分が作っていく、新しい過去。
そして、変わっていく未来のための「私たち」の物語は――
『今から始まるのだから。』




