④一話(2)
もはや言葉は必要ない。
互いに限界まで握り締められた拳は、ギチチ……と悲鳴にも似た音を響かせ、かつてない程のプレッシャーを纏っていた。
そして――
――――っガッ!!!!!
どちらからとも言えぬ、ほぼ同時に
互いの肉体を衝撃が貫く。
剛毅の岩石のような剛拳は志音の頬を抉り、それに対して志音の鉛のような黒拳は剛毅の脇腹を突く。
助走や予備動作なしであるにも関わらず、それらは必殺に及ぶほどの破壊力を兼ねそなえている。
体勢こそ崩れなかったが首ごと引きちぎられそうな激痛が、肋を粉砕するような激痛が、両者の肉体を襲う。
だが共に、その程度で止まりはしない。
「……ぐっ、うら゛ぁあああっ!!!!」
「っがぁ……あ゛ぁぁあっ!!!」
火蓋を切ったその一撃はまごうことなき開戦の狼煙。
まるで何かを確め合っているとでもいうように、交互に一発ずつ殴り合う。
繰り返し、繰り返し、繰り返し……
鈍い音が響く。
肉体で肉体を殴っているだけなのに、酷く歪な音がその場に響きわたる。
志音の拳もガントレッドに包まれている様に見えるが、鉄製ではない上に、鉄製の独特な甲高い音などしない。
だが剛毅へぶつけられた時、肉と骨を穿つ汚い音を響かせている。
それは志音も変わらない。
加減を忘れた剛毅の拳は容赦なく志音を肉体を壊し、悲惨で凄惨なひどい音を奏でている。
「……っ、ぁ゛……っ!」
――今……確かに、【黒】に包まれた右腕の骨が砕けた。
殴った側の志音がこの有り様では、もはや笑い話にもならない。
だが、そんな激痛さえも志音にしてみれば些事の一言。
構わずその壊れた腕を使い続ける。
幸いというべきか、骨が折れてもソレを覆う【黒】が拳というカタチを作ってくれる。
たとえガントレッドの中身がぐちゃぐちゃになろうが、ソレは腕を維持し……志音が望む限り、反撃の拳として異常に機能するだろう。
……言葉で語るほど、簡単なことではない。
腕をミキサーでドロドロになるまで切り刻まれ、それでも平然と傷口に追い撃ちを与え続ける者など、……もはや『まとも』であるはずがない。
正しく……少年は、狂っている。
その上で――――
「……っぐぁ! か、がはっ、オイ……そんなナリで……まだやれんのか」
剛毅と寸分違わぬ力加減で、殴り返しているのだ。
剛毅が脚を使わぬならば、志音も脚を使わず。
剛毅が《魔法》を使わぬならば、志音も【黒】《マヴロ》の力を使わず。
同じ土俵、同じ手段を以て、あえて志音は剛毅と殴り合っていたのである。
当然、そんなことなど誰も気付いてなどいない。
観戦者や『王国軍』連中どころか、剛毅自身でさえ……わかってはいないだろう。
剛毅といえど自分で自分を本気で殴った経験などありはしない。それが普通だ。
志音の放つ拳が自身と同等かなど、何も考えていない剛毅に理解できるわけがない。
何故こんな回りくどい方法をとるのか……?
志音の力ならば……人々に恐れられてきた『死神』の力ならば、自身よりも遥かに体格に恵まれた剛毅であったとしても関係なく……瞬く間もあれば『殺せる』というのに……。
『英雄』に敵だと、排除すべき害悪であると認識させるには……罪無き人間を殺してしまえば、楽なのに……。
バカ正直にキズなど負わず、ただ相手を消してしまえば簡単なのに……。
「……っごは……っ!?」
また、ゴキリッと嫌な音をたてて……志音の肉体が壊れる。
吐血の回数は数えるのもバカらしいほど。
志音に、自身の体を治癒する術はない。
死んだ瞬間だけ、特例的に……死に至ったその『死傷』だけが、生涯消えることない『死痛』を残してなかった事になるだけ。
要するに『死に至らぬ傷』はそのまま。
【黒】の『干渉』の力で傷を塞ぐことも出来ない。
そもそも、『干渉』で傷を塞ぐカラクリの種明かしをすると、塞ぐ対象の《マナ》を一時的に無理矢理活性化させて傷口の皮膚を癒着させているだけ。自然治癒力に働きかけているに過ぎないわけだ。
そして志音は生まれつき持つ《マナ》に恵まれている訳ではない上に、【黒】に侵され続けた肉体が外部からの《マナ》を受け入れてくれない。
それ故に、ライラの最高位とも言える《治癒魔法》ですら、完全治癒を不可能としてしまっているのだ。
さて、そんな最悪と言葉にすることすら生ぬるい状況下で、何故……志音はそんな『嘗めプ』をしているのか……?
そんな事……至極単純だろう……。
……『殺したくないから』である。
あの『死神』がこんな矛盾を言うなんて、きっと笑われてしまうことだろう。
だが志音は『死神』である前に、たとえ半分だけでも『人間』なのだ。たとえなり損ないでも、人なのだ。
志音という一人の『人間』として、他者を……殺したくないのである。
相手が剛毅であろうとなかろうと……死んでほしくなんてないのである。
当たり前だ。
殺したいわけがない。
命令でなければ、仕事でなければ、宿命でなければ……
志音が……他者の死など、自ら望むわけがないのだ。
どれだけ危害を加えられようと、どれだけ大切なものを奪われようと、どれだけ誇りを汚されようと、どれだけ人徳を踏みにじられようと……。
すべて『我慢する』程度でいくらでも解決できる。
そんな下らない一過性の怒りで、他者を傷付けられる程……志音は『まとも』ではないのだ。
血反吐を吐いても、皮膚が紫色に腫れても、四肢が歪な方向に歪んでも、痛みも傷も……『我慢』すればいい。
その程度で、相手を『殺さずに済む』ならば……志音は自ら喜んで壊されよう。…………それこそが、少年の本心なのだ。
剛毅も当然、無傷とは呼べない。
だが、目立つ外傷は打撲による内出血で多少変色した皮膚くらいなもの。けして軽傷ではないが、致死を危惧する程の傷はどこにも存在しない。
対する志音は……?
ぐちゃぐちゃの手足は【黒】の鎧で無理矢理に形を維持し、リンド戦での切り傷に加え加減を知らぬ剛毅の一撃が身体中に傷を刻み続けている。すでに無事な部位など存在しない。
何故、生きていられるのか……?
【黒】の力でこれまた無理矢理に、生命を維持をしているだけ。己の死を否定し続けているだけ……。
……『この命……好きなだけ喰らい尽くせ、いくらでもオレを壊してみせろ』と
死しても、ソレを否定し……
痛みと苦しみだけの『生』へと、自身を堕とし続ける。
せり上がる胃酸も鉄臭く気分が悪い。
「……どうした……。随分と、息があがってるようだが?」
それでも、ぶっ壊れた表情筋を無理に歪めて、嗤ってみせる。
それが……それこそが悪人なのだから、と。
「……ぐっ……げはっ、……はっ! 誰がバテたって……? ……ぜぇ……、……オレが、この程度で……くたばるわけ、ねぇだろうが!!」
言葉では強がっていても、剛毅に先程までの余裕と呼べるものがないことくらい、誰の目から見ても明らかである。
コレは『戦い』ではない。
剛毅と志音。
膂力という一点において、この学園で右に出る者は存在しない男と、度重なる痛みと死に慣れるしかなかった少年の……ただの『我慢比べ』。
先に倒れた方の負け。
実にシンプルで幼稚な、子供同士の喧嘩である。
ただ――
周りが直視していられない程に、痛々しいだけ……。
剛毅は笑っている。
かつて、これほどに……自身を満たしてくれる存在はいただろうか?
普段、使いもしない脳味噌をフル回転して思い返してみても、出てきた答えは『否』だ。
これほどまでに、奮い立つ殴り合いは経験した事がない。《魔法》や武器などの小細工を抜きにした拳と拳だけ、己の肉体だけの闘争。口にするまでもなく単純な、壊し合い。
逸る!
滾る!
剛毅の全細胞が、この瞬間を心の底から喜び、楽しんでいた。
身に覚えのない、かつてない程の感覚に……剛毅は嬉しくて、頬の緩みを隠せないでいる。
もっと……もっとだ。
もっともっと、戦ろう。
もっともっともっと……殴り合って……
もっともっと……もっともっと、壊し合おう。
まだ、倒れないでくれ
まだまだ、終わらないでくれ
ずっと続けよう!
ずっとずっと……
この身が、ぶっ壊れて……指一本動かなくなるまで!!
その興奮は痛みを凌駕し、肉体の限界をまるっきり無視してただ豪腕を奮う単純な兵器へと至る。
どれだけぶっ飛ばされようと、剛毅は立ち上がり……
何度ぶっ飛ばそうと、志音は這い上がってきた。
周囲への配慮も忘れ、殴り合い続ける。
拳の余波は砂塵を飛ばし、お互い避けもせずバカ正直に自身の肉体で相手の一撃を受け続けるものだから、吹っ飛ばされ肉弾と化した体が校庭をメチャクチャにしていた。
備品は壊れ、設備も半壊、石畳さえ度重なる衝撃によりひび割れる始末。そんな被害などお構いなしに、彼らの闘争は続く。
「ぅおぉぉおおおおおおおおらぁ゛ぁ゛あああああっっっ!!!!」
普段ならば『使えぬ』レベルの一発も、「志音ならば大丈夫」などと何の根拠もない自信から、躊躇いもなしに放つ剛毅。
それは必殺たり得る破壊力ながら、いまだ決着の一撃とはならず……。
塵屑のように吹っ飛ばされ、無事とは言い難い深傷を負いながらも……志音は何度でも立ち上がって、剛毅と同格たる一撃で返してくるのだ。
ゴリゴリに鍛えぬかれた剛毅でなければ、確実に危うい威力。せいぜい平均男子程度しかない少年の細い腕をどう使えば、こんな威力を出せるというのか……。
志音の細腕から放たれた拳はどれも、剛毅を満足させるに至るだけの力を兼ね備えている。
滅多にいない、本気で殴り合う事が出来る相手。
……だったら、《アレ》を試してみよう。
『出来るが』『出来なかった』試みの一種。
常人を相手には、こんな単純な拳骨だけでも加減を間違えれば殺してしまいかねないのだ。それ故に、出来なかった……いや、する必要がなかった、単純な『力』から『技』への昇華。
当然、出来る。
前々から考えていた『技』と呼べる域の一撃を、剛毅は持っているのだ。ただ、あまりの威力ゆえに実戦向きではなく……何年も前に使用をやめた剛毅の『とっておき』。
体内の《気力》も《魔力》も全部ひっくるめた持てる力の全てを、右の拳へと集中させる。言葉にするならそれだけだ。
序列上位の生徒達なら当然のように普段からやっていること。貧弱な拳でさえ岩や鉄を砕く事が出来る基本技能である。
だが……使用者が剛毅というだけで、その意味は激的に変わってしまう。
これまで、防御に回していた《マナ》まで、この一撃に集中させるのだ。握り込まれた拳は目視可能なまでの覇気と熱気を纏い、その猛威を今か今かと胎動させている。
数年前に使った時でさえ、満月状の小島をたった一撃で三日月型に削り取ってしまう程の威力だった。
今の……戦士として力を突き詰めた剛毅が使用すれば……いったいどれ程の『破壊』を生み出すのか、本人でさえ未知。
「次のは、イテェぞ……?」
「……っ……!?」
《マナ》の流れを目視出来る志音は早々に、剛毅の変化に気付いていた。
志音でなくとも、剛毅の纏う尋常でないプレッシャーから観客達さえ只事ではない事くらい察したであろう。
特に察しのいい『王国軍』メンバー達はそれぞれに、王役のフィオナを庇うように立ち、既に敗したとはいえ『王室騎士団』の聖騎士達も観戦客へ被害が及ばぬように警戒を強める。
「くっ!! あのバカ! バカだバカだとは常々承知していたが、こんな場所でいったい何を考えているのだっ!!? いや、何も考えていないのだろう! 貴様、人間を名乗るならば、少しくらい他者の理解できる理性的な行動をとらんか!! だから、奴と組むのは嫌なのだっ!!」
「万能な医者が控えとるからと、後先考えずぶっぱなす気満々じゃのう……。じゃがちょっとくらい、周りの迷惑とか考えんもんか普通?」
「バカじゃないの!? ホントアイツ、バッッッッッッカじゃないのっ!!!?」
「大我藤殿……よもや、いまだこれ程の力を隠し持っていようとは……底が知れぬ」
「ちょっ、槇谷先輩! 感心してる場合じゃないですよぉ……」
「皆様、口を動かすのは結構ですが、もう少し距離を取る事をおすすめいたします。予測するに、この近さでは少々危険かと……」
なにやら味方の野次が聞こえた気もするが、剛毅は今それどころではない。
他に意識を散らすことすら惜しい。
剛毅と志音の楽しい楽しい殴り合いなのだ。
「覚悟は出来てっかよ……」
「やってみろよ……」
「……へっ、上等ぉぉおおおっ!!!!」
言われなくとも、集約された力はすでに決壊寸前だ。
志音の覚悟の有無に関係なく、剛毅に『待つ』という選択など残されていない。
そして放たれるこの一撃により、この戦いは決することとなる。




