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第6話 隣国工作員の影

 王都の商業地区は、朝陽が屋根の稜線を越えると同時に息を吹き返す。


 石畳の通りの両脇には色とりどりの商店が軒を連ね、瑞々しい野菜や果物を山と積んだ青果店、流行の仕立てを誇る衣料品店、異国の珍品を並べた雑貨商、実用一辺倒の金物屋が、それぞれ趣向を凝らした看板を掲げて客を呼び込んでいる。呼び声が幾重にも重なり、値切る声と笑い声が交錯し、通り全体がひとつの巨大な生き物のように脈打っていた。


 行き交う人々の表情も明るい。子供の手を引いた母親が品定めに目を光らせ、荷車を押す運搬人が額の汗を拭い、店先では商人と客が身振り手振りを交えて値段を競り合っている。その一つ一つの営みが、王国の活力そのものだ。


 空気には焼きたてのパンの香ばしさと、東方から運ばれた香辛料の鋭い匂いが複雑に溶け合っていた。そこに干し肉を燻す煙と、花屋の軒先に並ぶ薔薇の甘い芳香が加わり、この街区だけに存在する独特の空気を作り出している。


 レオポルト・ヴァイスハルトは、その賑わいの中を思索に沈みながら歩いていた。


「あの頃も、この通りはこんな匂いがしたな。同じ喧騒、同じ活気。だが俺の目に映る意味が、もうまるで違う」


 今日の目的は、デパート建設予定地の最終確認だった。


 オスカーとの設計会議では三つの候補地が挙がっている。一つ目は王宮に隣接する一等地。王権の威光を示すには申し分のない場所で、貴族たちの訪問にも便利だ。二つ目は商業地区のど真ん中。取引の効率性では文句なしの立地だが、庶民の住居からは遠い。そして三つ目が、商業地区と一般住宅街の境界に位置するエリアだ。


 第一周目でレオポルトが選んだのは、一つ目の王宮近くだった。豪奢な王立デパートとして、国の繁栄を内外に誇示する。その判断は、当時の彼には合理的に思えた。


 だが現実はどうだったか。


 庶民は王宮の隣という立地に萎縮した。「あれは貴族様のための贅沢な遊び場だ」と囁き合い、足を向けようとしなかった。デパートは貴族専用のサロンと化し、レオポルトが掲げた平等と透明性の理念は、立地という最も根本的な選択の誤りによって音を立てて崩れ落ちたのだ。


「今回は正しい選択をする」


 レオポルトはそう呟いてから、わずかに口元を歪めた。


「いや……正しい選択、というのも傲慢か。前回だって正しいつもりだった。結局のところ、何一つ民の目線に立てていなかっただけの話だ」


 足は迷うことなく三つ目の候補地へ向かっていた。


 商業地区と住宅街の境界。貴族の馬車も乗り入れやすく、庶民が徒歩で気軽に足を運べる場所。どちらの勢力圏にも偏らない、中立の地帯だ。そこにこそ、本当の意味での平等が根づく土壌がある。


「オスカー先生が言っていたな。『建物は土地に根を下ろす。根が腐れば、どんな壮麗な建築も崩れる』と。あの言葉は構造設計だけの話じゃない。立地そのものが、建築の思想を規定するんだ」


 やがてレオポルトは、噴水広場に面した広大な空き地へ足を踏み入れた。


 広場の中央には石造りの噴水が水を湛え、周囲を緑の木立が囲んでいる。木漏れ日が石畳に柔らかな模様を描き、噴水の水音が喧騒をほどよく遮って、一帯には穏やかな空気が漂っていた。その広場の東側に位置する空き地は、かつて大きな穀物倉庫が建っていた場所で、数年前の火災で焼失して以降、瓦礫こそ片付けられたものの、手つかずのまま放置されていた。


 レオポルトは空き地の中央に立ち、ゆっくりと四方を見渡した。


 ここなら、成功する。


 その確信が胸の底から静かに湧き上がってくる。


 広場に面しているから、人の流れが自然に生まれる。噴水を目当てに集まる市民が、そのままデパートへ足を向ける動線が描ける。商業地区に隣接しているため、納入業者との連携に不便はない。何より、住宅街からの距離が近い。買い物帰りに噴水広場で一息つく。そんな日常の風景に、デパートが溶け込むことができる。


 そして王宮からは、適度に離れている。権力の象徴ではなく、民衆のための場所として認知されるには、この距離感が不可欠だ。


 敷地の広さも申し分なかった。四階建ての巨大な建造物を建てても、周囲に十分な余裕を持たせることができる。オスカーが描いた中央吹き抜けとガラス天蓋という野心的な設計も、この広さがあれば実現可能だろう。


「噴水広場に面して正面入口を設ける。オスカー先生の言うガラスのファサードが朝陽を浴びて輝けば、それだけで人目を引く。看板も広告も要らない。建物そのものが広告になる」


 レオポルトは地面を踏みしめ、靴底を通じて土の硬さを確かめた。


「地盤は悪くなさそうだな。穀物倉庫が建っていたということは、相応の荷重に耐えた実績がある。オスカー先生に正式な地質調査を依頼すれば、鋳鉄骨組みの基礎設計にも根拠を与えられるだろう。地下水位と土質のデータが揃えば、杭基礎の深さも割り出せる」


 空き地の端まで歩き、広場との境界に立って振り返る。この位置から見ると、建物の全景が噴水越しに一望できることがわかった。申し分のない構図だ。


 ふと、脳裏に苦い記憶がよぎった。


 エドヴァルト・シュタイナー。


 ヴェルディア帝国の工作員にして、第一周目でレオポルトの信頼を完膚なきまでに裏切った男。


 あの男が最初に接触してきたのは、まさにこのタイミングだった。デパート構想が噂になり始めた頃、偶然を装って姿を現した。太陽のような笑顔で近づき、惜しみない技術協力を申し出、資金援助さえほのめかしてきた。王国の発展のためなら喜んで力を貸すと。


 レオポルトはその甘言を疑うことすらしなかった。彼を友と呼び、頼りにした。毎晩のように膝を突き合わせ、構想を語り合い、助言を請うた。あの頃の自分がどれほど無防備だったか、今になって思い返すと背筋が寒くなる。


 すべては仕組まれた罠だった。


 シュタイナーはレオポルトの信頼を足掛かりに、デパートの運営権を少しずつ浸食していった。帝国資本を経由した融資、帝国商人を介した納入ルートの構築、帝国式の経理システムの導入。どれも表向きは合理的な提案に見えたが、その一つ一つが王国経済を帝国の支配下に置くための布石だったのだ。


 そして革命の前夜。シュタイナーは忽然と姿を消した。同時にデパートの流通網は帝国資本に完全に接収され、レオポルトが裏切りに気づいた時には、もはや打つ手は残されていなかった。


「今回も、あの男は同じように現れるのか」


 レオポルトは広場の人混みに目を走らせた。神経を研ぎ澄ませる。自分が時を巻き戻したことで、シュタイナーの行動パターンにも変化が生じている可能性はある。歴史は完全に同じ軌跡をたどるとは限らない。変数が一つ変われば、方程式の解も変わる。


「だが、もし前回と同じタイミングで動くとすれば、それは今日だ。この場所だ。俺が候補地を見て回っていることは、市場の商人たちの口から自然に漏れ伝わっているだろう。工作員なら、その情報を拾い上げないはずがない」


「素晴らしい場所ですね」


 背後から、不意に声がかかった。


 レオポルトの背筋を、氷のような電流が貫いた。


 この声。


 とろけるように柔らかく、品があり、それでいて親しみやすい声。記憶の中に焼き付いているそれと、完璧に一致する。


 同じ日。同じ場所。同じ言葉。同じ声。


 歴史は繰り返しているのだ。


 レオポルトは呼吸を整え、表情を制御し、ゆっくりと振り返った。


 そこに立っていたのは、絵に描いたような好青年だった。


 太陽の光を浴びて輝く金髪。曇りのない青空を思わせる澄んだ瞳。端正な顔立ちに浮かぶ、誰からも好意を持たれるであろう誠実そうな微笑み。三十代の前半だろう。仕立ての良い紺のフロックコートを寸分の隙もなく着こなし、その立ち姿には育ちの良さと場数を踏んだ自信が自然に滲み出ている。


 エドヴァルト・シュタイナー。


 第一周目の記憶通りの姿。あの日と変わらない完璧な仮面を被って、今まさに目の前に立っている。


 レオポルトの内側で、複数の感情が同時に沸騰した。憎悪。怒り。そしてかつての自分への深い憐れみ。それらが津波のように押し寄せてくるのを、理性の堤防で必死に押しとどめる。


 顔に出してはならない。声に乗せてはならない。今のレオポルトは、すべてを知っている。この男の正体も、手口も、目的も。だが、それを悟られた瞬間に、相手は別の手段に切り替えてくる。知っていることを知られてはならないのだ。


 レオポルトは完璧な初対面の貴族の表情を作り上げ、穏やかに微笑み返した。


「ええ、実に素晴らしい場所です。噴水広場に面していて陽当たりもよく、人の流れも申し分ありません。こんな好条件の土地が手つかずのまま残っていたこと自体が、幸運としか言いようがない」


 声は一切震えていなかった。むしろ、相手を自然に迎え入れる温かささえ帯びている。


「失礼ですが、あなたは」


 エドヴァルトは流麗な動作で帽子を外し、優雅に一礼した。一つ一つの所作が、長い社交経験と徹底した訓練によって磨き上げられたものだとわかる。


「突然お声がけしてしまい、大変失礼いたしました。あまりにも熱心に土地をご覧になっていらっしゃるものですから、つい。通りすがりの者が差し出がましいのは重々承知しておりますが、あれほどの情熱を持って一つの場所を見つめておられる御方を拝見すると、声をかけずにはおれませんでした」


 帽子を胸に当てたまま顔を上げ、人懐っこい笑みを深くする。初めて会った相手に対して最大限の好感を与える表情。隙がないどころか、隙がないことすら感じさせない自然さだ。初対面の者がこの笑顔の裏に潜むものを見抜くことは、まず不可能だろう。


「私はエドヴァルト・シュタイナーと申します。ヴェルディア帝国商務使節団にて、通商参事官補佐を務めております。半年ほど前にこの王都へ赴任して参りました」


 名乗りの後、シュタイナーはわずかに視線を巡らせ、商業地区の喧騒に耳を傾けるような仕草を見せた。


「この街の活気には、赴任以来ずっと感銘を受けておりましてね。帝都にも大規模な市場はございますが、ここの商業地区には……なんと申しますか、人の温もりがある。商人同士の信頼関係、客と店主の間に流れる気安さ。帝国ではとうに失われてしまった大切なものが、この国にはまだ生きている。そう感じるのです。大袈裟に聞こえるかもしれませんが、本心からそう思っております」


 第一周目と寸分違わぬ自己紹介。同じ言い回し、同じ間の取り方、同じ感嘆の仕草。まるで台本の朗読を聞いているようだった。


 レオポルトはわざとらしくならない程度に目を見開き、好意的な驚きを演じてみせた。


「おお、ヴェルディア帝国の方でいらっしゃいましたか。遠路はるばる、ようこそお越しくださいました。帝国の方とこのような形でお話しする機会をいただけるとは、思いもよりませんでした」


 レオポルトは右手を差し出しながら名乗った。


「私はレオポルト・ヴァイスハルトと申します。この王国の、まあ、些末な男爵家の当主でございます。大した家名ではございませんが、この国を愛する気持ちだけは人一倍あると自負しておりますよ」


 握手を交わす。シュタイナーの手は乾いていて、適度に力強く、適度に温かい。この男はそういう細部まで完璧に管理している。


「ヴァイスハルト男爵でいらっしゃいましたか」


 シュタイナーは嬉しそうに目を細めた。


「いえいえ、ご謙遜を。お名前はかねがね存じ上げておりましたよ。王都の社交界では、大変先見の明がおありの方だと評判でいらっしゃる。若くして伯爵家を継がれ、商業改革に並々ならぬ関心をお持ちだとか。帝国の使節団内でも、あなた様のお名前は何度か話題に上っております」

「それは光栄なことですな。帝国の方々にまで名前を知っていただいているとは」

「両国の友好関係をより深めるため、こうして王都に滞在させていただいておりますが、その中で気づかされることは多いのです。この王国には、帝国にはない独自の商業文化がある。それを学びたいという気持ちが、赴任の最大の動機と言っても過言ではありません」


 シュタイナーはそこで一拍置き、さりげなく視線を空き地へ向けた。


「ところで閣下。先ほどから熱心にこの土地を見て回られていましたが、何かお探しのものでも。いえ、失礼を承知で申し上げますが、閣下ほどの御方がお一人で空き地をあれほど丹念にご覧になるのは、ただの散策にしては些か本格的に過ぎるように拝見いたしましたので」


 最初の探り。さりげない口調の裏に、情報を引き出そうとする明確な意図が隠れている。


 レオポルトは一拍だけ間を空けてから答えた。初対面の相手に対して即答するのではなく、考えてから話す人間であるという印象を与えるための間だ。


「ええ、実は新しい商業施設を建設する計画がありまして。その最終確認に来ていたのです」


 レオポルトは空き地を見回す振りをしながら、視線の端でシュタイナーの微表情を観察した。


「候補地はいくつかございましたが、最終的にはこの場所が最も条件に適うと判断しました。立地、周辺の人の流れ、地盤の安定性……数字で測れる要素はもちろんですが、それだけでは計り知れないものもあるのです。この広場に面した場所には、人を自然に引き寄せる力がある。数字には表れない、言わば土地の気質とでも申しましょうか。私はそう感じています」


 シュタイナーの瞳の奥で、鋭い光が一瞬だけ閃いた。新しい情報に脳が即座に反応した兆候だ。だがそれは瞬きする間に消え去り、再び好青年の穏やかな笑みに戻る。


「商業施設ですか。それは素晴らしい」


 感嘆の声は、期待通りの反応だった。


「差し支えなければ、どのような施設なのかお聞かせ願えませんか。私も職務柄、各国の商業事情には関心がございまして。帝国でもここ数年、商業制度の改革が議論されているのですが、なかなか旧来のやり方を変えるのは容易ではなく。新しい試みに果敢に挑まれるというのは、それだけで敬服に値します」

「デパートと名付けた施設です」


 レオポルトは声のトーンを変えず、自然に語り始めた。


「簡潔に申しますと、複数の商店を一つの建物に集約し、身分を問わず誰もが平等に買い物のできる場所を作ります。食料品から衣料品、日用雑貨、工芸品に至るまで、ありとあらゆる商品を一箇所で取り扱う。お客様は天候に左右されず、一つの建物の中ですべての用事を済ませることができます」


 シュタイナーが黙って頷くのを見て、続けた。


「さらに、全商品に値札をつけ、正価販売を導入します。つまり価格交渉なしの固定価格制です。値切りの駆け引きが苦手な方や、市場の相場に疎い方でも、公正な条件で商品を手にすることができるようになる。誰に対しても同じ値段、同じ品質。それがデパートの原則です」


 シュタイナーは大きく頷いた。その頷き方は、相手の話を全身で受け止めていますという態度を全力で表現するものだ。


「なんと革新的な。帝国でも耳にしたことのない構想です。まさに時代の最先端を行く発想ですね。正価販売とおっしゃいましたか。それは実に画期的だ」


 ここで彼はわずかに身を乗り出した。


「帝国の市場では値切りが商取引の根幹に位置づけられておりますから、それを根本から覆すという発想は驚嘆に値します。しかも、税収管理の観点からも極めて合理的ではありませんか。すべての取引が値札を通じて記録されるということは、徴税の透明性が飛躍的に向上することを意味する。財務面での革新でもある」

「お褒めいただき恐縮です。おっしゃる通り、税制面での効果も大いに見込んでおります。現行の税捕捉率は約六割と推計しておりますが、デパートの仕組みが普及すれば九割以上への引き上げも、決して非現実的な数字ではないと考えています」


 レオポルトは敢えて具体的な数値を口にした。相手がどの情報に最も強く反応するか、それを観察するための餌だ。


「九割以上。それはまた大胆な見通しですな」


 シュタイナーの口調に、微かだが確かに、計算の色が混じった。


「しかし閣下の論理の運び方を拝聴しておりますと、空疎な理想論ではなく、綿密な計算に裏打ちされた構想であることが伝わって参ります。いやはや、これは本当に興味深い」


 シュタイナーは腕を組み、広々とした空き地を見渡すような仕草を見せた。


「しかも、この立地を選ばれるあたりが実に聡明だ。王宮の近くではなく、庶民が日常的に行き来する場所にお建てになるということは……つまり、デパートを権威の象徴ではなく、民衆の暮らしの一部にしようというお考えなのですね。その発想の転換は、帝国の商務官僚には逆立ちしても出てこない。見事としか申し上げようがありません」


 レオポルトは内心で感嘆せざるを得なかった。さすがは帝国が送り込んできた工作員だ。短い会話の中から、こちらの意図の核心を正確に抽出してくる。この洞察力を敵に回すのが、いかに厄介かということを改めて思い知らされる。


「ええ、まさにその通りです。この場所は商業地区と住宅街の境界にあたります。どちらの住人にとっても自分の場所だと感じてもらえる。その中立性が必要不可欠なのです」


 シュタイナーは深く頷き、それからほんの半歩だけ距離を詰めた。友好と共感を示す自然な動作に見えるが、心理的な間合いを縮めていく技法であることを、今のレオポルトは知っている。


「閣下。ぜひ、私どもにも何かお手伝いをさせていただけないでしょうか」


 声のトーンが、わずかに熱を帯びた。


「帝国には大規模建築に関する豊富な知見がございます。鋳鉄構造の最新技術、ガラス加工の先端工法、そして大規模商業施設の運営に関する実地の経験。これらを惜しみなくご提供できますよ。費用についてはどうかご心配なさらず。両国の友好を深めるための投資だと考えれば、帝国側としても十分に意義のあることですから」


 来た。


 第一周目と、一字一句変わらぬ台詞だ。


 技術提供と資金援助をセットにした、甘美な申し出。受け入れた瞬間から帝国への依存が始まり、気づいた時には引き返せなくなる。蜘蛛の巣に似た、静かで確実な罠。


 レオポルトはそこで一呼吸を置いた。内なる怒りを鎮め、声に申し訳なさの色だけを載せる。


「ありがたいお申し出です。シュタイナー殿のお心遣いには、心から感謝いたします」


 穏やかに、しかし迷いのない声だった。


「帝国の技術が世界最高水準にあることは、私も十分に承知しております。鋳鉄に関する帝国の工学は、おそらく大陸で最も進んでいるでしょう。ガラス加工にしても然りです。ですが……」


 レオポルトは微笑みを崩さぬまま、はっきりと首を横に振った。


「今回は、王国の職人たちの手で作り上げたいと考えているのです」

「……王国の職人で、ですか」


 シュタイナーの微笑みが、ほんの一瞬だけ固まった。凍りついた、というほどではない。だが滑らかだった表情の流れに、目に見えぬ段差が生じた。


「はい。このデパートには……王国の土から生まれ、王国の職人の手で育まれた建築であるという物語が必要なのです。帝国の優れた技術を借りれば、たしかに建設は効率的に進むでしょう。しかし、完成した建物を民衆が見上げた時に、あれは外国の技術で建てられた施設だと感じてしまっては、彼らの心に根を下ろすことはできません。自国の職人が汗を流して作り上げた場所だからこそ、誇りと愛着が生まれる。そう考えております」


 シュタイナーの瞳の奥で、何かが素早く計算し直されているのが見て取れた。想定外の反応に遭遇した工作員が、次の一手を模索している目だ。だがその逡巡は一瞬で収められ、すぐに好青年の笑みが復元された。


「なるほど。民衆の心理を重視されるわけですね。それは実に的確なお考えだ」


 言葉は肯定しているが、声の底に薄い失望が混じっている。レオポルトの耳は、それを聞き逃さなかった。


「しかし閣下、お言葉を返すようですが……王国には四階建ての大規模商業建築を手がけた実績のある技師がいらっしゃるのですか。これだけの規模となると、基礎工事一つとっても相当な専門性が求められます。鋳鉄構造の接合技術、大スパンの荷重計算、ガラス天蓋の防水処理……失礼ながら、王国の建築水準では未踏の領域かと存じますが」

「ええ。未踏であることは否定いたしません」


 レオポルトは落ち着いた声で応じた。


「しかし、だからこそ自国の技術者を育て、彼らに実地の経験を積ませることが、王国の長期的な発展にとって何より重要なのです。技術を借りるのは簡単です。しかし借りた技術は、いつまでも借り物でしかない。自ら獲得した技術だけが、本当の力になります」


 一拍の間を置いて、続けた。


「実を申しますと、すでに信頼のおける技師が一人おりましてね。魔導建築の分野において、この国で並ぶ者のない腕を持つ人物です。大規模建築の経験も豊富で、構造力学と魔導刻印の双方を融合させることのできる、極めて稀有な技師です。彼となら、四階建ての吹き抜け構造であっても十分に実現可能だと確信しています」

「すでに設計者もお決まりなのですね」


 シュタイナーの声に、わずかだが明確に、探る色が加わった。


「それは頼もしいことです。差し支えなければ、どなたか伺っても……」

「それはまだ公にしていない段階でして」


 レオポルトはにこやかに、しかし壁を立てた。


「正式な発表の折に、改めてご紹介させていただきますよ」

「ああ、これは失礼いたしました。時期尚早な質問でしたね。お許しください」


 シュタイナーは両手を軽く上げ、詫びの仕草を見せた。その動作は実に自然で、深入りしすぎた自分を恥じる紳士そのものだ。


「いやはや、計画がここまで進んでいらっしゃるとは。設計者のみならず、建材の調達ルートや品質管理の体制も、すでに初期の見通しを立てておられるのでしょうね」

「ええ。走り出す前の準備は、念入りにしておくものですから。もちろん、これから詰めなければならない細部は山のようにございますが、骨格は固まっております」

「それは……いやはや、恐れ入りました」


 シュタイナーは感嘆の息を吐いてみせた。


「伯爵閣下は相当以前からこの構想を温めていらっしゃったのですね。一朝一夕の思いつきではない。その周到さには、正直なところ舌を巻きます」


 その賞辞の裏で、相手の内部では評価の修正作業が急ピッチで進んでいるはずだ。レオポルトはそれを感じ取りながら、何食わぬ顔で受け流した。


「ところで」


 シュタイナーが話題を切り替えた。声のトーンは変わらず友好的だが、質問の矛先が微かにずれている。新しい突破口を探る動きだ。


「これほどの規模の施設ともなれば、資金調達が最大の課題になるのではありませんか。建設費だけでも莫大な金額でしょう。その点でしたら、帝国もぜひお力になりたいと存じます。帝国の金融機関は大規模商業投資の融資実績が豊富でしてね。低利で長期の返済計画を組むことも可能ですし、万が一の場合の保証制度も整備されております。閣下のように高い志を持った方に、資金の心配をしていただきたくはないのです」


 資金という急所を突いてきた。技術で断られたなら、金で。経済的な依存を通じた支配。帝国式の浸透戦略の、もう一つの柱だ。


「ご心配には及びません」


 レオポルトは先手を打った。声に余裕を持たせる。


「資金については、王室、私個人、そして商人組合の三者による共同出資で賄う計画がすでに固まっております。王室が全体の二割五分、私が五割、商人組合が二割五分。この比率で、すでに合意に至っております」

「三者出資」


 シュタイナーの目が、一瞬だけ鋭くなった。その反応には、演技では覆い隠せない驚きが含まれていた。


「商人組合まで巻き込まれるのですか。それは……随分と複雑な構成ですね。失礼ながら、商人組合というのは必ずしも一枚岩ではございません。各商人がそれぞれの利害を持ち寄る集まりですから、意思決定に時間がかかるのではありませんか。王室と閣下の二者で推進された方が、はるかに迅速に事を運べるかと存じますが」


 その提案の裏にある計算を、レオポルトは手に取るように理解していた。三者出資という構造が、外部からの介入余地を大幅に狭めていることに気づいたのだ。二者ならまだ片方を篭絡する余地がある。だが三者が互いに牽制し合う構造では、一角を崩しただけでは意味がない。


「おっしゃる通り、三者による意思決定は迅速さでは劣るかもしれません」


 レオポルトは認めた上で、しかし揺るがぬ声で続けた。


「ですが、速度よりも正当性の方が、長い目で見れば遥かに価値がある。独裁的な運営はたしかに効率的に見えます。しかし、それは脆い。一点を突かれれば全てが瓦解する。三者が互いの動きを監視し、合意を一つずつ積み重ねた組織は、そう容易には崩せません」


 間を置かず、次の言葉を継いだ。


「デパートは誰か一人のものではありません。王国全体のものです。特定の資本が支配権を得るようなことがあっては、本来の目的が歪んでしまう。これは帝国に対する不信から申し上げているのではございません。どの国の資本であっても同じことです。出資者でない外部の力が運営に関与する余地を残すべきではない。それが私の考えです」


 レオポルトはシュタイナーの目を真っ直ぐに見据えた。そこに込められたメッセージは明確だった。お前の付け入る隙は、ここにはない。


 数拍の沈黙が流れた。噴水の水音と、遠くの商人の呼び声だけが空白を満たしている。


 やがてシュタイナーは、ゆっくりと頷いた。


「素晴らしい理念です」


 その声には、先ほどまでの軽妙さがやや薄れ、代わりに重みのある響きが加わっていた。


「外部資本への警戒というのは、実に健全な経営感覚だ。帝国の商務官としてではなく、一人の商業人として率直に申し上げますが……閣下のような方が経営に当たるのであれば、このデパートという施設はきっと成功する。いや、成功させずにはいられない、と申し上げるべきですかな」


 その言葉に本心はない。一時的な戦術的後退だ。正面からの攻略が困難だと判断し、別のアプローチを探ることに決めた男の、猶予期間の声だ。


 シュタイナーは胸のポケットから名刺を取り出し、恭しく差し出した。上質な厚紙に金の箔押しで名前と肩書が印刷されている。


「ぜひ成功させてください。私も陰ながら応援させていただきます。何かお困りの際には、どうぞご遠慮なくご連絡を。些細なことで結構です。帝国の通商事情に関するご質問でも、商品の輸入経路のご相談でも、関税制度についての助言でも。友人として、お力添えできれば幸いに存じます」

「友人として、ですか」


 レオポルトは名刺を受け取った。


 第一周目では、この名刺がお守りのように思えたものだ。信頼できる友から渡された、心強い連絡先。それを大切に懐に仕舞い込み、何かあるたびに取り出しては安堵していた。


 だが今、この薄い紙片は、招かれざる客からの招待状にしか見えない。


「ありがとうございます。心強いお言葉です。友人とおっしゃっていただけたこと、大変嬉しく存じます。私もまた、シュタイナー殿を一人の友人としてお付き合いさせていただければ幸いです」


 レオポルトは営業用の微笑みを浮かべた。完璧に作り上げた笑顔だ。


「王国と帝国の架け橋になれるような、そんな関係を築いていければと思っております」

「こちらこそ。今日はお忙しいところ、貴重なお時間を頂戴いたしました」


 シュタイナーは名残惜しそうに一礼した。


「閣下のデパート構想、必ずや実現されますよう、心よりお祈り申し上げます。次にお目にかかる折には、この空き地に壮麗な建築の骨組みが立ち上がっていることでしょう。その日を、楽しみにしておりますよ」

「ありがとうございます。その折にはぜひ、内覧にご招待させてください」

「それは嬉しいお申し出ですね。必ずお伺いいたします。では、閣下。良い一日をお過ごしくださいませ」


 シュタイナーは帽子を被り直し、優雅に踵を返して噴水広場の雑踏へと歩み去っていった。


 その背中を、レオポルトは見送った。金髪が朝の陽光を受けて輝いている。姿勢は真っ直ぐで、歩調は自信に満ちている。すれ違う婦人に軽く会釈し、花売りの少女に笑いかけ、何一つ不自然な点のない、好青年の散歩風景。


 完璧な仮面だ。どこからどう見ても、善良な外交官が朝の散策を楽しんでいるようにしか見えない。


 金髪の後ろ姿が人波に溶けて見えなくなるまで待ってから、レオポルトは小さく息を吐いた。


「気づかれたか」


 呟きは独り言のようで、独り言ではなかった。自分自身への確認だ。


 名刺を指先で弄びながら、先ほどの会話を頭の中で再生する。


「俺がただの理想主義者でないことには、間違いなく感づいている。だが、どこまで正確に把握しているかは不明だ。前周の記憶を持っているとまでは、さすがに想像できまい。ただ……何かが違うとは感じているはずだ。別れ際の、あの一瞬の目。こちらを分析しようとする、あの冷たい眼差し。あれは獲物を品定めする目ではなかった。未知の変数を評価する目だ」


 シュタイナーは優秀な男だ。その事実だけは、私怨を超えて認めなければならない。デパートの構想をわずか数分の説明で理解し、税収改善の含意に即座に反応し、立地選定の戦略的意図まで的確に読み取ってみせた。あれだけの洞察力を持つ人間を、ただ排除するのは惜しい。


「問題は、あの男の首にかけられた帝国の鎖を断てるかどうかだ」


 レオポルトは名刺をポケットに仕舞い込んだ。


「次の接触までに、足場を固めなければならない。オスカー先生との設計は進行中、クララへの働きかけも始まった。次に動くべきはフェリックスとマルクスだ。全員を確実に味方につけ、シュタイナーが付け入る隙を塞ぐ」


 歩き出しながら、さらに思考を巡らせる。


「エーリッヒには今夜中に報告を入れよう。北地区と港湾地区の監視を強化させなければ。シュタイナーの従者の動きも追わせる。報告書を本国へ送る経路を割り出せれば、帝国側の反応速度が読める。港の定期便を使うか、街道筋の急使を走らせるか。いずれにしても、その通信線を把握しておくことで、こちらの対応の猶予時間が計算できる」


 レオポルトは空き地を背にし、商業地区の中心部へ向かって歩き出した。噴水の水音が次第に遠ざかり、代わりに市場の喧噪が近づいてくる。


「フェリックスは理想に燃える男だが、同時に貴族議会の内部力学を読む鋭い嗅覚も持っている。あいつの政治的直感は、俺の比じゃない。マルクスはどうするか。あの狸親父を説得するのは骨が折れるだろうが、利益の構造を数字で叩きつければ、必ず動く。あの男は理想では動かないが、利益と面白さには弱い」


 足を速めながら、レオポルトは空を見上げた。


 朝の雲が風に流されて形を変えている。高い空の端では、灰色の雲がゆっくりと広がり始めていた。


 噴水広場を離れたシュタイナーは、人混みに紛れた瞬間に表情を一変させていた。


 先ほどまで顔に貼りついていた親しみやすい笑みは跡形もなく消え失せ、眉間には深い縦皺が刻まれている。唇は薄く引き結ばれ、青い瞳の奥には冷たい光が宿っていた。


 商業地区の雑踏を縫うように歩きながら、その頭脳は凄まじい速度で回転している。


「レオポルト・ヴァイスハルト」


 その名を、舌の上で転がした。


「予想以上に手強い。いや、予想以上などという言い方では足りんな。根本的に、事前の報告書と食い違っている」


 帝国の情報部門が作成した調査報告書には、「理想に燃える世間知らずの若い貴族」と記されていた。操りやすく、甘言で容易に籠絡できると。接触から支配下への編入まで、三か月もあれば十分だという見立てだった。


 だが実際に対峙した男は、まるで別人だった。


「あの男の目は、交渉の修羅場をくぐり抜けてきた者の目だ。俺の提案を断る時の間合い、言葉の選び方、視線の配り方。すべてが計算されていた。いや、計算というより……予測か。こちらが何を言い出すか、あらかじめ知っているかのような受け答えだった」


 技術提供を断られた。資金援助の道も封じられた。三者出資という構造は、外部からの介入に対して三重の防壁を築いている。しかもあの男は、その防壁の意味を完全に理解した上で設計している。


「『外部資本の介入を許さない』。あの台詞は、俺に向けたものだ。疑いようがない」


 シュタイナーは宿舎に戻ると、真っ直ぐに執務室へ向かった。


 外套を椅子の背に掛け、袖をまくり上げ、机の引き出しからインク壺と羽根ペンを取り出す。白紙の報告用紙を一枚引き寄せ、ペン先にインクを含ませた。


 書き出しに一瞬だけ迷い、それから勢いよくペンを走らせた。


『対象:レオポルト・ヴァイスハルト男爵。

 評価修正:極めて慎重かつ聡明。従来の懐柔策は通用しない可能性が高い。

 特記事項:帝国の技術者派遣を丁重に、しかし明確に拒否。国内人材の育成を優先すると明言。資金面では三者出資による独自の防衛策を構築済み。帝国資本の介入を意図的にブロックしていることは確実。なお、対象の言動には既知の対応パターンとの一致が見られ、事前に帝国側の接触手法に関する知見を得ている可能性を排除できない。情報源の特定が急務。』


 ペンを置き、書いた文面を読み返す。それから椅子の背にもたれかかり、天井を仰いだ。


「問題は、あの男がどこでその知識を手に入れたかだ」


 独り言にしては鋭い声だった。


「帝国の接触手法を知っている? 情報部門に内通者がいる? それとも、単に並外れて慎重な性格というだけか。いや……単なる慎重さではあり得ない。俺の提案の一つ一つに対して、あまりにも的確すぎる回答を用意していた。あれは準備された応答だ。まるでこちらの台本をあらかじめ読んでいたかのような……」


 シュタイナーは首を振った。考えすぎは判断を鈍らせる。


「だが、正面からの攻略が困難だということは認めなければならない。ならば側面から回り込む。それが帝国式だ」


 再びペンを手に取り、報告書に追記を加えた。


『次回接触方針:対象への直接的アプローチを一時凍結する。周辺人物、特に商人組合の有力者を経由した間接的な信頼構築に移行することを推奨。外堀を埋める戦略への転換が必要。対象の人的関係網を精密に調査し、付け入り得る脆弱点の発掘を最優先事項とする。』


 ペンを置き、書き上がった報告書を封筒に入れた。封蝋を垂らし、帝国の双頭鷲の紋章が刻まれた印璽を押す。赤い蝋の上に、鷲の翼が浮き上がった。


「三者出資の構造。王室、本人、商人組合。この三者のうち、最も脆いのはどこだ」


 シュタイナーは窓辺に歩み寄り、王都の街並みを見下ろした。朝の光に照らされた屋根の連なりが、美しい起伏を描いている。


「王室は政治的に手が出しにくい。直接的な工作は外交問題に発展するリスクがある。ヴァイスハルト本人は今日見た通り、鉄壁だ。では残る一角……商人組合。商人という生き物は、どの国でも利益に忠実だ。帝国との取引で得られる旨味を耳元で囁けば、必ず食いつく者がいる。組合の中に一人でも味方を作れれば、そこが突破口になる」


 シュタイナーは机に戻り、呼び鈴を鳴らした。


 控えの間から、従者が静かに姿を現した。四十代の痩身の男で、灰色の髪を短く刈り込み、目立たない服装に身を包んでいる。存在感を消すことに長けた、情報収集に適した外見の持ち主だった。


「報告書を本国へ送れ。最優先だ。港湾の定期便ではなく、急使の馬を使え。七日以内に長官閣下の手元に届くようにしろ。遅延は許さん」

「かしこまりました。直ちに手配いたします」


 従者が恭しく封書を受け取り、退室しかけたところで、シュタイナーが呼び止めた。


「待て。もう一つ指示がある」

「はい」

「王都の商人組合について、有力者の名簿を入手しろ。特に組合長とその側近の人間関係を洗い出せ。誰が誰と取引しているか、誰が資金繰りに窮しているか。金に困っている商人ほど、帝国の友人を欲しがるものだ。一週間以内にまとめろ」

「承知いたしました。他にございますか」

「ヴァイスハルト男爵周辺も調べろ。使用人、出入りの商人、親しい貴族。特に、最近新たに接触した人物を重点的に洗え。あの男は俺との面会以前に、すでに周到な準備を整えていた。誰かが知恵を入れている可能性がある。その人物を特定しろ」

「直ちに取りかかります」

「それから……あの男が言った『信頼できる技師』。その人物が誰なのかを突き止めろ。魔導建築の分野で王国随一の腕を持つ人物。該当者はそう多くはないはずだ。設計者を特定できれば、建築の根幹に関わる情報が手に入る」

「承知いたしました」


 従者が一礼して退室し、部屋に静寂が戻った。


 シュタイナーは窓辺の椅子に深く腰を下ろし、両手の指先を合わせた。その姿勢は祈りにも似ているが、祈りとは対極にある思考の姿だった。


「レオポルト・ヴァイスハルト」


 その名を、もう一度舌の上で転がした。今度は先ほどとは異なる響きを帯びている。苛立ちではなく、冷徹な評価の声だ。


「面白い男だ。認めよう。お前が築こうとしているデパートは、間違いなく時代を変える構想だ。だからこそ価値がある。だからこそ、帝国のものにする意味がある」


 唇が薄く歪んだ。そこにはもう、好青年の温かみは微塵もなかった。


「お前の理想が高ければ高いほど、それを奪った時の果実は甘くなる」


 窓の外を見つめる。王都の屋根の上を、灰色の雲がゆっくりと広がり始めていた。


「一か月だ。一か月以内に外堀を埋める。お前がデパートの基礎を据える頃には、その土の下に帝国の根が張り巡らされている。そういう状況を作る」


 シュタイナーは立ち上がり、窓を閉めた。


「それが俺の仕事だ」


 静かな執務室に、鍵の回る音だけが残った。


 王都の空には、まだ見ぬ嵐の気配を孕んだ雲が、音もなく広がり続けている。

ここまでお読みいただき、本当にありがとうございます。


そしてこんなあとがきにまで足を運んでくださった方——感謝しかありません。少しだけお付き合いください。


■ このエピソードについて


今回の話は、大きく分けて二つの要素で構成されています。一つは「場所の選択」、もう一つは「人の選択」です。


デパートの候補地を三つ用意して、レオポルトが噴水広場に面した空き地を選ぶ。このくだりは、一見すると不動産選びのような地味な話に見えるかもしれません。でも作者としては、ここにこの物語のテーマを全部詰め込んだつもりです。


第一周目で王宮近くを選んだレオポルトは、「国の威光を示す」ことが正しいと信じていました。そこに悪意はなかった。でも結果として、庶民は萎縮し、デパートは貴族のサロンと化した。正しいと信じた選択が、最も大切にしたかった人たちを遠ざけてしまった。


今回、彼が「商業地区と住宅街の境界」を選ぶのは、反省の結果であると同時に、「誰のための場所なのか」という問いに対する、現時点での彼なりの回答です。完璧な答えかどうかはわかりません。でも少なくとも、前回の自分が見落としていた視点——「この場所に足を運ぶのは誰なのか」——を、今度は最初に考えている。その変化を描くことが、このエピソードの一つ目の柱でした。


■ エドヴァルト・シュタイナーについて


そして二つ目の柱が、シュタイナーとの再会です。


このキャラクターは、構想段階からかなり気合を入れて作りました。「完璧な仮面の男」。それがシュタイナーのコンセプトです。


なろう作品における敵役は、しばしばわかりやすい悪意を持っています。傲慢な貴族、陰湿な官僚、露骨な策士。読者が「こいつは敵だな」と一目でわかるタイプです。でもシュタイナーは、そうであってはならないと考えました。


なぜなら、第一周目のレオポルトがこの男を「友」と呼んだからです。


それだけの説得力がなければいけない。読者の皆さまにも「ああ、これは確かに騙される」と思っていただけなければ、レオポルトの過去の失敗に重みが出ない。だからシュタイナーの台詞には、一つ一つ本当に時間をかけました。


彼の洞察力は本物です。レオポルトの構想をわずか数分で理解し、税収改善の含意に即座に反応し、立地選定の意図まで読み取ってみせる。あれは演技ではなく、本当に頭のいい男が本当に感心している場面です。ただし、感心しているのは「奪う価値があるかどうか」を査定しているからなのですが。


実は当初、シュタイナーの視点パートを入れるかどうか、かなり迷いました。レオポルト視点だけで終わらせた方が余韻は残る。でも最終的に、シュタイナーが宿舎に戻って報告書を書くシーンまで入れたのは、「敵にも敵の論理がある」ということを示したかったからです。


彼は自分が悪だと思っていません。帝国のために職務を遂行する、優秀な外交官です。その自己認識と、レオポルトから見た「裏切り者」としての姿とのギャップが、今後の物語を動かしていくことになります。


■ 書いていて一番緊張した場面


「素晴らしい場所ですね」——背後からシュタイナーが声をかける瞬間。


ここは、書いていて本当に手が震えました(比喩ではなく)。


レオポルトにとって、この声は「歴史が繰り返されている」ことの証明です。同じ日、同じ場所、同じ言葉。前周の地獄への入口が、今まさに目の前に開いている。その恐怖と、同時に「今度は対処できる」という覚悟。その二つの感情が衝突する一瞬を、できるだけ鮮烈に書きたかった。


「氷のような電流が貫いた」という表現を使いましたが、これは何度も書き直した末の選択です。最初は「血の気が引いた」と書いていたのですが、それだとレオポルトが怯えているだけに見えてしまう。彼は怯えてはいない。警戒しているのです。だから「電流」という、恐怖よりも覚醒に近いイメージの言葉を選びました。


■ 二人の会話に込めたもの


レオポルトとシュタイナーの会話シーンは、見た目上は友好的な雑談です。でもその水面下では、互いに相手を測り合う、静かな情報戦が展開されています。


レオポルトは「敢えて具体的な数値を口にした」——税捕捉率九割という餌を投げて、シュタイナーがどの情報に反応するかを観察しています。一方のシュタイナーは、技術→資金→人脈と攻め手を変えながら、こちらの防備の弱点を探っている。


お互いに笑顔で握手しながら、頭の中ではまったく別の戦いをしている。この「表と裏の二重構造」を書くのは、正直ものすごく楽しかったです。シュタイナーの台詞を書く時は工作員の気持ちで、レオポルトの内面を書く時は二周目の経験者の気持ちで。一人二役を演じているような感覚でした。


■ 今後について


シュタイナーの報告書に「次回接触方針:周辺人物を経由した間接的な信頼構築に移行」と書かれていた通り、彼は正面攻撃から側面攻撃へとシフトします。


狙われるのは、三者出資の中で「最も脆い」と判断された一角——商人組合です。


そしてレオポルト側では、フェリックスとマルクスという二人の仲間が本格的に合流します。フェリックスは理想に燃える政治家肌、マルクスは利益で動く実務家肌。この対照的な二人を、レオポルトがどう束ねるのか。


シュタイナーの外堀埋めが先か、レオポルトの足場固めが先か。次章はその競争が軸になります。


……あと、エドヴァルト・シュタイナーの「過去」についても、少しずつ明かしていく予定です。なぜ彼が帝国の工作員になったのか。その動機を知った時、もしかしたら皆さまの彼への印象は、少し変わるかもしれません。変わらないかもしれませんが(笑)。


ブックマーク、評価、感想——どんな形であっても、皆さまからの反応が次の一話を書く燃料です。「ここが良かった」でも「ここがわかりにくかった」でも、なんでも嬉しいです。


それでは、引き続きレオポルトとシュタイナーの静かな戦いにお付き合いいただけたら幸いです。


改めまして、ここまでお読みくださり、本当にありがとうございました!

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