④一話(3)
◇◇◇
荒々しい力の濁流、辺り一帯を巻き込む暴威、余波と呼ぶにはその破壊の嵐は想像を絶するものと……なっていた事だろう。
結果だけを述べよう。
剛毅から確かに突き放たれた最大の一撃は、正確に志音へとぶつけられた。
いやその表現ではまだ正確性に欠けるだろう。
剛毅の一撃は、志音の突き出された右手により……受け止められていたのだ。
嗚呼、あり得ない。
あり得る筈がない。
そんな事をしてしまったら、志音の腕は右半身もろともに跡形もなく消し飛ぶはずなのだ。もしくは、その暴威にさらされ足腰の踏ん張りもかなわず遥か後方へと吹き飛ばされるはずなのだ。
今現在起きているような……硬直状態など、あり得る筈がないのだ。
それは完全な静止。
もちろん寸止めなどしている筈がない。剛毅にそんな思考など期待できるわけがないのだから……。
停止能力者が横槍を入れた? または、それとは別の外部からの干渉? ……違う。
単純に、ソレを止めたのは志音なのである。
衝突時の余波は?
解き放たれた力は?
荒れ狂うはずの暴威は?
その答えを知るのは、当の本人――志音ただ一人だけ。
外側からソレを眺めていただけの外野には、理解すら出来ない。
様々な事に驚愕する者がほとんどである中、結歌は一人……戦場に立つ義弟を見ていた。
今だけではない。
ずっとずっと、結歌は志音のことばかり見ていたのだ。
だからなのか……
志音の実力を大いに過大評価している結歌だが、この光景が異常な事であると直感的に理解してしまっていた。
志音だから当然? ……違う!
あの最弱がこれほどの力を隠し持っていた? ……違う!
これが志音の本当の実力? ……そんなのは、違うっ!!
あんな戦いがまともであるはずがない!!
彼は傷付いている。彼は苦しんでいる。
結歌の知る志音の力は、少なくとも……敵の為に自身を殺す強さではない。こんな戦い方ではなかったはずだ。
網膜に今もこびりついている先程の光景。
幻覚だったのか? 気のせいだったのか? ……結歌の目の前で、その手が届くはずの場所で、最強を相手に命を落とした志音の姿。
今になって……結歌はようやく、志音の真意を――この戦いの意味を察してしまう。
……止めなければいけない。
……止めなければ、また志音は……志音を殺してしまう。
敵に『納得のいく敗北』を与える為に、自身を殺し……。
勝負に勝つ為に、自身を殺し……。
宿敵を誘き出すエサと成る為に、自身を殺し続ける。
『全て』まで察することの出来ない結歌には、志音が何を焦っているのかはわからない。……だが、自身の愚かな弟は……何の理由もなくこんな行動には出ないはずだ。
ようするに……きっと、いるのだ。
彼の望むその人が、おそらく……もう近くに……。
ドッと……嫌な汗が背筋を伝う。
あぁ、いつからだ? いつから自身は、『その時』がまだ来ないと……もっと遠い先の未来であると、楽観視してしまっていた?
「……結歌? なにやら様子が変ですがぁ……どうかしましたか? まぁ、確かに……夕凪くんのアレには私もちょっとびっくりしちゃいましたが~、結歌はこれくらい予想できていたのでは?」
もう一人の強者たる少女も他の者同様、この事態の異常さを理解していないようだ。
そうだろう。アリシアは志音をよく知るわけではない。今の状況さえ志音の実力であると、志音の目論み通りに誤認している。
彼女だけではない。
他の『王国軍』メンバーも、王役のフィオナ陛下も、一般の観衆さえ、本来の彼とはかけ離れた過度な無茶を……。
だって、誰も本来の志音を知らないのだから。知ろうともしなかったのだから……。
きっとその為の『これまで』だったのだ。
この瞬間の為だけに、志音はずっと自身を偽り……最弱の嫌われ者で居続けたのだろう。
他者の興味の的にならぬ事で誰からも自身を知られることなく、これまでの誤認を新たな誤認で上書き出来るように……この一年間、島全体の人間を騙し続けたのだ。
その瞬間にいたるまで、騙し続けようとしているのだ。
もしも、その計画に綻びがあったとするならば……それこそ、結歌の存在であろう。
志音が『どう強いのか』ちゃんと知っている結歌。
そして、その結歌が大切な義弟の事となると無駄に勘が鋭くなってしまう生粋の『姉バカ』であったこと。
だが、どうする?
今更結歌が「やめろ」と言ったところで、志音も仲間も止まりはしない。
もう言葉一つでどうにかできる一線を過ぎてしまっている。
真面目に戦れと言ったところで、無駄に優しい愚弟のことだ。今更、戦り方を変えたりすまい。
どれだけ義姉が心配しても、少年は己を大切にしてくれない。そんな事、出会ったあの日からちゃんとわかっている。
だから……お義姉ちゃんが、志音の代わりに志音を愛さなければならないのだ。
◇◇◇
不思議と驚きはなかった。
剛毅はきっと、志音ならばこの一撃さえどうにかしてしまうのではないかと、期待してしまっていたから。
カラクリはわからないが、自身の渾身の突きを片手で難なく止めてしまった志音を、楽しげに見ていた。
どうやったかの種明かしなど志音が自らすることはないだろう。
「やるじゃねえか……」
だからそんな細かい事はどうでもよくて、剛毅は単純にこの瞬間を楽しんでいるのだ。
だが……剛毅は肝心な事を見落としてしまっていた。
いくら楽しいからといって……
無茶な遊びを繰り返せば……
――『おもちゃはいずれ壊れてしまう』。
サンドバッグをぶら下げる鎖が、過度の負荷で千切れてしまうように……
「…………っ!!?」
そう、無理な運動を続ければ……『人間の体』でさえ、限界が訪れる。
……さきにガタが訪れたのは……――――
――――剛毅の体だった。
もはや何度目かも忘れた志音の一撃により校舎の外壁をぶち破って、また瓦礫から立ち上がろうとした時、その時は急に訪れた。
まるで思い出したかように、急に手足が冷たく熱を失っていく。
脂汗がいきなり噴き出すように全身を濡らし、力む余力を一気に奪ってしまう。
……まだだ。
……まだ、戦れる筈だ!
気力はまだまだ戦える。
まだ、勝つことも負けることも認めていない。
まだまだ、この血沸き肉躍る闘争を続けていたいのだ。
そんな、たった一つ願いさえも……非情な現実がいとも簡単に打ち砕いてしまう。
……動かないのだ。
いくら、立ち上がろうと足掻いても……ピクリとも動かない。
身体中の《マナ》で肉体を奮い立たせようと、限界を超えて無意識に無茶をさせてしまった剛毅の身体は、もう動けないのだ。
そして、今まで麻痺していた痛覚が、『もう止めろ』とでも言うように剛毅を一気に襲う。
ソレは志音に殴れた傷ではない。
本来、出す筈のない……火事場の馬鹿力のような、全力以上の全力。百パーセントを超える力を奮い続けた事による全身への反動。
「…………、……」
「……はっ……もう、立てねぇのか……?」
「……ぅあ? 誰に……言ってやがる……。……まだだっ」
まだだ。
まだ、『動けないだけ』だ。
たとえ立てずとも、意識はある。
戦う意志が折れぬ限り、剛毅は負けていないのだ。
頭上から見下ろしてくる志音は、そんな剛毅にトドメの一撃を入れるべきなのだろう。
その意志ごと、容赦なく叩き折る一撃を……
その意識を狩り取る、最後の一撃を……
決着の……一撃を……――――
「……ははっ、くっだらねぇ……」
「……っ!?」
「勝手に言ってろ……。今のアンタは、潰す価値すらもない……」
志音は……剛毅にトドメを刺さなかった。
無防備な剛毅に、志音は何もしなかった。
見逃された?
コケにされた?
……本当にそうか?
疲労に抗う事を諦め、仰向けに倒れた剛毅は……少し考えていた。
……コレは『負け』だろうか?
明らかに自分よりも多く深い傷を負っている少年は立っていて、自身は動くことすらままならない。
おそらく、我慢対決は剛毅の『負け』なのだろう。
だが何故だ?
これまでに味わってきたどの『負け』とも違う不思議な感覚が剛毅を満たしていた。
悔しさとか、敗北感とか、そういうのとは違くて……好敵手や、結歌達を相手する時とも違う。
清々しさと……一抹の、寂しさ?
きっともうこの先、こんな『最高の喧嘩』は味わうことが出来ない。……その事実を本能的に察してしまったから、なのか……。
考えて……考えて……やめた。
よくわからないものは、いくら考えたところで結局は無駄だと剛毅はわかっていたから……。
寝心地の悪い瓦礫の上、剛毅はゆっくりと目蓋を閉じた。
◇◇◇
一戦目にして、既に満身創痍。
慣れているとはいえ、痛いものは痛いのだ。苦しいものは苦しいのだ。……そんな当然の事実がなくなるわけではないのだ。
最悪まで壊れた肉体は感覚すら失うと言うが、志音を襲う痛みが無くなることはない。
理不尽なまでに……痛くて苦しい。
もう、悲鳴すら上げられないほどに……。
泣き言さえ何の意味も成さぬほどに……。
「助けて」の言葉も忘れてしまうほどに……。
…………もう……限界なのだ。
それでも――
あの少女の遺言が、諦めさせてくれない。
あの少女の遺志が、終わらせてくれない。
あの少女への想いが、あの少女と過ごした掛け替えのない日々が、志音の中で唯一の……心と呼べる大切なものが、…………現実から逃げ出すことを許してくれない。
戦わなくちゃいけない。
進まなきゃいけない。
止まっちゃいけない。
叶えなきゃいけない。
……終われない。
……まだ……終われない。
「……次は、誰だ……?」
続けなきゃ……
「次は、誰が……オレと戦う……?」
望まずとも、続けなきゃ……
まだ、上手く嗤えているだろうか?
その言葉に対し、脚を前に出したのは一人の……高潔な妖精の青年だった。
数刻前のジャンケンの順番通りか? 先の戦闘を見て他の者が臆したか? それとも、肉弾戦ではなく魔法戦ならば勝機があると思ったのか?
ルアン・ユグノリアの出陣に異論を唱える者はどこにもいなかった。
特別な力を持っていたり近接戦に優れていたりという他のメンバーに比べ、ルアンだけは純粋な《魔法使い》という括りになる。《魔法》も特別な力と言ってしまえない事もないが、ルアンの力はフィオナやロイドほどのデタラメではない。
学園の魔術カリキュラムでも教えているような、極めて常識的な力である。
ただ……練度が常軌を逸しているだけであって……。
無詠唱で現れる《魔法陣》は十を軽く超える。
全く同じ《魔法陣》を同時展開できるアリシアも十分に異常であるが、ルアンの出した《魔法陣》はすべて異なる力を秘めた《魔法》式。
平行して組み上げるには、あまりにも異常である術式処理能力。その一点を特出するならば、アリシアよりもルアンの方が《魔法使い》としての格は遥かに上である。
そして、ルアンの異端さはソレだけではない。
一般的に、人一人が使用できる《魔法》には各個人の素質、および個性が強く影響される。簡単な例を挙げるならば、火の《魔法》を得意とする者は、それ以外の《魔法》を得意とはしない。火だけではなく、水でも雷でも土でも例外はない。
使用者の《マナ》や素質に大きく影響を受けるのが《魔法》である。
各々の《マナ》に合った《魔法》しか使えぬのは当然なのだ。影の《魔法》を得意とするリアーナが他の《魔法》を行使出来ないのもソレゆえ。
だがソレも絶対に使用できないという訳ではない。……あくまでも「得意ではない」というだけ。
戦闘に使えるレベルまでとはいかずとも、『小さな火を起こす』程度の初級魔法ならば、《マナ》の適正を問わず使用できる者は少なくない。
その知識をよく加味した上でルアンを語るならば、彼に得意とする《魔法》などない。いや、あるにはあるが……これまでに『使用した例』はない。
この《ラグナロク》での戦闘だけでなく、何年も前に故郷を出た瞬間から今の今まで『一度として』である。
ようは、得意ではない《魔法》のみで、戦って、生き残って、勝ち抜いてきたのだ。
純血のエルフだから当然? ……違う。
実際、この世に現存する同族に、ルアンと同じ芸当など出来ない。聖騎士団の老エルフ……ガラティナでさえ、極致まで至ったのは唯一《火炎魔術》だけ。戦闘よりも参謀を主とするガラティナとはいえ、一流の《魔法使い》であることに変わりない。
長く《魔法使い》として生きてきたガラティナと比べても、ルアンの『得意ではない《魔法》』は遜色なく……むしろ、生半可な術士の《魔法》など及びもしない程。
では、そんな天才を相手にどう戦う?
《魔法》は既に完成している。闇雲に志音が距離を詰めようものなら、容赦なくソレらが志音の血肉を穿つ事だろう。
運良くソレらをくぐり抜けられたとしても、『次』までのインターバルなど期待できない。
《魔法》を使えず、遠距離からの攻撃手段を持たぬ志音に、ルアンと戦うすべは残されていないのだ。
「…………」
本当にそうだろうか?
少なくとも、《ラグナロク》開幕早々のあの一撃を志音の《魔法》だと勘違いしているルアンただ一人は、少年の異端に……ほんの少し期待している。
他のメンバーも、異端児ならば何とかするのだろうと……
結歌でさえ……愚弟ならば、何とかしてしまうのではないか、と……。周囲の期待とは違う、危惧にもにた瞳で見守っていた。
本当はそうなのだ。
本当ならば……志音には、どうすることも出来ないのだ。
だが……そうならない。
『おい! 無能なクソダーリンの為にこのオレ様自ら、《魔法》の真髄をその空っぽの頭に叩き込んでやる! ほら、嬉しいだろ? 喜べ、ダーリン!』
少年は懐かしい……愛した人の言葉を思い返す。
そして……言葉にせず、表に出さず、【黒】に命じる。
志音はどうやって戦う?
そんなもの、最初から決めてしまっている。
同じ土俵で、同じ手段で……
「……ほう、なんだそれは? 私の『マネごと』のつもりか?」
マネごと……?
そう、その通りだ。
ルアンの《魔法》のマネごとである。
天賦の才を秘めた純血エルフの――最高位の《魔法使い》の、マネごとである。
ルアンの側で爛々と輝く《魔法陣》と、寸分違わぬ芸術的な術式をえがく《漆黒の魔法陣》が志音の側に揺らめいていた。
《魔法》の完全模倣。
だが、志音にソレを作り出す為の膨大な《マナ》など無いはずだ。結歌ただ一人だけは、その事実を知っていた。
ならば、その力はどこから?
アリスと同じように、外界の《マナ》を利用した? そんなこと、【黒】の『干渉』の力を使ってさえ不可能である。
ではどうやって、この《魔法陣》を作り出した?
……この答えも、やはり単純なのだ。
「――っ!? ……ごほっ……げはっ! ……っ」
……不自然な、志音の吐血。
そう。とても単純。
《マナ》が無いのならば、《命》を使えばいい……。
【黒】《マヴロ》は、志音の命を力へと昇華させる力なのだ。これを《魔法》と呼ぶことは出来ずとも、どす黒いソレは《魔法》を演じるだけの力を確かに宿している。
幸いと言ってもいいものか……、愛しきあの人が無理矢理叩き込んでくれた『《魔法》の真髄』を知っている志音には、ルアンの創る《魔法陣》に込められた術式を正確に把握出来ていた。
見て理解できるモノなら、マネ出来る。
純血エルフ、ルアンの《マナ》が尽きるのが先か……
致命者、志音の《命》が尽きるのが先か……
ほら……先程と何も変わらない。
「面白い……。では、はじめようか……」
◇◇◇




