③四話(5)
◇◇◇
あっけない。
数年間、ずっと……ずっとずっと……自身の奥底で蟠っていた、憎しみ、怒り、絶望、そして復讐の標的という『死神』の存在。
何年もの間待ち焦がれた瞬間だった。
だが、終わってみれば……どうだ?
結局……やった事はただの人殺しだ。
ヤツと同じことをしたに過ぎない。
ヤツから裂かれた脇腹の傷が痛む。血は溢れ、一部の内蔵まで達し、裂けた筋肉には力が入らない。
失った血も多い。……このまま治療しなければ、ほぼ確実にこの命さえ溢れ落としてしまうことだろう。
だが……そんな事よりも、血を滴らせる銀剣を持つ右手が、震えている。
人を殺した事への恐怖?
……違う。
目的を達した事への興奮?
……違う。
今、この瞬間、リンドの心中を埋め尽くす感情は……歓喜でも悲哀でもない。……ただ、唯一の……虚無感。
終わってしまった。復讐が……
終わらせてしまった。悲願を……
失くしてしまった。
……リンドの生きる理由を……。
あぁ……
今後の事を考えなければならない。
生き残ってしまった自分は、奪ってしまった命に対し責任をとらねばならない。今まで通りの日常に戻ることは出来ない。
真実はどうあれ、これほど多くの観衆が見守る≪ラグナロク≫の場で、人を……参加生徒を一人、リンドが殺めてしまったのだ。
国の王女の側近という立場であれ、平等に……罪に対し罰を受けなければならない。
そして、奴を慕った者達から、恨まれなければならい。憎まれなければならない。……数瞬前まで、リンドが志音にそうしていたように……。
姫様への謝罪、団長位の引き継ぎ、地下牢への収監……いや、創正殿に頭を下げ介錯を願うか……。
……もう、『悪人』は、終わらなければならない。
……そう、最後にしなければ……ならない。コレだけは、最初から決めていた事だから。復讐を誓ったあの日あの時から……。
「殺した程度で油断してんじゃねぇよ」
「――っ!?」
刹那――。
震えていた右腕がその銀剣と共に宙を舞った。
比喩ではなく、物理的に……リンドの片腕が切り飛ばされたのだ。
驚愕に見開かれる瞳。
即座に振り返るが、リンドがその姿を認識するのと同時、空いた左腕を肘ごと切り落とされ「ズジュ……」という汚い異音を響かせ血だまりと化した地へ落ちる。
そして、駄目押しとばかりに右脚を深々と突き刺す黒剣。
認識と理解が追い付いた瞬間にはもう、リンド・アークレイヴに抗う手段は……戦うすべは残されていなかった。
「何故、だ。……何故、貴様は生きているっ!!?」
そう、生きているはずがないのだ。
たった今、確実に……
……リンドがこの手で殺したはずなのだから。
確かに、首を落とした感覚はあった。肉を引き裂き、骨を切り裂く感覚を覚えている。
皮一枚繋がっていたとしても絶命に代わりはないはずだった。
「……っ、ライラか」
憎々しげにあの道化を探すが、ケラケラ嗤うあの女は……先程までと全く変わらぬ場所で嘲笑うような笑みを浮かべるだけ。
……違う。
いくらライラ程の治癒術士と言えど、あんなにも離れた位置から肉体欠損レベルの致命傷を治すことなど不可能だ。
ならば、分身体? 幻術? あるいは、超再生能力?
どう言った理由であれ、リンドの前に立つこの男は……あの、瞬間の攻防戦において……リンドの知覚出来ぬほどの小細工をもちいて、死を免れたのだ。
「ちげぇよ」
「っ!? ――っ」
「ライラは関係ないし……、あの瞬間、アンタの一撃で確かにオレは確実に殺された」
「……だったら」
「さて、なんでだろうな? アンタに殺されたはずのオレが、今アンタの目の前に立ってる」
「っ!」
嗤う志音。
先ほどまでのかすり傷は至るところに見受けられるが、肝心のあの一撃の傷……ソレだけが綺麗さっぱり消失している。その首には小さな傷の一つすら存在しない。
確かに倒れる気配がした。頭部の落ちた音がした。……なのにだ。
「首斬りって、殺しの手段としては結構ポピュラーな方でな。目茶苦茶痛ぇんだけど、『何度も』されてりゃ……慣れないって程でもなくてな……」
「……どういう、ことだっ」
「『死神は殺しても死なない』って噂は聞いてねえの? まぁ、単なる噂程度だけど……バカには出来ねえだろ? 事実、オレは今生きてる」
「……」
「そう驚く事でもねぇだろ? アンタんとこのじゃじゃ馬姫だって、似たような体質してたろ。たぶん本質はちげぇだろうが、すばしっこさって点では同じだろうぜ」
リンドの主、フィオナ・オーヴェインも……一種の不死性を備えた一人だ。それは、リンドも把握している。
だが、フィオナの体質は何千年も前から続く『不変』の呪い。不老不死と言葉にしてしまえば簡単なものだが、その本質は……かすり傷一つ負うことの出来ぬ『終われない呪い』。
永劫ともとれる永い時間を、彼女は『生き続けなければならない』のである。
この人類を守る代表者であり続けなければならない。
対して志音はどうだ?
限りある命を他者を害する為に利用する極悪非道。
人類に害をなすという意味では確かに代名詞となりかけている節はある。
「違うな……」
「……?」
「貴様と、姫様は……違う。何一つとして、同じであるものか……」
「はは、中身外身って話はしてねぇんだけどな……。まぁ、違えだろうさ? アイツには、あの人を殺すことはできないだろうし」
「……っ」
「無理すんなよ。致命傷だらけで血も足りてねぇだろう? それに、もうお前は負けてるし、オレとしてはもう戦う理由もないわけ」
「……私はまだ、戦れるっ」
「でも≪ラグナロク≫のルール上、人殺しは反則負け扱いだろう? さっき確かにオレはアンタに『殺された』し、アンタにはもうこの戦場に立つ権利はないってわけ。それに……」
志音の視線はリンドの肉体をじっくりと観察したあと、戦場外に立つ唯一の衛生兵へと……。
「アイツってどの軍にも属してない扱いだから、ライラが治すのって敗退者だけだったろ? アンタのその傷だと、早く治療しないと死んじまうぜ」
「……ふん、あの『死神』が……おかしな事を言う」
「変なこと言ってる自覚はないんだが?」
「その口振りでは……まるで、私に……「死ぬな」と言っているように、聞こえたものでな」
「……。アンタを殺して、オレに何か得があんの?」
「ふりかかる火の粉は消しておくべきだろう……」
「じゃあ、大丈夫だろ? アンタ程度じゃ火の粉になり得ない」
「……っ」
その言葉を最後に……数分にも及んだ激戦に、一つのピリオドが打たれることとなった。
「あ、ちょうどいいし、戦利品代わりにコレ借りてくぜ?」
リンドの刃を奪って……。
◇◇◇
「やぁやぁ、人類最強の守護騎士様が、随分とあっけなく負けてしまったようじゃないか。しかも、反則負けって……恥ずかしくない?」
「ライラ・フレウィット・ジーニス」
「なんだい? リンド・アークレイヴくん」
「貴様ならば……あの男、どうやって殺す……?」
「物騒な質問だね。そもそも私はアレを殺したりしないさ」
リンドの失った両腕を手にしたライラは貼り付けた笑みをいっそう濃くする。
「アレは実験動物にした方が楽しそうだ」
リンドから離れていくあの背を、リンドは見続ける。
だが、リンド自身も理解できないことに……その目に憎悪と呼べるものは残っていなかった。
親の仇を討てなかったこと、その仇に見逃されたこと、屈辱的な言葉を投げられ……だが、リンドの中に怒りの感情はない。
不思議だった。
リンドはあの背中に、自身を重ねてしまったのだ。
もしフィオナ陛下に見つけられなかったら、救われ生きる意味を与えられなかったら……自身もああなっていたのではないか……?
いや、きっと……
「……私では、奴のようにはなれなかったのだろうな……」
リンドは敵を前にして、剣を引くことが出来なかった。
むき出しの刃を下げることが出来なかった。
そういう意味で言えば、リンドよりも志音の方が……シャクではあるが、理性的だったと言えるのだろう。
もちろん、志音の数々の行いを許したわけではない。
また出会う機会があったならば、リンドは迷わず剣を抜くだろう。
だが……おそらく、もう彼を憎む事は出来ない。
「気付いていたか、ライラ」
「なんだい、藪から棒に」
「あの少年、一度たりとも……私を『殺そうとしなかった』んだ」
あの剣戟の中、たしかに殺気は感じた。
一撃一撃は重く鋭く……世辞にも手を抜いているとは思えなかった。
だが、少年の剣筋は理性的だった。
言葉には言い表しづらいが……殺すための一撃は一度たりともない。
「知ってるよ」
「……驚いた。君には剣筋を見る才能などないと思っていた」
「はっ、剣なんざ知るか。私の注目ポイントはコレらだよ」
ライラは怪我人の事などまるっきり無視で、その太ももに突き刺さったままの剣を力任せに引き抜いた。
「……ぐっ! もっと丁寧に抜いてはもらえないか……」
「負け犬が私に命令しないでもらいたいね。私は君ら筋肉達磨と違って非力でか弱い女の子なんだ。ぶっとい剣を人体から引き抜くとなれば多少力任せにもなる」
「……か弱い、ね」
「そして、私の意見だが……言ってしまえば簡単さ」
その剣は先ほどまでの漆黒ではなく、どこにでもある鉄製の剣先。
そして、ライラが診た限り……リンドの身体のどの傷にも、【黒】の残滓が見てとれない。
要するに……ライラならば簡単に治してしまえる程度の傷であるということだ。
「君は知らぬだろうが、彼の力の本質は『破壊』だ。あの黒い剣に切り裂かれれば、その力で細胞からジワジワと破壊していく。しかも、魔術や呪いの類いでない分たちが悪い。治療法は切除しかない」
「……」
「だが、君の傷口からはソレがない。だから――」
リンドの右腕をもとあった位置に宛がう。
そして、ライラの力で……数秒とかからず
「ほら、簡単にくっついた。しかも傷口が綺麗だったから、残った傷跡も目立つまい?」
「……そうか」
「彼が君を殺す気だったならば、そもそも……出てきたあの瞬間に不意討ちでもしていただろうさ。正々堂々なんてそれこそ彼らしくない」
リンドが再び動けるようになるまでに、時間はかからなかった。
それでも、ライラはダラダラとやっていた方なのだが……
そして、無駄話をしている間に、他の騎士団員が戻ってきていたようで、リンドへと向ける視線はどこかぎこちない。
不甲斐ない……それぞれの脳裏に浮かんだ最初の言葉はきっとそれだろう。
聖城最強の騎士達が誰一人として、まともな戦果すら上げられないとは……。
それを見て、ライラはまたケタケタ嗤う。
「ガキ相手に油断したツケってやつだろう? 大人が揃いも揃ってクソダサい結果になってしまったようだね~。少しは反省してはどうかな」
「言い訳のしようもない……」
「……? ヴェリカ、何故お前だけ傷だらけなんだ?」
ヴェリカとは、騎士団きっての駿足と名高い少年で、年の頃は学生達とあまり変わらない程度。
フィオナ陛下から授かった武器との相性も良く、雷光を纏い颯爽と戦場を翔る彼を捉える事は常人には不可能とまで言われている。
だが、他の騎士団とは違い……戦闘よりは隠密を得意とする少年だ。
我が身を顧みずに突っ込むような勇敢さは持ち合わせていないはずで、戦況の不利を悟れば迷わず引く。むしろ傷とは一番縁遠い少年であるはずなのだが……。
「……オレだけ、先行して戦況の把握をしようとしたんスけど……」
「ふむ」
「……兎に見つかって、その後、根暗と能面が割り込んできて……負けはしなかったんスけど、このざまっス……最悪ですよ」
「なるほど」
「てか、後から来る筈だった団員全員、ガキ一人に足留め食らってたんですよ! 援軍来ないってわかってたら真っ先に引きましたよオレだって!」
「「「面目ない……」」」
「大体、王役の団長が最弱野郎に負けてる時点で意味わかんないっつーか! そもそも、なんであんなバケモンが最弱とか呼ばれてるわけ!? あの学園の戦力基準ってバカがやってんじゃねえーの!! この島の大人って無能だらけかよコンチクショウ! ……ってとこっスかね」
「残念だが、言い訳出来ないな……」
ヴェリカの言い分はもっともである。
何せ便りになる先輩騎士達が、全員……何かしらのアクシデントに見舞われて敗退してしまったのだ。
頑張って堪えていたヴェリカ一人バカをみた形で負け。文句の一つや二つでは収まるまい……。
「あのロイドという少年、次の騎士団員に推挙したいほどの逸材じゃよ」
「ガラティナのめがねに叶う人材か……珍しい」
たしかに、志音だけでなく……他の『王国軍』メンバー達も、何かしらの原石を隠し持っている逸材揃いなようだ。
『革命軍』の王役であるリンドが負けた以上、大きな勢力が一つ消えた事になる。
コレが本物の戦争ならば、フィオナ陛下率いる『王国軍』の完全勝利というかたちで幕を締めるのだろうが……。
今はまだ、勢力がもう一つだけ残っている。
それは、リンドを下したあの志音が属する『他国兵』勢。
貸し出された端末を確認してみれば……残るメンバーは、あと二人。
……たったの二人である。
志音とアクト。
今、この広場にいる二人だけ。
明らかに戦力不足である。
この≪ラグナロク≫のジョーカーとも言える志音でさえ、リンドとの戦いで少なくはない傷を負っている。
「……へへ、おつかれさま。志音♪」
「まったくだよ……しんど」
「すごくかっこ良かったよ! 改めて惚れ直しちゃうくらい♪」
「眼科行け。そりゃ、目か脳の病気だ」
「褒めてあげたのに、酷いー!!」
あんな華奢な少年だけでなんとかなるとも思えない。
だが……
「さて、祭りもいよいよ大詰めだ。お前達、帰還までに負けた言い訳でも考えておけ」
「「「……はい」」」
「形無しだねぇ~……。では、私はアチラに行くとしよう。……何やらもう一仕事ありそうな予感がするのでね」
「ちょ、オレの傷も治してから行ってくださいよ。ライラ医師団長!!」
「悪いね。今の私は、ただの学園の保険医さんなのだよ。用済みの他人より生徒優先だ」
「ちょ、うそぉ……っ!?」
ヒラヒラと手を振り志音達の元へと歩みを進めるライラ。
その先で、不意に志音は手を上げた。
それは誰かへの合図とかではなく、どちらかと言えば周囲の注目を集めようとしているような素振りである。
そして、一言……――
「……あ、オレもう棄権するわ」




