③四話(4)
◇◇◇
両親は、優しい人達だった。
少なくとも、彼の幼少期の記憶の中では……とても優しく深い愛情を彼へと向けてくれていた。
彼も、両親を……家族を……家に尽くしてくれた使用人の方々を、相応に愛していた。
恵まれた日々だった。
ごくありふれた、幸せな日常だった。
…………――一瞬だ。
その幸福な時間が……終わりを告げたのは……。
……何故だ?
彼は理由を求めた。
こんな理不尽が……理由もなしに赦されて良いはずがない。
……誰が?
彼は親の仇を求めた。
この全身を蝕む……怒りを、憎悪を……ぶつけることの出来る『正当な敵』を……。
そうしなければ、壊れてしまっていたから。
憎む相手がいなければ……
恨む相手がいなければ……
殺すべき相手が、存在しなければ……
……あの日芽生えた、この『真っ黒な欲望』を……抑え込むことが出来なかったから。
理由も、仇も……明らかとなった。
なんてことはない。
彼の家族は、裏の世界でも名の通った……いわゆる『わるい人』だったそうだ。
彼の知らぬ所で、けっして赦されることのない悪行を続けていたのだという。親の代などという生温いものではない。
先祖代々……その血族は、穢れた血を受け継いできたのだという。
人々は口々に言った。
「死んでもしかたがない」と
「アイツ等は極悪人なのだから」と
「ようやく天罰がくだったのだ」と
彼の血は……汚れているのだと……
だから、死んで当然なのだと……
ならば、もう他者に気を遣う必要もない。
彼は『わるい人間』なのだ。
彼の中を流れる血が、肉が骨が臓物が……極悪人のソレだとするなら、善人を演じたところで何になるというのだろうか?
『偽善者』にさえ、成れはしない。
黒い絵の具に何度白を混ぜても、けっして白には慣れないのと同じだ。
だから彼は、決めたのだ。
それがどれ程に罪深き悪行であろうと……奴を殺すと。
親の仇を……
『死神』を殺す為に、生きようと。
『死神』をこの手で殺す。その為だけに……生きよう、と。
彼は他者を殺した。
必要な情報を得る為に
……己に残った、情を殺す為に
…………悪人として生きる為に
………………殺す為だけの存在と成る為に
そして、『死神』との関わりを手探りで追う内、この《オーヴェイン》に辿り着いた。
奴との繋がりがあるのだと……
……創正に敗北した。
戦いとも呼べぬ、一方的な蹂躙。
初めてだった。
単純な戦力で……『この男は殺せない』と感じたのは
そして……
彼は、『光』に出会うこととなった。
穢れなき『光』
自身とは違う……誰とも違う。
ここにしかない。
ここにしか、ありはしない。
ただ……
ただ……
真っ白な――『一人』。
彼女は……彼に触れ…………涙を溢していた。
真っ黒で血に汚れた彼の手をとり……泣いていたのだ。
『ごめんなさい』
……と。
人の本質は変わらない。
リンド・アークレイヴという青年は、やはり……悪人なのだ。
極悪人で人殺しなのだ。
この世界で、他者の死を心から望む事が『悪』だとするならば、今……リンドの心を埋め尽くす感情の全てがドス黒い『悪』のそのものだ。
許されぬ、悪人のソレだ。
フィオナという、絶対的な存在を……我が命よりも大切な存在を見付けたとしても……この『我』を殺すことは出来なかった。
我がままに、己が身をかけめぐる衝動に、抗うことさえ出来なかった。
……変わった気でいたのだ。
……変われた気でいたのだ。
護るべきヒトのそばに居ることで、この力の使い方を正しく理解できた気でいたのだ。
誰かを護る『盾』には、成れなかった。
やはり、自分は……誰かを殺す『剣』なのだ。
『死神』を殺すための、薄汚い凶器でしかなかったのだ。飼獣にも劣る……穢獣だ。
もう止まれない。
ならばせめて……この世に不必要な害獣を道連れにして……。
その銀閃は、迷いなく『死神』の肉を切り裂く。
この数刻の内、何度……肉を裂いたか。何度……骨を断ったか。何度……臓物を穿ったか。
それは、コチラも同じ。
この穢れた血肉を、骨を、あの黒き刃で幾度削られたか。
数えてもいない。
それが無意味だと知っていたから。
傷も痛みもどうでもいい。
この『生』すら、犠牲にしても構わない。
「「…………っ」」
一瞬、双方の剣が交わり止まる。
つばぜり合いと揶揄出来なくもないが、これまで通りならば……この一瞬でさえ、隙と断じ……拳や蹴りが横行していた。
言葉を発する時間すら存在しない、瞬間の攻防を繰り広げていたのだ。
だから、この停滞には……意味がある。
「何故、貴様は……そう成った」
「……はっ、…………今更、言葉遊びかよ……っ」
「答えろ!」
「お前には関係ない」
「もう……、もう貴様のような『悪』を生み出してしまわぬ為に、知っておく必要がある。……貴様と同じ過ちを、繰り返さぬ為に……」
「復讐を吠えるだけの駄犬かと思ったら、随分と建設的な物言いをすんじゃねえか……。だが口を動かしてる余裕があんなら、さっさとオレを消す事をオススメするが?」
「貴様の言葉に私が従う義理はない。……安心しろ。どんな言葉を吐いたところで貴様が死ぬことに変わりはない。私が……殺す」
「……、そうかよ……」
その言葉通り、リンドの目に温情と呼べるものはない。
だが、機械的……作業的と呼べるものでもない。たしかに、人の情と呼べるものを見せている。
だからきっとその問答は、聖都市《オーヴェイン》の騎士団長としての義務としてだけではなく、リンド自身の心から出たまごうことなき本心なのだろう。
……自身という『悪』を棚にあげ、それでも騎士という肩書き通りに……せめて、『悪人』にも出来る事を……と。
もう二度と、この二人のような哀しみと憎悪に苦しむ者を、そんな悲しい運命を繰り返してしまわぬように、と。
もう……
……あの人の
自身を救い出してくれた少女の……
悲痛にゆがむ顔を、見たくはないから。
「……くっだらねぇ」
だが、『死神』はそんな男の切なる願いさえ、たった一言で一蹴してしまう。
張り付けたような悪人面で……。
こんな言葉が、真に無駄であると。
「テメェ一人が知ったところで、何も変わりはしない。世界が世界なんだ。笑う奴がいるなら、その裏には泣く奴がいる。その全部を救いたいなんてのは……強欲に過ぎるってもんだろう? 少なくとも、テメェ等程度じゃ……オレ達は救えない」
「……生での救済を不可と断ずるなら、せめて……死をもってその苦しみから救い出してやる」
「そうだな。正義を振りかざすしか能のねえテメェ等じゃ、その方法しかねぇだろうよ! テメェはオレ達を殺すことしか出来ない! ソレが……ソレだけがっ、正しい事だからだ!! 間違いたくないテメェに出来る唯一絶対の正義だからだっ!」
「殺しは正義などではないっ」
「黙れよ偽善者。人殺しは悪行だとしても、害獣駆除は善行扱いだろう? ただ、世界に害を成すだけのバケモンだよ。ぶっ殺して何が悪い?」
「同じ命だ。比べられるものではない」
「……オレの大切なモノを、全部奪っちまったテメェ等に……まさか、生命の尊さを諭されるとはね……。心底くっだらねぇ! いい子ちゃんごっこはオレの居ないところでやっててくれよっ」
先に剣を弾いたのは志音。
もう語ることはないと、交渉を断った。
リンドも察したはずだ。
何を言ったところで、志音は変わらない。
ぶれる事のないモノがあると。いくら言葉で叱りつけても、この少年を正すことは出来ないのだと。
文字通り、言葉の通じぬ相手なのだ、と。
諦めにも似た溜め息を一つ小さく溢し、リンドは再度……その剣を構える。
……終わらせるために。
◇◇◇
『己の事を知ってほしい』と思ったことはない。
それは、自分語りが得意ではないというのもある。苦しいだけの過去を振り返りたくないというワガママもある。幸せだった思い出を言葉にすることで……この間違いを続ける事に挫けてしまうかもしれないというのもある。同情の目で見られたくないという強がりもある。
それだけではない。
自身の過去を知られるということは、自身の罪を……自身の正体を晒すということだ。自身の生い立ちを、自身の運命を知られるということだ。
……きっと、堪えられない。
誰も受け止める事など出来ない。
誰も受け入れられる人間などいない。
志音自身でさえ、何度……自身の生を呪ったか、自身の行いを憎んだか、自身の発言に吐き気を催したか、自身の生き方を怨んだか……。
産まれた罪に、いくつもの罪を上塗りし続けた真っ黒な手。
産まれてきてはいけなかった。
幾度そう思っただろう?
だが、産んでくれた両親を憎んだことはない。むしろ、最後の瞬間まで……いや、いなくなった今でさえ、愛してやまない。
産んでくれてありがとう、と
矛盾する心が、だが何故か嫌ではなかった。
愛した人がいた。
愛し返してくれた人がいた。
彼女は……笑ってくれた。その顔がたまらなく大好きだった。
だが、彼女ももういない。
ほら、誰もいない。
志音が心から愛した全ては、ことごとく……消えてなくなった。
だから臆病になっているのかもしれない。
誰かを愛せば、またソイツはいなくなる。
救うことも守ることも出来ずに、この汚れた両手からこぼれ落ちてしまうのだろう。
愛してはいけない。
大好きだから、大切だから……愛してはいけない。
だから志音は、何も伝えない。何も教えない。何も語らない。
知っている者達は、志音が何かを発するよりも前から、知っていた者達。志音と同じように自分勝手な大人達だ。
知っていてなお、自身の目的の為に志音を利用することが出来る者達だ。
それでいい。
いや、それがいい。
同情などいらない。
語る必要などない。
これ以上、誰も……志音を知る必要はないのだ。
構えた黒刃。
確かな殺意を込めて握られたソレを向けた先には、自身と似て非なる男。
自分も成れたかもしれない、もう一つの可能性。
絶望の渦の中で、確かな光に救われ……正しくあろうと立ち上がることができた可能性。
そうなれなかった。
いや、そうなることを拒んだ『悪人』。
「言っておく」
「……あぁ?」
「私は今から、お前を殺す。聖城に――フィオナ陛下に仕える騎士の一人として、私が貴様という『悪』の罪を罰する」
「はっ、オレを殺す口実作りか……?」
「貴様には、生きて罰を受けるだけでは生温い。その命をもって償わねばならない。それほどの大罪を犯した」
「『たった一度の死』程度で許される罪じゃねえよバカが。それに、オレには償ってくれてやる良心も贖罪の意思もねえ」
「よって、聖城騎士団|≪オクト・プリズン≫団長リンド・アークレイヴの名のもと……ここに刑を執行する」
「……人の話、聞く気ゼロかよ。『死神』くんでも泣いちゃうぜオイ」
「遺言はそれでいいんだな……?」
二人きりの戦場から大きく距離を置いた観戦者達にも、雰囲気で察せてしまうほど……両者の緊張感が、纏う空気が一層膨れ上がっていく。
声の届かぬ周囲からも、息を飲む姿がうかがえる。
決着の時は近い。
きっと、あと数度も切り結べば……ドチラかが倒れる。
そのような考えが甘かったことを、観戦者は目の前で思い知ることとなる。
――…………一瞬。
一度の瞬きをする間を『一瞬』と形容するならば、まさに……言葉に違わず、ソレは一瞬であった。
何が起きたか?
周囲から観たままをありのままに表現するならば、音もなく……両者互いの立ち位置が入れ替わり、共に背を向けた状態。
そして、リンド・アークレイヴは左の脇腹を、深々と切り裂かれている。遠目故に正確ではないものの、もしかすると、へそ辺りまでバッサリといってしまっているかもしれない。
間違いなく致命傷だ。
噴水とまではいかずとも、その傷口からは夥しい量の血液が溢れ出している。
膝をつき、傷口を抑える左手も真っ赤に汚れてしまう。
一見してしまえば、敗者の絵面だ。
だが……――
「…………っ!? は、早くっ、早く救護班を! 先生、ライラ先生っ!!」
茫然と立ち尽くすだけの観衆の中、一番最初に血相を変え声を荒げた結歌でさえ、状況を理解し言葉を発するまでに数秒もの時を無駄にしてしまった。
その光景を実際に目にしてしまったなら、むしろ結歌の対応はかなり迅速な方である。
隣にいるアリシアでさえ、目を疑うことに数秒の時間を浪費してしまったのだから。
その視線の先には……――
ドサリと受け身もなしに倒れ伏す……首から上を失った肉体と、その側……ゴロリと転がった……かつて志音と呼ばれていた少年の……――
「……う、そ……」
誰の口からこぼれ落ちた言葉か……。
リンドを遥かに越える出血……いや、もはや出血云々という次元の話ではない。
――首を切り落とされれば、確実に死ぬ。
そんなこと、幼い子供でさえ認知している常識である。
死んだ。
志音は、死んだ。
夕凪 志音は……死んだのだ。
つい数秒前まで、あの人類最強とまで言わしめたリンド・アークレイヴと互角に渡り合っていた少年が、たった今死んだのだ。
……あまりにも、あっけなさ過ぎる。
「先生!!」
叫ぶ結歌。
少し離れた位置につっ立っていたライラにも当然その叫びは聞こえている。
もしも、まだ彼を助けられる方法があるとするならば、彼女しかいない。
『創造者』とまで呼ばれるあの保険医ならば、一刻を争うこの状況下でも……志音を助けられるかもしれない。
結歌の判断は間違っていなかった。
だが、駄目だ。
「残念ながら、私に志音を治すことは出来ないよ」
「……っ、どうして!?」
「それよりも、ちゃんと見ててやるべきなんじゃないのかな? まだ……終わってないぜ? あれ」
「何を言って――!」
「まぁ、見てなよ」
結華を視線で誘導するライラ。
戦いの終わりを衝撃的な光景で見届けた雰囲気を醸し出すその中で、たった一人……
……苦しげな、悲しげな、悔しげな、切なげな、痛々しい表情で見守る少女。
知っている者である彼女も、誰もが目を反らした肉塊を見つめる。
……まだ、続けるの?
……まだ、終われないんだよね……?
…………ごめんね。
泣いてあげる事すら出来ぬ自身を呪い、少女はただ見守り続けた。
『死神』の戦いを……。




