④一話(4)
こんなにも大きな怪我を……深い怪我を……たくさんの怪我を負っているのに、何故誰も志音を止めないのだろうか?
何故、彼の戦いを止めてくれないのだろうか?
何故、彼が傷付くのを黙って見ていられるのだろうか?
何故、そんなにも……達観していられるのだろうか?
他人事だから?
自分には関係のないことだから?
治せる人がいるから?
狐の面から覗く瞳の先には、何もせず安全な場所から見ているだけの人間達。
そして、隣を見れば……ニヤニヤとケタケタと嗤う女医。彼女の目にはきっと、この光景全てが滑稽に映っているのだろう。
少年の愚かさを、人々の滑稽さを、ケラケラと嗤っているのだ。
「治すことなど出来ない」と告げた時、奴らはどんな顔をするだろう? どんな絶望を見せてくれるだろう? そんな下卑た考えが分かりやすく貼り付いている。
……本当に、嫌なやつだ。
それを言い咎められない自分も……本当に嫌になる。
苦しむ彼を救えない自分も、守りたいものを守れない自分も、大切な人から大切な人を奪ってしまった自分も、本当に……大っ嫌いだ。
「君は……見てるだけでいいの?」
こぼれてしまった言葉。
何もしない……何も出来ない? いや、何もする資格がない自分のことを棚にあげ、少女の口から出てきた言葉はライラへと向けられていた。
それが誰よりも無責任な事であることも、ちゃんと理解しているくせに……。
「おいおい、君が私にソレを言ってしまうのかい?」
「ボクには出来ないけど……」
「私なら出来る、と……? 馬鹿を言わないでおくれよ。他でもない私が、どうしてアレを救わねばならないんだい?」
「…………っ」
「よく考えてものを言いなよ? アレは、この世界に対する『害悪』なんだよ? あってはならない存在。産まれてはいけなかったバケモノなんだ。救う価値などどこにあるというのかな? 賢い私は理解に苦しむね」
「……」
「それに、アレは私の師を見殺しにした」
「……っ、それは――」
「君は『正しい事』をしたんだろう? しょうがなかったんだ……。だから、正しい君を私は恨んであげない。私が君を憎むことはない。……たとえ、手を下したのが君だったとしても……」
「その代わりに、彼を憎むというの?」
「憎んじゃいないさ! ただ同じことをしているだけだろう? 彼があの人にそうしたように、救わないだけだ。助けないだけだよ。というか、アソコまで壊れてしまってはもう私では治せない。あの人が生きていたなら……また違った結果もあったのかもしれないけどね」
「……救わなかったんじゃないよ。……間に合わなくて――」
「過程に意味などはない。結果、そうなった。その事実は変わるまい?」
「……でも」
「それに君が何を言ったところで無駄だよ」
「…………」
「これは、私と彼の合意の上での決定だ。敵にならぬ代わりに味方にもならない。害さないし、救わない。殺さないし、生かさない。……ただの隣人さ」
「……それは、ただの拒絶じゃないか……」
「発案者は彼だよ。「協力者になるな」と私を拒絶したのは、他でもない彼自身だ」
「……っ……」
その言葉は、おそらく真実なのだろう。
少女の知る少年は、きっとそんな言葉を口にしてしまう。……優しいがゆえに、彼は肝心なことに他者を巻き込もうとはしない。
たとえ、その事柄に対し重要ともいえる関係者だったとしても……誰の力も借りようとはせず、一人で始めて一人で終わらせようとする。
そういう意味では、志音の唯一の協力者とも呼べる創正はかなり特別な存在だともとれるだろう。だが、その創正さえ……志音を窮地から救うことはあるまい。
だからこそ、志音の協力者たりえる。
……結局は、誰も……志音を助けてはくれない。
本人がそれを望んでいるのだ。
本当に……最低な世界だ。
「動くなよ?」
「…………」
「これ以上、アレを追い詰めたくないのならば、君は動くべきじゃない」
「……っ」
「アレの事を真に想うのならば、君は何もしてはいけない。もうすぐ『終わる』アレの最期を見届けろ。見殺しにしろ。何も得られぬままに……終わらせてやれ」
「それは誰の言葉……?」
「私個人のお節介さ。あのメガネは君を殺せるようにアレを鍛えたつもりだろうが……不可能だ。君は『死ぬわけにはいかない』し、アレはもう『限界』だ。君を殺せるだけの余裕など残ってはいない。――――見て分かるだろう? 『計画』は破綻したんだ」
「ボクを……殺す、計画だね」
「『英雄』なんていなかった。アピールする相手もいないまま踊る道化は、誰からの称賛も獲られることなく……この地、この瞬間に、無意味に命を落とす。……それでいいだろう?」
「……」
「君は彼の前に現れるべきではなかった」
「……」
「また、君は間違えたんだ。……いや、もしも君が『死神』を殺すために現れたと言うのならば、『世界のために』君は『英雄』として正しい選択をしたのかもしれないね……」
「……っ……!」
「『また』世界とやらの為に、殺せるのかい? 他でもない君が……あの少年を」
本当に嫌なことばかり言ってくる。
何も間違っていない……正論ばかりをペラペラと続ける。
ライラは『嫌われ役』を買って出てくれているのだ。
嗤う道化よりも、遥かな時を生きてきた少女には……ちゃんとすべてわかっている。
……傷付きたくないなら、見殺しにしろ。
……傷付けたくないなら、お前が終わらせてやれ。
――と。
『助ける』という選択は、彼の苦しみを先延ばしにするだけ。ただ、見て見ぬふりをしている自身の罪悪感を軽くしたいだけのエゴ。
真に志音を想うならば……終わらせてあげるべきなのだ。
それこそが、志音とアリス……この二人が救われる唯一の手段なのだから。
アリスは、志音という因縁と後悔から……救われる。
もうこの少年の存在に心を痛めることなく、またこれまでのように、朽ちぬ体と無垢な心をもって……永久を生き続ける。
志音は、『英雄』という柵と、己を否定し続ける世界から……。
何も失わず……何も奪わなくてもいい。こんな世界よりは幾分マシであろう地獄へ。愛する者達が待つあの世へと。
どうするかは、お前が決めろ……と。
「……一つだけ、君の言葉を訂正しておくよ」
「ほう? 私は何か間違った事を言ったかい?」
「ボクは間違ってないよ」
「……っ!」
「今回は、間違わなかった」
「ほう、それは何故?」
「もしも、ボクの知らないところで志音が死んじゃったりしたら……ボクは、きっともう『英雄』でいられなくなると思う。あの時よりもずっとずっと後悔して、自分を恨んで憎んで大嫌いになって……。きっとそれ以上に、彼を殺したこの世界を……愛せなくなると思うから」
「遠い地で失うよりも、目の前で失う方が、ずっと苦しいと思うのだが……?」
「そうだね。きっと苦しいし悔しい。……でも、知らない場所で失って「救えたかもしれなかったのに」って後悔するよりも、目の前で失う方が……自分のせいにできる。彼を殺す『誰か』を憎まずに……ボクの無力さのせいにできるんだ。ボクが悪いって納得できる……」
「……わからんね」
「う~ん……あはは、説明が難しいや……。でもね、ライラ」
「ん」
「ボクは、今ここにいることを絶対に後悔しないよ」
「……そうかい」
「だから、彼の前に……志音のいるこの島に帰ってきた事は、間違いなんかじゃない」
お面の下でアリスがどんな顔をしているのか、それは誰にもわからない。
だが、きっと笑ってはいないのだろう。喜んではいないのだろう。
哀しみを、怒りを、憂いを、歯痒さを、言い様のないどうしようもない感情を隠す為に、その面を着けているのだから……。
結局は、なにも納得なんて出来ていないのだ。
少年の苦しみだけの人生を、『仕方ない』なんて思いたくない。
今、傷付き悲しむその姿を見て、『しょうがない』なんて言いたくないのである。
幸せになる権利は……彼にもあったはずなのに……。
それを奪ってしまった少女は、ただ……




